殺伐百合集

玲門啓介

幸せになろうよ……お題『救済』

 私は、この世界の端っこに生まれた。

 そんな気がするんだ。

 一つ間違えば落っこちちゃう。

 這い上がれない暗い暗い奈落に。


 物理的にも端っこに生まれた。

 この世界で開拓されているちょうど一番東の国の東の地域に生まれたんだ。

 

 生活に不自由はない。毎日ちゃんと食べられるし、住むところもある。もうすぐ一七で働くことができる。

 それでも贅沢に何か願えるなら……。


 『ツバキと付き合いたい』。



「チアキ、チアキ!」

 いつの間にかぼーっと突っ立っていた私を呼び戻したのは。その意中の人の声だった。

「もーっ、チアキってばさっきから呼んでるのにぃ」

 美しい黒髪を結いあげたその少女、ツバキは私の名前を連呼する。

「ごっ、ごめん。ちょっと考え事」

 適当に誤魔化す。嘘は言ってないしね。

「はぁ、そうやって一人で考え込んでるから、根暗って言われるんだよ? 最近特に多いし」

 商店街を一緒に歩きつつ、ツバキは小言を放つ。どっちかと言うと、ツバキは可愛らしいというよりかは元気な方だ。よく『とろい』と言われる私を、小さいころから引っ張ってくれている。

 私は着物のずれを直して、とてとてと歩いてついていく。

「なんかねぇ、自分でもぼーっとなるのはやめられないの……。心が安定するというか」

「ははーん。さては恋だな?」

「ち、違うって!」

 ううん。私が言ってることの方が違う。

 だってツバキに恋してるんだもん。

 ツバキの一言一句。髪の毛、指先、唇、お腹、瞳、太腿、心。全部好きなんだもん。

 幼馴染ってだけで近くにいられる。


 ……幼馴染ってだけで、私はツバキの恋の範疇にない。それに。


「ツバキ、……その、相手の方とは、うまくいってるの?」

 ……聞きたくもないことを聞いてしまった。

「あ、心配してくれてるの? ありがと、うん。そのうち結婚しようか、なんて話してるよ」

 また、私の足元がぐらついたような気がする。

 端っこにある心が。

 救われないこの心が。

 取り返しのつかない奈落に落ちそうになる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 必死に地面を見つめる。息をする。ツバキの顔を見ないようにする。

 吸い込まれそうな瞳を。大好きな人の体のひとかけらを、見ないようにする。

 だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめ。

 結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。結婚しちゃだめ。けっこんしちゃ。

「チアキ……?」

「あ……ッ!?」

 もしかして口に出てた?

「なんか大丈夫? 顔赤いよ?」

 優しいな。ツバキは。

「風邪かもしれない」

 心配してくれるんだ、私のこと。

「今日はもう帰ったら?」

 でもそれは恋じゃない。

「また出かけようね」

 うん。


 私は、とぼとぼと、ふらふらと帰っていく。ツバキは、こっちの気も知らないで、にこやかに手を振った。

 私はとろい。

 昔からそうだ。

 頭も弱い。

 何をしても遅い。

 だからこそ、何でもできるツバキに憧れた。

 そして、その憧れはいつしか恋へと変わった。

 でも、ツバキは『幼馴染の』、『女の』私には色恋の部分なんて見せもしなかった。

 小さいころのまま男勝りで。

 快活で。

 何をやらせてもうまくて。

 

 でも、私はツバキの一番近くにいられた。

 何をしても一緒。

 何をしても一緒。

 そうだ。そうだったんだ。でも。

 少し前からツバキの様子が変わったのを私は見逃さなかった。

 

「お見合いを、したんだ」

 ……男の人を両親から紹介されたそうだ。

「はじめは、お見合いなんてどうでもいい、と思ってたけど。会いに来た男の人は、すごく優しくて」

 ……そんな表情をしないで。お願いだから。

「ああ、私この人と結ばれるんだなって」

 頬を赤らめないで。やめて。

「確信したの」

 『幼馴染の私さえ見たことがない表情をしないで』。

 ツバキのそれは、いわゆる一目惚れというやつだった。

 私の方がずっとそばにいたのに。

 悔しかった。

 私は、ツバキの全てを知っていると思っていた。


 このままじゃ。ツバキが取られちゃう。盗られちゃう。


 十何年一緒にいた私なのに。出会って数週間の名前も知らない男に。

 こんなのおかしい。

 間違ってる。

 何とかしないと。

 何とかしなきゃいけない。

 

