第157話 大会前夜

 

 城下街、その裏道の奥にある煉瓦で建てられた古い見た目の小屋。


 フレッドは一年前の出来事。

 つまり、フレッドとサフィーの転機が訪れたときのことを思い出していた。


 

「フレッド……もはやここまでだ」


 モラーレン家当主ジェーデン・モラーレンは執務室にて全てを受け入れた様子で呟いた。

 隣にいるその妻であるヒーニア・モラーレンは儚い顔でジェーデンを見詰めている。


「旦那様」


 このとき既にジャンハイブ率いる革命軍は破竹の勢いで王都に向かっていた。

 根回しがよく王家に不満をもつ貴族たちは既に調略されており革命軍は進行する度にその勢力を強めている。


 それに対して王派閥の貴族たちは数年前のデストリーネとの戦争によって大きく疲弊していた。


 そのため王家の抵抗は意味をなさずもはや風前の灯火だった。


「お前はヒーニアと娘を連れて逃げてくれ。私はここで最後の務めを果たすつもりだ」

「あなた、私も残ります」

「ヒーニア……」


 ヒーニアの眼差しは強くその覚悟が向けられていないはずのフレッドにも伝わってくる。

 だが、ジェーデンは首を振る。


「これは私の問題だ。お前たちまで背負う必要はない」

「私はジェーデン・モラーレンの妻です! 最後まで添い遂げますわ!」


 その勢いは凄まじくジェーデンの心に揺らぎが生じた。

 そして、静かに尋ねる。


「……本気か?」

「ええ」

「……分かった。そこまで言うのならば付いて参れ」


 説得は無理だと判断したジェーデンは重々しく言葉を述べる。

 そして、フレッドに視線を向ける。


「娘を頼んだぞ。フレッド」

「頼みますわ」


 二人の言葉にフレッドは戸惑っていたがようやく口を開くことができた。


「お待ちください! 旦那様! 今ならまだ間に合います! 降伏すれば……あの英雄なら受け入れてくれましょう」

「降伏はしない。使者を何度も送り返しているのは知っているだろう」


 そう言うがフレッドとしてはこのままジェーデンが死ぬことに納得がいかない。


「……旦那様は王に幾度となく忠言をかけておられた。それを撥ねのけたのは王でございます。降伏しても誰も責めることはできません」

「だからこそだ。私は王を止めることができなかった。これは私の力足らずが招いた結果だ。ならば……私は王家と命運を共にする。それが王家に仕えてきた私の最後の務めだ」


 フレッドは言葉が出なかった。


「そんな私だが……それでも隠してきたことはある」

「……?」


 そう言ってジェーデンは立ち上がりフレッドの肩に手を乗せる。


「もう一度言う。フレッド……サフィーを頼んだ。私を守る以上にそれがお前の務めだろ? ……お前は私の息子同然だ」


 その最後の言葉を聞いてフレッドは耳を疑う。


「今、なんと……?」


 ジェーデンは微笑むだけだがそれが比喩としてそう言っているわけではないとひしひしと感じ取ることができた。


「まさか、気付いて……」


 そのとき伝令がやってきて革命軍がすぐ近くまで向かってきていると報告をしてきた。


「もはや時間がない。フレッド、今すぐに支度を整えて落ち延びよ」

「ッ……はい」


 フレッドは自分の気持ちを押し殺してようやく頷くことができた。


(私が死ぬ気で戦えば……革命軍を追い払うことは可能かもしれない。しかし、それを旦那様は望んでおられない)


 フレッドは二人に深々と最後の一礼をする。


「旦那様、奥様……今までお世話になりました」

「私こそお前にはよく世話になった。後、サフィーにはすまないと言ってくれ」


 フレッドはどうにか微笑み執務室を後にする。


 そのとき、背後から大声が聞こえていた。


「皆! 私に付いてくる者は剣を取れ! ここが我らの最後の務めだ! 王家への忠誠を一瞬たりとも忘れるな!」

「「おー!!」」


 自身もそこに混ざりたい衝動を抑えてフレッドは眠っているサフィーを連れて館を去った。


 モラーレン領の去り際、山の上で最後に目にしたのは館の姿は燃え盛っていた。

 道中で目覚めたサフィーがその館の姿を目の当たりにして酷く驚いている。


「フレッド……どうして、お家が燃えているの? どうして、お父様とお母様がこんなことにあわないといけないの? どうして……何か悪いことをしたの? 答えて…答えてよ」

「旦那様たちは何も悪いことはしておりません。むしろ、王を諫めてこの国をより良くしようとしておりました」

「なら、なんでこんな目にあわないといけないの?」


 サフィーが涙目で尋ねてくる。


「旦那様は……ケジメをつけたのです。どれだけ冷遇されようとも王家への忠誠を貫き通したのです」

「ケジメってなに? 私には分からない。分からない分からない分からない!!」


 そして、ついに我慢の限界を超えてサフィーは泣き始めた。


 優しく宥めていると泣き疲れたのかサフィー再び眠りについてしまった。

 眠ったサフィーをおぶって行く当てもなくフレッドは取り敢えずこの場から離れる。


 その後、風の知らせでジェーデンとヒーニアが屋敷にて自害したと二人の耳に入った。


 そのときからサフィーは周囲に対して冷淡な態度を取るようになってしまった。


(あのとき、私が何か声を掛けていれば変わった……いや、今更か)


