第9話「潰すから」

 4月8日の火曜日。

 昨日の騒動が明けた翌日のHRが終わった1限目。

 受け持ちは僕のクラスの先生だったはずだけど、なぜか自習となった。


 新学年で最初の授業が自習とは余程のことなんだろうか。


「な……なぁ修司。どうだった?」


 後ろの席から僕の右裾をグイグイと引っ張り、不安と期待が入り混じる表情で見てくるのは、僕のヒーロー士道くんだった。


「あぁ、うん。お姉ちゃんに話したら、まずは一度会ってちゃんとお礼がしたいって言ってたよ」


 士道くんに言われたお願いは事情を説明しないと断られると僕が判断し、助けられたことも報告していた。


「……え? ……あう? だれが?」


「え? 士道くんが……会いたいんじゃなかったの? だからうちに遊びに連れて来てって言われたん──」


「ムリムリムリムリムリ!?」


 僕の言葉に被せて全力で拒絶する士道くん。


 昨日威圧していた凄みなんてものは全くなく、僕が言うのも何だけど凄いヘッポコになってる気がするけど……女の子から見たらこういうのはギャップ萌えとかいうのかな?


「会いたくないのに連絡先は知りたいって、おかしくないかな?」


「いや〜はは〜……その何ていうかな……緊張して何も言えなくなっちまうから、まずはメッセージで軽く正拳突きして慣れてから徐々にと思ってたんだよなぁ〜……」


「それで僕を通して連絡先教えて欲しいってことだったんだね」


「あっ、勘違いすんなよ? 昨日のは仕組んだとかそれが狙いで助けたとかじゃないからな?」


「疑ってなんかないよ。昨日は本当にありがとう!」


 あのやり取りを見てればとても演技には見えないし、いま話してて分かるけど優しい人なのは確かだから。


 あの時は士道くんが来てくれなかったらどうなっていたんだろうという疑問の他に、もう一つ問題が残っている。


 それはいま感じている視線……時折、三鷹みたかくんと木嶋きじまくんが僕を睨みつけて来るのが分かる。


 いまは自習とはいえ授業中だし士道くんもいるけど、正直一人になった時に何かされるんじゃないかという恐怖心のようなものがまだ残っていた。


 僕は早く仲直りしたいんだけど、昨日の様子だと取り合ってくれそうにもないと感じていた僕は、心の中でため息をついた。


「あれ? ずいぶんと仲良くなったんだねっ! 修くん昨日何かあったの?」


 まだ事情を知らないひまりが話に入ってくる。

 正直、昨日のことはひまりにはあまり話したくはなかった。

 

 間接的にとは言え、自分が関わったと知ったらひまりが責任を感じるんじゃないかと思ったから、僕はどうにか誤魔化そうとした。


「ううん、何でもないよ!」


 ジ〜っとこちらを観察するような目を向けて来ると、ひまりはちょっと不機嫌な顔をした。


「嘘吐いてるでしょ〜、何か言い方怪しかったよっ」


 まだ1日しか経ってないはずなのに、どうにも僕の観察に詳しいひまり。ちょっと誤魔化すのは無理かなと思った時、この話題を断絶する事件が発生する。


 ガラガラガラビシャン!!


 勢いよく扉が開かれる。


 1人の女の子が教室に1歩踏み出すと、僕の後ろから『ひぇふ』という何とも情けない声が聞こえたと同時に、教室は静寂に包まれる。


 その女の子は艶やかな黒髪のロングヘアー、少し吊り目で妖艶さを漂い、鼻筋はモデルのように通っていて、薄い唇がより一層セクシーな印象を与えており、着こなしている制服は他の女子生徒とは違うものだと錯覚させるほど、その抜群のプロポーションを引き立たせている。


 僕はこの女の子を知っている。


 僕は戦慄する。


 そう、が突如クラスに乱入して来たのだ。


 教室内を一瞥いちべつして歩き出すと、ランウェイを歩いているかのように注目を浴び、まるでコツコツとヒールの歩行音が幻聴で聞こえてくるのではないかと思わせる立ち振る舞いを見せる。


 その美しい姿にみんなが見惚れていると一人の生徒の前で立ち止まった。


 三鷹くんの前だった。


 腕を組み、女王様がこうべを垂れる愚民に対して、その気高き王座から哀れみの目を向けるかのような視線を放った。


 モードだった。


 クラス中の視線が一点に集まり、開け離れた扉の向こうでは校長先生と教頭先生が何故か気をつけをして直立不動している。


「昨日、修の胸ぐらを掴んだのはあなたで間違いないかしら」


「……そ……そうだけど……ですけど……だったら急に何ですか?」


 あまりの剣幕にたじろぎ、言葉を敬語に正して三鷹くんは回答した。


「一応言い分を訊かせてもらえるかしら。昨日なんでそうなって、今後どうするのかを」


「……」


 沈黙だった。


 昨日のことは教室に居る数名が目撃していたとは言え、あの騒動を見た人は下手に口を滑らせれば自分がターゲットになるのではないかという恐怖心が先立ち、真相を広めるものはいなかった。


