第68話 命を奪う

 フィオナとセンリは荒らされた畑の付近に広がる草原へと向かった。

 俺はフェイを連れて、納屋に戻る。地面に付着した血を辿って森の中に入った。


 セロル村の周辺に広がるそれよりも小さな規模の森だ。生い茂る草や枝を掻き分けて奥に進む。はぐれないようにフェイがちゃんと付いてきているか確認しつつ、しばらく歩けば、草木のない拓けた場所に辿り着いた。


 点々と続く血は大樹の根元に続いている。大樹の下は地中から伸びた根っこが折り重なり、ちょうど獣が休めるほどの空間を造り上げていた。


「フェイ、魔獣は恐らく、あの大樹の根本に潜んでいる。静かに近づくぞ」

「……うん」


 フェイが頷き、ごくりと唾液を飲み込んだ。

 

「緊張しているか?」

「ぜんぜん」

「強がりはよせ、足が震えてるぞ」

「つよがりじゃないもん」


 頑として自分がビビっていることを認めないフェイを横目に、俺はゆっくりと大樹の元に近寄る。

 グレイウルフは鼻が利くので、俺達の存在はとっくにバレているだろう。それでも奴が飛び出してこないのは、納屋の持ち主に付けられた傷が深くて動けないのか、それとも俺達の動向を伺って牙を光らせているか……どちらにせよ、手負いの魔獣は凶暴さが増しており、危険なことに変わりはない。


 フェイが、ぎゅっと俺の服の裾を掴んだ。


「いいかフェイ。相手が飛び出してきたらすぐに魔法を発動するんだ」

「……分かった」

「もたもたしていると喉笛を噛み砕かれるからな。やられる前にやれ」


 ポケットから、事前に拾っておいた石ころを取り出し、大樹の根本に投げた。

 投擲された石ころは折り重なる根っこに当たり、乾いた音を立てる。

 その瞬間、根っこの間から灰色の影が飛び出してきた。


「……っ!」


 フェイが両手を前方に突き出した。

 ――グレイウルフは喉を鳴らし、俺達を鋭い目で睨みつける。

 小柄ながらも引き締まった胴体には確かに切り傷があり、腹からボタボタと血を垂れ流している。その血を見て、フェイはわずかに後退する。


「あのこ……けがしてる」

「ああ、そうだな」

「なおしてあげないと……」

「無理だ。魔獣は人の助けを求めない。近づけば襲われるだけだぞ」

「で、でも……」


 フェイの両手が、震える。

 魔法の発動はされず、膠着状態が保たれた。

 グレイウルフは依然として喉を鳴らし威嚇を続けている。今すぐに飛びかかってきてもおかしくない。

 その様子にフェイは明らかに怯えていた。それはグレイウルフの傷が思ったよりも深く、生々しい鮮血を流しているからか。


 あるいは――グレイウルフの姿形が、彼女の愛する小動物ロコに似ているからか。


「うぅ……」

「フェイ、魔法を放て」

「わかってる、わかってるから」


 フェイは魔法の詠唱を口にする。

 しかし、グレイウルフは待ってくれなかった。魔法が発動される前に獲物の喉を噛み切らんと疾走を始める。


 彼我の距離が、縮んでいく。

 魔法は発動されない。謳うような詠唱は途切れ、フェイの身体が震えだす。


「フェイ、撃て!」

「……っ!」

「殺さなければ、殺されるぞ!」

「う、ああああっ!」


 フェイが叫び、そして。

 手のひらから放出された雷撃が、グレイウルフの額に吸い込まれた。

 紫電が辺りに迸り衝撃波が草木を揺らす。多大な威力の雷撃は魔獣の体躯を黒焦げにさせた。血反吐を撒き散らして地面に転がったグレイウルフはピクピクと四肢を痙攣させた後、絶命する。


 それと同時に、フェイはその場にぺたんと座り込んだ。

 呆然とした表情で、ただ魔獣の死体を見つめている。

 

「あ、あぁ……」

「フェイ」

「わたしが……ころした……」

「ああ、お前が殺した」

「うぅ……うあぁ……っ」


 泣きじゃくり、這うようにして前に進み、魔獣の死骸を全身で包み込むフェイ。煤で服が汚れるのも構わず、自分が殺した命を精一杯に抱きしめる。


 少女の泣き声が、しばし森の中に響き渡っていた。

 俺は、震えているフェイの肩に、優しく手を置く。


「これが、命を奪うということだ」

「いのちを、うばう……」

「そうだ。お前の力は、こんなにも容易く何者かの命を奪ってしまえる。お前がその気になれば、人だって簡単に殺せるんだ」

「……でも、わたしはそんなことしない」

「ああ、分かっている。それでも、俺はお前に知って欲しかった。命を奪うという行為の辛さを」


 動物が好きなフェイにとって、獣の姿をしたグレイウルフを殺すのは辛かっただろう。苦しかっただろう。

 それでも、誰かが殺さなければ、グレイウルフは更に人を襲っていたかもしれない。下手をすれば、死人が出たかもしれない。


「俺達人間は――時として、誰かを守るために何かを殺す」


 力を持つ者は、この矛盾した宿業に、いつかは向き合わなければいけないのだ。


 フェイは涙の溜まった瞳で俺を見上げて、グレイウルフの煤まみれの毛並みを撫でた。


「だれかを、まもるために……」

「お前がそいつを殺したおかげで、救われた人達がいる」

「……そっか」


 ごめんなさい――。


 フェイは最後に、グレイウルフの死骸に向かって、そう呟いた。

 

 




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