 しかし、幾度となくあのときどうすれば良かったのかと考えてしまう。


 その考えを打ち破ったのはサフィーの大声だった。


「いよいよ明日ね! フレッド! 頑張りなさい! 絶対に勝つのよ!! あの英雄気取りの顔を真っ赤にしてあげなさい!」


 フレッドの思考は現実に戻り振り向くと風呂場で汗を流し終わったサフィーが仁王立ちして不敵に笑っていた。

 そのことにフレッドは顔を綻ばせてゆっくりと頷く。


「ふふ、楽しみね。あいつが皆の前で倒されるなんて信用もがた落ちに違いないわ」


 まだ勝ったと決まったわけではないと言おうとしたが次に出るサフィーの言葉が目に見えていたのでぐっと抑えた。


「お嬢様、今日は遅いのでそろそろお休みに」


 そう言うがサフィーの顔は先程違い不安げな表情に変わった。


「フレッドも明日、試合だというのに頑張りすぎよ。そろそろ休んだらどう? それか教えてくれれば私がやるわよ?」

「ふふ、今はその気持ちだけで十分ですよ。いずれお嬢様にも手伝って貰います。私もこれが終わり次第、休ませて貰いますからどうぞお先に休んでください」

「そう? 分かったわ」


 そう呟いてベッドにサフィーはベッドに向かうがすぐに振り向く。


「……フレッド」

「どうしました?」

「闘技大会に出なさいって言ったけど……。私、見返したくてあなたの気持ちも考えずに決めてしまったわ」

「そうですね。お嬢様にはもう少し先のことを考えて行動して頂きたいと思うことは幾度もあります」


 そう言うとサフィーは顔を俯かせる。

 透かさずフレッドは言葉を続ける。


「ですが、それがお嬢様の良い点であることも確かです。常に全力で前に突き進むお嬢様に私はいつも励まされております。どうか気落ちしないでください」

「でも……」

「大丈夫です。私は何があってもお嬢様の下を去るつもりはありません」


 その言葉が聞きたかったのかサフィーは頷いてベッドに潜った。

 足をジタバタさせしばらくすると寝息が聞こえてきた。


 サフィーに毛布を掛けた後、フレッドは机の上には淡い光を灯すランプと帳簿が置かれている机に戻る。


「あれほど気が滅入っているとは、もしかすると何か言われたのかも知れませんね……」


 そして、フレッドはペンを持つ。


「……はぁ〜」


 まだ途中だが帳簿に書かれている数字を見てフレッドは芳しくない表情をし思わず溜め息を漏らす。


「旦那様が与えてくれた蓄えももうすぐ底を尽きますか……」


 フレッドはチラリと近くのベッドで眠っているサフィーに目を向ける。


「そろそろ本格的に出稼ぎを探さなければなりませんね」


 しかし、気掛かりなことがあった。


 サフィーを一人で残しても大丈夫かということだ。

 先日も少し目を離した隙に子どもの集団に囲まれてしまっていた。


 フレッドとしてはサフィーの身を守ることが何よりも己の命よりも格段に上なのだ。


 サフィーの命はフレッドの命と同然。


「それに、モラーレン家に仕えていた。いえ、仕えている私を雇ってくださる人がいるかどうかですね……」


 フレッドは小屋の中を眺めてここに来た当初を思い出した。


 灯台もと暗しで王都陥落の余波が収まった後の王都にこの小さな家を買った。


 一部屋と風呂場とトイレもあり見た目がおんぼろな小屋であることに目を瞑れば子ども一人、大人一人の二人で過ごすとしては十分な住まいだ。


 ここで密かに過ごしていければと思っていたがあろうことかサフィーは自身がモラーレン家の娘だと言いふらしてしまったのだ。


 そのときはフレッドも冷や汗を流したが確実に耳に入っているジャンハイブは何もしてこなかった。


 残党には興味がないのか見逃してくれたのかどちらかは分からないが少なくともフレッドは後者だと感じていた。


「どちらにせよ。この国では暮らしづらいかもしれませんか」


 それでも暮らしにくさは日に日に増えている。

 ジャンハイブが見逃してくれたが周りからの視線は明らかに侮蔑が籠もっているからだ。


 悪政を敷いていた王家に最後まで味方したモラーレンの名は良くない意味で有名になってしまっている。


 万が一、王家の不満に対する矛先がサフィーに向けられることを考えるとゾッとしてしまう。


 フレッドはこれからのことも頭に入れておく。


「一先ず、これでよしと」


 帳簿を書き終えたフレッドはランプの灯りを消し自分も床に入った。


 床の中、先日に出会ったジョーカーと名乗る青年のことを思い出す。


「ジョーカー。もし、彼が大会に出場するとすればお嬢様の願いは叶えることはできないかもしれませんね」


 あのとき、フレッドはあの容姿の不気味さもそうだが内側に秘めている禍々しい魔力を感じていた。


「お嬢様の敵か味方か……今はまだどちらか怪しい。全ては明日分かる」


 そして、武闘大会当日を迎える。

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