第3話 枷が壊れるとき

 従者というのは、言葉の通り付き従うことが仕事であり、役目である。だからと言って、四六時中、主の横にいるわけでもない。


 たまには主のもとを離れて、自分の仕事をこなしたりする。


「だからって、一日の仕事を全部押し付けるのはどうかと思う…」

「まぁ、まぁ、瑞穂様は最近頑張っていられましたし、少しぐらい大目に見てあげてはどうですか?」


 現在、俺は主の投げ出した政務を代わりに処理していた。その横で、巫女服姿の千代が何やら小物を作っている。


「なら、俺の代わりに政務するか?」

「嫌です」


 満面の笑みでそう返されてしまう。

 こうなると、千代を巻き込んで早めに終わらそうとする目論見は諦める。


 でも、こうして千代と二人きりで話すのは随分と久しぶりだ。小さい頃に出会って以来、従者と巫女見習いというお互いの事情もあり、中々会うことができなかった。


 墨染様に連れられ、一度だけ訪れたことのある明風神社。その次期宮司であり、側付き見習い巫女として瑞穂の元にいる。


 今の彼女は立場上、見習いとなるが、呪術の実力は折り紙つきで、現宮司である七葉さんも認めるほどだ。


 俺が瑞穂の従者となり、千代が側付きになる。二つの偶然が重なったことで、俺たちは再び出会い、こうして話すことが出来た。


「出来ました!明風神社の巫女特製御守りです!」


 千代から手渡されたのは、特徴的な星の印が描かれた御守りだった。そう言えば、神社の御守りは全て巫女の手作りと聞く。


 一つ一つ手作りで丹精が込められているからこそ、御守りはその力を発揮するのだろう。元来、物というのはそういうものだ。


「どうぞ、御剣様」

「良いのか?」

「良いも悪いも、これは御剣様の分ですが?」


 どうやら、先ほどからずっと作っていたのは、俺の分の御守りだったらしい。その厚意を有り難く受け取る。


「すまない、有り難く貰っておく。ちなみに、これはどんなご利益があるんだ?」

「え、えっと、それはですね。幸運を呼ぶ御守りです」

「幸運、か」


 どこに付けようか迷った挙句、首に下げることにした。首にかけた後に千代を見ると、どこか嬉しそうな顔をしていた。


「どうした?」

「いーえ、なにもありませんよー」


 笑顔でとぼける千代を見て、思わず表情が緩んでしまった。



 ◇



 村長だからといって、四六時中政務をしているわけではない。こうして、村に出て村の様子を見て回り、何か問題がないかを確認するのも仕事の一つである。


「よぉ村長!」

「おはよう村長」

「瑞穂お姉ちゃんだ!」


 村を歩いていると、農作業をしている大人たちや、元気に走り回る子供たちから挨拶される。


 そんな中、あぜ道を歩いていると、畑のすぐ近くにある家屋からよく知る人が現れる。


「睦美お姉様、こんにちは」

「あらあら、瑞穂じゃないの。今日お仕事は?」


 私より少し背が高く、茶色の髪を腰まで伸ばしている。


 睦美お姉様は私が小さい頃、屋敷で面倒を見てくれたお姉さまの一人だ。今は防人の信濃さんの元に嫁いで、幸せな家庭を築いている。


 私には二人のお姉様がいる。

 睦美お姉様は私に礼儀作法や料理を教えてくれた。


 もう一人。今は旅に出てこの村にはいない可憐お姉様は、私や御剣たちに剣術の指南をしてくれた。


「御剣が代わりにやってくれてるの。私はいま、見回り中!」

「ふぅん、見回り中ねぇ…」


 余計なことを言われそうだったので、慌てて話題を変えることにした。


「あ、そうそう睦美お姉様。この前の肥料、いまどんな感じになったの?」

「信濃が喜んでいたわ。何でも土が元気になったって」

「じゃあ、今年の収穫が楽しみね」

「ふふ、そうね。それよりも瑞穂、あまり御剣に迷惑ばかりかけてはダメよ。お仕事はしっかりやらないと、そのうち墨染様に怒られるわよ」

「あちゃー、バレてた?」


 やはり、お姉様にはバレていた。

 本気ではなかったが、少し諌められてしまった。


「おーい、帰ったぞぉ」


 私たちが話していると、遠くから何人かの男衆が泥だらけになって戻ってきた。


 その中でも、ひときわ威勢がよく体格の良い人が、お姉様の旦那さんであり、防人の信濃さんだ。


 信濃さんは私を見つけると、その大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でてきた。


「おっ、これはこれは村長」

「おぉ、村長だ」

「ちぃーす、村長」

「こんにちは、みんな元気そうね」

「俺たちゃ元気だけが取り柄だからなぁ~、はっはっは!」


 信濃さんは上機嫌に笑い、肩を叩いてくる。少し痛いが、信濃さんのこの絡み方は、別に嫌いじゃなかった。


「こら、村長に何してんの」

「あ、いやぁ、すまん村長。俺ってば、つい調子に乗っちまった」

「ううん、気にしないで」


 すると、睦美お姉様が何かを思い出したかのように手を叩いた。


「あ、そうそう。あなた、村長にあの事を伝えておかなくちゃ」

「あの事?」

「そうだったな。村長、今日の夜にみんなで酒盛りをしようと思ってるんだ。今日狩りに出掛けたら思った以上に大物が取れてな。最近じゃあ化け物みたいな熊が出たらしいが、どっかの誰かがやっつけてくれたみてぇだしな」


