第122話 思わぬ護衛

 

 アサリシンにあるヒューロンの居城は王城には見劣りするが大公の威厳を保つに相応しい外装をしている。


 デルフはその門の前で佇む。


 時刻は既に深夜を迎えており門番が訝しげにデルフを見詰めていた。


 それに気付いたデルフはふっと笑いその場から立ち去る。


 明らかに怪しい行動だが門番がどう感じようと何も支障をきたさない。


 もちろんデルフも真っ正面から会いに行くつもりはない。

 一対一で話せる状況さえ手に入れることができればいいのだ。


 最悪の事態に陥ったとき暗殺者がヒューロンの命を奪ったと広まるように。


 幸いに城はそこまで警備の網はなく容易く侵入できそうだった。


 デルフは壁を蹴っていき目論見通り誰の目にも付かずに侵入を果たす。


 壁とは言っても遙かに高く足を引っかけられるような溝や出っ張りなどない滑らかなものだ。


 音もなく着地したデルフは軽く当たりを見渡すが雰囲気自体に不自然さが際立っていた。


(妙だな。見張りが誰もいないだと? ありえるか?)

『だからと言って油断するのは愚かじゃぞ。デルフ』


 デルフはリラルスの言葉に了承を示しつつ中を進んでいく。


 その間も警備兵は一人も見当たらなかった。


 まるで外にいた門番は中の異変を悟られないようにする見せかけのものだと思わされる。


 デルフは警戒を怠らずに進んでいると灯りが漏れている部屋を発見した。


 その扉は他の部屋とは厚さや大きさが違い自室か執務室のどちらかだと確信できた。

 いや、この際どんな部屋かはどうでも良かった。


 大事なのはここには人がいるということだ。


 デルフはゆっくりと扉を開き素早く中に入る。


 すると目の先には待ち構えていたようにヒューロンが仕事机の前に座っていた。


 驚いた様子はなくようやく来たかという感情が滲み出ている。


(俺が来るのはお見通しか……)


 デルフは息を吐いて力を抜く。


 ヒューロンは微笑をしてデルフを見詰め続けている。

 そして、ようやく口を開いた。


「何か用かね。ジョーカー、いやデルフ・カルスト副団長と呼んだ方が良いかな」

「いえ、その名はもう捨てましたのでご遠慮させて頂きたい」

「そうか?」


 残念そうにそう反応するヒューロン。


 わざとらしい、それがデルフの抱いた感情だ。


「兄からそなたは稀に見る逸材と伺っておったが……まさかあのようなことをしでかすとはな」


 デルフはその言葉に何も言い返したりせずに本題に入る。


「演説を拝見させて頂きました。あれは本心なのでしょうか?」

「ん? なんの話しかね?」


 わざとらしく惚けたようにそう答えるヒューロン。


「単刀直入に伺います。貴方様はジュラミール様のやり方に賛同されているのでしょうか?」


 ヒューロンはにやりと笑い即答で返してくる。


「もちろんだとも。我が兄のやり方は手緩いと思っていた。守ることしか考えていない兄に対して甥はよくぞ決心した」


 そう興奮して答えるヒューロンの様子に少し気になるところがあった。


 興奮して答える割に顔は無表情で目が淀んでいる。


 まるで予め決められた言葉をすらすらと並べているように聞こえた。


「ヒューロン様はハイル様を憎んでいたのですか?」

「そのようなことはない。私は兄のことを尊敬している。兄ほどの王はいないと断言ができる」


 即座に答えるヒューロンにデルフは目を細める。


『自分の主張が矛盾している事に気が付いていないようじゃの』

(これはリラルスの推測していた洗脳の線が強いな)


 デルフはこれでは話にならないと踏んだ。


「もう一度聞きます。ジュラミール様のやり方に賛同するのですね」

「何度も言わせるな。甥のやり方はこの国をよくするために不可欠なのだ! 考えてみろ。デストリーネは最大の大国でありながら周辺国家に軽んじられている理由を! 我が国は防衛しかせず侵略の歴史は皆無に等しい。だから我らに牙を向こうとする。我らの力を根本から分からせ全てを服従する。これしか戦争を終わらせる方法はないのだ!」


