第58話 臥せるクロエ

「いらっしゃいませー!」


 ムラサメが来店した客に向けて元気よく声を上げる。

 今日もまたフィオナとムラサメが接客してくれていた。

 ユーノはいない。いつものようにサボりだった。


「マスター! 閃光弾が売り切れちゃいました! 補充をよろしくです!」

「了解」


 店の奥の倉庫から閃光弾を取り出した俺は、表へ出てガラスケースに閃光弾を入れた。


「マスター! 今度は精力剤が売り切れです! ただちに補充を!」

「あいよ」


 今度は精力剤の入った瓶を棚に立てる。

 なかなか繁盛していて、店主として嬉しかった。

 

 やがて夕暮れ時になり、客もいなくなった。

 俺は今日も頑張ってくれたフィオナとムラサメにねぎらいの言葉をかける。


「今日も一日ご苦労さん。店を閉じるから、お前たちは先に出ていてくれ」

「分かりました、リオン」

「フィオナさま! 今日も一緒にお風呂入りましょう!」

「まったくもう、ムラサメは子供なんですから」


 子供扱いされているムラサメはニコニコと笑っていて、満更でもなさそうだった。

 二人が店を出た後に、表を箒でさっと掃除する。

 その時だった。


「リオーーーーーン!」


 俺の名を呼ぶ声が聞こえたと思ったら、ドアが勢いよく開いた。

 頭から店内に突っ込んできて床にごろごろと転がったのは、ユーノである。


「どうした、そんなに慌てて」

「たいへんだよ! クロエが!」

「クロエがどうした?」

「クロエが――死にそう!」

「なんだって!?」


 俺は箒をぶん投げて、床に突っ伏していたユーノの腰を掴んで持ち上げた。

 

「いったいどういうことだ、説明しろ!」

「さっきまで一緒に遊んでたら、急に苦しみだして倒れちゃった!」

「よし、分かった! 今すぐに向かうぞ!」

「合点承知の助!」


 俺は店を飛び出して、困惑しているフィオナに店の鍵を手渡した。


「これで店を施錠してくれ。俺はクロエのところに行ってくる」

「分かりました。どうかクロエちゃんを助けてあげてください」

「マスター! ムラサメを持っていってください! 魔力が大幅に増強するので、ちょっとした病気ならすぐに癒せちゃいますよ!」


 ムラサメの言葉に頷いた俺は、脳内で念じる。

 ムラサメよ――刀となれ。

 

「にゃにゃ!? 幼女が刀になったにゃ!?」


 俺の手に収められていた妖刀ムラサメを目にして、ユーノがぎょっとしていた。

 

「後で説明する。今はクロエの家に行くのが先だ」

「そうだね! 細かいことは気にしない気にしない!」


 俺は腰のベルトにムラサメを差して、ユーノと共に夕暮れ時の村の中を走った。

 全力疾走で駆け抜け、クロエの家に到着した俺は、ドアを強くノックする。


「クロエ! 大丈夫か!」


 何度かノックしていると、小屋のドアが開かれた。


「あなたは……魔導剣士さん?」


 小屋から出てきたのは、クロエの母親である。

 俺は息を切らせて、クロエの母親に言った。


「クロエが死にそうだと聞いて駆けつけてきました!」

「あらあら、そうなの。でも大丈夫よ、いまは医者に診てもらっているから」

「そうなんですか? いやでも、医者に治せるんでしょうか? なにか重大な病気だったら――」

「いえ、ただの風邪みたいよ?」

「……え?」


 俺は阿呆みたいにぽかんと口をあけた。

 ただの風邪。

 ……ただの風邪だと?

