15日目~30日目 アリシア、再び決意を新たにする

茅島秀青かやしましゅうせいと彼のアリシア2234-LMNとの一件は、千堂アリシアを一気に成長させたように思われた。彼女は、人間とロボットとの関係性を自ら改めて理解し、自分がどう振る舞うことがその関係を良好にするのかということを学んだようだ。そして同時に、自分と他のロボットとの関係性についても、彼女なりの答えを得るに至ったようだった。


彼女は、自分が人間でもなく純粋なロボットでもないことを再度自覚して、その中間に位置する存在として自己を確立しようと心に決めていた。人間とロボットとの間にある、どうしても超えられない壁と言うか溝と言うかについての架け橋のようなものになれればと考えたのだ。


それまでの、ただ千堂に甘えたい愛されたいだけだった自分から、自分にしか出来ないことを自分の意志でやっていこうと考えるようになったのである。


その、自らに対する明確な目標設定が、ともすれば落ち着きを失いがちだった彼女の振る舞いに、ある種の柱のようなものを生じさせたようだった。それを軸にして、自分の言動を制御出来るようになったようである。その変化は、千堂をも唸らせた。


しかもそれは、単に落ち着いたとか利口になったとかお行儀が良くなったとかいうものではなく、彼女なりの明るさと言うか朗らかさと言うか大らかさのようなものも失うことなく、それ自体が彼女の個性として定着しつつあるように思われた。


アリシアは言う。


「私は、私として生きることを望みます。人間じゃなく、ただのロボットでもない、『千堂アリシア』として、人間を愛し、何より千堂様を愛することを誓います」


それはまるで、結婚式で愛を誓う時に口にするような文言だった。食事の後の寛ぎの時間に突然立ち上がり、真っすぐに千堂を見詰めそう言った彼女の姿に、彼は軽く狼狽えさえした。顔が火照り、少年のように鼓動が早くなるのも感じてしまったのである。


とは言え、先にも語ったように彼女の明るさと言うか朗らかさと言うか大らかさのようなものも失われず、それが彼女の幼さとして残った為に、やはり千堂からは娘のように思われたのだった。


だが、彼女はもうそれには拘らなかった。自分らしくあろうとすればどうしてもそうなってしまうのだから、それが自分なのだということを彼女自身が理解したのだ。無理をせず、背伸びをせず、それでもいつか彼に淑女レディとして認めてもらえるように、努力を続けたいとただ思った。


そして彼女がこの屋敷に来てから三十日が経ったある日、千堂が言った。


「明日から、私も長期休暇に入る。三週間の間、ずっと一緒にいることになるだろう。その間に、アリシア2305-HHSの保安条件の適用を受けることが出来るかどうかを見極めることになると思う。それが可能になれば、お前はこの屋敷の中や私の私有地の中だけでなく、本格的に私と共に、他のロボットと同じように外出も出来るようになるだろう。そうなれば私と一緒に旅行にだって行くことが出来るようになる」


『千堂様と一緒に旅行!?』


その言葉に、アリシアは自分がときめくのを感じた。本来なら千堂の身を守るロボットとして常に行動を共にすることだってあったにも拘らず、他のロボットとの事故を回避する為にはそれは避けなければいけなかったのだった。自分は普通のロボットではないのだから仕方ないと諦めていたが、やはりそれが出来ないことは残念と感じていたのも正直な気持ち。それが出来るようになるのは、彼女にとっても大きな喜びであった。


昂る気持ちを抑えきれないように目を輝かせる彼女に対し、千堂はさらに言った。


「そしてゆくゆくは、お前に私の秘書をしてもらうことも考えている。それも、我が社の正規の従業員として」


『…はい…?』


これにはさすがにアリシアも度肝を抜かれた。身辺警護用のロボットとしてなら常に行動を共にするのは本来の機能だから問題ない。ただ、<秘書>となると勝手が違う。いや、実際にそういう感じで使われるアリシアシリーズも確かにあるし、自分だってそれ用のアップデートを行えば機能的には何とかなる筈だ。だが、従業員? 自分が? ロボットの自分が?