 確かにその方法は一見すると利にかなっている。

 デルフもこの戦乱の世をいまさら話し合いで解決するとは到底思えない。


 しかし、断言できることがある。

 ウェルムたちのやり方では真の平和とは言えない。


 武力の要である魔物を用いた統治など恐怖で縛り付けているだけだ。

 第一、 その魔物を作り出すだけでどれだけの犠牲を敷いたのか。


 いつ民たちの暴動が起こるか。

 それを“洗脳”で防いだとしてもそれこそ縛り付けている。


 デルフは自分が望む平和のためにウェルムたちのやり方は看過できない。

 それがたとえ自分勝手だとしてもだ。


 これ以上のヒューロンとの問答は無駄と判断した。


「そうですか」


 デルフの意志は固まった。


 本来ならばヒューロンを協力者になってもらいデストリーネ王国の貴族たちを取りまとめる役目を引き受けて欲しかった。


 そうすればデストリーネ王国を支える者は天騎十聖と魔物の軍勢のみになる。


 しかし、その望みも既にジュラミールに先手を取られ絶たれてしまった。


 逆にヒューロンが敵に取られてしまったと言うことはデストリーネの貴族全てが敵に回ることになる。


 それほどヒューロンの存在は大きいのだ。


 その脅威を見逃すほどデルフは甘くはない。


「そうですか。残念です」


 ヒューロンに対してデルフは私怨などない。


 しかし、デルフが抱える目標のため味方とならないヒューロンの存在は邪魔しかない。


 デルフの雰囲気が変わったことを悟ったヒューロンは顔を引き攣った笑みを浮かべる。


「私を殺すというのか。兄と姪だけにならず私まで……やはり国家転覆を狙っていたのだな」


 デルフは何も答えない。


 もはや言葉など不要だ。


 デルフは必要だと思ったことをするまで。


 デルフの左の掌に黒い靄が滲み始める。


 それが徐々にヒューロンの顔に近づけていく。


 ヒューロンは恐怖からか足が震えて動くことができていない。


 だが寸前のところで何者かに腕を掴まれた。


 ヒューロンではない。

 デルフのすぐ隣から手が伸びていた。


「っ……!!」


 掴んだ者の顔を見てデルフは固まった。


 その隙に身体に衝撃が押し寄せデルフは弾き飛ばされた。


 頑丈そうな扉を簡単に破壊し廊下に叩き出されたデルフはゆっくりと身体を起こす。


 だが、依然としてデルフはその人物に釘付けのままだ。

 痛みなど感じる暇はなかった。


「カリーナ……」


 目の先には長い金髪を靡かせたファーストと呼ばれる女性、カリーナの拳を振り抜いた姿があった。


 前まで付けていた猫の仮面はなく素顔が晒されている。


「念のためにとウェルム総団長がこのファーストを護衛にくれたのが功を奏したぞ。さすがは総団長だ。ふふふ、ジョーカーとはいえこのファーストには敵うまい」

「そうか……ウェルム。俺の行動を読んでいたか」


 デルフの目に動揺は既に消え去り、むしろ不敵な笑みを浮かべていた。


 ファースト、いやカリーナは虚ろな目のままゆっくりとデルフに迫る。


(こないだの兎の仮面のやつといいカリーナからも気配が全く感じない。なるほど隠れられたらわからんな。しかし、ウェルムは俺に対してはカリーナが最適だと思っただろうがこうして出てきてくれた方が好都合だ。この際、カリーナを拘束する)

『デルフ、油断はするな。こやつやはり不気味じゃ。……この感じ、まさか……こやつも天人クトゥルアなのか』

(不気味? そんなこと分かってる!)


 そう頭の中で話している間にカリーナは走り出しすぐ目の前に迫ってきていた。


 カリーナは拳を振り上げデルフの顔めがけて思い切り放つ。


 デルフは目を離さずにその拳に身構えて避ける構えを取っており油断なんてしていなかった。


 しかし、気が付くとデルフの真横から轟音が響いてきた。


「なっ……」


 デルフは目だけを動かしてその音の方向に目を向けると顔のすぐ寸前でカリーナの腕が見えた。


 カリーナの拳は壁を貫いていたのだ。

 貫いた周りは一切崩れていなく綺麗に貫かれていることからその威力は申し分がない。


 だが、それよりも衝撃が大きかったのは……


(見えなかった……)


