おすそ分けショートショート

郁崎有空

たとえば悪役がヒーローを救うような、そんなお話。

 私の妖刀が、彼女の身体を刺し貫く。


 一瞬うろたえそうになりながらも刀身を引き抜き、くずおれる彼女の身体をすかさず蹴り飛ばす。


 薄赤の装束の胸に赤黒い染みが広がるのを見て、勝利を確信した。


赤鬼姫しゃっきひめ!」


「まさか、本当に……」


 色付きの装束しょうぞくを着た青と黄色の少女たちが、彼女にすぐに近寄った。寝かせたままの体制で身体に魔力を注ぎ込むが、もう手遅れだろう。


 ぽつぽつと雨が振ってくる。元から雲行きが怪しかったが、もしかしたらそれは空が彼女の不幸を予知したからかもしれない。なんて思ってから、すぐに自分でバカバカしくなってきた。


 私も彼女に影響されてしまったのだろうか。まあ、あれだけしつこかったのだから、仕方がないのかもしれない。これからはもう、そうならなくて清々する。


「お前! なんで、紅葉くれはを!」


 蒼鬼姫そうきひめあおいがぎろりとこちらを睨んできた。当然だろう。彼女は赤鬼姫の、紅葉の親友だったから。


「決まってんじゃん。敵だからだよ」


「あいつはお前のことを本気で救おうとしてたのに、どうして……!」


「救われる必要なんかないからね。私は私のやりたいことやってるだけ。そのバカが勝手に死んだんだよ」


 へらっと笑いながら、蒼鬼姫と山吹鬼姫やまぶきひめに思い切り斬りかかった。二人は肩を斬りつけられて、小さな血しぶきをあげながらも、ぐったりとした赤鬼姫を二人で抱えて移動する。


 だがもう、こいつらにはどうすることもできない。たとえ肉体を完全に回復したとして、そこにはもうこれっぽっちの魂もない。私の妖刀がそれを喰らったからだ。


 赤鬼姫の身体はもう、腐り落ちるだけの運命だ。そうすれば、蒼鬼姫も山吹鬼姫も私に恨みを持ち、私だってやりやすくなる。もうこれ以上、私を救おうとするようなバカに惑わされなくて済む。


 いい気持ちのまま、妖刀を払って血混じりの雨粒を落としてから、腰の鞘にチンと納める。降りゆく雨が、戦いの後の熱をすっと冷ましていく。


 もう終わりだ。これでもう、自分が救われようなんて妄想に囚われなくて済む。


 これで良かったんだ。私は何度も、雨の中で小さく呟き続ける。




 コンテナハウスに入って、ずぶ濡れの身体のまま妖刀を抱いて寝転がる。


 部屋には冷蔵庫とテーブルと溜まったゴミ入りの袋しかない。つくづく、自分らしい空っぽな部屋だと思う。


 このままこうしていたかった。ようやく赤鬼姫を倒せたというのに、なんて惨めだろうと自嘲ばかり浮かんでくる。


 戦闘用の装束はもう分解して、再構築されたずぶ濡れの制服のポケットから懐中時計型連絡端末を取り出す。


 端末の時計の部分に、闇に包まれた赤い瞳がぼんやりと映る。。


灰鬼姫はいきひめか。どうした?』


「赤鬼姫を殺しました。残りも近々殺すつもりです」


『……何故、他もすぐに殺さなかった?』


「え……」


 そういえば、私はすぐにでも残りの二人を殺せたはずだった。それなのに、どうして私は殺していなかったのだろう。


 懐中時計を持つ手が震える。しまったと、いまになって後悔する。


『あいつらは常に三人揃って活動すると聞いた。そして、それぞれが仲間という意識を持って戦っているとも。そんな連中が一人でも殺されれば、他の二人にも隙が出来たはず。どうして全員殺さなかった?』


