第十五話 蒼夜の決戦Ⅱ

 人払いの済んだ夜のテーマパークを三人の魔法使いが歩調を合わせて進んでいた。

 平穏に見えるその姿は仮初めのモノ。裏では既に悪魔が住まう根城になっている。

 三人が見据える先には外界にて待ち構える黒衣の魔法使いが居る。

 境界線を跨げば其処は戦場だ。一切の予断を許さない命の取り合いになるだろう。

 三人は目配せを済ませると、それぞれに魔法の力を行使する。

 アルメリアは錠菓を噛み砕き。

 蒼士は眼鏡をかけて。

 悠月はコンタクトによる封じを解き放ち、同時に抜刀する。

 極彩色の魔眼は決戦用に合わせて様相を変化させる。

 破魔の能力に加えて、優れた観察眼で敵の詳細を識る〝金色〟

 アルメリアと出会い、修練の末に手に入れた悠月の新たな力が其処にはあった。

 手を前に翳し、三人は一歩前へと歩み出る。

 生と死の境界線。波打ち交じり合う混沌の刹那に悠月は回想に耽っていた。

「――サウィン祭? なんですか、それ」

 遡ること数日前。イリーガルリサーチの面々が集まる事務所にて。

 悠月はアルメリアの戯言に小首を傾げていた。

「だからハロウィンの起源だ。ハロウィンと称される前の原型、つまりルーツはこのサウィン祭にある」

 アルメリアはライカの淹れた紅茶を一口飲むと流暢に語り始める。

「ハロウィンは『Hallow』と『Even』の二語から成り立ち、前者は『神聖』後者は『Evening』つまり『夕べ』の変形型が徐々に変容して現代に伝わるハロウィンとなったんだ」

「はぁ……」

 なにを薀蓄を語っているんだこの人は、と悠月は未だに疑問符を浮かべている。

 対象的に蒼士は至って真面目にアルメリアの話を聴いていた。

「元々、このハロウィンの文化というのは遥か遠くの国。アイルランド、スコットランド地域に住んでいたケルト人たちの文化だ。彼らの地域ではハロウィンの次の日。翌日の十一月一日が新年でな。夏の終わりであり冬の始まりでもあるこの日をサウィンと呼んだんだ。古代アイルランド語ではサヴァン。英語で例えるならサマーエンドになるか」

 口直し代わりにとアルメリアはぐぴっとカップを傾けて。

「実はな、彼らにとってはこの新年を跨ぐ境界線こそが非常に注意すべき日だと捉えていたんだ。前日のハロウィンには悪霊たちが蘇り、人々を襲い、農作物を食い荒らしていくと信じられていたんだよ。だからこそ、ハロウィンの日には我々も仮装という擬態を通して悪魔たちに紛れ込み、襲われないように身を護っていたんだ。まぁもっとも、今ではその風習は形骸化して、巷ではどんちゃん騒ぎをするだけの乱痴気パーティーと成り代わってしまったがな」

「嫌味な言い方ですね」

「当たり前だろう。元々は神聖な儀式だったんだ。ここまで貶められたら愚痴も言いたくなるさ。先人達がこの惨事を見たらどう思うか」

「卒倒ものかしらね」

「あぁ、確実だな」

「で、その話に一体何の意味があるんだ」

「そう急かすなよ、音切。重要なのはこの後だ」

 いいか、と繋いでアルメリアはこの先の核心に触れる。

「ジャックはアイルランド出身の魔法使いだ。得意とする魔法は複製と練成。この技術においては恐らく、奴の右に出るものはいないだろう。だがソレも完全無欠ではない。幻燈投影にも弱点はある。そしてこれが我々に残された被害者が帰って来うる唯一の道だ」

「カラクリを解く方法は?」

「簡単だよ、本体を見つけ出してぶっ壊すことだ。奴は自分自身を投影魔術の媒介にすることによってこの地上にコピーを造り出している。だとすれば、投影機さえ破壊できてしまえば影も自然消滅する。解りやすいだろう?」

 ここまで話し終えて、アルメリアは一段落したとばかりに紅茶を飲み干した。

「メア、おかわりは?」

「もらおうか」

「でも、仕組みがわかったところで相手がそう簡単に弱点を晒しますか。この前、天音を攫いった時だって結局は全部偽者だった。次もまた同じことを仕掛けてくる可能性はあるんじゃないですか? あの卑怯者なら――」

