3日目 アリシア、求婚する

「こちらこそ、改めてよろしくお願いします、先輩」


アリシアがアリシア2305-HHSに向かって頭を下げながらそう言うと、またアリシア2305-HHSの目がピクッと反応した。やはり本来のアリシアシリーズの対応ではないということが、どうしても引っかかってしまうようだ。しかしその点は辛うじて個体差の範囲内と判断したのだろう。それ以上は何も言わず自らの仕事に戻っていった。


しかし二機のやり取りを見た千堂は、アリシアの成長ぶりを実感していた。芽生え始めていたアリシア2305-HHSに対する苦手意識のようなものが大きく解消されているのが確認出来たからだ。彼女は学習し、それを自らの経験としてしっかりと役に立てることが出来ると分かったことが嬉しかった。


確かにアリシア2305-HHSから見れば彼女は<壊れて>いるだろう。だがその壊れた部分を彼女は自ら補うことが出来る。それをアリシア2305-HHSに認めさせることが出来れば、もう何も心配は要らない。そして彼女にはそれが可能だという手応えを得た。


アリシアの言動がますます人間っぽいと言うか幼くなっていく傾向があるのか否かについてはさすがにまだ判断は出来ない。とは言え成長出来ることも確認出来た以上は、その辺りは多少目を瞑ってもいいと思えた。ロボットらしくない愛嬌をふりまくくらいなら、さほど実害もないだろうから。


リビングに戻り、ソファーに腰を下ろす。


「隣に座ってもいいですか?」


改めて確認してくる彼女に、千堂は思わず目を細めた。


「ああ、いいよ。おいで」


彼の言葉に従ってソファーに座った彼女が思ったより沈み込むことにももう慣れた。これが彼女なのだからそんな些細なことを気にしていても意味がない。千堂はそう認識していた。人間にだっていろいろあるんだ。それと同じだ。体を寄せてくる彼女を、ただ愛おしいと思えた。それで十分だった。彼は静かに問い掛けた。


「どうだ、ここでの暮らしは。慣れそうか?」


ロボット相手に慣れるも何もないと思いつつも、そう訊いた。それにアリシアも静かに応えた。


「はい、私は千堂様のお傍にいられるならどんな暮らしでも適応してみせます」


その返答が、まだ少しロボットらしい堅さも感じさせつつ彼女らしいと彼は思った。そして千堂は、敢えて本質的な質問を彼女にぶつけた。それは彼女が人間に準じたものとして生きていくのなら、必要なものだったからだ。


「お前は、これからどうなりたいと思う?」


実に抽象的で、曖昧で、ロボットには難しい問いだった。普通のアリシアシリーズならこういう時の答えは決まっている。


『私は自らの役目を果たしてまいります』、だ。しばらく使っていると文言は多少変わってくるかも知れないが、意味としては同じ返答をする。ロボットであるアリシアシリーズは、もうそれ自体が既に完成された存在なのだ。成長も変化もない。ただ自らの役目を、自身が壊れるまで果たすのみである。それ以外の何者にもなれないのだから。


だが、今、千堂の前にいる彼女は言った。


「私は、千堂様の花嫁になりたいです」


「……!」


さすがの千堂も、これには面食らった。いや、もしかしたらそんなことを言い出すのではと想定もしていたのだが、実際にこれほど躊躇なくそのまま真っ先に言ってくるとは思っていなかった。とは言え、ロボットである彼女ならこのストレートさも当然かも知れない。あまりもってまわった言い方というのは、生まれたばかりとも言える彼女も得意ではないだろうから。


「そうか、花嫁か」


千堂は苦笑いを浮かべながらそう言った。


「ダメですか…?」


彼の表情に、アリシアはしゅんとなった。上目づかいで縋るように見詰めてくる。そんな仕草は入力されていない筈なのに、どこで覚えたのかそれとも自ら考案したのか、見る者の心理を突いてくる姿だった。これには千堂も相貌を崩した。