「いえ、その……」


『まさか、揺らいだのではなかろうな?』


「いえ、そんなはずは……」


 私は怖くなって懐中時計を閉じ、壁に投げ捨てた。通信が途絶する。


 大丈夫。やることさえちゃんとやれば、あの方に消されることはない。


 少なくとも、特に理由もなく殴ってくるあの男や、嫌がらせを繰り返すクラスの人間とは絶対に違う。実績さえあれば、あの方は私をそれ相応に認めてくれる。


 その時、ちらとあいつがフラッシュバックした。ポニーテールの、いつもニコニコしていたようなやつ。紅葉だ。


 だがもう、あいつはいない。あいつはもう二度とこの世で笑えない。あいつの魂は、この抱かれた妖刀のなかに眠っている。


 二度と会いたくない。あんな、誰にでもいい顔をしてそうなやつのことなんか。私のことを気にかけたのも、所詮は気の迷いだろう。


 もう眠ってしまおう。眠って忘れて、また街を襲おう。そして、残りの光の鬼姫を、今度こそすべて殺す。


 今度こそ、大丈夫だ。赤鬼姫さえ――紅葉さえいなければ、私を救おうとするバカはいない。


 私を救ってくれる人は、もういない。




 目を覚ますと、壁際に落ちていた懐中時計型連絡端末の蓋が開いていた。


 いつの間に開いていたっけと疑問に思いながらも、冷静な頭でそれを拾う。壊れていないかと時計部分を確認していると、表面にふとモノクロの砂嵐が走り始める。


 まさか、本当に壊れたか。心配になって液晶にタップしていると、ノイズ混じりの高い声が聞こえてくる。


『ネ……ナ……デ……ナン……ワタ……ヲ……』


 思わず懐中電灯を取り落とす。ずるずると、背後に引き下がる。


 ノイズだらけで、なにを言ってるか分からない。それでも、その声には聞き覚えがあった。


 散々と聞かされた、ふんわりとなにもかも包んでくれるような声。紅葉の声だ。


 まさか、そんなはずは。魂は妖刀に喰われたはずなのに。


 腕に抱えていた妖刀を確認しようとして、手元から消えていることに気づく。しまったと思いながら、周囲を見回して、私はようやくそれを見つけた。


 それは鞘を遠くに落として、不自然に浮かせていた。


『ワ……ワ……タシ……ヲ……コロ……シ……タノ――』


 音が割れ始めるとともに、刀が内装の壁に傷を入れていく。それは、文字を、言葉を作り上げていく。


〈もっと いきた かった〉


 間違いない。紅葉の魂が、妖刀から方々に干渉している。


 あいつに殺される。私はすぐに逃げ出そうとして、しかし部屋の扉がまるで開かない。そもそも、掛けた錠がまったくびくりともしない。


「なんで! なんで開かないの!」


 半狂乱で扉を叩く。対鬼姫用にどんな強い衝撃をも耐えうる妖術コーティングをしたことを、今になって後悔した。


 いままでこんなことはなかった。人を殺しても、闇側の裏切り者を殺しても、そんなことは一度も起こらなかった。


 どうして、彼女はあんなことができるのだろう。彼女が鬼姫だったからか。


 背後からキイキイと不快な金属音が聞こえ続けている。彼女はまだ文字を書いている。


「助けて! 助けて、忌神きしん様ぁ! 私、このままだと殺される!」


 手が痛くなるほど叩き続ける。そうして痛みで冷静になったところで、端末で連絡をすればいいことを思いついた。


 私は開いた懐中時計を拾って、何度も何度も液晶を叩く。それでも、砂嵐はまったく消えてくれない。


『イタイ……イタイ……イタイ……ネェ……リオ、チャン……イタイヨ……』


 ぞっとして、懐中時計を床に叩きつける。そのまま革靴の踵で何度も踏みまくって、壊れることを切に願う。もちろん、忌神様の与えた支給品が、人間態のいまの私なんかが簡単に壊せるはずもない。


『ゴメンネ……リオチャ……ワタシ……オコラセ……チャッタ……イタイ……イタイヨ……タスケテ……』


「知るかよバカ! 出てくんなよ! お前もう死んだはずだろうが!」


『ゴメンネ……イタイノ……タスケテ……イタイ……コワレソ、ウ……タ、スケ――』


 金属音が大きくなる。とっさに耳を押さえて壁を見る。


 壁には、いたるところに〈いたい〉〈たすけて〉〈りおちゃん〉〈ごめんなさい〉〈くるしかったよね〉と乱雑に書かれていた。


 酔っ払った父親から暴力を受けていた時のことを思い出す。クラスの人間にあきらかな嫌がらせを受けていた時のことを思い出す。


 私が「助けて」「ごめんなさい」といくら言っても、決してそれをやめなかったやつら。それをどうにかするために、私は忌神様に中世を誓い、やつらに報いるための力を手に入れた。