 それを張本人の口からクラスメイト全員の前で語ることは、今後の学校生活にも影響を受けるのは明白だったから。

 

 その沈黙を破ったのは姉だった。


「2週間」


「……はい?」


「今から2週間の停学処分で矛を収めてあげるわ」


 突然突きつけられた停学処分に、三鷹くんは顔面を蒼白させるのではなく、激昂げきこうだった。


「な……いくら何でものあんたでもそんな権限ねぇだろ!」


「そうね、確かに一介の生徒会長であるそんな権限ないわね」


 軽い口調でそう言い、横目で扉の前に立っている校長先生に視線を向けると、まるで蛇に睨まれたかえるのような表情を浮かべた。


 それを見た三鷹くんは何かを察して、怒りに焦りを交える。


 停学処分になれば、もはやちょっとした喧嘩で噂されるものだけでは済まない。


 学校中に知れ渡り、部活や人間関係にも今後影響を及ぼすのは目に見えており、本人もいまそれを自覚してしまった。


「早く荷物をまとめなさい。もう教室には戻って来ないから」


「ちょ、ちょっと待って下さいよ! こうやって胸ぐら掴んだだけじゃないですか!」


 そう言って立ち上がり、右手で姉の胸ぐらを掴んだ。ただ、それは昨日僕にした勢いのあるものではなく、弱々しく、恐る恐るしたものだった。


「たかが? あなたの頭の中には六法全書の知識すら入ってないのかしら。いまこの場で刑法第208条 暴行罪で現行犯逮捕してもいいのだけれど?」


 まだ法律をよく知らない高校生では、胸ぐらを掴んだら暴行罪に当たるという知識がない人も多く、三鷹くんもその1人だった。


 しかし姉の博識がはったりではないことは身に染みて感じ取り、胸ぐらを掴んでいた手を緩め、席に着いて項垂うなだれた。


 もうここでいくらわめこうが停学は避けれらないと悟り、処分を受け入れようとしていた時だった。


「退学よ」


「……は?」


 2週間の停学のはずが、何でいきなり退学になるのか。

 いくら何でも納得出来ずにうつむいた顔を上げて三鷹くんは反論した。


「どうして退学なんだよ! ふざんけんな! さっきまで停学って言ってたろ!」


「ええ、さっきまであなたはだったのよ? 最初に言ったわよね? 2週間の停学処分だって」


「そ……それが何だよ!」


 姉の言ってることが理解できないもどかしさから、さらに苛立いらだちをあらわにする。


「まだ分からないの? 本当にどうしようもないのね。こんなのが当校に居るなんて、一応入試の際に面接試験があるのだけれど、これを通したのはどこの間抜けな試験官かしらね?」


 教頭先生が身震いをする。


 そして姉は言葉を続けた。


「私はね? あなたに言い分がないか訊いた時に、たとえ事情は話せなくても修に一言謝罪さえしていれば、停学処分は飲み込むつもりでいたのよ?」


「〜っ!?」


「それなのに謝罪はおろか、こので反省すべき時に、こんなの同情の余地なんてあるわけないじゃない」


「あ……あれは実演みたいなもんだろ!」


「私はそんなの許可した覚えはないわ。あなたが頭の中で何を考えていようが、私が暴行を受けたという事実に代わりはないわ。都合がいいことに、ここには証人がたくさん居るものね?」


 三鷹くんは辺りを見渡す。


 目を合わせるものはいなかった。


 この場で姉に反論出来るものなど誰1人としていない。


 もう三鷹くんに抗う力はなく、生気が抜けたように座り込んだ。


 そして姉が追い討ちをかけるように言葉を発するのかと思ったが、それは三鷹くんに向けたものではなかった。


「そうそう、それとね?」


 聞き惚れてしまうような妖艶な声色を発し、教室を見渡しながら、全員に言うように、そして1人の生徒に向けるように。


「うちの修にちょっかい出したら」


 木嶋くんは目が合った。



「潰すから」



 そう言って二人の先生に「連れて行きなさい」と三鷹くんを任せ、教室を去って行った。


 冷徹な女王からもたらされた沈黙が支配するその教室で、修司を除いた全員、その内1人には脳裏から一生引き剥がせないほど強烈に、こう植え付けられた。


 “横峯修司に手を出したら消される”


 これが修司が有名人と言われる所以ゆえんであることを本人は知るよしもなかった。


『姉さんかっけ〜』


 僕の後ろから小さくかすれた声が聞こえた気がした。

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