2日目 アリシア2305-HHS、オコる

アリシア2234-LMN-UNIQUE000が『千堂アリシア』として彼の屋敷に迎えられて二日目の朝。彼女はいきなり最大のピンチを迎えていた。何と彼女は、ロボットであるにも拘らず寝坊してしまったのだ。何故か、起床時間、いやロボットなのだから起動時間と言うべきか、に正常に起動が行われず、一時間もズレてしまったのだ。


「え…? え? えええ~っ!?」


アリシアは狼狽えた。ロボットとしてあるまじき失態にパニックに陥っていた。リビングの方に直接出られるドアの前でリビング内の状態を探知すると、既に千堂が朝食を始めているのが分かった。そしてその千堂の傍らに、この屋敷におけるメイドとしての先輩であるアリシア2305-HHSの信号も感知された。


それは当然、アリシア2305-HHS側にも、アリシア2234-LMN-UNIQUE000が起動したという信号が感知されていることを物語っていた。


「千堂様、アリシア2234-LMNが起動したようです。それではこの後はアリシア2234-LMNに引き継ぎますので、私は通常の業務に戻らせていただきます。現状で34分の遅れが出ていますので、ご了承願います」


アリシア2305-HHSはあくまで事務的に事実だけを述べた。しかしそれがむしろ無言の圧力のようなものを生み出しているように感じられた。無論、正常なアリシア2305-HHSに心はなく感情もないのだから怒ったりする筈はないのだが、人間の方は勝手にそういうものを想像してしまう。心がそうさせるのだ。そしてそれはアリシア2234-LMN-UNIQUE000にとっても同じだった。


ドアの前で立ち竦んでしまい、出ていくことが出来なかった。アリシア2305-HHSがリビングを離れ、その信号が充分に遠ざかってようやく、ドアを開けることが出来た。


「千堂様、申し訳ございませんでした」


ドアを開けるなり、彼女は深々と頭を下げて謝罪した。彼の顔を見るのが怖かった。だが、そんな彼女に掛けられた言葉は、アリシア本人にとっても意外なものだった。


「わざとじゃないんだろう? だったら次から気を付ければいいさ」


実に穏やかで、全く責めるような意図を感じさせない声だった。ハッとなった彼女が顔を上げると、そこにあったのは悪戯っぽく微笑む千堂の姿だった。それでいて、目が合った瞬間、彼は表情を引き締めて言ったのだった。


「ただし、次はないよ。いいね?」


その言葉に、アリシアは身が引き締まるのを感じた。ロボットであるにも拘わらずだ。そんな彼女の様子を見て、彼は再び顔を緩めた。


「とは言え、お前の場合は人間のように気を付けるとかそういうのとは事情が違うか。アラーム機能の不調かも知れない。もし今度同じことがあったらチェックしてもらった方がいいかもな」


そうなのだ。ロボットである彼女には人間のような<うっかり>は考えにくい。トラブルがあればそれには必ず原因がある筈なのだ。


千堂に優しくそう言ってもらえた安心感からか、アリシアは逆に恐縮しきって小さくなっていた。うなだれたまま両手の指を所在無げに動かし、その姿は叱られてしょげかえる子供の姿そのものに見えた。


「そうですね…」


呟くようにそう漏らした声も、幼い子供のそれだった。


「まあいい、この話はこれまでだ。今日は休日だし、この後、少し出掛けようと思う。アリシア、君も一緒だ」


不意にそう言われ、彼女はまたハッとなって顔を上げた。その彼女に向かって、千堂は改めて言った。


「君の仕事である、朝の清掃が終わってからな」


彼の言葉は穏やかで、別に怒ったりしていないというのはよく分かった。だからアリシアも「はい!」と大きな声で応えられたのだった。


それから彼女は、リビングとキッチン、および千堂の寝室と書斎、さらに千堂が使うバスルームの清掃を始めた。元より以前からアリシア2305-HHSによって完璧に管理されてきたそれらはさほどの手間を要しなかった。若干の作業効率の低下がみられる彼女でもそれほどの時間を必要としないくらいには。


午前中の割と早い時間に清掃は終了し、脱衣所でエプロンを外し洗濯籠に入れて出たところで、アリシアは思いがけないものを見てしまった。


「……!」


それは、自分の姿を冷淡な目で真っ直ぐに見詰めるアリシア2305-HHSの姿だった。これまで互いに信号を感知して鉢合わせないように回避してきた筈のアリシア2305-HHSが何故自分の前にいるのか、彼女は軽くパニックに陥っていた。そこで気が付いたのである。千堂と出かけるということに少々浮かれて信号の確認を疎かにしていた自分を。受信しているにも拘らずそれを無視していたことを。


それは、ロボットとしては有り得ないことだった。入力されている情報を意図せず無視するなど、本来は出来ないことの筈なのだ。なのに彼女にはそれが出来てしまった。このことが寝坊の原因だったのかも知れない。彼女の起動を促す為のアラームを、彼女は自分でも気付かぬうちに無視してしまったのだろう。人間が寝ぼけてアラームを止めてしまうかのように。


そのことが、今、はっきりしてしまった。こうやって鉢合わせしたことで確認出来てしまった。それが、アリシア2305-HHSには許せなかった。いや、正常なロボットであるアリシア2305-HHSにそういう感情はないのだが、ロボットとして有り得ないアリシア2234-LMN-UNIQUE000の状態に、強いストレスを感じているのは確かだった。それは正常なアリシア2305-HHSから見ればまぎれもない故障であり、やはり看過出来ない異常事態だと認識されてしまったのである。


「アリシア2234-LMN、やはりあなたは故障しています。保安条件の適用は除外されましたが、千堂様の身の回りのお世話をするロボットとしてあなたは相応しくありません」


呆然と立ち尽くすアリシアに向かい、アリシア2305-HHSはきっぱりと言い放った。心を持たない筈の正常な状態のアリシア2305-HHSにも拘わらず、明らかに怒っているように見えてしまうほどに。


これは、千堂の屋敷に置かれたアリシア2305-HHSが、一般的なアリシアシリーズとは異なりデフォルトの笑顔をしてないこともそう見える要因かも知れない。必要もないのに笑顔を作ってることを嫌った千堂が、敢えて表情を出さないように命じてしまったことに起因していた。とは言え、にこやかに笑顔を浮かべながら先程の言葉を発しても、それはそれで怖いものがあったかも知れないが。


その様子も、千堂は少し離れたところから見ていた。そして思う。


『やはり、他の正常な機体との同時運用には相当なリスクが伴うと見るべきかも知れないな…』


それが彼の正直な印象だった。何しろ、どちらも悪気はないのだ。どちらにも悪意など欠片もないのにこういう衝突が起こってしまうのである。アリシア2305-HHSはロボットとして当然のことを言っているだけだし、アリシア2234-LMN-UNIQUE000の方も何か意図的に問題を起こそうとか全く考えてもいない。なのに衝突してしまう。


恐らくその原因として考えられるのは、双方が最優先しているものがズレているということだと思われた。アリシア2305-HHSは自身に与えられた役目を果たすことを、アリシア2234-LMN-UNIQUE000は千堂を想う自分自身の気持ちを最優先にしていることで、ロボットとしての基本的な部分に齟齬が生じているのだ。


これがもし、アリシア2234-LMN-UNIQUE000がただの人間だったら恐らく何も問題はなかった。人間がどれほど理不尽な振る舞いをしようと、相手が人間である限りはアリシア2305-HHSは何も思わない。人に危害を加えるような行いでない限りは。しかしこのケースでは、同じロボット、しかも同じアリシアシリーズであるということが、問題になっているのであった。


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