 カリーナがさらに強くなっていることは分かっていた。

 油断をしないようにとリラルスから言われたことも心得ていた。


 されど、頭の中に自分も強くなっておりそう簡単には負けないという自負があったのも否めない。


 デルフはそこで気が付く。


 自分の身体が少し身をよじった形になっていたことに。


 デルフの気付かぬうちに身体は反射的にカリーナの拳を躱していたのだ。


 もし、その反応がなければ直撃していた。


 たとえ同化したことで強化されていてもカリーナの拳をくらえばただでは済まないだろう。


 デルフは即座に身体を動かしカリーナに蹴りを放つ。


 だが、寸前でカリーナの身体から発する光に阻まれた。

 まるで鉄の塊を蹴っているような感触に思わずデルフは顔をしかめる。


 すぐさま足に“黒の誘い”を発動させその光を灰に変えていき威力を落とさずに蹴りを進ませていく。


 “黒の誘い”の効果が消失したと同時にようやく放った蹴りはカリーナの脇腹に直撃した。


 カリーナは廊下の果てまで吹っ飛びその風圧で壁に灯されていた松明の火が消えていく。


 デルフは暗闇に消えたカリーナの後を追おうと足を動かそうとするがすぐに止める。


(俺がここに来た一番の目的はカリーナを救うことではない。優先度を間違えるな)


 確かにカリーナを救うことは大事だ。


 しかし、ここに来た目的はヒューロンが味方なら引き入れ敵なら消すことだ。


 もしここでヒューロンを逃せば敵の数が格段に増加してしまう。


 そもそもの話、まだカリーナを救う術も思い付いていないのだ。

 取る選択は一つしかない。


 デルフはカリーナを助けたい気持ちを必死に抑えて地面を力強く蹴る。


 ヒューロンもデルフの接近を察しているが目を見開き後退りしているだけでその目では姿を捉えることもできていない。


 デルフは義手である右手に“黒の誘い”を発動させ顔を掴むように掌をヒューロンに向ける。


 だが、そのときデルフの頭に衝撃が走る。

 何が起こったか分からずデルフの時が一瞬止まった。


『デルフ! しっかりするのじゃ!』

(!!)


 ほんの一瞬だがデルフの意識が飛んでしまった。


 リラルスの叫びがなければこんなに早く目が覚めることはなかっただろう。


 しかし、目が覚めてすぐ見た景色が地面ではデルフはすこし困惑してしまうのも無理もない。


 その一瞬を突かれデルフの鳩尾にさらに鈍い音が身体に響き渡る。


「がっ!!」


 そして、デルフは痛みを耐えつつも顔をあげると視界の一面が迫る拳で埋め尽くされていた。


 デルフは咄嗟に両腕を上げて防ぐが踏ん張りが利かずに真後ろに吹っ飛ばされた。


 壁に思い切り衝突したが壊れることはなく罅が入るだけで済み外に放り出されることはなかった。


 デルフはゆっくりと立ち上がり眼前で立ち尽くすカリーナを睨み付ける。


(リラルス、どれくらいで治る?)


 デルフの左腕の骨は先程カリーナの攻撃を防いだことにより粉砕してしまい力なくぶら下がっている。

 右腕の義手は完全に破壊されており肘から先がなかった。


 頭からも想像を絶する激痛が続いているため受けたダメージは深刻だ。


『最低でも三十分は欲しい』

(三十分か……)


 戦闘中において三十分はあまりにも長い。


 もはや左手を使うのは諦めた方が良いだろう。


(判断ミスだな。少しとはいえカリーナから目を離してはいけなかった。力だけだとウェルムよりも遙かに上だ)


 デルフは魔力を右腕部分に集中させ義手を作り直す。


(ルーを連れてこなかったのは悔やまれるな)


 デルフとしてもこんな大戦闘になるとは考えにもなかったためフレイシアとナーシャの護衛にルーも加えてしまっていた。


 しかし、無いものをねだっても仕方がない。


(目的遂行は……不可能だな)


 デルフは諦めたように息を吐き小声で呟く。


「ウラノ、五分後に出立する。脱出路は予定通りだ」


 そう言った後、デルフは右腕を上げて構えを取るように見せかけ“武具錬成”で生成した数本の投げナイフをカリーナに素早く投げる。


 しかし、カリーナの光の壁を貫くことはできずに威力は弱まり地面に落ちていく。

 それだけでなく落ちたナイフがひしゃげていた。


「俺が未熟とはいえ魔力で作った武器を……。普通の攻撃では無理か」


 デルフはカリーナの目の前まで一瞬で移動し拳を放つ。


 だが、カリーナに軽く受け流されてしまい逆に拳がデルフに迫る。


 右腕で防ぐがまたも義手が破壊される。


 デルフが魔力で作り出す義手は決して脆くはない。

 義手の脆さではなくカリーナの攻撃の威力が桁違いなのだ。


 デルフは即座に義手を作り直し再び殴りかかる。


 拳と蹴りによる攻防一体の格闘が続くが片腕が使えなく格闘術に心得のないデルフの方が圧倒的に不利だ。


 次第にデルフは攻撃を行うことができず防御だけに回ってしまっていた。


(こんなことなら少しでもアクルガから習っておけば良かった)


 心の中でぼやくほどまだ余裕はあるがそれも時間の問題だろう。

 アクルガの戦闘を思い出しながら見様見真似で動くが付け焼き刃程度ではカリーナに敵わない。


(そろそろ五分経ったか!?)

