第109話 決意

 

 太陽が顔を覗かせた頃。


 まだ薄暗い野山を走る一つの影。


 その少女のような見た目の少年は風と一体化しているような速度で走り続けていた。


 何かを発見したのか一瞬で方向転換し茂みの中に身を隠す。


 そして、懐から取り出した一本の針を握りしめ徐に投げる。


 その針は目にも止まらぬ速さで一直線に飛んでいき木の根元にいた野ウサギの首に見事命中する。


 少年は無感情のまま茂みから身体を出し野ウサギの下に歩いて行く。


 抵抗していた野ウサギだったが急にジタバタと苦しみ始めすぐに力を無くした。


「少し心苦しいですがこれも生きるためです」


 少年はそう言って倒れた野ウサギの両足を片手で掴み持ち上げる。


「この大きさは小さいですね。……もう少し続けましょうか」


 そして、少年の姿はその場から掻き消えた。




「ただいま戻りました」


 ウラノは両手が塞がっているため重い石扉に身体を押し付けることでようやく祠の中に入ることができた。


 住めば都とは言ったもので一年が過ぎた今となってはこの祠も家同然にあまり不自由が感じられなくなっていた。


 四人で過ごすには些か小さすぎる気もするがそれもまた慣れだ。


「ウラノちゃんどうだった?」


 開口一番に調理の準備を進めていたナーシャが問いかける。


 調理器具などを調達してからナーシャの気分は上がっている。

 調達するまでの間は調理とは名ばかりで丸焼きぐらいしかできなかった。


 今のナーシャの気持ちも頷ける。


 ウラノは片手に一羽ずつ持った野ウサギをナーシャに見せる。


 ナーシャは嬉しそうで残念そうななんとも言えない表情をして野ウサギを受け取った。


「しかし、あれね。こうやって山の中の動物を狩ることになるなんてね。少し可愛い動物を殺すのは罪悪感があるわ」

「仕方ないですよ。王都の警備体勢は厳しくなっていますから買い出しは無理です」


 王都はこの一年で恐るべき早さで復興が終わり城下では商人たちが行き交い前と変わらない熱気を取り戻していた。


 しかし、変わったことも一つある。


 それはウラノが言ったとおり警備体勢の強化だ。


 前までは都門の前に門番がおり簡易的な身分調査をしていたが今では正式に検問所が設けられ審査が何倍も厳しくなっていた。


 ウラノはこれでは商いがしにくくなり人が来なくなるのではと危惧したが元々、王都はデストリーネ王国の経済の中心であるもあるため検問所を新たに新設しても人の行き来に衰えはなかった。


