第7話 異変

 苦しい、身体が熱い…


 水、水が飲みたい…


 私の目の前に禍々しい獣の様な生き物がいる。とてつもなく大きい。鋭い牙、口から漏れる白い吐息、赤く光る目。


「はっ! はぁ、はぁ、はぁ」


 目を覚ますと見慣れた天井だった。さっきまで目の前にいたあの獣はいない。身体中が汗でベタベタになっていた。


「夢…あくっ!?」


 頭がかち割れるくらいひどい頭痛が襲う。頭の中が揺さぶられ、とてつもない何かが混ざり合うように。


「う、うぁ、うぁあああ!」

「瑞穂! どうした瑞穂!」

「瑞穂様!」


 私の叫び声を聞いて御剣と千代が駆けつけてくれた。

 痛みは治らない、さっきより酷くなる一方だった。


「頭が、頭がぁ!」

「千代!」

「は、はいっ!」


 千代が何かを唱えると、目の前に白い雪のようなものが現れた。

 呪術の方陣だ。

 私を囲むように方陣が作り上げられ、少しずつ頭痛が治まってくる。


「瑞穂、これを飲め!」


 御剣が薬を持ってきてくれるが、喉が受け付けてくれない。

 

 苦しくて飲み込むことができない。


 駄目、視界もぼやけてきた。


「くそっ、こうなったら!」


 視界が黒く染まる中、私の唇に柔らかいものが触れ、口の中に水と薬が流し込まれていった。


“………?“


 目を開けると、心配そうに顔を覗き込んでくる御剣がいた。


「…み、つる、ぎ…?」

「熱は下がったみたいだ。気分はどうだ?」


 先ほどまでとは違い、体はすごく楽になっていた。


「楽、かも…」


 視線を動かすと、すぐそばで御剣の膝を枕にして眠る千代の姿があった。


「千代と交代で様子を見ていたんだ。治癒の呪術で体力を使いきったらしい。疲れて眠ってる」

「そう、なの。迷惑かけて、ごめんね、千代」

「良いれふ、みじゅほさまぁ…くぅ」


 寝言にしてはちゃんと返してくれた。

 私が起き上がろうとすると、御剣に制される。


「まだ寝てろ。働き過ぎで疲れているんだ」

「そういう訳にもいかないわ…」

「良いから言うこと聞いとけ」


 このままでは起こしてくれそうにもないので、諦めて横になることにした。

 隣で座る御剣が、りんごの皮を包丁で剥いてくれていた。


「こんなに苦しかったの、あの時以来かも…」

「見ていたこっちも冷や汗ものだったよ」

「ごめんね、御剣」

「謝ることない。ほら、りんごだ」


 御剣は一口位の大きさに切られたりんごを、楊枝に刺して私の口に運んでくれる。みずみずしい甘いりんごの風味が口に広がる。


「美味いか?」

「うん…」


 そういえば、私が体調を崩した時、御剣がいつもりんごを剥いてくれた。ここ最近はそう言うことがなかったから、妙に懐かしく感じる。


 御剣からは、今日一日身体を休める事に専念することを進言された。御剣は私の代わりに政務を担ってくれると言うので、言葉に甘える事にした。

 御剣が千代を担いで部屋から出て行った後、私は掛け布団の中で寝返りをうつ。


 さっきの、何だったのかしら。


 それが夢なのかも分からない。ただ言えるのは、獣のような存在が私を見つめていた。

 誰も教えてくれない私の力。

 姿を消したお母様ですら教えてくれなかった。訳の分からない力と付き合い続けなければならないほど、気持ち悪いことはなかった。


 ◇


 体調を崩した瑞穂の代わりに、俺は戦いに備えて色々と動き出していた。村や砦に寄り付く商人たちから聞いた話では、鏑矢での焼き打ちが批判を呼び、国内各地で反乱が起き、すでに衝突が起こっている。