「いや、駄目じゃないさ」


と言った彼に、彼女は胸を撫で下ろす。その仕草もなかなかに威力を感じさせるものだった。しかし千堂は冷静だった。アリシアを真っ直ぐに見詰め、諭すように言う。


「ただ、私の花嫁になりたいのなら、少々ハードルは高いぞ。それに見合ったレディになってくれないと困るからな」


きっぱりはっきりとそう言い切った。今の彼女の様子では、さすがにいろいろと世間的に問題がありそうだというのは正直なところだった。はっきり言ってしまえば、未成年の少女に手を出した四十男にしか見えないからだ。もっとも、彼女が本来の振る舞いをしていたとしても、元々のデザインが幼過ぎるというのはあるのだが。何しろ、開発部は『二十歳前後の日本人女性をイメージしました』とは言っていたものの、明らかにそれよりも幼い印象しか受けないものだったのだから。


とは言え、そのおかげで、アリシア2234-LMNと同デザインで一般仕様のアリシア2234-HHC(ホームヘルパー・キューティ)は、日本のコンテンツに憧れを抱く海外のセレブを中心に大ヒット商品となったのだが。しかし、そんな余談は関係なく、彼女の気持ちは高ぶった。


「頑張ります! 私、千堂様に似合うレディになってみせます!」


両の拳を握り締め、まるでファイティングポーズを取るボクサーのような姿に、千堂の笑みが漏れた。


「ふふふ、気合は買うが、その振る舞いはさすがにレディとは言い難いかも知れんな」


確かに、今の姿はとても『淑女レディ』と呼べるようなものではなかった。活発で熱気にあふれた力強い姿ではあったのだが。彼女も、自らの決意を表現できたと思っていたのだろう。


「え~? 千堂様、厳しい~」


と、不満げな顔になった。そんな彼女の様子に千堂はまた笑う。笑いながら、きっぱりと言った。


「そうさ。私は厳しいぞ。会社でも厳しい上司で通っているからな」


その通りだった。会社での彼は、仕事に厳しい、常に高いレベルの結果を求める上司として恐れられてもいたのだ。同時に、部下からの信頼も厚かったが。アリシアは応じた。


「あう~…時間掛かってもいいですか?」


彼の求めるレベルの高さを感じ、簡単ではないと彼女も理解したのだ。そんなアリシアを千堂は見詰め、静かに、そして丁寧に語りかけた。


「それは構わないよ。期限は切らない。ただし、忘れてはいけない。私もお前も、無限の存在ではないということを。私達の時間は限られているということを」


そうだ。つい忘れがちになるが、千堂はあくまで人間であり、医療技術の進歩もあって健康寿命が伸びているといえどどんなに長く生きてもあと百年生きられるかどうかだろう。そしてアリシア自身にも、人間と同じように<寿命>があるのだ。


彼女の<心>、もしくは<心のようなもの>は、彼女のメモリー内に蓄積された断片化ファイル等の正常に処理できない不正なファイルが本来の情報処理を妨げていることによる<バグ>だというのが現在の仮説なのである。それは彼女が活動している限りは常に増え続け、いずれはデータ処理上の限界を迎え、彼女はまともな応答さえ出来なくなり、本当に壊れてしまうとみられている。そうなればもはや完全に初期化するしかなくなり、それと共に今のアリシアはいなくなってしまう。つまり、<千堂アリシア>はそこで死を迎えるのだ。


「…はい、心得ています」


彼女もそれは理解していた。心持ち引き締まった表情になり、真っすぐに千堂を見詰めた。そこにもまた、彼女の決意が見て取れた。


「よろしい。ならば私は待っているよ」


彼は応えた。二人の時間が限られているのは紛れもない事実だ。さりとて、それは明日明後日の話ではない。開発チームの試算では、少なくとも数十年の猶予はある筈だ。メインフレームには触れない形で多少のスペックアップを行うことで寿命を増やせる余地もある。その間に目標を達成すればいい。だが。


「とは言え、今は形の上ではお前はもう私の家族であり、『千堂アリシア』という個人でもあるんだけどな」


という千堂の言葉通り、彼女はもう彼の家族として登録され、その名前で郵便物さえ届くようにはなっていたのであった。


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