第1章06話 「高鳴る鼓動」

あらすじ

失敗はだれにでもあること

―――――


 一方そのころ、というのはありがちなことだが、世界は自己完結しないように、予想外なことは泡沫のごとく、現れては消え、現れては消えを繰り返している。

 それはそのひとつでしかない。

 学生が休日にバイトするように、もしくは社会人が働き詰めるように。


 土曜日のその日、高校生の少女は休みを謳歌すべくゴロゴロと惰眠にふけるでなく、友達付き合いでゲーセンへ出向くでなく、最近はまってしまった裁縫に明け暮れるでもなく。

 見知らぬ地へと赴いていた。

 まったく知らない地だ。親戚がいるでもなく、縁もゆかりもない土地。


「……わお」


 電車を乗り継ぎ、ローカルバスに乗って、勢いだけでここまで訪れてしまった。

 知り合いに会いに来たといえば、まだ聞こえがいいかもしれないが、人に会うことは確定しているものの知り合いですらないのだ。


 日が暮れ始めた辺境に、女子高生がひとりでやってくるなど補導ものだろう。

 それでも周りから反対されたとしても諦めきれないのが、幸路あざねという少女の性なのだろう。


 はねっけのある茶髪を首筋でまとめ、ミニスカにスパッツと彼女の思いつく限りのベストな服装を選んだ活発的な美少女。


 あざねは踏み出せない心を紛らわせるために頬を両手ではたくと、鉄製の門を押し開け、大きくそびえ立つ屋敷へと足を進める。

 ドキドキと鼓動する心臓が、嫌にうるさかった。






 そして、もうひとり心臓をバクつかせている少年がいた。


 正面には、重圧すら覚える殺気を放ちながら正眼に木刀を構える黒髪ポニーテール美少女。

 背後には、黒衣を纏った正体不明の人物がおのれの首にナイフをあてがう。


 八尋彩は悟った。どうやらここが死地らしい、と。

 できること……なし。

 生き残る方法……なし。

 死ぬ前に卒業できる可能性……ゼロ。


 どうあがいても希望はなかった。なんなら両方切りかかってくる可能性まである。


「嬢ちゃん。俺は殺し屋だ。この意味はわかるよな?」


「殺し屋。私はこの邸宅の護衛を任されている。この意味はご理解いただけるだろうか?」


 平行線だった。

 思惑は錯綜し、意見は潰され、膠着状態に落ち着いてしまう。

 秒を超えるごとに緊張感は高まり、殺気は風のように吹き荒れる。


 平行線を壊す方法を互いに知っていて、だからこそ秤にかけ続ける。

 殺すしかない。守るためには殺すしかない。殺られる前に殺る。死ぬ前に殺す。殺される前に死をくれてやる。


 すでに平和的解決などありえない。

 一方は傭兵で、一方は殺し屋。

 最初から結末は定まっていた。


「あのー、ちょっといいですかね」


 定まっていた、はずだった。

 イレギュラーは目の前にいる。魔術師という排斥された者は、容易に場を崩せる。


 業界では知れ渡っていることをふたりはすっかり失念していた。


「話をまとめませんかね。用心棒のカナデちゃんと、殺し屋の橋渡結さん」






 業界の日本全土において有名な魔術師、八尋彩とは違って、殺し屋、橋渡結はここらで有名なだけであり、もしも彩が少しは慣れた地で生活していたならば、その名を聞くことはなかったかもしれない。

 薬物を使用することなく、後遺症を残すこともなく、確実性の高い記憶操作の技術を持つ彩としがない殺し屋のひとりでは名声の大きさを比べるのも野暮なことだが、橋渡結は優秀な殺し屋であることは間違いなかった。


 快楽や愉悦といったものを求めている風でなく、淡々とビジネスマンのごとく仕事を為す。

 確実な致命傷を、一瞬のうちに打ち込む。

 命を刈り取る刃は鋭く、痛みすら覚えないかもしれない。


 処刑人。

 そういういいかたが橋渡結という人物を形容するに最適だろう。


「単刀直入にいう。どうして仕事を怠った」


 殺気は収まることなく、武器が収められることもなく。

 けれど、今すぐにでも刑を執行せんとナイフを構える処刑人は、口を開いた。


「何のことです? 仕事を怠るというか、橋渡さんから仕事を承ったことはないんですけど」


「忘れたとはいわせん」


 ナイフが薄皮を切り、鮮血が垂れ落ちる。


「僕が何に特化した魔術師か、ご存知でしょう。忘れるはずがないんですけれど、すみません。僕たちってほぼ初対面ですよね」


「その通りだ。だが、違う」


 身動きを取らせないようにからまれた腕が、強く引き締めた。

 その反応に困惑するのは結だけではない。彩もまた首を傾げていた。

 そうして、結とかかわった唯一の接点を口から零した。


「幸路あざね」


「幸福の幸に路地の路、ひらがなであざね。幸路あざね。俺が殺すはずで、おまえが記憶を消すはずだった少女の名だ」


「記憶を消すはずだったも何も、僕は確実に彼女の記憶を消した。まあ、厳密には余程のことがなければ思い出せないようにしたよ」


 仕事は完璧だった。

 幸路あざねを理解し、そのうえでその一部を隠した。

 幸路あざねという少女が業界にかかわらず、日常へと戻るために、記憶を奪った。


 だからこそ、処刑人の言葉が信じられなかったのだ。


「それをされていないから俺はここにいるのだ」


 それは八尋彩を否定する言葉だった。

 失敗はある。彩だって人間なのだから、六堂院暦のときのように失敗することある。


 けれど、あれは確実に消した。

 自信を持っていえる。否、持てなくてはおのれの魔術とっけんを疑うほかなくなる。


「それはおかしい」


 おかしい。おかしいとしかいえない。

 それはありえないことなのだ。

 あってはならないことなのだ。


「違う」


 言い訳なのかもしれない。

 そうでないのかもしれない。


「僕は、まちがっちゃ……」


 いない。

 まちがっていない。

 そのはずなのだ。


 顔面蒼白で、それこそまさにこの状況にふさわしい表情だ。

 非日常に乖離しない表情。


 それはとても魔術師なんていう非人間とは思えないほど、人間らしかった。

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