第二章

第25話「まどろみの記憶」

 遠い遠い記憶の中、僕はそこにいた。


 僕はおうちでお絵描きをするんだ。

 クレヨンで描くのは僕と、お姉ちゃんと、お母さんと、男の人だ。

 僕はお絵描きをしながらお話しを始めた。


 僕のお話し相手はいつもお母さんだ。

 僕はいつもの質問をお母さんに言うんだ。


「ねーおかーさん、よーちえんはいつになったらいけるの?」


「うーんとね? あと修ちゃんが100回くらいおやすみなさいしたら行けるのよ?」


「うん、わかった」


 また違う日に、僕は同じことを訊くんだ。


「ねーおかーさん、よーちえんはいつになったらいけるの?」


「うーんとね? あと修ちゃんが100回くらいおやすみなさいしたら行けるのよ?」


「うん、わかった」


 お母さんはいつも100回くらいって言うんだ。


 僕にはまだお友達がいない。

 道場には僕と同い年の男の子がいるけど、師範が言うには先輩と後輩っていう仲だからお友達じゃないって言うんだ。


 幼稚園に入ったらお友達ができるってお母さんに聞いてたから、僕はそれを毎日楽しみにしていた。


「ねーおかーさん、よーちえんはいつになったらいけるの?」


「うーんとね? あと修ちゃんが10回くらいおやすみなさいしたら行けるのよ?」


「うん、わかった」


 次の記憶では10回くらいになっていた。

 10までは数えられるから、もうすぐだと思った。


「ねーおかーさん、よーちえんはいつになったらいけるの?」


「修ちゃん、幼稚園は明日から行けるのよ?」


「ほんと? やったー」


 明日からお友達ができると思って僕ははしゃぐ。

 その日はいつもより早くおやすみなさいをした。


 次の日、僕はお母さんと男の人に両手を握られて幼稚園にやってきた。

 入園式っていうのがあるらしい。


 そこでは僕とおんなじ格好をした男の子や女の子がいた。

 お友達がいっぱいだった。


 僕はお姉ちゃんに「お友達がいっぱいできたよ」って言ったら、お姉ちゃんにビシッと人差し指を差されてこう言われたんだ。


「いい? しゅー、おともだちは『おともだちになってください』っていわないとだめなんだよ?」


 お母さんはそんなこと言ってなかったのに。

 せっかくお友達ができたと思ってた僕は、悲しくなって泣いてしまった。


 僕はそのとき泣きながら考えていた。

 幼稚園のみんなが最初のお友達なのかと思ってたけど、最初のお友達は1人だけなんだって。

 一番最初のお友達は、僕にとって特別な存在になるんだと思った。


 僕はお母さんに連れられてまた幼稚園にやってきた。

 僕はお友達になってくれる子がいないか探したけど、なかなか声が掛けられなかった。


 お外で遊ぶ時間になって、僕はまたキョロキョロしてお友達になってくれそうな子がいないか探す。

 そのとき1人で遊んでる女の子がいたから、僕はその子に勇気を振り絞って声を掛けたんだ。


「はじめまして。ぼくと、おともだちになってください」


「えー、やだ」


 ショックだった。

 お友達になってくださいって言ったら、お友達になってくれるものだと思ってたのに。

 僕は悲しくて泣きそうになってしまった。


 それからは誰にも声を掛けられなくなってしまった。

 もう僕にはお友達ができないんだと思って、また悲しくなってしまった。


 そんなとき、砂場で言い争ってる2人の男の子がいた。

 僕は気になって2人に近づいていった。


「ぼくがあそぶのー」


「ぼくがさきにこえかけたのにずるいよー」


 そんな2人の後ろにはうずくまって膝を抱えている女の子がいた。

 どっちがその子と遊ぶか揉めてるようだった。

 みんなで仲良く遊べばいいのに。

 そう思って僕は男の子たちに声を掛けた。


「けんかはだめだよ。みんなであそぼ?」


「やだよ、ふたりであそぶの」


「そうだよ、だまっててよ」


 僕は何も言い返せなかった。

 どうして2人で遊ばないといけないの?

 みんなで遊んだほうが絶対楽しいのに。

 そんな心の声は口にできなかった。


 僕はその場を離れた。


 女の子を助けて欲しくて、向かったのは先生のところだ。

 僕は先生の袖をグイグイと引っ張る。


「せんせー」


 先生は振り返って僕の胸元にある名札を確認して、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「どうしたの? 修司くん」


「あのね? あっちでおとこのこたちがけんかしてるの。それでね? ぼくは『みんなであそぼ?』っていったんだ──」


 僕はあんまりうまく話せなかったけど、先生は僕の話を最後まで聞いてくれた。


「修司くん、教えてくれてありがとう。先生も修司くんと一緒で、みんなで遊んだほうが楽しいって思うよ。だから、先生からも仲良くしようって言いに行ってあげるね?」


「うん」


 僕は先生と一緒にまた男の子たちのところに向かった。

 先生は男の子たちに仲良くするように言ってくれた。


 先生が来ても、女の子はまだ膝を抱えてうずくまっている。

 僕は女の子に声を掛けた。


「だいじょーぶ?」


「……」


 返事は返って来なかった。

 まだ入園したばかり。知らない男の子2人が言い争ってるのを見て、怖くなっちゃったんだと思う。

 僕もその子たちと変わらない存在なんだ。


 僕は思った。

 お友達になれば、知らない子じゃなくなるんだって。

 この子は安心するんだって。

 自然とあの言葉を言うことの恐怖心はなくなっていた。


「はじめまして。ぼくと、おともだちになってください」


 女の子はバッと顔を上げ、僕の方を向いた。


 僕はにっこり笑うんだ。

 僕がにっこりするとお母さんも、おばあちゃんも、笑顔になるのを知ってるから。


「うん」


 笑った。

 とっても可愛い、お人形さんみたいだ。


「ぼくは、よこみねしゅーじです」


「わたしは──」


 その日、僕に初めてのお友達ができた。

 僕はこのお友達を一生、大切にしようと思った。

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