救いの手を差し伸べて……お題『慈悲』
「さあさあ、今宵も始まりましたよ」
街中での行列。ざわざわとしたラッパの響き。
私に語り掛けるその従者は、やさしく微笑んだ。
私はこの国の銘家の一族に生まれ落ちた。今日は私が生まれてから17度目のお祭りの日。
従者の名はマヤといい、彼女は小さいころから私によくしてくれている。
「みんな、貴方も参加するのを待っています」
「ううん。今日はいいの」
「なんでですか? お祭り、楽しみにしていたのではないですか?」
「マヤ、私は。いつになったら一人前の銘家の一員になれるの?」
「そりゃ、もう一人前でしょう? 何を言っているのですか」
マヤは、その長い髪を垂らしつつ、ふふ、と笑った。
17になれば銘家の一員。
でも、私はあまりそうなりたくなかった。
銘家の一員になるということは、他人と婚姻関係を持つことだからだ。いずれは相手との間に子供を持ち、銘家を継ぐということだからだ。
あまり好きではない。もともと私は縛られるのが好きではない。
銘家に生まれたくて生まれたわけではない。私の反発する心は、結婚相手を、とうとうこのお祭りの日まで選ばせなかった。
「別にいいじゃあありませんか、お見合いでも幸せな結婚をされる方はたくさんいらっしゃいます。そういうものなんですよ」
「私としては、銘家を継がなくても別にいいのだけれど」
「それだけはダメですよ! 何せあなたの他に次ぐ方はいらっしゃらないのです」
「ううん。血がつながってなくてもいいじゃない。ようは国を支えられるだけの指導力と統率力があれば、血統なんてどうでもいいの」
「それは、そうですが……、そうはいっても貴方以外に適任はおりません。従者である私から見てもそうですし、学業のスコアを見ても明らかではありませんか」
「……」
マヤは私より3歳年上だ。
故に経験からモノを言っているのもわかる。
でも、それでも。
私はこのどろどろとした感情を抑えきれずにはいられなかった。
「私は結婚したくないの」
「お嬢様……」
「銘家がどうなろうと知ったことではない。適任なんていくらでもいるでしょうに。古臭い結婚の慣習で縛られるのはごめんこうむるって」
「なりません!」
「別に、理由はそれだけじゃない。マヤ。貴方が悪いの」
「わ、私ですか?」
「そう。マヤ。私が結婚するとすれば、貴方しかありえない」
でも、このどろどろとした感情は。
「え、え? お嬢様。私は女ですが……」
腐っている。
「そう。女同士。でもそれが何?」
穢れている。
「いえ」
マヤの目は、ぎらっと見開かれた。
小さいころから私たちは何か、危ない関係性だったように思う。
そもそも、私が家のカップを割ったことを、マヤが上手く隠してくれたのが始まりだった。
私がしたイタズラも、マヤが隠し通した。
私の不祥事は、マヤがもみ消した。
ずっとそうしてきた。
マヤは、何かこの長年で変わったことはない。最初から私にあこがれと陶酔の目を向けていた。
私も、毒されたのかもしれない。何でもできて、頭が良いこのマヤがいるにもかかわらず、立場は私の方が上。この関係がなにかいけない薬のように効いていたのだ。
私は、今日思い切って、マヤを私のものにすることに決めた。
私たちは逃げる。
私たちは私たちだけになる。
私たちにあった関係は主従。だけど、その建前に銘家なんかいらない。
銘家がなくても私たちは主従でいられる。何もなくても主従だ。
むしろ邪魔だった。だから逃げる。
「お嬢様」
深夜になってもお祭りは続いている。どんしゃらどんしゃら太鼓と鐘の音が鳴っている。ラッパの音が笛の音が鳴っている。
「マヤ、いくの。貴方に拒否権はない。だってあなたは」
「はい。マヤはあなた様のしもべです」
マヤは、私の右手を取ると、そこにそっとキスをした。
「逃げましょう。果てまで」
銘家は当然のように私たちを探した。
山の中谷の中、他の国まで入って探した。
でも、私たちは見つからない。だって、マヤが一緒にいるもの。
私たちは見つからない、そう思っていた。
走る。走る。
小さな山の中を駆け巡る。銘家の追ってから逃げる。
「マヤ!」
私は後からついてくるマヤの名を呼んだ。しかし、霧の中姿が見えない。
でろでろとした巨大な感情が渦巻いているのを感じた。
「まやあああ!」
私は、追っ手につかまる危険も顧みず、マヤがいるはずの後方へ走った。
「マヤ! よかった……?」
見つかった。長い髪。マヤがいた。
追っ手の屍の前に。
「マヤは、貴方様の従者です」
血まみれになっていた。赤い。髪がどろどろ。服も返り血で染まる。
ギラギラと目が光る。
「貴方様の目的を邪魔する輩は許しません」
「で、でも、さすがにこれは……」
「マヤは、貴方様の従者です。『銘家の従者』ではありません」
ふ、と。
私の口から笑いが漏れた。
そうだ、そうだよ。
銘家なんか関係ない。マヤは私のものだ。一瞬でも銘家への責任を持った私が間違ってた。殺したっていいんだ。マヤに殺させればいいんだ。
何をしたっていいんだ。
私たちを引き離そうとする銘家はいらない。
「マヤ……!」
「お嬢様。いえ、もうその呼び方もやめましょうか」
抱き合ったときに、返り血が私にも付いたが気にならない。
だって、こうやって抱き合えることがとっても幸せ。
幸せ。幸福。私たちは、銘家なんか関係ない、強い主従というきずなで結ばれている。
「貴方様の慈愛をうけられて、私は幸せ者です」
「そうでしょう、そうでしょう。マヤ、ずっと逃げましょう。二人で」
「……何を言っているのですか?」
「え? だからずっとこのまま……、がぁ!?」
ずぶ、とお腹に強い衝撃が走った。下を見る。
マヤが持っていた短刀が深々と私のお腹に刺さっていた。
「これが私からの慈愛です」
「な、なに、げぼっ! マヤ……が……」
「このまま逃げ続けるのは、無理です。貴方は引き戻されて結婚を強いられ、私は従者を解雇されるどころか重罪でしょう。ですから、私からの慈愛です」
「が、……いや」
「安心してください。私もすぐにお供します。貴方のいない世界に意味なんてありませんから。貴方様も私も、完璧な形で人生を終えられるのです」
意識が薄くなっていく。
ああ、そうか。
私は勘違いしてたんだ。
マヤは、ずっと私と一緒に、美しく死ねるのを待ってたんだ。
これで本当に二人きり……そんな……。
私はそのまま、沈んでいった。
私は、私よりドロドロした感情に殺された。
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