第84話 悪魔

「さあ聖女よ、命を捧げる時間だ……」


 深夜を知らせる鐘の鳴る中、アルベンス伯爵は正体を現す。全身を黒い模様で覆い、捻じ曲がった角を生やし、禍々しい姿へと変貌する。

 人間とはかけ離れたその姿こそ、恐ろしい悪魔の姿だ。


「クククッ……聖女の命を捧げれば、あのお方の復活も近づくはず……」


「あのお方? まさか……」


 「あのお方」という言葉に反応したオリヴィアの顔を、アルベンス伯爵は探るように覗き込む。


「もしや貴様、あのお方を知っているのか?」


「王都に現れた吸血鬼も、同じようなことを言っていました。もしかして伯爵も、吸血鬼の仲間……?」


「吸血鬼だと……?」


 アルベンス伯爵は不愉快そうに眉をひそめ、ギロリとオリヴィアを睨みつける。


「この我を、吸血鬼のような卑しい連中と一緒にするな! 我は悪魔よ、吸血鬼など遥かに凌駕した、崇高なる存在なのだよ!」


 そう声高に叫ぶと、アルベンス伯爵は両腕を空高く広げる。立ちのぼる黒い魔力は、空中に巨大な魔方陣を描いてく。


「見せてやろう、悪魔の力の一端を……」


 現れた魔方陣は、バラ園を覆うほどの大きさだ。闇夜に怪しく浮かぶ魔法陣に、黒い魔力が集まり──。


「──召喚魔法、サモンゲート──!」


 集まった魔力はドロドロの黒い雫となって、バラ園に降り注ぐ。黒い雫はグチュグチュと音を立て、蠢く黒い物体へと姿を変えていく。


「ひっ、これは一体……!?」


 現れたのは、人の子供と同じ背丈の、小さな生き物である。しかしその見た目は、人の子供とはかけ離れたものだ。

 肌は黒く、目は真っ赤に血走り、頭には小さな角が二本。まるでこの世のものとは思えない、恐ろしい見た目をした生き物である。


「クククッ……どうだ、恐ろしかろう? こいつらは“インプ”と呼ばれる、低級の悪魔だ」


 次々と降り注ぐ黒い雫、そして現れるインプ達。バラ園はあっという間に、数十体ものインプの大群で埋め尽くされてしまう。


「さあインプよ、狩りの時間だ! あの娘を捕えよ!!」


「「「「「ギィッ! ギギイィッ!!」」」」」


 軋む金属ような鈍い鳴き声をあげ、インプの群れはオリヴィアへと襲いかかる。

 カーミラを抱え、慌てて逃げるオリヴィア。しかし、バラ園を埋め尽くすインプの群れからは、そう簡単には逃れられない。

 逃げるオリヴィアの体を、インプ鋭い爪が襲う。


「「「「「ギギィッ! ギギィッ!」」」」」


「くぅっ……デモヒール!」


 片手に黒猫カーミラを、片手に星杖ウラノスを持ち、走りながら治癒魔法を発動するオリヴィア。治癒魔法の光を散らせながら、必死にバラ園を逃げ回る。


「ほう、自らの傷を癒しながら逃げ続けるとは、なかなか楽しませてくれるな」


「デモヒール! はぁ……はぁ……デモヒール!」


「クククッ……このバラ園は、我々悪魔の支配する魔の庭園だ。どこにも逃げ場はないぞ」


 バラの生け垣を壁にしながら、オリヴィアはインプから逃れ続けている。

 しかし、いつまでも逃れ続けることは出来ない。次第に逃げる場所もなくなり、いよいよバラ園の端に追い詰められてしまう。


「さて、そろそろ狩りも終わりにしようか……やれ! 我がしもべよ!!」


「フシャアァッ!」


「きゃあぁっ!?」


 オリヴィアは悲鳴をあげ、バッタリとその場に倒れてしまう。手元から離れた星杖ウラノスは、カラカラと音を立て地面を転がっていく。

 倒れるオリヴィアの片腕には、カーミラが鋭い牙で噛みついていたのだ。


「うぅ……カーミラちゃん……どうして……」


「クククッ、残念だったな聖女よ。その小動物は貴様を監視するために送り込んだ、我のしもべだったのだよ」


「そんな……」


「悪魔と吸血鬼の血を移植した実験動物でな、魔力によって意のままに動かせるのだ。さらに、見聞きした情報を我に届けることも出来るのだ」


「フゥーッ! フゥーッ!」


「貴様は我のしもべを、大事に抱えて連れて来てしまったということなのだよ。クククッ、まったくご苦労だったな」


 悪魔の蠢くバラ園に、アルベンス伯爵の邪悪な笑い声が響き渡る。そんな中、オリヴィアの腕に噛みついていたカーミラは、グッタリと力を失っていく。


「フシャッ……フシャッ……」


「カーミラちゃん!?」


「なんだ、もう限界か? やはり小動物は長持ちしないものだな……」


「限界?」


「我の魔力を送り込み、無理やり操っているのだ。そのような小動物で、耐えられるはずもなかろう。その小動物は間もなく死ぬ」


「なんて……なんて酷いことを……」


 もはや完全に力を失い、ピクピクと痙攣するだけとなったカーミラ。オリヴィアは地面に倒れたまま、そっとカーミラを胸元に抱き寄せる。


「しっかりして……カーミラちゃん、死んじゃダメ……」


「ふんっ、そんな小動物の心配をしている場合ではないだろう?」


 パチンッと指を鳴らし、アルベンス伯爵はインプの群れに合図を出す。

 倒れるオリヴィアとカーミラを囲んで、規則正しく円形に並ぶインプの群れ。その並びはまるで、地面に描かれた黒い魔法陣のようだ。


「さあインプ共よ! 生贄の命を、あのお方へと捧げるのだ!」


 漆黒の魔力によって、バラ園は暗く満たされていく。

 その時──。


「そこまでなのじゃ……」


 突如として上空に現れる、強大な魔力の波動。

 それはまるで深海のように、重く、暗く、冷たい魔力。そして吹きあがる火山のように、激しく燃える怒りの魔力だ。

 空中の魔法陣も、バラ園を満たしていた漆黒の魔力も、一瞬にしてかき消してしまう。


「なっ、なんだこの魔力は!?」


「「「「「ギィ……ギギィッ!?」」」」」


 あまりにも強大な魔力の波動を受けて、低級悪魔であるインプは肉体を保つことも出来ない。バタバタもがき苦しんだかと思うと、黒い雫となって消えていく。

 インプの悲鳴が響き渡る中、輝く月を背景に、ゆっくりと降りてくる小さな影。


「妾のリヴィを酷い目にあわせて……絶対に許さんのじゃ……」


 そして、悪魔の支配する庭園に、怒れる魔王が降臨する。

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