 とりあえず、隣に立っているユーノの頭に拳骨を軽く押し当てた。


「お前、クロエが死にそうと言っていたな?」

「うん、そうだね」

「でも、ただの風邪みたいだが」

「うん、そうだね」

「はぁ……」


 力が抜けた俺は、その場に膝を付く。

 クロエの母親がくすくすと笑って、俺の肩に手を置いた。


「とりあえず二人とも、上がっていったら? お茶ぐらいは用意するから」

「いいんですか?」

「ええ、もうすぐ医者も帰るみたいだから。どうかクロエと顔を合わせてあげてくださいな」


 俺とユーノはクロエの母親に促され、小屋へと入った。

 そこでちょうどよく、クロエの部屋から初老の男性が出てくる。

 すでに何度か顔を合わせていた医者は、穏やかな印象を持つ目元を優しげに細めた。


「おや、リオン君。君も来たのか」

「はい……クロエの様子はどうですか?」

「少し辛そうだが、まあ、ただの風邪だよ。何日か薬を飲みつつ安静にしていれば、すぐに治るだろう。顔を見ていくかい?」

「じゃあ、少しだけ」


 俺は医者とすれ違い、クロエの部屋へと入った。

 クロエはベッドに寝ていて、頬を紅潮させている。

 彼女の視線がじっと俺に注がれた。


「リオンさん、ごめんなさい……」

「どうして謝るんだ」

「いえ、どうにもユーノに大きな勘違いをさせてしまったみたいで。見ての通り、私はだいじょうぶです……くしゅんっ」


 くしゃみをしたクロエは、透明な鼻水を垂らした。

 恥ずかしげに鼻をすすった彼女の額に、手をかざす。

 癒やしの魔力をまとわせた手を軽く押し当てると、クロエは気持ちよさそうに目を細めた。


「リオンさんの手、すーすーします……」

「ほんの少しだけ冷気もまとわせている。それにしても、本当にただの風邪でよかった。なにか重大な病気なんじゃないかと思って慌ててしまった」

「ふふ……私のこと、心配してくれたんですね……」

「当たり前だろう。友達が倒れたと聞いて心配しない奴なんていないさ」

「それは嬉しい言葉ですが、いいんですか……お嫁さんのそばにいないで、こんな病弱な女のところにいて」

「いいんだ。妻からはきちんと了承を取っている」


 俺が微笑むと、クロエもまた微笑んだ。

 安心したようにユーノが尻尾を立てて、クロエの頬を手で撫でる。


「ちょっと熱いね。この様子だと、もう寝たほうがいいかもにゃー」

「そうだな。俺達は帰るから、ゆっくり休んでくれ、クロエ」

「はい……ありがとうございます、二人とも」


 目を閉じたクロエを見届けて、俺とユーノは部屋を出た。


 その瞬間、小屋のドアが開け放たれる。


 駆け込むようにして中に入ってきたのは、いくつもの小瓶を脇に抱えたマシロだった。


「クロエっ! 家にあった薬をありったけ持ってきたよ! ってあれ、リオンさん、いたんだ!」

「いたんだが、もう帰るよ」

「クロエは!? 生きてる!?」

「ちゃんと生きている。今から寝るみたいだから、あまり騒がないようにな」

「そっか……良かった……本当に良かったよぉ!」

 

 床にぺたんと座り込んで、泣き出してしまったマシロ。

 相変わらずクロエのことを心の底から心配している彼女だった。


 その後、俺達はクロエの母親からお茶を一杯貰った。

 しばらくするとクロエの父親も帰ってきて、娘の容態を確かめてから安心したように息を吐いた。


「すまないな、うちの娘が色々と迷惑をかけて」

「いえ、構いません。そろそろ俺達は帰りますね」

「君が良ければ、時間が空いたときにでも娘のお見舞いに来てやってくれないか」

「ええ、時間を見つけてまた来ます。それでは」


 頭を下げ、俺とユーノは小屋を出るのであった。

 外はもう夕暮れ時を超えて、夜の帳が落ちようとしている。

 俺は夜道ではぐれないためにユーノの手を取ってから、歩く。

 ふと思い立って、ユーノに言った。


「見舞いの件だが、アルフにもやらせたらどうだろうか」

「そだねー。アルフなら喜んでやると思うよ」

「そういえば、あいつはどこに住んでいるんだ?」

「ここの近くにある小屋。アルフはリオンと同じで、両親がいないみたいだにゃ」


 どうやらアルフは孤児らしい。

 あいつも色々と苦労してそうだな。

 

 昔、一人で寂しく小屋で夜を過ごしていた頃を思い出す。

 手に取っている暖かな手を強く握りしめた。

 俺とユーノは暗がりの中で視線を交わして、お互い表情を緩める。


「少しだけアルフのところに顔を出してから帰らないか」

「だね。行こっか」


 俺達は、遠回りをする。

 月明かりが、俺達を包み込むように地上へと降り注いでいた。

 

 

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