 私は、とろい頭を必死に働かせた。何日も。

 ものを食べることも忘れて。

 寝ることも忘れて。

 必死に、必死に。

 それこそこのまま何もできなければ死ぬ覚悟で。

 ない知識を絞り出して、ツバキを取り戻す策を考え抜いた。


 そこから何をしたんだっけ。

 あまり記憶がない。

 私が、ツバキが、真の意味で救われるためには。

 あの男をどうにかしないと。

 どうせ、ツバキの体なり財産なりを狙って優しくしているに違いない。そうだ。そうに決まっている。ツバキのことを本当に考えているのは私だけなんだ。

 あの男の正体を突き止めないと。

 ツバキに近づく化け物を討たないと。


 私は、その男の家やらなんやらに忍び込んだ。本を盗んで、後をつけて。徹底的に調べ上げる。

 そこから何をしたんだっけ。

 本当に、記憶はおぼろげだ。

 えーと。


 その男は、どうも前に女と付き合っていたことがあるらしい。

 なんでも、酒癖が悪いだとか。あとは酔って暴力を振るうだとか。そんな絵に描いたような理由で別れられたのだとか。


 ほぉら、やっぱり。優しい顔して近づいた後、結局『私の愛するツバキ』に酷いことする気だったんだ。許さない。

 ……内心思う。

 もし、その男がこれっぽっちも問題がなくて、完璧で優しくてツバキが一生惹かれてしまう相手だったらどうしていたのだろう。

 ……怖い。

 今回は運が良かった。

 本当に『運が良かった』。

 ツバキは渡さない。

 絶対に。どこのやつともわからない。そんなのには渡さない。

 私だけのものなんだ。ツバキとずっと一緒にいたのは私なんだ。私だけが。私だけが、本当にツバキのことを考えている。ここまで相手のことを調べ上げて、ツバキを傷つけるような輩をあぶりだしたのだ。


 これからどうしよう。

 いっぱい調べた。暴漢の存在が分かった。だからどうする?

 私にできることは……?

 考える。考えて考え抜く。私はとろいんだから。ありきたりなことしか浮かばない。でも、ツバキを愛する心はどこの誰にも負けない。


 そうだ。


 ただ、防ぐだけじゃ、別れさせるだけじゃダメなんだ。ツバキがあの男と別れたところで、また悪い蟲がついてしまうかもしれない。私に振り向いてくれないかもしれない。

 そんなの駄目だ。

 耐えられない。だから。


 『あえて襲わせるんだ』。

 ツバキに知ってもらわなきゃ。

 何処のやつともわからない男の恐ろしさを。

 酒なり薬なりを男に盛る。頭が正常に働かないようにするんだ。

 そうしたら、酒癖の悪い男だ。ツバキに暴力を振るったりするに違いない。

 私だってこんなことしたくない。でも、長い目で見れば、ツバキの幸せのため。

 ツバキが二度と悪漢に引っかからないように、知ってもらうだけ……!


 ここからも記憶がない。無我夢中でやった。

 玄関に忍び込んで。男の水筒やら、その男だけが口にするもの全部に薬や酒をちょうどよく入れた。このためだけに薬学の本を読み漁ったから、調合も量もぴったりのはず。

 錯乱せずに、適度に酔う量だ。


 ……薬が手に入らなかったら、どうしたんだろう。

 今回も運が良かった。商人から貴重な薬草を、大枚はたいて一握りしか買えなかった。しかも、仕入れることすら難しいものだ。

 これはもう、天が私にやれと言っているようなものだ。

 そうだ。私はツバキの幸せのために。自分とツバキの愛のためにやっている。不正などあるものか。


 そして、少したってから、また夜中に男の家に忍び込む。今夜はツバキも一緒なのだ。普通、このままいけば閨事ねやごとまで達してしまうに違いない。この男なら暴力を振るうこともあるだろう。でも、私がそれを止める。私だけが。


「がぁ!?」

 ツバキの苦しそうな声が漏れた。

 私は、そのまま駆け出す。今まで走ったこともない速さで。息が死ぬ寸前まで駆ける。頭が真っ白になる。

「や、……やめ、が」

 家まで除くと、男がツバキに覆いかぶさり、拳を振るっていた。ツバキは必死に抵抗するも、顔を殴られ、口から血が出ていた。服もはだけている。

 私は、冷静さを失った。それこそ、この一生でこれ以上怒ることはないだろうというくらいに。頭から血が湧きそうだった。

 私は近くにあった台所の包丁を掴んだ。


 赤い。


 赤い。


 赤い。


 視界が真っ赤になる。


 気づくと、殴りつけようとしていた男の、腕に刺身包丁が深々と突き刺さっていた。

 許さない。

 支離滅裂だけども許さない。

 私が仕組んだことだけど、理不尽だけども許さない。

 別に、酒や薬を盛らなくたっていずれこうなっていただろう。

 そうだ、そうに決まっている。私はむしろ助けたんだ。

 こいつは今まさに私の大事なツバキに乱暴しようとしていた。その本性を暴いて、裁いたのだ。


 男は、情けない悲鳴を上げて。のたうち回る。腕の傷だ。少々深かったけど、ちゃんと医者に見せれば命に別状はないだろう。『お前が悪いんだ』。私からツバキを奪おうとするから。暴力を振るうような悪漢だから。

