1日目 アリシア、後輩になる

「アリシア、彼女がこの屋敷の管理をしているアリシア2305-HHSだ。お前の先輩だな」


玄関ホールに立ち深々と頭を下げて出迎えるアリシア2305-HHSを、千堂は彼女に紹介した。アリシア2305-HHSは、HHS=ホームヘルパー・スタンダードの名を持つ通り、ホームヘルパーとしての機能に特化した、アリシアシリーズの中で最も普及しているタイプである。実はこの上位機種としてHHP=ホームヘルパー・プロフェッショナルという更に高機能なタイプがあるのだが、実際にはHHSでも十分だった為に販売が振るわず、在庫となったものをHHSにダウングレードして廉価販売することになったという裏話があったりする。


まあそれは余談として、お互い同じメーカーのロボットであり共通の機能も多いアリシア2234-LMNとアリシア2305-HHSは、別に紹介する必要もないというのが実際のところなのだが、やはり人間である千堂にはこの手順があった方がしっくりくるということで敢えて行ったものであった。


「初めまして、よろしくお願います!」


アリシアは千堂に合わせて人間っぽく挨拶をしてみせた。とは言え、互いに通信範囲に入れば自動的にやり取りするアリシア2234-LMNとアリシア2305-HHSは、彼女がこの屋敷の敷地内に入った時点で既に顔見知りと同じだった。元気に挨拶をする彼女に対し、アリシア2305-HHSの反応は非常に冷淡である。


「千堂様。そちらのアリシア2234-LMNは故障しているものと私は判断します。そのようなロボットをこの屋敷に入れることは、保安管理上認めることは出来ません。直ちにメーカー修理に出すことを強くお勧めします」


そう、これがロボットとしての当然の反応だった。正常なアリシア2305-HHSにとって彼女は明らかに異常を抱えた危険な存在であり、管理責任者たる立場として立ち入ることは認められないというのは当然の対応なのだ。


人間の目から見ると、先輩メイドが新入りのメイドにいきなりかましたように見えるだろうが、ロボットであるアリシア2305-HHSにそんな意図はない。ただ自身に与えられた役目に忠実であろうとしているだけである。


こうなることは、もちろん千堂も承知の上であった。


「特殊コード、JAPAN-2-GE-KP-629912756826LISP792GI。例外項目設定、当該アリシア2234-LMNは高負荷試験運用中であり、特別な対応を要するものである。よって、全ての保安条件の適用を除外する」


千堂は冷静にそう命じた。


「特殊コード、JAPAN-2-GE-KP-629912756826LISP792GI、受諾しました。例外項目設定完了。高負荷試験運用中の当該アリシア2234-LMNを全ての保安条件の適用外とします」


アリシア2305-HHSはこう答えると、


「いらっしゃいませ、アリシア2234-LMN、あなたを歓迎します」


と言いつつ深々と頭を下げたのだった。ロボットだから命令されると当然こういう対応になる。


「こちらこそ、よろしくお願いします。先輩!」


改めて挨拶をしたアリシアを見るアリシア2305-HHSの目がピクッと反応したことに、千堂は気付いていた。極めて異質な存在である彼女に対して、アリシア2305-HHSのメインフレームがストレスを感じている証拠だった。データは開発部にリアルタイムで送信されているが、生身の人間が目視して感じたことをレポートするのも目的の一つである。これは、正常なアリシアシリーズと彼女とを同時に運用しても事故が起こらないかというテストでもあったのだ。


千堂が発した特殊コードによって保安条件からは外れたものの、アリシア2305-HHSにとって彼女はやはり異常を抱えた異様な機械であることに変わりはなかった。それが、アリシア2305-HHSのロボットとしての基本原則の部分と衝突し、ストレスを発生させているのだろう。いわば、礼儀作法に煩い先輩メイドが、礼儀のなってない新人メイドの態度にイラついているという感じだろうか。


だがその後は、千堂の身の回りの世話と書斎及び寝室ならびにキッチンとリビングそしてバスルームの保守点検をアリシア2234-LMNが、屋敷の全体の保守点検はアリシア2305-HHSがそれぞれ分担して受け持つことでこれといった衝突はなかった。信号により互いの位置が確認出来る為、お互いに顔を合わせないように行動しているようだ。この辺りはさすがにロボットらしいと言えた。元より人間と違ってホームヘルパーとして基本的な能力は並みの人間のプロフェッショナル以上であるアリシア2234-LMNに人間のような指導は必要ないのだから。


ただ、作業内容は理解している筈なのだが、どうも標準状態のアリシア2234-LMNに比べ作業の効率が明らかに低下しているように思われた。言ってしまえば、<どんくさい>のである。この辺りは、彼女に心のようなものを生み出していると思われるバグが影響している可能性が高い。


とは言え、当の千堂がメイドとしての機能をアリシア2234-LMNに期待している訳ではないので、それについては大きな問題ではなかった。それよりも、アリシアがすごく嬉しそうに仕事をこなす様子が、彼の関心を引いた。それも、他のアリシアシリーズには決して見られないものだ。だから作業そのものは決してスムーズではないにも拘らず、何かとても心に残る気がすると千堂は感じていた。


今も、千堂の為に食事の用意をしているアリシアの姿は、鼻歌さえ聞こえてきそうな程に楽しげだった。本当に鼻歌を歌わないのは彼女にそういう機能が無いからであって、あればきっと歌っていたに違いない。現在のアリシアシリーズの発声方法は、多くのメイトギアで採用されているスピーカー方式ではなく、人間のそれに極めて近いものだった。つまり、声帯と舌と唇を緻密に使うことによってほぼ人間と同じ形で発声しているのである。しかも喉から口腔にかけての構造も非常に精密に再現されていて、実は鼻歌を再現することも理論上は可能なのだ。ただ、鼻歌を歌いながら作業するというのがやはりプロのホームヘルパーとして好ましくないのではという配慮から、機能として付与されなかったという経緯がある。


さりとて人間なら明らかに鼻歌が出そうな様子なのにも拘わらずそれが無いというのは、逆に奇妙な違和感となって千堂の心に残った。


『この辺りは、今後の商品開発のヒントになるかも知れないな』


そんなことをメモに残す。そう、より人間に愛着を持ってもらえる、ユーザーに長く愛される商品を開発することは、JAPAN-2ジャパンセカンドの利益に繋がるのだから、千堂が注目するのは当然と言えるだろう。


彼が自分をそういう風に観察していることを知ってか知らずか、アリシアは昼食の用意を終えて、声を掛けてきた。


「千堂様、お昼の用意が出来ましたあ~」


『…何故そこで語尾を伸ばす』


本来のアルゴリズムではそのような喋り方をするようには設計されていないというのに、一体、どこでそういう喋り方を学習してしまったのだろうか。確かにユーザーの嗜好に合わせて学習し、心地良い話し方になるように修正していくという機能はあるのだが、それにしてもここまで砕けた話し方は出来ない筈なのだ。


とは言えその部分については、彼にも心当たりが無い訳ではなかった。何しろ、アリシアシリーズを開発しているチームというのが揃いも揃って曲者ばかりで、役員である千堂にさえ断りもなく隠し機能とでも言うべきものが仕込まれていることがある為、通常なら表に出ない筈のそういうものが、彼女の<心のようなもの>を生み出しているバグにより顕在化してしまったという可能性は否定できなかったのである。


『この辺りはいずれ確認を取らなければな……』


と、千堂は思ったのであった。


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