第7話「虚」

「どうにかって……」

 戸惑いが、朱有の言葉を滞らせる。


 それに気づいたのか、葉佳は一転、柔らかな笑みを浮かべると、

「大丈夫だから、任せて。――そうそう、お腹すいたでしょう? 食事を用意するわね」

 ちょっとしたおつかいを頼まれたかのように、軽やかに身を返した。


 そういえば――僕が床下にいる間、彼女はどこにいたのだろう。

 考えてみたけれど、どうしても思い出せない。



                 ◆



 それから数日。見事な晴天が続いた。


 扉を開けると、眩い緑が目に飛び込んでくる。爽やかな風が堂内に流れ込んでくる。そのたび、自分が留まるところがいかに澱んでいるのかを、朱有は思い知らされる。


 だけど、どれだけ清浄なところに身を置こうと、自分の穢れが払われることは、もう二度とない――思いながら朱有は、重い足取りで階段を下りる。


 堂の裏手、広葉杉が立ち並ぶ薄暗い空間をぼんやりと歩く。

 近いのか遠いのか分からない距離を進むと、やがて前方に光が見えてくる。


 林を抜けると、明るい空の下に、村の景色が広がっていた。


 村から見あげていた時には、杉林に草が密集する急な傾斜のように思っていたけれど、いざ立ってみると、柔らかな草がまばらに生えている、意外と緩やかな傾斜だった。


 朱有は一際高い杉の根元に腰を下ろす。そこだけ、草がなぎ倒されて柔らかくなっている。

 そこから村の様子を眺め下ろすのが、朱有の日課となっていた。


 あの日。

 随分と歩いて、相当山を登ったものだと思っていたが、そうでもなかったようだ。

 眼下には行路神の祠があり、二股の路が随分と遥かまで見通せる。祠から左に目を進めると、水田と畑。その向こうには家が寄り集まるように建ち並んでいる。


 少し奥の小高い丘にある大きな家は、かつての我が家だ。


 ガサリと音がしたので見れば、椋鳥がすぐ傍にいた。

 朱有が持っていた果実を放ってやると、椋鳥近づいてきてそれを啄ばむ。黄色い嘴を小刻みに動かして果実をつつく姿は愛らしい。重苦しい心がほんの少し和む、わずかな時だ。


 田植えを終えた水田は、水面が澄んだ緑色に見える。

 作業の一休み中なのだろう、畦に人々が集まり、腰を下ろしている。何を言っているかまでは分からないが、姿かたちで誰かは知れた。

 彼らは茶椀や果実やらを手にしながら楽しげに歌い、大声で笑う。傍らを子どもたちが走り回っている。

 あんな、大惨事などなかったかのような、平穏な風景――朱有にとってつい先ごろまで当たり前の光景だった。自分もあの風景の一つだと疑わなかった。


 だが違ったのだ。

 当たり前だと思っていた風景に、自分はいなかった。村にも、あの家にも。


 そう思うと、胸をかきむしりたくなる。奇声を上げて、地面を転がりまわりたくなる。


 だけどここに自分がいると知れたら――今度こそ、自分は排除される。そう思った。だから突き上げるあらゆるものを、歯を食いしばってどうにかやり過ごす。

 一体いつまで、こんな思いを続けなければいけないんだろう――もはや涙も出ない。


 それでも朱有は次の日もまた次の日も、やはりそこにいた。

 

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