 私たちは、とにかく男を役人の所まで連れていき。一件落着と言うことになった。


「ツバキ……」

 私の口から愛する人の名前が漏れる。

 月明かりが夜の街を照らす。

「ひっく……ひっく……ううああ」

 ツバキは、しゃくりあげるようにして、ボロボロと大粒の涙をこぼす。目で涙をぬぐうも、袖がどんどん濡れていく。血にまみれた着物と涙と鼻水が合わさって、べとべとだ。

 ああ、可愛いなぁ。

 泣いているツバキも可愛いなぁ。

 でも、私はちゃんと笑わせてあげるからね。一生大事にするからね。

 私は、とどめとばかりにツバキにささやく。

「ね? ツバキ。私ね。何かおかしいと思って飛んできたの」

「……うう、ひぐっ」

「二人っきりの所に失礼だと思ったけど、あの男がちょっとおかしいって噂を聞いたから……」

「えう、……」

「そしたら、ツバキが乱暴されそうになっているのを見て、これはもう、何かしなきゃって思ったの……!」

「……」

 私は、ツバキのその細くて白い、キレイな指を、自分の手でからめとった。

「ねぇ、これで分かったでしょう? ツバキはきれいだから、悪い蟲がいっぱい寄ってくるの。きれいな花の蜜を求めてね? いっぱいいっぱいその蜜を取ろうと、あなたの茎や根や葉に目もくれずに蜜だけ取ろうと、悪い蟲が寄ってくるの。わかる?」

 早口になってしまう私の言葉を、ツバキは受け止めてくれる。

「男なんてね。知らない人なんてね? 『そんなものなの』。みぃんな、そうなの。ツバキの中身や心なんて知らないまま、美味しいところだけ持っていこうとするの。だからあんなに酷い目に遭わされるの。これからもそうだよ? うん。絶対そう。貴方は自分の気持ちをわかってもらえない、それこそ『知らない』『男の』人になんて、酷い目にあわされ続けるに決まってるの。だからね」

 私は勢いに任せて、自分とツバキに酔って、ついに告白する。

「私と付き合おう? 私なら昔から一緒にいる。私なら貴方のことを全部わかってる。貴方を大切にできる。綺麗なところも汚いところも、甘いところも苦いところも。全部受け止めてあげる。私だけが。私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが私だけが貴方を愛しているの。ねぇ、そうでしょう?」

「うう……あうう」

「ねぇ、なんで泣いているの? あんなひどい男はもういないよ? 私がやっつけたの。とろいって昔から言われるけど。今回はそうじゃないでしょう?」

「違うの、嬉しいの……!」

「……え?」

 すると、ツバキは口が裂けるほどに張り詰めた笑みを浮かべた。

「チアキがね。私の想い通りになってくれて嬉しいの。私を愛してくれて嬉しいの!」

 言っている意味が分からなかった。

 愛してくれて?

 思い通り?

 何のこと?


 あ……。


 私は気付いた。

 トロイ私でも気づいた。


 なんでツバキはあんな男と付き合ったの?

 なんで薬がすぐに手に入ったの?

 なんで都合よく私はあの場に駆け付けられたの?


「ひっぐ……私のかわいいチアキ」

 恍惚とした表情で、ツバキは私を抱きしめる。

「ちゃんと私を本気で想うように『なってくれて』。今までの中途半端なとろいチアキから成長してくれて。私の演技に気付かず本気にしてくれて。私がわざとあんな男と付き合ったのにも気づかずにいてくれて。私がわざと商人に薬を仕入れさせたのも気づかずにいてくれて。私がわざと男に酒を注いだのにも気づかずにいてくれて。包丁で刺したのはさすがにびっくりしたけど、それほど私を愛してるってことなんだよね! 中途半端なところから、このためだけに薬学を勉強して男の身辺を調べ上げて計画を立てて。成長してくれたね! あああああああああああああああ私のかわいいチアキ。最後まで私の手のひらの上だったけど、それでも可愛いよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 ああ、そうか。

 これは私への救いなんだ。

 結局私は演技や策略にも気づかないままの『とろい』女で。

 これからも世界の端っこにいるままで。

 何も変わってないけれど。


 それでも。

 幸せだ。

 幸せだ。

 幸せだ。

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