第121話 アリルの苦労
一方、宿屋にてナーシャたちはデルフとウラノを見送った後、部屋に直行した。
デルフから金貨と一緒に受け取っていた鍵で扉を思い切り開けるとその光景を見て目を輝かせる。
「うん! 良い部屋じゃない! 特にベッド!」
ナーシャは扉からすぐのベッドにうつ伏せにダイブした。
しばらくその弾力のあるベッドに身を任せた後、ガバッと身を起こした。
「考えるとよく今まで我慢してきたわね。固い地べたに布だけを敷いた寝床、思い出すだけで身体が痛くなるわ。もう二度とごめんだわ……」
枕に顔をこすりつけてとても嬉しそうな声が籠もって聞こえてくる。
「しかし、お姉様……それも二日――」
「止めて!! 私に現実を見せないで!! 今このときを楽しみたいの!!」
「は、はぁ」
フレイシアは引き攣った笑みを浮かべてアリルを見詰めてくる。
ウラノからお世話係を引き継いでから短い間でフレイシアはアリルに慣れ頼られることが多い。
アリルは知らないことだがフレイシアとしてアリルは同姓で同年代の友だちと呼べる存在ができて嬉しく感じていた。
なにせアリルはフレイシアに対して普通に接してくれるからだ。
(困ったら僕に振るのは止めて欲しいのですが……)
面倒くさいのでフレイシアの眼差しをアリルはそっぽを向いて気付いていないふりをする。
「ぎゃっ」
だが、足を大きく踏みつけられた。
誰がしたかは言うまでもないだろう。
(こ、この仮面王女が!)
アリルは涙交じりに睨みつけるが今度はフレイシアがそっぽを向いていた。
文句を言いたがっている口を何とか閉じて代わりに溜め息を吐く。
「それでナーシャ様、これからどうしますか? デルフ様は自由にして良いと申していましたが」
そう言うとナーシャは人差し指を顎に当てて考える素振りを見せる。
今のようにアリルは牢獄にいたときと比べてすらすらと言葉を出している。
これはデルフの存在が大きい。
アリルにとってデルフは神も同然。
今まで怯えていた原因は自分を守ってくれていた父が死んでしまったからだ。
父が死んだ後、自分の身は自分で守らなければならないと奮起して騎士になることを決めた。
幸い、短刀の技は父が護身用にと教えられていたため簡単とは言えなかったが無事入団することができた。
だが、それでも守ってくれる存在の喪失はアリルにとって大きすぎた。
誰も守ってくれないという不安からアリルは怯え続ける毎日を過ごしていた。
自分を害する者がいれば余計にその不安はやがて恐怖にへと変化していった。
そうして起こったのが王都連続殺人だ。
自分を脅かす存在がいればやられる前にやる。
その考えにアリルは至った。
だが、それもすぐに自分の仕業だとばれ捕まり死罪判決を受けた。
牢獄の暮らし、特に死刑囚は当然ながら自由はなくいつ来る変わらない執行まで牢屋から一切出ることは許されない。
だが、全くの苦ではなかった。
アリルにとっての最大の奇跡。
それはデルフとの出会いだ。
初対面の頃は弱そうでぱっとしない見た目だったがそれでも自分を害する可能性はあるので警戒をしていたがそれでもそのレベルは極めて小さかった。
だが、自分の危険因子の抹消の作業を阻止することでその実力を誇示した。
デルフの最後の攻撃の際に変化して見せたあの黄色の鋭い瞳。
あの目にアリルが射貫かれたと言っても過言ではない。
それだけでもアリルにとって衝撃だったのにも関わらずデルフが言ってくれたあの言葉。
(あのとき僕に守ってやると仰ったデルフ様のお姿……忘れもしません)
あのとき新たに自分を守ってくれる存在が現われたのだ。
その幸福感は牢獄暮らしの苦が皆無だと感じるぐらいのものだった。
自分を捕まえた恨みなどあるはずがない。
むしろ行った殺人によってデルフと巡り会うことができたとアリルは考えている。
そうして牢屋暮らしが続くうちにデルフの存在は自分を守る守護者からいつしか崇めるべき存在である神となっていた。
たとえ自分にどれだけの不幸が訪れようとデルフが生きていれば満たされる。
看守長であったフォロノミから受けた拷問の数々もデルフのことを考えていれば痛みすらも嬉しく感じた。
だが今から一年前、フォロノミが言った一つの嘘のせいで大きく変わった。
その嘘の内容はデルフの死であった。
それを聞いた瞬間、アリルの中で何かが崩れるような音が聞こえた。
そう心に多大な罅を入れたのだ。
いや、もはや粉々に砕け散ったと言った方が正しいかもしれない。
自分を支え続けていたものが無くなったアリルの変化はめまぐるしいものだった。
アリルは以前のアリルにへと戻ってしまった…いや、それよりもさらに悪化してしまったと言った方が正しいだろう。
始めはその言葉が嘘だと思っていた。
しかし、王都での魔物の襲撃の情報が僅かであるが見回りの看守たちの立ち話などから入ってくる。
