根岸右琉澄、ロボットに物足りなさを感じる

<対話型のロボット>


は、二十一世紀初頭頃には既に存在していたが、反応が単調ですぐに飽きられるただの玩具おもちゃとしか捉えられていなかったと言われている。


実際、それを何年にも亘って愛用し続けた購入者はごく僅かだったそうだ。たいていはせいぜい数ヶ月の期間で飽きられ放置されたというデータがある。


技術者らは、対人間の会話データを蓄積し、より多様な応答ができるAIの開発に力を注いでいったが、<対話型のロボット>が登場して数百年が経過した今なお、人間を超えることはできていない。


知能や思考速度や最適な解答を得るという点では、とうの昔に人間を凌駕していると言われていた。いや、実際に凌駕している。チェスや将棋や囲碁では、もはや人間が勝てた時にこそニュースになるほどだ。


けれど、<心>や<感情>を持つ人間が見せる不確実性や不安定さや曖昧さや矛盾がもたらす<機微>といった点については、AIはまだ人間には及ばない。AIに作曲をさせても、<売れる曲>は作れるのだが、<心に残る曲>という意味で、何百年も前に人間によって作られた<名曲>に並ぶものは存在しないともされている。一時的に売れてはすぐに忘れ去られていくのだ。


商売としてはそれで問題ないのだとしても、いわゆる<文化>や<芸術>といった面では残念な結果であると言わざるを得ない。


だからといってAIを蔑んでいても仕方ないので、今では、


『得意分野が違う』


という捉え方で住み分けを行っているわけだ。AIやロボットを『道具として割り切る』のも、そのための考え方とも言える。


それでも、いかにもロボット然・機械然としたレイバーギアはともかく、人間そっくりに作られたメイトギアやラブドールに対しては、<人間らしさ>を求めてしまいがちになるのも人間の業というものか。


根岸ねぎし右琉澄うるずのように、一般的なメイトギアに物足りなさを感じてしまうのも、無理からぬことなのかもしれない。


だが、現時点ではそれをクリアするだけの<技術>がまだない。ないのだが、一部の人間の中にはその部分を、


<自身の空想・妄想>


でカバーして、


『ロボットにも心がある!』


『ロボットにも人権を!』


と主張する者達もいる。そしてそれが、タラントゥリバヤ・マナロフのように、ロボットに対して強い嫌悪感を抱く者の感情を逆撫でし、結果として殺人事件にまで至っているという事例もある。


タラントゥリバヤ・マナロフが起こした事件については、彼女の学生時代からの友人が『ロボットと結婚した』ことで感情のタガが外れ、その友人と(ロボットに邪魔をさせないため)二人きりで会った際に凶行に至ったようだ。


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