 それには心当たりがあった。


「どっかの誰か、ねぇ…」


 おそらく、先日に御剣と右京が仕留めた熊のことだろう。まさか、ここまで深刻になっていたとは思わなかった。


 我ながら、村長としての情報収集不足を痛感してしまった。


「てな訳で、村長達にも来てもらいたくて」

「本当? まぁ、お誘いを断る理由なんてないけど」

「決まりだな。よしお前ら! 今日は村長も来てくれるってこったぁ、うんと盛大にやるぞぉ!」

「「オゥ!」」


 酒盛り、そう言えば村長になってから結構やっていなかった。私は楽しみにしていると伝え、お姉様たちと別れた。


「畑も回ったし、厩も回った、川辺も一通り確認したし、後は…」


 残すは後一つ。


「甘味屋!」


 私が向かったのは、馴染みで行きつけの小さな甘味屋。とは言っても、暖簾がかけられているわけでもなく、知る人ぞ知るお店として営業しているところだ。


「あら、村長さん。いらっしゃいませ」

「こんにちは! 今日も来ちゃった」


 店に入ると、いつもの様に珠那さんが笑顔で迎えてくれた。


 珠那さんとは私が村長になってからの付き合いだが、互いに性格を認め合うことで信頼関係を築いている。


「今日は何にしよっかな」

「そうそう村長さん、この前食べてもらいましたお団子だけど、新しい味を考えました。少し試食してくれないかしら?」

「えっ、気になる。食べてみたいかも」

「ちょっと待ってて下さいね」


 木の板に載せられていたのは、ほのかに甘い香りが漂う串団子だった。よく見ると、とろっとした餡が掛けられている。


「砂糖醤油の餡をかけてみました。どうぞ召し上がってくださいな」

「頂きます!」


 餡が周りにつかないように気をつけながら口に運ぶ。口に入れた瞬間、団子の柔らかい弾力と餡の香ばしくも甘い餡が口一杯に広がる。


「くぅう」


 この味を表すにはこの一言で十分だった。


「美味しい!」

「ふふ、良かった、どうやら好評のようね」

「もう一本!」

「はいはい、まだいっぱいありますからね」


 団子自体の味を変えず、餡ひとつでこんなにも美味しいものが出来上がるなんて、甘味も奥が深い。


「これ、お店に出したら絶対流行るわ…」

「ふふ、村長のお墨付きも貰えましたし、早速今日から品書きに出してみましょうかしら」

「うんうん」

「それにしても、甘味を食べる姿は、本当に普通の女の子ですね」

「うぅ、恥ずかしい…」


 珠那さんと目を合わせて、思わず笑ってしまった。


 こうして見回りを終えて屋敷に帰ると、ご機嫌斜めの御剣が出迎えてくれた。


 余談だが、御剣にお土産の餡掛け団子を渡すとすぐに機嫌が直った。



「カンパーーーイ!」

「今夜はたんまり呑むぞ!」

「何だお前、盃が全然減ってねぇぞ。もっと呑め呑め」


 みんなで持ち寄った料理を囲み、こうしてお酒を飲むのも良いものだ。小さな村だけど、その分村人同士の絆は強い。


「ほどほどにな」


 隣でお酒を飲む御剣が心配してくれる。


 私はそこまで弱くはないが、従者である御剣からすれば、不安要素は取り除いておきたいのだろう。


「大丈夫よ、私強いし」

「どの口が言うんだか。倒れても知らないぞ?」