「プッ、アハハハハハハハハ!」

 アルメリアは悠月が〝卑怯〟と断じたことで思わず噴き出していた。

「何が可笑しいんですか。こっちは真面目に」

「いや、スマン。あまりにも的確なことを言うからついな。そうさ、お前の予想は正しいよ。弱点を見抜かれているのにノコノコと姿を晒す馬鹿はいないさ。だがな悠月、それは無いよ。私が保証する」

「どうして言い切れるんですか」

「――古い魔法使いにはね、誇りがあるんだよ。自分の造り上げたものに絶対の自信がある。自分の魔道に過ちはないと信じて疑わない。現代にあれだけの工房を創り上げて、万全の策を用意した。これで敗北を喫するようならアイツにとってはこれ以上ない完敗だ。おめおめと生き恥を晒すくらいなら清く死ぬ道を選ぶよ」

「知ったような口ぶりだな。さては知り合いか」

「あぁ、そうとも。ジャックは――ウィリアス・ケネス・イグニスタは私の古い友人だ。だからこそ、過去に囚われた亡者はもう一度、あの世に送り返さねばならない」

 閃光が消えた時。

 次に視界に映ったのは所狭しと蠢くカラスの群れだった。

 捕食する獲物もなく、あてどもなく彷徨う様はゾンビ映画に出てくる屍のようである。

 ウィリアス・ケネス・イグニスタ――現代ではジャック・オー・ランタンとして名を知られるかつての刀匠はいま、悪魔との契約によって正真正銘の悪霊と化している。

 揺れる双眸は業火の如く。過去にあったであろう尊厳は迷った末に喪われて。〝複製〟という大魔術の終着点。生者の命を媒介に行使される奇跡の偉業は闇に堕ちて何を生み出すのか。敵の根城に迷い込んだ三人の魔法使いは今、混濁とした翼を広げる悪魔を前に勇猛果敢に立ちふさがっていた。

「これはまた、少し見ない間にえらく数を増やしたなぁ」

「感心している場合じゃないだろう。……本当に一人でやるつもりか」

「もちろんだ。こちらは作戦通りに行く。お前たちこそ、抜かるなよ」

「あぁ、わかっている」

「必ず倒します!」

 悪魔たちの燃ゆる双眸が一様に侵入者を補足する。猛攻が始まった。

「来るぞ、走れ!」

 号令に応じて悠月と蒼士は走り出す。

 アルメリアは接近してくる傀儡たちを蹴散らすために真言を唱えて迎え撃つ。

 召喚するは付き従える風の神たち。逆巻く大気は風を呼び、集積された魔力は荒らぶる風神の媒介となる。

「さぁ、出番だボレアース。むさぼり尽くす風神よ、貴様の神威、今こそ示す時だ!」

 轟と唸る突風は真っ直ぐに傀儡たちの間を駆け抜ける。

 風の直撃を受けた傀儡たちの身体は瞬く間に裂けて粉微塵に擦り切れる。カマイタチ。

烈風は極限まで高めれば皮膚を裂き骨をも砕く。凝縮された風の塊はさながら居城に大穴を開ける大砲だ。直径五メートル台にもなる旋風は衝撃波が去った後に遅れて巻き起こりこと切れた屍骸を彼方へと吹き飛ばす。

 二人はその隙に乗じて風神が造り上げた自然の通り道を潜り傀儡蠢く群れの中へと突入していく。敵は蒼士が発動している魔法の影響によって一切二人を関知できていない。

 だが、入り口に残るアルメリアは話が違う。蒼士の使う魔法の加護下から離れた彼女は残存する全ての幻燈投影の的となっているのである。

 そう、アルメリアの作戦は最初から最大戦力である彼女を〝囮〟として使い捨て、本陣に切り込むのに適した〝認識阻害〟の能力がある蒼士をサポートに据えて、悠月を送り届けることにあったのである。

