人間虫

@o00o

第1話

トンボとかアリとかナメクジとかには痛覚がないと思っていた。

そんなのを見つけては羽をもいだり、柔らかく潰したり、塩をかけて遊んでいた。

何をしてもそんなにもがいたりしなかったし、大きな声で悲鳴をあげたりしなかったからだ。

そして彼らは思ったより丈夫で、トンボなんか尻尾がなくても飛んでいった。体を半分にちぎってしまって胸がむかむかして後悔した。血も液も出てなかったが手に残った尻尾は、特に気持ち悪く感じた。


虫は特別好きなわけではない。トンボは素手でも触れるがアリは靴の裏じゃないと潰さない。力加減が難しくて、ただのシミになるのもいた。何匹かめで半殺しにできてそれを屈んで見てみる。

時に踏んでもなぜだが平気そうなアリもいた。

不思議だった。


母は私のことをそういうふうに思っていたかも知れなかった。

母の身長は160センチくらいあって当時私はせいぜい140センチくらい。母はわりと大きく見えた。子綺麗な肩上でそろえた髪型しかしない。顔や体型は歳とともに変化し崩れていったが、髪型はいつも変わらなかった。

家には兄の使ってない金属バットがあった。父が兄に野球をやらせようと思って買ったちゃんとしたバットで、私が振るには大きすぎるが、振れないわけではなかった。

それでも、寝ている母に上からそれを振りかぶろうとはしなかったし、たとえ机や花瓶でもかち割ろうとしたことはない。恐怖と自分を律する価値観が邪魔をしていた。それらを思いつくくらいはおかしかったが、実行するほどではなかった。

母はそんな子供がいるとは思えないほど、父の隣で熟睡していたのに。

だから私は好きなようにされていた。後悔する。

別にバットじゃなくても父が日曜大工に使うハンマーとか色々あった。スパナでも、結構重くて、力一杯やれば強い反撃になっていたと思う。

しかし、今考えても包丁は無理。一度魚を捌いたことがあるが、頭を落とすのもすごく力がいるし、母の首なんかを刺しても上手にできないと思う。

石のがましなはずだ。

ずっと後悔している。

小さな虫と同じように、好きなようにやられ反撃もせず受け入れていた日々は屈辱的だった。


大人になってから母の前を運転することがあった。

川の横の堤防道路は道幅が狭く、ガードレールもないのにトラックなんかがよくとばしていた。

母の車は軽自動車で、前のところが短い。それでも母の前を運転すると不意にスピードを上げて後ろからぶつけてくるんじゃないかと思った。

粘着質で人の嫌がる事が好きな母は、想像通りぴったりとひっつけて運転していたからだ。


聞こえないことを良いことに、大声で悪態をついた。

体がガクンと揺れる。

次に後ろからすごい衝撃だったんだろうと思う。私の好きなマクドナルドのアールグレイティーのLサイズ、ドリンクホルダーにぎちぎちにハマったそれが吹っ飛んで氷を撒き散らしていた。


勝手に私の足がブレーキ踏んで後ろから追突させた。晴れやかな気持ちだった。凄惨な衝動に駆られた行動とはいえ胃の下の方に溜まってた鬱憤が消えた気がした。

あの時の後悔を見事払拭してやった。やってしまった、やってやった、やって良かった。

面倒な事故処理や手続き、保険会社とのやりとりも何一つ嫌じゃなかった。

あの時は出来なかったことができるようになった。バットがあれば、叩き割ることもできると思う。


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