 しかし、こうなると迂闊に王都で食糧補給もできない。


 犯罪者となってしまったリラルスや死んでいることになっているフレイシアが王都に出向くのは論外だ。

 特にフレイシアはもっての外だ。


 そうなると自由に動けるのはウラノとナーシャのみ。

 そして、一番補給に向いているのはウラノだ。


 ウラノならば忍び込むことは用意だが極力避けるべきだと考えた。


 もし顔ばれしており見つかれば逃げ切る保証はないからだ。


 特に天騎十聖と呼ばれる者たちに見つかれば戦闘を避けることはできない。


 彼らの強さは半年ほど前に起きた西の大国であるノムゲイルとの戦争によって知られている。


 ノムゲイルはいち早くデストリーネの混乱を聞きつけ約三千程度の軍勢を送り込んできた。


 しかし、この数はノムゲイルの兵力の全てではなくほんの一部の軍勢でそのときのデストリーネの力を調べる目的で勝つつもりはなかった。


 それでも、もしこの軍勢に少しでも怯めばすぐに総攻めを仕掛けるつもりだったのだろうが。


 そして、センロス平原というノムゲイルとデストリーネの間にある地にて野戦が起こった。


 しかし、その三千の軍勢は一日も経たずに壊滅した。


 大量の魔物とたった八人ほどの者たちによって。


 その戦いのことを戦争の地であるセンロス平原の名を取って“センロスの戦い”と呼ばれている。


 この戦いにより各国は天騎十聖の力を知らされノムゲイルも迂闊に動けなくなった。


 なにより魔物の力が大きい。


 魔物でもただ暴れ回るだけならば対処も容易いが隊列を組み計算された動きにノムゲイルは為す術もなかったと聞いた。


 この戦いに投入された魔物の数はおよそ五百。


 デストリーネの騎士ですら魔物一頭に対して五人がかりでなければ勝つことは難しい。


 それだけでも魔物の脅威は明らかだ。


 ウラノはそのことを思い出し顔を渋くさせる。


 取り敢えずそのことを考えるのを止めウラノは視線をずらす。


「フレイシア様はまだお休みのようですね」


 ウラノの視線は布にくるまって横になっているフレイシアに向いた。


「それよりも心配なのは」


 ナーシャは視線をウラノから外す。


「まだお目覚めにならないのですか?」

「見ての通りよ」


 ウラノもナーシャが向いた方向を見る。


 そこにはリラルスが壁にもたれかかったまま眠っていた。


「デルフの治療の仕上げじゃ、しばらく目を覚まさんから周囲の警戒を頼むと言ったまま一週間よ。飲食せずに一週間なんて……ほんとすごいわね」

「リラ様のことですから心配はないと思いますが」

「こればかりはリラさんにしか任せるしかないわ」


 ウラノも悔しそうに頷く。


「全くデルフったら早く起きなさいよね」




 見渡しても先が全く見えない草原。


 上を向くと透き通った青空が広がりそれを遮る白い影は一つもない。


 そんな草原の中央に立ち尽くす黒に染まった一人の女性。


 リラルスは自分の手を見て一切驚かずに無事に戻ってこられたことに安堵の息を吐き歩き始める。


 なぜならリラルスの右手は義手などではないからだ。


 歩いている途中、リラルスは大きな水たまりを見つけた。


 リラルスはその水たまりを覗いてみると水面に反射して自分の顔が映し出される。


 それはデルフの顔ではなく正真正銘リラルスの顔だった。


 艶やかで長い黒髪に鋭い黄色の瞳、天人となってから老いが来ておらず少し子供っぽさを残している顔付きだが雰囲気がそれを打ち消している。


 いつもの黒コートの姿に大きいとは言えない胸の膨らみも戻っていた。


 リラルスは水たまりから視線を外し当たりを見渡す。


「さて、どこにいるじゃろうか」


 取り敢えずリラルスは思いつく場所に足を運んだ。


 リラルスが思いついた場所、そこは海だった。


 草原と砂浜の境目が目で見て分かり不自然さが目立っている。


 リラルスは砂浜に入り足が砂に奪われながらも変わらずに歩き続ける。


 やがて、その海を座って眺めている一人の青年の姿が目に入った。


 その姿は布の服で多くの村人が安価と耐久性からよく身につけている物だ。


 リラルスはその姿をよく知っている。


 僅かな時間しか見ることはなかったがリラルスの中ではそれは永劫の時間と等しいぐらいに忘れることのない記憶になっている。


 リラルスはゆっくりと凜とした雰囲気を崩さぬままに近づいていく。