「その時は御剣に運んでもらうし心配ないと思うけど?」

「はぁ、勘弁してくれ」

「よぉ御剣、呑んでっか?」


 すでに顔を真っ赤にした信濃さんが、徳利と盃を手にしてやって来た。


「親父さん、絡み酒なら遠慮しておくよ」

「んな固えこと言うなって、ほれほれ」


 そう言って御剣の盃になみなみお酒を注ぐ。御剣の盃は今にも溢れそうなくらいお酒が注がれていた。


「村長もどうぞ」

「頂くわ」


 注がれたお酒をぐいっと一飲みする。地酒は癖が強いが、それがとても美味しい。


「いやぁ、村長。今日は来てもらってありがとよ」

「誘われたのはこっちだし、こちらこそ誘ってくれてありがとう」


 実は、村長になってからこうした催しには初めて参加する。それも、普段は政務に忙しく、なかなかこうした時間を取れないからである。


「村長ぁ、つれぇことも沢山あると思うが、そんな時はいつでも俺たちを頼ってくれな。大変なことばかりだと思うが、俺は応援しているぞ」

「ありがとう」

「あなた、何やってるの。若いもんに絡みなさんな」

「いぃ、いてて。耳は勘弁してくれよぉ…」


 首根っこを掴まれ連れて行かれる信濃さんを横目に、料理の一つであるしし汁を啜る。


「あぁ…美味しい」


 香味野菜と味噌で臭みを消していて、旨味が染み込んだお汁はとても美味しい。お肉も煮込んでいるので、口に入れた瞬間にほろりと溶けるくらいだ。


「みじゅほ様~」

「千代、あ、あなた大丈夫?」


 巫女服姿でお酒を片手にふらふらとしているのは、実は私よりもお酒に弱い千代だった。


 酔いが回っているせいか、視点は揺らぎ、呂律は回っていない。


「じぇんじぇん、らいじょうぶれふ」

「どこが大丈夫なのよ、飲み過ぎよ」

「まだ一杯しかのんれ、ま、しぇん」


 案の定、私のところに倒れこんできた。倒れてすぐになのに、私の膝の上でもう寝息を立てている。


「寝ちゃったわ」

「仕方ない。千代を運んでくる」


 御剣は千代をおぶって寝床へと運んでいく。


「苦い…」


 その後ろ姿を見ながらお酒を飲むと、少し苦く感じた。



 ◇


 千代の部屋は、村長の屋敷にある瑞穂の部屋のすぐ隣である。千代は瑞穂の側付きであるため、ほとんど俺のように一緒に過ごしている。


 宴の場を離れた俺は、千代を寝床へと運んでいた。背中で寝息を立てている千代は、おぶった感じがしないくらい身体が軽く感じられた。


「よっこらせ」


 布団をめくって千代をそこに寝かせる。酒の影響か、顔が林檎の様に真っ赤に染まっていた。


「くぅ、くぅ、もう飲め、ま、しぇん」


 葦原村と密接な関係である明風神社の次期宮司で、瑞穂の側付きである巫女という立場上、気を遣わなければならないのだろう。


 俺と同じ歳で、俺以上に苦労している。


「墨染様に薬を貰ってこよう」


 二日酔いをなくす薬をもらうため、墨染様の屋敷へと向かった。


「墨染様、おられますか?」


 玄関から声を掛けるが、中から返答はない。履き物もあり、この時間はまだ起きておられるはずだ。


 不審に思った俺は、屋敷に上がり墨染様の私室へと向かった。


“これは、血の匂い?”