「戦いの幕を開けよう、ジャック。死するに足る舞台は整った!!」

『良かろう。こちらも貴様らの妨害にはいい加減うんざりしていたところだ。この辺りで幕引きとしようか』

 虚空より響く声はウィリアスのものだった。

 どうやらお相手はこちらの作戦には気がついていない様子である。まずは首尾よく、思惑通りの展開に状況は好転したと断じてしまって差し支えないようである。

「ほぉう、願ってもないことだ。話が早くて助かるよ」

『――狸め。この工房の中ではいくら策謀を労しても無駄だということを教えてやる。以前のように逃げられるとは思うなよ』

 四方から巨群が迫り来る。

 アルメリアはウィリアスの放つ攻撃を見定めて、取り得る最善の手段で迎撃する。

「忘れたのか、ジャック。私にお前の技は通用しない。いくら手数を増やしたところで結果は変わらんぞ」

 彼女の命に拠り、再び烈風が音を立てて巻き上がる。

「私に付き従える風神の力を侮るなよ」

 ――嵐とは。

 時に大地を抉り、海を割り、空を裂く。

 この風は侵略こそすれ決して介入できるモノではない。彼女を中心に旋回する風の刃は膨張を続けながら主であるアルメリアを護らんと激昂する。比類なき力はこの世に安寧を齎すために。この世全ての悪を祓い、穢れを浄化せんとする彼女の願いそのものだった。

「鷲宮、この隙に本体を探し出せ。時間はないぞ」

「わかってます、でも!」

 通常個体とは変化のある別種に狙いを定めて撃破していく悠月。

 蒼士も援護するように背後に群がる敵を殲滅する。

 魔眼が捉えるのは敵の心臓部。赤橙色に滾る〝魔動炉〟だ。擬似心臓となって鼓動を続ける其処はどうやら個体によって差異があるらしい。

 ざっと視た限りでは薄い赤橙色が一番多いか。次いで黒を濃く含んだ赤色。数は通常個体よりも遥かに少ない。

 最初はこの稀少種の中に本体が混じっているのではないかと予想をしていたのだが、どうにも状況が芳しくない。戦況は変わらず、むしろこちらが僅かに圧されているようにもみえる。理由は明確でこちらの攻撃が届かない場所で新たな固体が作られているからだ。

 もちろん、こちらも負けじと数を減らしてはいる。アルメリアの風神が屠る数はウィリアスが傀儡を生成する速度の比ではない。ひとたび風が吹けば二十は容易く屠るだろう。

 しかし、本来の目的はそこではない。本体を見つけ出して倒すこと。これこそが、この戦いにおける要であり唯一の勝ち筋なのである。

 圧倒的な優位性を誇るアルメリアでも一体いつまで持ち堪えることができるのか。次元の違う勝負を見せ付けられているが故に、悠月の心中は穏やかではいられなかった。

「くそっ、駄目だ、見当たらない。本体はどこに隠れている!」

「落ち着け鷲宮。これがアイツの作戦だ。冷静さを欠けば奴の思う壺だぞ」

『フン、どうやら流れはこちらにあるようだな。アルメリア』

 次第に焦りの色を滲ませ始める面々に対して、窮地に追い込まれているはずのウィリアスは鼻持ちならぬ態度で余裕を見せていた。まるで、真に窮しているのはそちらの方だ、とでもいわんばかりである。

「なんだ、強がりか。どこをどう見たらそんな判断が下せるんだ」

『なに、ほんの戯れのつもりが、見事に翻弄されてくれるものだからな。これを嗤わずにはいられないだろう。貴様もその内の一人だが』

「チッ……ペラペラとよく喋る。ボレアース!」

 風が彼女の周囲を再び凪ぐ。

 相変わらず群れを伴って突進してくる傀儡たちは見るも無残に塵と化していく。こんなものに遅れを取ろうはずがない。いくら数が多かろうと、結局は物理的接触による刺突が攻撃手段であることに変わりはない。だとすれば、懐にさえ進入を許さなければ彼女に傷を負わせることなどできないのだ。