「リラルス。これが海なのか?」


 昔の村人姿のデルフがリラルスの接近に気付いたのか視線を海に向けたまま言葉を発した。


「昔、一度だけお父様に見せてもらっての」

「そうか。聞いたことはあったが見たのは初めてだ」


 リラルスはデルフの隣に腰を下ろす。


「デルフ……いつまでこうしているのじゃ? お前を蝕んでいた力はとっくに排除しておる」

「ずっと……だ。俺はもう……」


 リラルスは眉をピクリとさせる。


「なんじゃ。お前はもう音を上げるのか」


 デルフはリラルスの言葉に苦笑を返す。


「俺は村が滅ぼされてから弱い自分を変えるためにずっと鍛錬を続けてきた」

「それでお前は見違えるほどに強くなったではないか」


 デルフは首を振る。


「違う。結局俺は弱いままだったんだ。あのときと同じ俺は何も守ることができなかった。俺は…何も変わっていないんだ!」


 デルフはさらに言葉を続ける。


「カリーナが敵として現われたとき俺の中で何かが壊れてしまった。そして、カリーナはフレイシア様を……俺は守れなかった」


 リラルスはそこで気付く。


「デルフ、言い忘れていたがフレイシアは生きておる」


 そこで初めてデルフはリラルスに視線を合わせた。


 その表情は驚きに染まっている。


「えっ? だけど確かにあのとき……カリーナに」

「話せば長くなるがフレイシアが生きているのは確かじゃ」


 デルフは目が泳いだまま視線を下に向けた。


「お前はまだやり残したことがあるはずじゃ。お前の師、騎士団長、国王、そしてウェガとココウマロ。全員がお前に託していったのじゃ」

「ウェガさんとココウマロさん?」

「ああ、追っ手の道を阻んでくれた。ウラノから見事な最後だったと聞いておる」


 デルフの手が震え始めてポツリと呟く。


「な、なんでなんで皆は俺に全て俺に託すんだ……。俺はただの弱い村人なんだ。俺に何ができるんだよ」


 涙混じりにそう呟くデルフの肩にリラルスはそっと手を置いた。


「お前は弱くなんかない。逆じゃよ。お前が強いと変えてくれると皆が自分よりもデルフが相応しいと思ったからこそお前に託したのじゃ」


 デルフは黙って俯いたまま耳を傾ける。


「お前は騎士になる、いやフレイシアに仕えるとき何を誓った?」


 デルフはハッと顔をあげリラルスを見る。


「……フレイシア様を必ずお守りすると」

「そのフレイシアはまだ生きておる。一回の挫折で諦めることができるほどお前の誓いは軽いのか」


 デルフは大きく息を吸い込み大きく吐く。


「そうか。そうだよな」


 そして、笑い声が聞こえた。


 デルフは目尻に溜まった涙を拭いながらリラルスに目を合わせる。


 その目を見てようやくリラルスは胸をなで下ろした。


「ははは、リラルスにそこまで言われると立ち上がるしかないじゃないか」


 そのデルフの目にはしっかりと決意が表れていた。


 デルフはゆっくりと立ち上がり服に付いた砂を払う。


 それに合わせてリラルスも立ち上がった。


「なぁに、安心するのじゃ。私が付いておる。お前に託された思いその半分を分けてくれ」


 デルフは驚き手を振る。


「そこまでリラルスには迷惑かけられないよ」


 そんなデルフの言葉をリラルスは笑い飛ばす。


「迷惑など思ってはおらんぞ。もはや私とお前は一心同体。それに乗りかかった船じゃ。私にも背負わせてくれないか」

「リラルス……」


 デルフは口元を釣り上げて左手を出す。


 それをリラルスは握り握手をした。


「デルフ、これから私のことはリラと呼んでくれ」

「リラ……ああ、分かった」


 デルフは海の彼方に目を向ける。


「フレイシア様をお助けし……カリーナを救う。たとえどのような手段を用いたとしても。これが俺の選択です。師匠」


 そのときデルフの姿に変化が起きた。


 髪が黒く染まり腰まで伸び始め目が黄色く染まり服装も黒コートにへと変化した。


 現在の、本来の姿に。


「私と混じったせいで少し顔付きも中性っぽくなっているのう」


 リラルスはにやにやと笑っている。


「それじゃ、リラ。行ってくるよ」

「うむ。サポートは任せておれ。私ら二人にかかれば負けはない」


 そして、デルフは一年ぶりに現世に戻る。

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