『まだじゃ。あと少し』


 デルフに限界が近づいていた。


 “黒の誘い”は効果こそ絶大だが魔力の消費が激しく体力も削ってしまう。

 ただでさえ負傷により体力が失われている状況ならなおさらだ。


 そして、最大のデメリットは効果を上げれば上げるほど自身を蝕む速度も上がっていく。


 だからこそデルフは今以上に効果を上げることはできない、してはならない。


 それでもデルフは一か八か試すことにした。


(リラルス、制御は頼む)

『やるしかないようじゃの!』


 デルフは構えを取り高速で動く。


 常人では見ることも叶わない速度でカリーナの背後に回ったデルフは騎士の時のように突きを放つ構えを左拳で作る。


 そして、勢いよく解き放った。


 カリーナは即座に光の球体で身体を覆う。


(リラルス、今だ)


 デルフは左拳に許容できる限界まで効果を引き上げた“黒の誘い”を発動させた。


 その瞬間にカリーナから受けた攻撃よりも激しい痛みが内側から全身に駆け巡る。


 だがその代償としてデルフの拳の勢いは衰えることなく球体を貫き続ける。


 カリーナに接触する目前まで拳は迫った。

 デルフは直撃すると確信し“黒の誘い”を消しそのまま腰を入れて腕を伸ばす。


 だが、そのときカリーナは振り向きデルフの顔に視点を合わせたような気がした。

 どこか儚く笑っているようなそんな表情に見えた。


(ッ!!)


 デルフは朧気な視線でそのカリーナの表情が昔と重なって見えてしまった。


 そして、無意識にデルフの拳はすぐ寸前で止まってしまった。

 止めてしまった。


『デルフ! 止めるな!!』


 だが、遅かった。


 その一瞬の隙にデルフの顔にカリーナの拳が直撃した。


 声に出すことができない衝撃がデルフを襲う。


 壁を突き破りさらに彼方までデルフは吹き飛ばされた。


『デルフ! しっかりしろ!』


 しかし、デルフに反応はない。


 “黒の誘い”を限界まで引き上げた反動でただでさえ朦朧としていたのに加え今の衝撃を受けたのだ。


 意識がなくなるのは当然と言える。


『仕方がない!』


 吹き飛ばされていたデルフの身体は急にピタリと止まりすぐ真下へと落ちていく。


「しばらくお前の身体を借りるぞ」


 着地したリラルスは周囲の気配を探るが追いかけている気配はなかった。


 だからといって安心はできない。


 カリーナや兎仮面は気配を出さないからだ。


 しかし、いくら身構えても姿を見せなかった。


「見逃してくれたのか? ……いいやそれはないじゃろ。あるとすればヒューロンを守ることを優先したということじゃろう」


 リラルスは力を抜いて構えを解く。


 張り詰めていた空気が弛緩しようやく息を吐いた。


「ん? 目が覚めたようじゃな」


 そう言うとリラルスは目を瞑り倒れそうになる。


 しかし、それも束の間ですぐに目を開き足を踏み込んで身体を支えた。


(リラルス、すまない)


 頭に右手を当てながら言葉を紡ぐデルフ。


「続行は不可能だな……。まんまとウェルムの策に翻弄されてしまったか」


 デルフは皮肉げにそう言って走り始める。


(皆と合流して急ぎフテイルに向かう。この国にいる限り俺たちの行動は筒抜けと思った方がいいだろう)


 デルフは城の方向に目だけを向ける。


(カリーナ……すまない。もう少し待っていてくれ。俺には力と覚悟がまだ足りなかったようだ)


 覚悟は決めていたつもりだったがいざ前にしてみればまだ甘かったのだとデルフは認識した。


 小突く程度ならば問題はないが思い切り害しようとすると躊躇してしまった。


 デルフは強く右拳を握りしめる。


『深く考える必要はない。お前は鬼にでもなるつもりか』

(そうならなければならない。俺はもうデルフではない。甘さは全て捨てなければならないんだ)

『そうか……お前がそう望むなら私は何も言わない。だが、たとえお前がどのようになろうと私はお前に付いていくだけじゃ』


 そして、デルフは幌馬車に乗っているウラノたちと合流し急ぎアサリシンを後にした。

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