第232話 彷徨う心

 

「ッ……」


 デルフが頭に手を当てながら目を開くとそこは暗闇に包まれた空間だった。


「……ここは? さっきまでカリーナと戦っていたはず……」


 周囲を見渡すがやはり暗闇に包まれており何も見えない。


 そこで反射的に頭を抑えていたが痛みが全く感じないことに気が付いた。

 それどころか戦いで負った傷もなかった。


「リラ、状況を教えてくれ」


 だが、リラルスからは返事は返ってこない。


「どうなっている?」


 リラルスとデルフは切っても離れることは絶対にない。

 殆ど一心同体と言っても差し支えない。


 返事が返ってこないなんてことはあり得ないはずだ。


 それから何回か呼んでみるが、やはりリラルスから返事は返ってこない。


 デルフは自身の身体に意識を集中させると僅かな魔力以外に何も感じなかった。


「リラがいない?」


 最悪の可能性、つまりリラルスの消失を考えて嫌な汗が額を伝っていく。

 しかし、それはあくまで可能性だ。


 これ以上、真実かどうか分からない可能性を考えていても埒があかないので取り敢えずデルフは歩き始めることにした。


 砂利を踏む足音が聞こえてくることからこの真っ黒な下面は地面であることが分かったがそれ以上の情報は得られなかった。


 それからデルフはどの程度歩いたのだろう。


 体感では何十分どころか既に何時間も歩き続けているが先程と変わらず視界は黒が埋め尽くしている。


 見える景色が真っ暗で歩き始めたときと同じ方向を歩いているか怪しいぐらいだ。

 これがさらに続くと平衡感覚が鈍くなってもおかしくはない。


「……いったいどこまで続いているんだ?」


 それでもさらに歩き続けるデルフ。


 歩き続ける体力については有り余っているが問題なのは精神面だ。


 景色が変わることのない真っ暗な空間をただひたすら歩き続けている。

 距離や時間が示されていないゴールは確実にデルフの精神を削っていく。


 この方向が正解の道なのか。


 いや、そもそも本当に進んでいるのか。

 もしかするとずっと同じ場所を歩き続けているだけなのではないか。


 そんなことを歩き続ける永遠にも等しい時間、ひたすら考えてしまう。

 いつの間にか前を向いていた視線は下がって真っ暗な地面を見詰めていた。


 それからそう時間が経たないうちに地面に薄らな光が伸びていたことに気が付いた。


「?」


 前を向くとこの場所からまだ遙かに遠いが確かに光源が目に入った。


 目に入るやデルフの足は勝手に動き出す。

 まるで砂漠の中のオアシスを見つけたような感動だ。


 そこからまた体感で何時間も歩き続けているが一向に距離が縮まらなかった。

 しかし、心持ちは先程までと比べものにならないほど楽だ。


 そのとき光源の方向から強烈な風が吹き荒れる。


「……かなり強いな」


 両腕を前に出し地面に体重を乗せて吹き飛ばされないように踏ん張りながら一歩一歩踏みしめていく。


 だが、吹き荒れる風は止まるどころかさらに強力になり始めた。

 まるでデルフを光源に近づけさせないように距離が近づくに連れて風力は激しさを増している。


「ぐあっ!」


 急に勢いが増した風に耐えきれなくなったデルフは後ろに飛ばされ数回転がってしまう。


 だが、デルフはすぐに起き上がる。


 先程まではまるで羽虫のように何もない暗闇の中の光に誘われて歩いているだけだった。


 しかし、今は違う。


 理由はデルフ自身でも分からないがなぜかあの光の側に行かなければならないような気がしてならなかった。


 そして、デルフは再び足を動かし始める。


 一歩、また一歩。


 距離は縮まっているようには見えないがそれでも歩を進めていく。


 そのとき、またも強烈な風がデルフに襲いかかった。


 これでデルフは確信する。

 この風は意志を持ってデルフの行方の邪魔をしている。