「ッ!?」


 そこにいたのは、血だらけになって倒れる墨染様だった。


「墨染様! 一体何が!」

「その声は、御剣か…」


 身体を起こすと、墨染様が弱々しい声でそう言う。息は荒れて、とても苦しい表情をしている。


「すまん、私としたことが」

「今は喋らないで!とにかく、血を!」


 棚から布を取り出し、刺し傷のある背中から強く巻きつける。


「しっかりしてください!」

「御剣よ」

「はい!」


 すると、墨染様は俺の手を掴む。


「村の者たちを、ここに呼べ。もう長くは保たん」

「分かりました!」


 俺は立ち上がり、屋敷を出た。



 ◇



 楽しい宴の後の空気から一変し、場は重い空気に包まれていた。


 御剣から事情を聞いた私たちは、その場にいた者、酔って帰った者全員を呼び出し、墨染様の屋敷へと向かった。


 薬で酔いから覚めた千代が必死で呪術による治療行っているが、効果は薄かった。


「止血をしましたが、繋ぎ止めるのが精一杯です。申し訳ございません、墨染様…」

「ありがとう千代、もう十分じゃよ。して皆、集まったか?」


 私が頷くと、布団に横になるお祖母様が口を開いた。


「そうか。すまんの、皆。最後の最後に皆と酒を飲めず、その上こんな事になってしもうた。謝らせてほしい」

「お祖母様、謝る必要なんかありません。謝る必要なんか…」

「先ほど、兵士たちが私を連れ去ろうとした。抵抗したが、やはり老いぼれは若さには勝てんな。ちょっとした弾みで背中を刺されてしまったわ…」


 私はお祖母様の手を握る。

 すると、お祖母様は笑みを見せる。


 滅多に笑わないお祖母様の笑顔は、とても温かかった。


「瑞穂、もっと近くで顔を見せておくれ。ふふ、相変わらず可愛い子だ。お前さんには、大事なことを教える事が出来なかった。不甲斐ない私を許しておくれ」

「許すも何もないです。私、怒ってませんから」


 自分の手のひらに涙が溢れ落ちる。


「村長はとても大変な仕事だ。悩む時も沢山あるだろう。そんな時は村の衆を頼りなさい。彼らを導くのは瑞穂、お前さんの役目だ」

「ありがとう、ござい、ます」

「泣きたい時は泣きなさい」

「はい」

「村長の選択は村人皆の総意。その選択に逆らう者などいない。安心せぃ」


 それからお祖母様は、心配した顔つきで自分を囲む村人たちを見渡し、笑顔になる。


「私は幸せ者だ。これだけ多くの仲間に見送られるなんて。思い残すことは何もない」

「墨染様…」

「皆、瑞穂のことを。孫のことを頼んだ。常世でも、皆のことを、見守っておる、ぞ…」


 お祖母様は静かに目を閉じた。最後の力を振り絞って握っていた手に力がなくなる。


「お祖母様!お祖母様!」


 私は思いっきり泣いた。

 あまりにも突然すぎる別れ。

 もうお祖母様はこの世にいない。


 涙を拭って顔を上げる。


「村長、俺たちはこれからどうすれば…」

「決まってる!」

「やられたらやり返す!」

「しかし、相手は国の皇だぞ」

「静まりなさい!」


 私は立ち上がり、村人たちを見回した。


「あなた達、自分の言っている意味が分かっているの?」

「勿論だ。俺たちの気持ちは変わらない」

「戦になるわ。下手をすれば、皆死ぬことになるわ」

「墨染様が言ったでしょう瑞穂。あなたの選択は村の総意、私たちは最後まであなたについていくわ」


 信濃さんが村衆を代表して答える。

 覚悟を決めなければいけないかもしれない。


「…分かりました」


 私は懐から扇を取り出す。

 お祖母様から受け継がれた、この村を守るためのものだ。


「各人、武器を手に取りなさい。彼らにこの代償がどれほどのものか、教えるわ」


 扇を広げる。

 私の代わりに御剣が声を張り上げた。


「出撃するぞ!」

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