それしか情報を得ることができないアリルはよくよく吟味してもデルフが死んだと判断するしかできなかった。
デルフが襲撃を起こした張本人という情報もその中にあったがそんなことアリルにはどうでも良かった。
ただ、大悪人になり果てようがそうでなかろうが些細な問題だ。
アリルはただデルフが生きてくれればそれで良かった。
自分を守ってくれる存在、自分が守りたい存在、自分が崇める存在、その喪失は父を失ったときよりも多大なものだった。
アリルは怯えきった自分をいたぶっていたフォロノミの姿を思い出す。
(スッキリしたと思っていたけど今でも虫唾が走りますね。思いのほか早く死にましたし……もう少し苦痛を与えればよかったですね)
アリルは濁った目になっていることに気が付き頬を両手で叩いて元に戻す。
(危ない、危ない)
考えすぎたとアリルがナ―シャを見るがフレイシアも交じって相談しあっている。
(まだかかりそうですね)
絶望に染まったアリルはずっと無意識でデルフは生きていると小言を呟いていた。
自分だけはそれを認めるわけにはいかないと言い聞かせるように。
それが他の囚人たちにとってストレスになっていたがそれはアリルの知ったところではない。
そして、またもアリルにとって奇跡が起きたのだ。
死んだと思っていたデルフが目の前に現われた。
そのときのデルフの姿は本当に神々しかったとアリルは心の中で何回も頷く。
自分に欠けていた何かが蘇ったような感じがした。
以前のデルフの姿とは変わり果てていたがそんなことどうでもいい。
デルフが生きている、それだけでアリルは強くなれる。
つまりデルフの存在によって気を強く持てるのだ。
流石に初対面の人物に対してはデルフを頼ってしまうがもはや身内同然と言えるこの面子ではアリルの態度は普通だ。
なぜかウラノに対しては始めから強くあれたが。
そして、ようやくナーシャとフレイシアの相談は終わりを迎えた。
「よーし! 今からお買い物よ! フレイシア! 行くわよ!」
「は、はい!」
ナーシャはフレイシアの腕を取って勢いよく飛び出していく、
「本名は出してはいけないとデルフ様が言っていたのでは? ……もういませんね」
アリルは一人残された部屋を見渡してあることに気が付き勢いよく頭を掻く。
「ああああ! もう!」
こう好き勝手に動かれて何かあれば護衛兼お世話役のアリルはデルフに合わせる顔がない。
アリルは急いで戸締まりをしようとするが手がピタリと止まる。
「鍵!!! ナーシャ様が持ちっぱなし!!」
アリルは慌ててナーシャたちを追いかけようとするが開けっ放しの部屋を放置するわけにはいかない。
しかし、ナーシャたちの護衛などの役目も放棄するわけにもいかない。
アリルは即座にどちらを切り捨てるか判断しナーシャたちを追いかけることを選択する。
もちろん、ウラノから預かっている荷物は持っていく。
だが、量が量であり自分の体重を超える荷物を持っている姿はあまりにも不格好だ。
それが大きなスカートとドレスの姿であるからさらに助長される。
両手は塞がり肩には大きなリュックサックを担いでいる。
この姿で外に出れば派手な恰好の貴族が荷物持ちしているふうに見えてしまうだろう。
アリルはようやく気が付いた。
「あのチビ! これが分かってて押し付けたのですね!」
だが、同時に今まではウラノが振り回されていたと思うと同情してしまう。
「ナーシャ様……もう少し落ち着いてくださいよ……」
アリルはまだ短い期間しか一緒にいないがナーシャは落ち着いた雰囲気があり流石デルフの姉であると評価していた。
しかし、どんな人物にも弱点はありナーシャも例外ではないことが分かった。
ナーシャは少しでも興味が出ると突っ走ってしまう性格だとアリルは判断する。
というか現にそうであるからそう判断せずにいられない。
「普段が真面目な分、その反動が顕著にでているということですか」
アリルはさらに頭を悩ませる。
それが意味することはナーシャが一つのところで長く止まることは限りなく少ないということ。
つまり、アリルは今から市場どこかにいるナーシャたちをこの量の荷物を持ちながら走り回って探さなければならないということだ。
それを察したアリルは思わず顔をしかめてしまう。
それでも走るしかないと決め宿を飛び出して市場をぐるぐると回る。
だが、結局見つかることはなく諦めて部屋に戻ると既にナーシャたちは帰ってきていた。
その笑って談笑しあっている姿を見て体力の限界を超えていたアリルはそのまま崩れ落ちて眠ってしまった。
後で涙を零しながらそのことについて謝ってくるアリル対してデルフは複雑な表情で慰めることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます