第1章09話 「進歩と後退」
あらすじ
ひびきちゃんはつつましい方
──―――
「──以上が、本日の報告となります」
「……なるほど。これは静観しているしかなさそうだね」
執事からの報告を聞き終えた六堂院清順はそう結論付けた。
記憶を操る魔術師、八尋彩。
用心棒、カナデ。
しがない殺し屋、橋渡結。
これだけの異物がひしめく館で、業界と接点を持っている程度の人間がちょこまか動くこともできるはずがない。
「暦の調子は?」
「深く睡眠をとられています。明日の朝には目を覚ますでしょう。体の異常もありません」
「魔術による影響は?」
「わかりません。私には専門外でございます」
「ふむ」
八尋彩が失敗したと聞いて、驚かなかったわけではない。
どの情報筋からも薬物等を使わずに記憶を書き換えるという反則じみた行為を可能とする魔術師、としか受けなかった清順にとって、初対面の時から意外なことが大きすぎた。
「……幸路あざねについて、わかったことは?」
「業界との接点がない、とだけ。調べられた範囲では一般人そのものです」
「本当に、業界からの刺客ではないと?」
「おそらく」
イレギュラー。
橋渡結もそうだったが、この少女こそが本物の異物だった。業界と接することを避けていたのは身を守るためであり、深入りするつもりなど毛頭なかった。
古人いわく、深淵をのぞくとき、深淵もまたおのれをのぞいているのだ。
ふいに、泥沼に足をはめてしまったような気分に陥った。
「わかることを詳しく話せ」
「御意に」
執事は調べ、知っている範囲のすべてを語った。
ただ、その情報の量はともかく、質に関しては薄いものでしかなかった。
どう考えても業界になど接点のない、普通の少女。
「……む」
だが、それはおかしい。記録と記憶に特化したフリーの魔術師、八尋彩への好意的な態度から見て、何も接点がないことの方が異常。
清純は頭を抱えた。
どうすべきか、と。
「殺し屋、橋渡結。イレギュラー、幸路あざね。そして、大本命」
───八尋彩。
人の領域にあってはならない異物をさして、清順は頭を回した。
「私は、あれが必要なのだ」
* * *
眠るに眠ることができず、彩は暗い部屋の中、ベッドに腰掛け、水を飲み込むばかりだった。
眠気はあった。けれど、胸の中のつっかえが落ちないのだ。
落ち着いてはいる。思考は明瞭だ。何をしているのかもわかっているし、仕事に差し支えることも理解している。
「理解していても受け入れられないこともある。楽しみにとっておいたプリンが食べ尽くされていたり、楽しみにしていた小説のネタバレを食らったときだったり。……はあ」
魔術師にとって魔術とは、かなり大切なものだ。
生きている意味とすらいってもいい。
魔術師足りえる理由がそれなのだから。
コンコン、と扉がゆれる。ノックだと理解できたのは、二度目のノックの音が響いたときだった。
「……先輩。八尋先輩。起きていますか?」
「あ、うん。起きています」
「少し話したいことがありまして、それで、入ってもいい、ですかね?」
急の提案に、思考の間があいた。
「いいよ。はい。大丈夫です」
ちょっとどもった返答だったが、相手を考えればその反応は正しいものだろう。
「し、失礼しまーす」
暗い部屋に光明が差し込む。
音を立てずに開いた扉のさきには、まだ見慣れていない少女がいた。
うすらと湿った髪の毛は肩から胸のあたりまで流されていて、丘の膨らみが覆われている衣服の中でも主張している。
こげ茶の瞳は彩を捉えると左右へ揺れた。
「そこのイス、座って」
「は、はい」
初々しいといえばそれで終わりなのだろうが、ふたりの思考はフルスロットルで回っていた。
「あのですね。そのー、あたしもちょっと、勢いだけだったところもありましてー、ですね。先輩のことを知りたいなって、思ったんです」
「僕のこと?」
「はい。あたしが知っているのは、八尋先輩があたしの命の恩人で、とてもやさしい人ということくらいなので」
言葉がつまったのは一瞬。
「……僕はただのきみの先輩で、命の恩人じゃない。思い違いじゃないのかな?」
「それはありません!」
思いのほか大きな声に、誤魔化そうとする意志が吹き飛ばされた。
「す、すみません。大きな声が出てしまいました。……けど、あなたがあたしを助けてくれたんです。これだけは、本当なんです。先輩のいったこと、なぜか覚えているんですよ。しっかりくっきりと、頭から離れなくて」
僕は通りすがりの魔法使いだよ、と初対面に告げた言葉を返された。幸路あざねから隠したはずの言葉を。
「僕は」
「あたしの命の恩人です。本当はお礼をいいに来たんですけど、ちょっと感情が高ぶっちゃって、気持ちが抑えられなくて。……あ、後悔とかはしていませんよ! 先輩と、その。恋人になれて、うれしいですし。えへへ」
喜ぶべき、なのだろう。華というべき少女がつぼみを実らせたばかりの笑顔を、自分に向けているのだから。
それでも、消化不良だった。
きれいだと思た。美しいと思った。けれど、それだけだ。
傷は誤魔化せない。痛みは無視できない。
ひとよりもそれが良く見えるから、いびつなそれにしか見えない。
「……僕は、きみを知っている。話しておかないといけない。僕だって誠意をわきまえているつもりなんだ。だから、幻滅されようと話す」
真剣な眼差しが向けられた。
われながら卑怯だと思った。
なにせ、これからは語られるのはひとりの人生の物語。
登場人物など、目の前にいる人物が何よりも知っている。
「僕は、人の記憶を見ることができる。いや、それだけしかできない
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