「どうしても行かせない気か」


 だが、逆にこの風があるからこそあの光に希望が持てる。

 何もないところを行かせないようにする理由などない。


 つまり、デルフが求める何かがある。


「? この風……まさか」


 デルフは今も尚自身を吹き飛ばそうと吹き荒れている風に意識を傾ける。


「やはりウェルムの魔力!」


 この風の正体はウェルムの魔力だということにデルフはようやく気が付いた。


 その瞬間、風の勢いがさらに増した


「なるほど、そうか。なら、やりようはある」


 風の正体が魔力だと分かったデルフは僅かな魔力を集中させる。


 そして、身体に魔力が浮き上がりファースト使用していたような魔力の球体となった。

 その球体で身体を覆うデルフ。


 だが、ファースト程の魔力量はなく薄い黒の膜を膨らませたようなものだ。

 それでもこの魔力の球体には“黒の誘い”が宿っている。


 豪風は風力が衰えることなくデルフにぶつかりに来ている。

 だが、魔力の球体に触れるや何もなかったかのように消失していく。


 デルフはもはや踏ん張る必要もなく入れていた力を抜きゆっくりと光源に向かい始める。


 風力はさらに増し普通ならば目も開けていられないどころか遙か彼方まで吹き飛ばされる程になっていた。

 だが、そんな風もデルフの魔力の前には無意味だ。


 すると、風は苦し紛れの行動に出た。


 デルフの正面に張っている魔力に絶え間なくぶつかってきたのだ。


「意味のないことを……いや」


 デルフは自分の視界から光源が消えたことに気が付く。

 だが、それは本当に消えたわけではない。


 目の前で広がる魔力の渦が大気を揺れ動かしたことによりデルフの目に歪んだ景色を見せていた。


 つまり、その風の意図はぶつかることによって生じた魔力の渦で視界を遮ることだった。

 これにより方向感覚を鈍らせて光源とは逆方向に導こうとしているのだろう。


「頭が回る。まるで生きているようだな。ウェルムの魔法なら案外あり得るか」


 デルフは目を大きく見開き視線を動かしていく。


 しばらくして暗闇のあるところに強大な魔力の塊が浮いていることに気が付いた。


 常人ならば暗闇、ましてや魔力を視認するなんて芸当はできないがデルフの瞳はそれを可能にする。


「そんなところに隠れていたか」


 デルフは義手の右手に魔力を込める。

 そして、大きく振った。


「邪魔だ」


 右手から飛び出た黒い靄(もや)は浮いているウェルムの魔力に直撃し大気の唸りを上げて消え失せてしまった。


 同時に風がピタリと止んだ。


「やっぱりあれが大本だったか」


 デルフは纏っていた魔力を解除してその場に膝を突く。


 澄ました顔のデルフも強がっていただけで実際は一杯一杯の状態だった。


「はぁはぁ……どうなっているんだ。明らかに魔力が少ない」


 デルフの息切れは激しく顔を俯き肩で息をしている。


 そのときデルフの正面が急に輝きだし始めた。


「!? なんだ……」


 デルフが顔を上げるとそこには追い求めていた光源がすぐ側に近づいていた。

 その光源の正体は光る地面だった。


 輝く地面からは短い草や色鮮やかな花が生えており、風が吹いていないにもかかわらず靡いている。


 だが、それよりもデルフはその中心に横たわっている人物に釘付けだった。


「……カリーナ?」


 デルフは慌てて走り出す。


 途中で躓いて転びそうになるも体勢を整え何とか寸前で耐えて目の前まで到達する。


 だが、その横たわっているカリーナを見てデルフは困惑する。


 なぜなら、カリーナの姿があの“カルストの悲劇”で別れたときの子どものままの姿だったからだ。


「ファーストの姿は成長していたはず……」


 カリーナは眠ったまま動いていない。


 そのときデルフはカリーナの身体に巻き付いている存在に気が付いた。


「これは……」