 最初に父親を殺して、そうして今度はクラスの人間を狙った。赤鬼姫にそれを止められて、対立して、そしてついに彼女を殺して――


 彼女はあの妖刀の中で、痛みに苦しんでいる。


『イタイ……チガウ……イタカ、ッタ……ノハ……リオチャ、ン……モダ……ダメ……ワタ、シハ……』


 彼女は壁に書くのをやめて、突如妖刀の刃を方々へと振るっていった。黒い刃は冷蔵庫やキッチンを真っ二つに斬り、ゴミ袋を裂いて散らした。


 彼女があの中で苦しんでいるのが、痛いほどに分かった。自分のためでなく、私なんかのためにも苦しんでいる。誰も傷つかないよう、あの刀の中で苦しんでいる。


 本当は、助けを求めているくせに。


『イタイ、イタイイタイ、イタイイタイ、イタイイタイイタイイタイイタイ――』


 声が――紅葉が壊れていく。私の生んだ痛みが、彼女の光を壊していく。


 私はそれを、放ってはおけなかった。それもすべて、彼女がそれを放っておいてくれなかったせいだ。


「……ごめんなさい」


 私は妖刀の方へ、よろよろと駆け寄った。前のめりに刃を掴んで、手に痛みが走る。


「殺してしまって、ごめんなさい。痛いよね。分かるよ。私だって、助けてくれたのはあなただけだったんだから! 他はみんな、そう言ったって助けてくれなかった!」


『――――――――リ』


「だからね、私、助けるよ。……別に改心したわけじゃないけど。しゃくだけどさ、私、ここで助けなかったら、あいつらと同じになるじゃん。……あなたはいつも、助けてくれたのに」


 刀身をぐるりと回す。そのまま私は黒光る刃を、ぐっと己へと寄せる。


「私もそっち行くね」


 またあいつに――私を救ってくれた紅葉に会えることを期待して、胸に刃を貫いていく。



 紅葉は言った。「梨央りおちゃんを助けたい」と。


 私はだいぶ迷いながら、彼女の意志を尊重してそれを肯定した。親友として、あの子のやりたかったことを否定したくなかったから。


 その結果、紅葉は死んだ。神社の医療室に送ってもダメで、特殊医療担当官に「魂の抜け殻になってしまった」と告げられた。


 救うはずだった梨央に殺されて、紅葉はそれでよかったのだろうか。


「いま、魔力が弾けた反応した」


 気が変わったようにいきなり晴れた空の下、鳥居の前まで出るところで、秋穂あきほが静かにそう告げる。


「弾けたって……」


「煙臭い反応。あいつらのなかの誰かの命が果てた。どちらにせよ、ただ事じゃない」


「……急ごう」


 私は走りながら刀を抜いて、青装束を再構築し、その場所へと急ぐ。


 親友が死んでもなお、世界は普通に動いていく。それを実感して、心の奥底が痛い。




 場所は空き地のコンテナハウス。誰かの所有していたそこを占拠する形で、コンテナハウスはそこにある。中では煌々こうこうと灯る光が窓から漏れている。


 ここに忌神勢力のなにかがあるとは思えない。しかし、確認しなければ。


 まず、ドアノブに手をかける。錠が掛かってるかと思っていたが、それはいとも簡単に開いてしまった。


 ドアノブをひねっただけで、扉はキイとみずから開く。まるで、私達のことを待っていたかのように。


 そこで待っていたのは、私の想像を絶するものだった。


「梨央!」


 乱雑でつたなく読みづらい刀傷かたなきずの文字が、壁一面に広がっている。内部のキッチンや冷蔵庫、ゴミ袋はズタズタに細切れにされていて、辺りにコンビニ弁当やペットボトルなどのゴミが散らばっている。


 その真ん中で――濡れた制服姿の梨央が、祈るような姿勢で胸へ妖刀を突き刺していた。


「は……? なんで、おまっ……嫌いなやつ倒したばっかだろ……!」


「逆だった、とか?」


「え……」


「……人間の感情は死ぬほど難しい、ってことかな。とりあえず、仏さん片付けちゃお」


 山吹鬼姫が刀を納める。そうして梨央の遺体に合掌がっしょうしてから、けろりとした顔で、梨央の胸に刺さった黒い刀を抜く。吐きそうになりながらも、続けて刀を納めて合掌した。


 彼女の死に顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。まるで、大事な誰かのことを考えていたかのように。


 なぜだか、そのように思えた。どう見たって、凄惨せいさんで怪奇な現場のはずなのに。


 こんな結末で、紅葉は幸せだろうか? 梨央は、幸せだっただろうか?


 そう考えて、首を振る。


 そんなもの、私には一生分かりはしない。この世でないどこかへ行ったこの二人を除いて、誰もそれを知ることはない。


 山吹鬼姫が黒い刀を鞘に納める。私も濡れた梨央の遺体を肩に担ぎ、コンテナハウスを後にした。

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