12日目 アリシア、少年と出会う

その日千堂は、仕事に行く前、アリシアに言った。


「今日から、午後一時から午後四時までの間、自由時間とする。私の私有地内であれば行動は自由だ。ただし、くれぐれも人身・物損に関わらず事故は起こさないように。いいね?」


そう言われて、彼女は戸惑った。いくら心のようなものを持っていてもロボットである以上、命令や指示された以外のことをするのは、実は得意ではなかった。仕事中に起こるイレギュラーな事態になら臨機応変な対処も出来るようになってきてはいる。リスと戯れて脚立から落ちるなどの失敗はあったが、それはあくまでも予定された行動内で起こった事故にすぎない。


しかし今、千堂が言っているのは完全にアリシアに自由を与え好きに行動していいということである。何もないところに自らの意志で目的を作り行動を決め、それを実行しろと言っているのだ。人間にはそれほど難しいことではないが、ロボットはそう指示されると例外なく最初から最後まで待機状態で過ごしてしまう種類の無茶振りだった。


千堂は、彼女の心というものが果たしてどれほどのものなのか、あくまで人間のように振る舞うことができるロボットでしかないのか、それとも自らの意志で自らの行動を決めることが出来るレベルにあるのかを改めて確かめようとしていたのだった。もちろん、自分のいないところで彼女に行動の自由を与えることのリスクは承知している。だからこそ、自分の私有地内だけに行動を制限し、人身・物損に関わらず事故は起こさないという厳しい条件を付すことで無茶なことは出来ないようにしたのだ。


彼女が千堂の命令を無視して敷地外に出て行くという危険性はないのか? それについては明確に『無い』と言える。彼女が千堂の命令に従わないケースは全て、<命令に従っていては千堂の身に危険が及ぶ状況>だったことは確認されている。実は、千堂がアリシアを屋敷に迎える以前に彼女を伴って開発部で行われたシミュレーションで、その辺りは既に実証済みだった。千堂の安否に関わらない命令には、彼女は一切逆らうことはなかったのである。命令ではない<指示>の場合は不満を見せることもあるが、命令という形で与えられたものには決して逆らわないのだ。例えそれが、自らを犠牲にするような内容であってもだ。


ちなみに千堂が言う<人身事故>の人身とは、生物としての人間だけでなく、アリシア自身も含まれている。アリシア自身が傷付くようなことはしてはいけないという意味である。ただし、至近距離からのスラッグ弾を受けても殆ど傷も付かない彼女が傷付くような事態というのはそもそも大変な非常事態なので、傷が付かなければ事故とみなさないという意味ではないことも付け加えておく。あくまでアリシアを生身の人間と仮定した上での条件だ。それさえ守っていれば、千堂以外に生身の人間のいないここで他人が巻き込まれる心配もないのだから、テストとしては特に危険なものでもない筈だった。


そこでアリシアは、人間が時間を持て余した時にやる行動の一つ、<散歩>を実行してみることにした。半径二キロの千堂の私有地内を自ら確認し、先日のような事態が発生した場合に役立てられればと彼女は考えたのだった。発想自体はいかにも要人警護用のロボットらしいと言えるかも知れないが、それを彼女自らが思い付いたことに意義があった。


「ごくろうさまで~す」


屋敷の門を警備しているキョウリキ3673-GMSに声を掛けて開けてもらって、アリシアは門の外に出た。彼女が門の外に出る場合があることは既にキョウリキ3673-GMSにも知らされている。ロボット同士のデータ通信で挨拶と言えるものはしているので音声による返事はしないが。


いかにもガードマン風の意匠を施されたキョウリキ3673-GMSに見守られながら、彼女はのんびりと道を歩き出した。と言ってもそこから先も二キロ近く千堂の私有地なので、見えるのは緑ばかり。それでも彼女は、道の左右の地形等も詳細に確認しながらそこを歩いた。だが、もうすぐ千堂の私有地が終わるという辺りで、アリシアは有り得ないものを見付けてしまったのだった。


「男の子…?」


彼女がそう呟いたとおり、それは人間の男の子だった。長袖シャツにズボン姿で、片手に虫取り網を携えた、十一~十二歳くらいの少年だった。一応、私有地の入り口にはそれを示す看板と簡単な門が設置されているのだが、そういうものをあまり意に介さない子供などが入り込んでしまうことは稀にあった。今回のものも、そのいでたちを見るに、虫取りに夢中で入り込んでしまった感じなのだろう。


「こんにちは。虫取りですか?」


少年はやはり虫取りに集中していたらしく、アリシアが近付いていることにさえ気付いていなかった。そこに突然声を掛けられたことで「うわっ!?」っと声を上げてしまった。


「び、びっくりした。なんだ、ロボットかよ」


少年はアリシアの顔を見た途端、彼女がメイトギアのアリシアシリーズだと気付いたようだった。この辺りに自宅か、もしくは親類の家でもあるのであれば、経済的にはそれなりの家の子供なのだろう。だとすればメイトギアを普段から見慣れていても不思議ではない。しかも少年は、相手がロボットと見るや、明らかに見下したような不遜な態度を取ったのだった。


「お前には関係ないだろ。仕事に戻れよ」


そう応える彼の顔からは、どこか嫌悪感すら感じられた。それはアリシアも気付いていた。自分に対する警戒心以上のものを、目の前の少年が発していることに。しかも殆ど前置きすらなく『仕事に戻れ』とは、やはりロボットの扱いに慣れている。


だからアリシアは敢えて言った。


「戻るのは、あなたの方ですよ。ここは私有地です。あなたは他人の私有地に無断で立ち入ってます。分かりますね? この意味が」


彼女の言葉に少年はハッとなった。しまったと言いたげな表情を見せた。やはり意図的に侵入したのではなく、気付かずに入り込んでしまったのだろう。だが少年は憮然とした態度でアリシアに言い返した。


「ちぇっ! ロボットのクセに偉そうに! 分かったよ、出てけばいいんだろ!」


態度は決して褒められたものではないが、少年は素直にその場を立ち去ろうと歩き出した。その様子を見たアリシアは、なぜか彼のことが気になったのだった。


「虫を探してるんですか? 夢中になって追いかけるくらいに大切な虫なんですか? だったら、私と一緒ならこのまま探しても大丈夫ですよ」


アリシアの言葉に少年は振り向いた。その顔は、最初に声を掛けられた時とは別の驚きの表情を浮かべていた。


「お前…本当にロボットか…?」


彼が驚くのも無理はなかった。ロボットならここで、私有地からの退去を求めることしかしない。言葉はあくまで丁寧だし人間に罵られようと攻撃を受けようと声を荒らげたりはしないが、一切譲歩することはないのである。だから、自分と一緒ならこのまま私有地内での虫取りを続けていいなど、ロボットが言う筈はなかったのだ。そしてこの少年の反応は、ロボットがそういうものだというのを知っているということでもあった。そんな彼に向って、アリシアは微笑んだ。


「はい、ロボットですよ。私はアリシア2234-HHC。れっきとしたロボットです」


そう言った彼女を見る少年は、しかしその笑顔を見て頬を赤らめた。それほどまでに彼女の笑顔は、自然なものだった。自らをロボットだと言いながらも、ロボットのそれとは明らかに違う笑顔だった。


その自分を見る少年の表情に、アリシアもまた不思議な感覚を覚える。まるで、千堂に見詰められた時に感じる何かに通じるかのようなものが、そこにはあった。だから彼女は、その感覚の正体を確認したいと思ったのであった。


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