愛だとか恋だとか

そこらへんの社会人

第1話

「嫌いだわ、私。」


「・・・何がです?」


「男よ、男。どいつもこいつも結局カラダ目当ての野獣でしかないもの。」


「そういうもんですか・・・。」

僕はどうなるんですか、なんていう上げ足をとる気力もなく、先輩には見えないように苦い顔をしてみせた。やれやれ、といったところである。

もう何倍目かも分からないハイボールのグラスが空になる音がした。

「おかわりっ」


「先輩、大丈夫です?そろそろ帰った方が・・・」


「何よ、あんたが私を止める道理はないでしょ。マスター『いつものやつ』お願い。」

先輩はそれだけ言うとカウンターの机で突っ伏してしまった。先輩の髪から艶やかで大人の香りが漂う。とびっきりのおめかしをしていたのだろう。

僕はマスターと顔を見合わせる。これもまた「いつものやつ」だ。

「で、今日はどうされたんです?」

マスターがいつもと変わらぬ口調で先輩に声をかける。深夜に行きつけのこじんまりとしたバーで三人、先輩の愚痴を聞くのは何度目だろうか。そんなことを考えていた。

「あの男が悪いのよぉ。私はただ彼が好きなだけなのに・・・彼は私なんてお構いなしで他の女と遊ぶの、それが許せなくて・・・。私が彼を一番愛してたっていうのに・・・」

突っ伏したままの状態で涙声になりながら先輩は『彼』への愚痴をこぼし始めた。ようやくこの会の本番が始まったのである。腕時計を見ると黒枠の時計の白針が午前一時を指していた。

――これは朝までコースだな。

僕は再度苦い顔を作ってみせる。今度は先輩に見えていないためマスターに向けて顔を作った。マスターは不意を突かれて少し吹き出してしまった。

「何がおかしいのよマスターぁ。」

ギクリ、としてしまった。

「いや、なんでもないですよ、それでその男とはどういう経緯で付き合ったんですか?」


「えぇ?あいつとあねえ・・・」

マスターの機転に救われ、僕は安堵する。まあ、これからの愚痴地獄を思えば、ほんの気休めにしかならないようだが、顔の筋肉をこわばらせ、舌をちょっぴり出して苦い顔を作るのは僕にとって気休め以上の効果があると信じていた。

「私は彼を愛してたのぉ・・・・なのに。なのにぃ・・・」

『愛』、『愛していた』という言葉を先輩は頻繁に使った。聞けば、一夜限りだと思っていた男とカラダの関係を持った後、恋愛感情が芽生えたのだという。


あほらしい。

何が愛だ。そんなものは穢れた愛でしかないし、なんなら愛ですらない。肉体関係がもたらす愛に似たその感情はただ、自己満足の欲求を満たすための口実に過ぎない。真実の愛なんてどこにもありはしない。

愛とは、もっと純粋に清純にひたむきに相手を思う気持ちである。そこに肉体関係など必要ない。互いに互いを真に愛する関係であれば、肉体関係など必要もないはずなのだ。どうして、皆それが分からないのか。君たちが見ているのは愛などではなく、ただの性欲が作る幻だと。

僕は、二十一年間彼女無しの私大学生であった。愛を愛して拗れている、とよく幼馴染からは言われている。

「なあ、黒崎ぃ。」

「のわっ。」

先輩が酔った勢いで、僕の肩を引き寄せ、耳元でささやく。いや、囁くというにはあまりにも不適切な声量で、僕に言う。

「カラダの関係から始まる恋愛なんて、ろくなもんじゃないから気を付けるんだよ。」

忠告にも自戒にも似た、やや冷静なトーンだった。潤んだ瞳と、一つ年上なのに僕なんかよりよっぽど若々しくて麗しい先輩の顔を見つめる。酒の匂いと高級そうなシャンプーの香り、バッチバチに聞いた香水のせいで気分が悪くなってしまいそうだった。

「分かりました。気を付けます。先輩も大変でしたね。」

そんなものは恋愛ではないし、惑わされるはずがない、と心で思いながら、それでも目の前の先輩を元気づけようとグラスの酒を一気に飲み干す。

「ふふ、ありがと。」

熱くなりつつある喉の苦しみに耐えながら、チラリと先輩を見やると、彼女はまたカウンターに突っ伏していた。

――これだから、失恋後の酔っぱらいは・・・――

視界がそれまでより一層ぼんやりしていくのを感じながら、僕はグラスを置いた。

愛なんて、嘘っぱちだ。


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愛だとか恋だとか そこらへんの社会人 @cider_mituo

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