第36話 撤退する悪魔
「なるほど、お前は勇者アイネ・ユーティアの実力を見極めたいんだな。だが生憎と、勇者はこの村にいない。残念だったな、クソ悪魔」
だからさっさと殺させろ――そう怨嗟を込めて言い放った俺に、破壊魔は喉を鳴らして笑った。
「そんなことは分かってんだ。こちとら三年間、勇者の居場所を探して回ってたんだからよ。だがしかし、大陸の各地を駆けずり回っても勇者は見つからなかった。となれば、おおかた王都の中枢でのんびりと隠居でもしているんだろうさ。そして
「だったらどうしてこの村に……ああ、そうか」
俺はようやく、破壊魔の思惑に気付いた。
「この村を襲撃することによって、引きこもりの勇者を誘き寄せる……要するに撒き餌だな」
「そういうこった。賢いなぁ、お前さん」
カカ、と再度笑った破壊魔は話を続ける。
「これまでも何度か餌は撒いていた。わざとこの村の近辺に部下をうろつかせて、アピールを施してたんだがよ……まぁ、結果はお察しの通りさ。まったく食いつきやがらねぇ。だから痺れを切らした俺達は、いっそのことこの村を襲撃して、無理やり誘き寄せようという強硬手段を取った。さすがに故郷の村が危険にさらされれば勇者だって黙っちゃいないだろう、ってな」
「だとすると……この襲撃は第一段階。村の危機に勇者が駆けつけたその時こそ本気を出すってことだろう?」
「ご明察通り。だからオレにはこれ以上、お前さんと戦う理由がねぇ」
破壊魔はいっそ清々しく、俺との戦いを放棄することを宣言した。
そんな相手に対し、俺は剣の切っ先を突きつける。
「舐めるなよお前、ここまで戦っておいて逃げるだと?」
「ああ、そうさ。
「逃がすかよ、ここでお前を討つ……ぐっ」
戦闘継続の意思を見せるが、しかし身体が追いついてこなかった。
全身が重く、少し動くだけでも上半身からつま先まで痛みが走った。
現在進行系で破壊されていく筋繊維。
俺は思わずよろめいて、その場に膝をついてしまう。
「もう限界だろう。逆によくここまで耐えきったもんだ。褒めてやるよ若造」
「お前に褒められても一切嬉しくねぇ……ッ!」
「クハハハッ! だろうな!」
声を出して大笑いした破壊魔。
そこで部下であろう下級悪魔の一体が、破壊魔に駆け寄ってきた。
「首領、大変な事態です」
「なんだ? 何が起こった?」
「シャクス様とアンドラス様が……討ち取られました」
「――なんだと?」
部下の報告に、破壊魔が初めて動揺するような声を出した。
「それは本当か?」
「はい、間違いありません」
「シャクスとアンドラスを殺した奴の特徴は?」
「それが……信じられないことに、まだ二十にも満たないような狼人族の女剣士です」
「……ク、ハハハハハハッ!」
破壊魔は再び大笑いした後に「やれやれ」と呆れたように首を振った。
「俺の攻撃を何度も耐え続ける魔導剣士に、上級悪魔二体をぶち殺した女剣士。何だこの村は? 実は強者を量産するための養成所だったりするのかねぇ。まぁ、それはさておき」
俺に視線をよこした破壊魔。
肉体の限界で意識が朦朧とするなかで、確かに破壊魔の声を聞き取った。
「勇者が来るか来ないかは置いといて、とりあえずこの村は潰しておく。次に会う時は全力全開だ、魔導剣士。じゃあな!」
そう言い残して、暴虐の化身は部下を引き連れ、村から去っていくのであった。
「クソ……」
俺はついに倒れ込み、意識を手放す。
暗い闇の底に誘われる最中、破壊魔の哄笑が耳に響き渡った気がした。
「――オン、起きて――」
誰かが俺を呼んでいる。
「リオン、お願いです……起きてください……リオン……」
震えた声で、必死に俺の名を呼ぶ妻の声に――意識が覚醒した。
瞼を開けば、知っている天井と豪奢なシャンデリアが見えた。
寝かされていたソファから起き上がった俺は、そばにいたフィオナに抱きつかれる。
「無事で良かったです、リオン!」
「フィオナ……ここは」
妻を抱きしめ、周りを見回せば、目に入るのは広いロビー。
瞬時にクレアさんの屋敷だと理解した。
気絶した俺を、誰かがここまで運んできてくれたのだろう。
フィオナが泣きじゃくりながら、俺の胸に顔を擦り付ける。
「バカ、バカバカバカっ、こんなにボロボロになるまで無茶するなんて……リオンの大バカっ!」
「すまない、心配かけたな……」
「本当にそうです……心配だったんですから……」
フィオナは鼻をすすり、俺を上目遣いで見つめた。
俺が起きる前からずっと泣いていたのだろう。白目が真っ赤に充血している。
とりあえず俺は、フィオナの目尻に溜まっていた涙の雫を指で拭い取った。
「この通り、満身創痍だけど……ちゃんと生きているよ。だから泣かないでくれ、フィオナ」
「……はい。もう泣きません」
ごしごしと服の袖で涙を拭ったフィオナは、キリっと表情を引き締めた。
俺は彼女に微笑んで、もう一度抱きしめる。
しばらく妻の体温を全身で感じていると。
「あー、なんだ。貴様ら、いい加減にイチャつくのはやめんか」
ティーカップを持ったクレアさんがロビーへと姿を現した。
俺は妻との抱擁に別れを告げ、クレアさんに尋ねる。
「俺が目を覚ますまで、どれくらいの時間が過ぎましたか?」
「悪魔達が去ってから、夜になるまでだな。警戒態勢は解かれ、村人達はもうすでに帰路についている」
「そうですか……」
どうやらひとまず危機は去ったようだ。
ほっと息を吐いた俺は、破壊魔が言っていた重要な情報をクレアさんに伝えた。
「ふむ……アイネとの戦いを望んでいる上級悪魔か」
「はい。とても危険な悪魔です。奴はディアブロスと名乗っていました」
「なるほど。“破壊魔”か」
「クレアさんは奴を知っているんですか?」
「詳しくは知らんが、遠征に出ていたサーシャから名前だけは聞かされていた」
なるほど。
この前、王都周辺の街にサーシャさんが遠征していたのは自警団と話をするためだった。
恐らく破壊魔の情報はその街にも伝わっていたのだろう。
「危険度Aランクの
面倒そうに息を吐いたクレアさんは、ティーカップに口をつけ、紅茶をすすった。
俺はソファに座ったまま、真剣な表情を作り、クレアさんに問う。
「あいつを討つ手はあるんですか?」
「二つ……いや、三つはある」
紅茶を飲みながら、細い指を三本立ててみせたクレアさん。
「その方法は?」
「まず一つ目だが、うちの
クレアさんはカップをテーブルに置き、燃え盛るような灼眼で俺を見つめた。
「貴様が奴を殺すことだ、リオン」
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