間違いなく戸惑っているのがバレバレの彼女に、千堂はなおも言う。


「お前が、人間でもなくロボットでもないと言うのなら、その第三の存在として自らの力で生きていく為の手段を確立することは必要だろう。お前はもう我が社の単なる<商品>では既にない。これは我が社の商品をアピールする為のデモンストレーションではない。あくまで千堂アリシアが自立する為に必要な話なんだよ。どうだ? 挑戦してみるか?」


現在、ロボットに人権はない。人格がないのだから人格権もない。ただ、家族の一員として<籍>を入れることは可能だし、住民登録だって出来るのだ。あくまでこれは都市としてのJAPAN-2を含む一部の都市での条例に基づいたある意味ではジョークに近いお遊びのようなものではあるが、実際にそれでロボットと結婚までして家族として暮らしている人間だっているのだった。つまりそれは、千堂が彼女との結婚だって視野に入れているという話かも知れないということでもある。


それに気付いたアリシアのメインフレームは急激な高まりを感じ、様々な思考が無秩序に駆け回ったのであった。この屋敷に来たばかりの頃ならきっとそれで我を忘れて暴走さえしてしまったかもしれない。だがもう今の彼女は、そこまで幼稚ではなかった。ない筈だった…?


「落ち着け。目が怖いぞ、お前」


『は…!? いやだ、私ってば…はしたない』


千堂に指摘されてようやく我に返ったアリシアは、身を乗り出し口をだらしなく開け、涎さえたらしそうな風体で千堂を見詰めていたことに気付いたのだった。この辺りはまだ今後の課題として残っているのかも知れない。


そして千堂は言葉を紡いだ。穏やかな表情で、しかし真剣に。


「アリシア、私は人間だ。いつ何があるか分からない、どんな事故や病で命を落とすかも知れないただの人間だ。私が生きてお前を守る力があるうちはお前を守ってやれるだろう。だが、それは絶対という言葉を使って出来るような約束じゃない。お前が自立するのは、私にもしものことがあった時に、お前自身の力で生きていく為には必要なことなんだよ」


それは、成長し巣立っていくことに不安を感じる我が子を諭す父親のような語り口だった。彼は、彼女のことを一人の人格として扱うからこそ、彼女が自らの力で生きていく為に必要なことを真剣に考えてくれているのだった。それを少々先走って受け取ってしまった自分を、彼女は恥じた。


『ごめんなさい、千堂様』


ちょっとシュンとなった彼女を見て、千堂は微笑んだ。この辺りはまだ可愛いもんだなと父親のように目を細めてしまう。こういうところがやはり、淑女レディたりえないところなのだろう。


しかし一方で、千堂の申し出には、現時点では問題点も多いのは事実だった。やはり法律上、彼女はあくまでロボットであり、義務もない代わりに権利もないのだ。いくら自分で仕事をして税金を納めたとしても、彼女には、人間なら受けられる社会保障がないのである。また、彼女ならその心配も低いだろうが、犯罪被害に遭って損害を受けても補償はされず、破損すれば修理は全て実費となる。一応、自動車と同じで民間の保険もあるものの、行政からの支援は基本的にない。だが同時に、無料の充電スタンドもある現在の社会インフラは、食事をとり続けなければならない人間よりもむしろロボットである彼女の方がコストが安上がりという一面もあった。それで浮いた現金を、ロボットの名義で預貯金の口座は作れないが貴金属等の現物資産に替えて蓄えを作るという方法もあるにはある。


そういう諸々の問題を、千堂はアリシアと一緒に乗り越えていこうと考えていた。それが、彼女と共に生きることだと思っていた。そしてアリシアにも、それは十分に伝わっていた。


「千堂様、私、頑張ります。千堂様と一緒に生きていく為に」


そう言って微笑んだ彼女の顔を、千堂は誰よりも美しいと思うのだった。






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