 ポケットに手を突っ込み、ボレアースの制御にのみ注力するアルメリア。

 だが、その旋風は突如として勢いを止めた。

「――なにッ!?」

 弾かれたように顔を上げるアルメリア。

 一体なにが起きたのか。理解するよりも早く、彼女は回避行動に思考を巡らせた。

『チェックメイトだ、アルメリア』

 風の障壁が解かれたことで傀儡たちは一斉に彼女の首を取らんと雪崩れ込んでくる。

「アルメリア!」

 不意に訪れた窮地に声を上げたのは蒼士だった。

 悠月も状況を確認する為に手が止まる。

「フン。舐めるなよ、この程度で詰めとは笑わせる――ノトス!」

 高らかに宣言するは南風の神。

 彼女の足元に現れるのは最小限にして最大出力の突風。

 踏み出した足は風圧を加算して人外の跳躍力を発揮した。

 その脚力は一度の跳躍でゆうに数十メートルは飛翔を可能とする。

 追撃は許さない。空へと飛んだアルメリアは間一髪で傀儡たちの直撃を脱する。

 後退して地に着地した彼女に襲い掛かる傀儡たちは身体能力を向上させた回避行動に追従できず、翻弄されるがままに遊ばれる。

 しかし、やはり手数に勝るものはない。再び群集となって迫り来る殺意には防御札を切る他なかった。

「チッ、目障りな――エウロス!」

 アルメリアは手を上に掲げて下へと振り下ろす。

 東風の神。上方から下方へと吹き付ける風は守護の盾だ。

 滅びの風は障壁となって数十に及ぶ傀儡たちの進行を堅く遮る。

 新たに召喚した風神を使って彼女は圧殺されて霧散消失する傀儡たちを分析する。

 ボレアースが消失したのは単なる偶然ではないはずだ。

 彼女の使役する風神は文字通り〝神〟霊の域にある。低級霊なら些細な対抗魔術で以って制されることはあるだろうが、こと彼女の場合はソレに該当しない。必ず何か細工を仕込んでいたに違いないのだ。

 けれども、ウィリアスが魔術を行使した形跡はない。発動の際に生じる隙や詠唱の類がなかったことからもそれは断言できる。だとすれば、唯一有り得る可能性はあの傀儡たち自体の仕組みだ。以前の戦闘では施されていなかったであろう魔術的細工を用いれば或いは神霊をも犯せるだけの呪力を組み込むことも可能かもしれない。

 最大最強の殺傷能力を有するボレアースを失ったのは手痛い代償であったが、エウロスであればある程度の対抗魔術にも耐えられる。作戦を練り直し、新たな勝機を見出すにはこの瞬間を置いて他にはなかった。

「あれは」

 刹那の攻防の最中に。彼女はエウロスが展開する風の障壁に僅かばかりに紫煙が混じっているのを見て取った。

 成分までは解析できないが、ボレアースが突如として消失したのはアレが原因か。

 神霊を犯すほどの毒性が奴らの体内には内包されている。この事実が明らかになっただけでも、彼女にとっては大きな脅威であった。

『やるな。よく躱した』

「なにを偉そうに。まさかお前、この程度で勝った気でいるんじゃあるまいな」

『どうかな。勝敗はもう決したようにも思うが』

 不意に悠月たちの足元に紫色の魔法陣が浮かび上がった。

「ぐっ、これは……!!」

「なんだ……身体の自由が、利かない……!?」

 広範囲に渡って仕掛けられていた〝拘束〟の魔法が二人を捕縛する。

 いくら対魔性を有する二人でも練り上げられた大魔術から抜け出すのは容易ではない。

抵抗しようにも地に引き寄せられる力の方が遥かに強く、四肢は岩を括りつけられたように重石となって二人に膝をつかせた。

「チッ、馬鹿者共が。見す見す姿を晒すとは」

『おっと、動くなよアルメリア。我の言いたいことは理解できるな』

「人質か。つまらない小細工を仕掛けるな」

『それはお互い様だろう。相手を制するには相手を知る事が一番だ。魔眼の少年の姿が見えないとは思っていたが……なるほど。見知らぬその青年、使うのは認識阻害の魔法のようだな』

「クッ……」

 ついにウィリアスに作戦が看破されてしまった。

 アルメリアは頼りにしていた風神の一体を失い、二人は動きを完全に捕縛されている。

 対して、こちらは未だに敵の本体を発見できず検討すらついていない状況だ。

 考えうる限りで最悪。万事休す、まさに絶体絶命の窮地に三人は立たされた。

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