 それはファーストとの戦いの際に見た心臓部に巻き付いていた蛇のような魔力に似ている。

 ただ、今カリーナに巻き付いているのは蛇その物だ。


 顔はあり小さな口からは細長い舌を出している。

 ただ、その全身は完全な黒染まっており顔も黒で埋め尽くされている。

 そのため、瞳や鱗は確認できなかった。


 蛇はカリーナに巻き付いているだけで締め付けている程ではない。


 それでもカリーナに害を為している存在だというのはすぐに分かった。


「カリーナから離れろ」


 デルフは魔力を纏った左手でその蛇を掴みカリーナから引き離す。

 すると代わりというようにデルフの腕に巻き付き始めた。


 その瞬間、頭の中が歪むような痛みがデルフを襲う。


「ぐっ……」


 その痛みはとても我慢できるものではなく徐々にデルフの意識を蝕んでいく。


(不味い……!)


 薄れる意識の中、デルフは掴んだままの蛇の胴体を力任せに全力で握った。

 蛇は真っ二つに千切れて地面に落ちるなり灰となって跡形もなくなった。


 すると、今までデルフを襲っていた痛みが一瞬にして消え失せた。


「まさか、これがウェルムの支配か? いや、今はカリーナだ」


 デルフは地面に膝を突く。

 そして、カリーナを抱きかかえようとすると急に目を開いた。


「!?」


 そして、デルフとカリーナの目が合う。


「……カリーナ」


 すると、カリーナはにやっと笑い立ち上がった。


「流石、私が見込んだ男だ! よくやってくれた!」


 デルフが良く知るカリーナの口調と声だった。


 その声を聞いて呆然としていたデルフの目元が急に熱くなる。


「ん? なぜ、泣いているんだ!?」

「泣いて……あ、いや」


 デルフは必死に拭うが次々と溢れて止まらない。


「まぁいい。とにかく私ではあの魔法に歯が立たなかった。なぜかいつの間に使えるようになっていた“精神保護スピリチュアルフィルター”でも耐えることしかできなかったからな。だが、お前のおかげ晴れてこうして動けるようになったわけだ」


 相変わらずマイペースに捲し立てるカリーナ。

 デルフは付いていくことができず目が泳いでしまっている。


「しかし、驚いたぞ。私の必殺技、“羅刹天らせつてん”を直撃して動けるなんてな」


 カリーナが言う“羅刹天”は虹色の輝きを放っていた拳のことだ。

 

 これはファーストが一度に出せる魔力を凝縮して放つ最高の技。

 直撃すれば凄まじい威力に身体が絶えきれずに四散してしまい、絶命どころの騒ぎではない。


 だからこそ、カリーナは心からの称賛を送った。

 そして、笑みを浮かべる。


「デルフ、頑張ったんだな」

「何とか足掻き続けただけだ」

「……デルフ」

「何だ?」


 そのとき、黒に染まっていた上空に亀裂が入り白い輝きを照らし始める。

 さらに連鎖するように次々と至る所に亀裂が入っていく。


「これは?」

「どうやら積もる話をしている暇はないようだ」

「これは何だ?」


 そう尋ねるがカリーナの姿が薄れていることに気が付いた。


「カリーナ!?」


 デルフは手を伸ばそうとするがその手を見て薄れているのは自分も同じだと言うことに気が付く。


「……そういうことか」

「ああ、ここは私の心の中だ。間もなく私たちは目覚める。……お前のおかげで私は自我を取り戻せた。ありがとな」

「カリーナ、もう大丈夫なのか?」


 だが、カリーナから返事はない。


 だんだんと輝きが周囲を飲み込み始めカリーナの姿も輪郭しか分からなくなってきた。


 そして、視界を全て埋め尽くし身体の感覚が感じなくなったときようやくカリーナの声が聞こえてくる。


「後は任せろ。自分のことは自分でけりを付ける。これ以上、お前に重みは背負わせない」


 その言葉が耳に入ってすぐデルフの意識は自分の身体に戻っていく。

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