 すでに国内は内戦状態だった。


 それがどの程度のものかは実際に見ていないから分からないが、コタンテ側にとっては看過できない事態である事には間違いないだろう。

 こちらからすれば、


「アンちゃん、少し良いか?」

「右京か。あぁ、構わない」

「ちと河岸を変えるか」


 中庭を歩いていると、訓練終わりの右京に呼び止められる。

 そのまま俺は、右京の後に続いて物見櫓へと登る。


「それで?」


 先に用件を問うことにした。


「あぁ、これからの事だ。これはあくまで俺とアンちゃんだけの話だ。良いな?」

「続けてくれ」

「俺は自分の中の良心に従って反乱に参加した。もう、国には戻れねぇ」

「後悔はないのか?」

「あぁ、これっぽっちもねぇな」


 そう言って右京はキセルを加え、煙を吐き出す。その様子から、後悔はないと見える。


「ただ一つ、強いて言うなら俺に付き従ってくれた奴らが心配だ。こうなった以上、俺はそいつらとも剣を交える。もしかするとこの手で斬るかもしれない」

「覚悟は出来ているんだろう?」

「できる事なら、手を汚したくないってのが本音だ」


 右京の人柄からして、彼を慕う人間は少なくないはずだ。思い悩むのも無理はないだろう。

 しかし、こうした状況になってしまった以上、そんなことで心が揺らいでもらっては困る。


 俺はそこで、右京にある提案をした。


「なら、彼らをこちら側に連れて来ればいい」

「連れてくるったって、あいつらにも家族がある。コタンテがそれを知れば、どうするか」


 裏切り者には容赦のない死を。


 一族郎党皆殺し、頭にその文字が浮かぶ。

 しかし、簡単に諦めるのは俺の良心が許さなかった。


「はっきり言う、俺は右京が背負っているものなんて分からない。俺はそれ程の人間じゃないからな。でも、それで良いのか?面倒みたなら最後までみてやるもんだろ。俺の知ってる武人右京は、簡単に物事諦める奴じゃないはずだが」


 そうは言ってみたが、俺はそんな事を言える器じゃない。

 すると、右京は真剣な表情を崩し、少し笑った。


「はっはっは、そうだ、そうだよな。何簡単に諦めてるんだ俺は」

「俺で良ければ喜んで力を貸す」

「まさか、アンちゃんに納得させられるとはな。よし、そんじゃいっちょやってみっか」


 俺と右京は腕を交差させる。


 そして、俺たちは城下町へとやってきた。


「右京殿、貴公自ら足を運んでいただけるとは。我らのご無礼をお許しください」

「よう、元気そうだな」


 その夜、俺たちは砦を抜け出し、右京を慕う者が集う場所へと赴いた。城下町の小料理店『吉兆』、ここは右京が取り纏める武人組織『心刀会』が会合に使う隠れ蓑らしい。


 すでに右京が来るという情報が出回っていたのか、右京を慕う多くの武人や役人たちが集まっていた。

 心刀会の補佐、加治木が口を開く。


「此度の一件、すでに我らの知るところであります」

「その前にまずは俺から謝らせてもらいたい。俺は俺の考えで国を裏切ってしまった」

「何を仰いますか。我らが従うのは断じて皇ではありません。右京殿、貴公です」


 それを聞いて、右京の緊張した顔が少し緩んだ。


「葦原の反乱、右京殿がそちら側につくと言うことは、反乱に義があるはずです」

「民を重んじない国が、国でありましょうか」

「鏑矢の焼き打ち、我らは到底受け入れられません」

「我らは今後、右京殿について行く所存であります。ですが、問題があるのも事実です」


 想定していたことだった。


「家族か…」

「左様です。ご存知ではありましょうが、我らが皇の御旗のもとに集まった際、妻や子、家族を城下に住まわせることを求められ、応じました。この中には、家族が城で働いている者もおります。我らが反旗を翻せば、皇は必ず家族に害を与えるはずです」


 家族全員がここから脱出できるのは、願ってもいないことだ。しかし、現状はそれを解決する手段がない。だとしても、彼らがこちら側につけば大きな戦力となる。


 犠牲を払ってでも助け出すか、それとも彼らを見捨てるか。

 右京に二つの選択肢が与えられる。


「右京殿、お願いがあります。我らと、我らの家族をどうかお助けください」

「我らがたとえ命を散らそうとも、家内だけは助けて頂けんでしょうか」

「…ったくよ、誰が見捨てるって言った?」

「え…?」

「全員助けるに決まってるだろうが。忘れたか、俺たちがここに集まった時に交わした約束を」


 右京は立ち上がる。


「俺たち心刀会は全員揃って心刀会だ。誰一人として欠けてはならない。何かあった時は俺が責任を持って助けてやるってな」

「右京殿…」

「全員、家族に伝えろ。決行は本日の夜、全員で城下を脱出する。城にいる者も、理由をつけて連れ出せ。全員で葦原の村に行くぞ」

「「「はっ!」」」



 陽が落ち、夜が更ける。


 城下の路地裏で目立たないように隠れていると、家族を連れた武人や役人たちが続々と集まってくる。皆、目立たないように外套を羽織り、顔を隠していた。


「準備はいいな、行くぞ」


 巡邏中の兵士たちを避け、20名とその家族は俺たちの先導で城下を離れる。表情は見えないが、誰もが緊張していると思えた。


「さて、上手くいくか…」

「遅かれ早かれ、城からいなくなったのは気づかれる。その前に出来るだけ城下から離れるべきだ」

「そうだな。向こうに着けばこちらの勝ちだ」


 城下を離れ、葦原に続く街道を進む。

 しばらくして、後ろから音と共に何かが近づいてくるのに気がついた。恐らく、追っ手の兵士たちだろう。


「気づかれたか」

「早いな。まだ一刻も経っていない」

「敵の数は不明だが、足が速い事を考えると騎兵だろう。間違いなく追いつかれる」

「迎え撃つか?」

「数名をここに残し、俺たちで迎え撃とう。残りはこのまま葦原へと向かわせる」


 腕の立つ数名の武人を残し、俺たちは街道の真ん中へと陣取る。少しして、城下の方向から10頭の馬とそれに跨る兵士がやってきた。


「仁…」


 先頭の男に見覚えがあった。先の砦での戦いで剣を交えた、この国の侍大将である仁だった。その横には外套を纏った初めて見る男がいた。


「またお会いしましたね。そこを通していただけませんか?」

「通れるものなら通ってみろ」

「右京殿、貴方は自分のやっている事を理解しておいでですか?」

「分かってなきゃ、んなことしてねぇよ。どうしても通りたきゃ、俺を倒せ」

「残念です」


 仁は馬から降りると、持っていた長刀を右京に振り下ろす。

 突然の攻撃を、右京は鞘から引き抜いた刀で攻撃を受け流す。


「右京!?」

「流石は武術指南長、流石ですね」

「へっ、得意の得物で攻めてこねぇとは、舐めてんな」

「どうでしょうか。行きますよ!」


 右京の手助けをしようと近づこうとした時、一瞬の殺気を感じて身を翻す。


「くっ!?」


 攻撃してきたのは、仁の横にいたあの武人だった。武人は馬から降り俺と相対する。


「噂には聞いていたが、なかなか楽しめそうだな。俺の名はリュウ、お前が御剣か?」

「だったらなんだ」

「緋ノ国侍大将に認められたその力、見させてもらうぞ」


 リュウと名乗った武人は刀を構える。


「ハァァ!」


 刀を抜き、こちらも構える。真正面から切りかかってきた刀を避け、横合いから斬りつける。しかし、直後に身体の横に翻した刀によって受け止められる。

 そのまま力づくで押され、後ろに飛びのいて間合いを取る。


「なんて力だ。それにあの剣術、見たことがない…」


 何度も斬りかかるが、全て受け止められる。普通であれば攻撃を受け流し隙を見計らって反撃するが、こいつは全て受け止める。


「くっ!?」


 腕を切りつけられ、痛みを感じる。傷口は浅いが、傷からの出血が服に染み出す。

 リュウの刀には稲妻が纏っている。おそらく、あの刀も呪装刀の類なのだろう。


「その程度か! もっと見せてみろ! もっと俺を楽しませろぉ!」

「舐めるなぁ!」

「なっ!?」


 間髪入れず斬りつける。


「こ、こいつっ!?」

「御剣ぃ!」


 瑞穂の声と共に雄叫びが聞こえる。振り返ると、武装した葦原や逃げたはずの武人たちが駆けつけてくれた。


「弓隊、御剣達には当てるな!」

「放てぇ!!」


 弓兵から放たれた矢が、俺たちの頭上を山なりに飛び越えて敵へと降り注ぐ。

 暗闇の中であっても、仁とリュウは自分の頭上に降り注ぐ矢を的確に叩き落とす。


「村からの援軍ですか…」

「侍大将! このままでは包囲されます!」

「そのようですね。引きますよ、リュウ!」

「分かった」

「引けぇ! 撤退だぁ!」

「お預けだな。久々に楽しませてもらった。また戦えるのを楽しみにしている」


 リュウは刀を納め、馬にまたがって去っていく。右京と戦っていた仁も騎兵を引き連れて去っていく。

 瑞穂が近くに来て、馬から降りる。


「御剣」

「瑞ッ!?」


 強烈な平手打ちを受けた。

 瑞穂を見ると涙を流していた。


「馬鹿! 馬鹿馬鹿! 何勝手にやってんの!」

「あぁ、その…」

「死んだら誰が責任取ると思ってるの!」


 呆気にとられた後、冷静になる。

 確かにそうだ。従者として、俺は大切な事を忘れていた。


「ごめんな、瑞穂」

「…うん。次やったら許さないから…」 


 主を泣かせるなんて、俺は従者失格だな…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る