とある一日の話

@azuma123

第1話

 天気予報で本日は晴れだと聞いていましたので、昨夜のうちに掛布団のシーツを洗って干してしまいました。そのまま寝、起床したところ晴れにしては空が暗い。ありゃ、天気予報が外れてしまったかねえと外を見ると、空には灰色の膜のようなものが張っておりました。なんぞやと疑問に思って窓から身を乗り出し、どこまで続いているのか遠くを眺めてみましたが終点が見えないくらい広範囲のようです。空気の動きも遮られているのか、風も吹いておらず非常に静かでした。ニュースにでもなっていないかしらんとテレビのリモコンを探し出し電源ボタンを押したところ、うんともすんともいいません。ああ、と思いました。ああ、そうです、わたしは数ヶ月、電気代を支払っていないのです。電気は案の定止められてしまっているようで、試しに蛍光灯のスイッチも入れてみましたが部屋は薄暗いままです。しかたがないのでiPhoneを起動させ、SNSを開きます。電気は止められていますが、iPhoneの充電はたっぷりあるため安心です。というのも、iPhoneの充電器はソーラーシステムで、光があればどんどん電気を作りだします。これは先日、フリーマーケットにて五百円で購入したソーラー電池です。わたしの住んでいるアパートは、こじんまりとした商店街の中に建っており、そこでは毎月第三土曜日にフリーマーケットが開催されます。地元の人たちが不用品を持って集まる中、わたしが充電器を購入した店には高齢の男性と女性が座っていました。おそらく孫か娘息子からプレゼントされたのだけれどもスマートフォンなんて持っていないし、使用勝手もわからないし、そうだ、月のフリーマーケットに出してみようというところだったのでしょう。インターネットにて同型番のソーラー充電器を検索してみたところ、価格は四千円ほどする品物。これを五百円で販売するなど、まれにみる愚行でしょう!これだから素人の情報弱者はたまりません。ただ、わたしは知らない人に「これをください」なんて言うことが恥ずかしく感じられましたので(他人とのコミュニケーションに恥ずかしさを覚える性格をしておりますので)、売り子の高齢男性に、五百円玉を投げつけてやりました。これで、「ものが欲しいのです」という意思の疎通がはかれたらいいのだけれどという少しばかりの希望はありましたが、現実はそうもいかなかったようで、五百円玉はちょうど男性の目玉をえぐり頭蓋骨をわり、目玉とともに後頭部を突き抜けすっ飛んでいってしまいました。隣にいた高齢女性は顔面蒼白です。なにが起こっているのかわかっていないご様子。我にかえられると人どころか警察を呼ばれてしまう。まずい、まずいぞと思ったわたしは充電器をひっつかんでそそくさとその場を後にしました。立ち去ろうとしたわたしの横目に、高齢男性が眼穴(先ほどまで目玉があった穴)からボタボタを血を流しうつぶせに倒れ込むのが見えました。そうして手に入れた充電器です。


 さて、iPhoneでSNSを開き「大阪 空 膜」で検索したところ、みんなワアワアと盛り上がってはおりますが何一つ明らかにはなっていない様子。多数の人間がいっせいにインターネットを使用しているからか、頻繁に回線エラーが出てしまいます。ふと窓から外を見たところ、人っ子一人いませんでした。部屋で腐っていてもしかたがないため、とりあえず外に出てみることにしました。窓から見る外の景色は静まりかえっており、空は「奈良県になったのか」と思うくらい、灰色に染まっています。


 みなさんは奈良県を見たことがありますか。わたしはよく車を転がしてあまり人のいない場所に行きます。自然が好きと言えば聞こえはいいのですが、過疎地を見ることが好きなのです。過疎地はほんとうにいい。誰も住まなくなった家、整備しきれていない細い道、伸びっぱなしの木の枝、ただの廃屋の集合かと思えば突然現れる干された洗濯物、生活感。このバランスがすばらしいと思うのです。毎日毎日仕事で怒られ酒を飲んでは脳を殺している毎日はそろそろ終了したいなあ、もうじゅうぶん頑張ったのではないかなあ、そんなことを考え始めると過疎地に出向きます。仕事場の上司(死体)を乗せて過疎地に赴き、脇道に捨て置きます。みなさんも生活にムシャクシャしたら、上司の死体を乗せて過疎地に向かえばいいのではないでしょうか。死体にするまでが難しいと感じる方、問題ありません!そんな時は生きたまま、ふんじばって車に詰めればいいのです。その辺の脇道に転がしておけば勝手に死にます。過疎地のため、誰にも見つからず身動きのとれない人間は、至るところ餓死しかありませんね。先日は「井塚」という上司の名前が勝手に「井糞」に変換されるようパソコンのユーザー辞書登録を行ったところ、なぜかわたしの仕業だということが瞬時にばれてしまいこの世の終わりかと思うくらいに怒られてしまいました。とっさに持っていたバールのようなものを振り上げて脳天を叩き割ってやり、上司は死体となりました。それを車に乗せて過疎地に向かうわけですが、ここ最近の死体遺棄場はもっぱら奈良県だったのです。県境に入った瞬間、街に色がなくなる感覚。これが奈良です。もちろん目に見えて色がなくなるわけではありません。ただ、脳がモノクロの街だと認識するのです。わかりますか。わからなければそれでよろしい。とにかく、わたしはモノクロの街に上司の死体を捨て去り帰宅しました。翌日出社すると、人殺しと糾弾され誰一人としてわたしにあいさつすらしてくれません。同僚には、後ろから金属バットで後頭部を打っ叩かれてしまいました。職場には警察がおりわたしを待っていたようで、出勤してすぐに捕まり連行されるハメに。トホホのホと思いながら手錠をかけられパトカーに乗り込みます。警察に捕まったことが親に知られると、セカイノオワリかと思うくらいに怒られてしまいます。この歳になっても親は怖い。なんとかパトカーから逃げられる方法を考えに考え、考えました。今、この場にいる警察はわたしの両側を挟む二人のみ。わたしは手錠をかけられている手で、器用に自分のズボンとパンツをおろし、艶めかしく腰をくねらせました。わたしを挟むように座っていた警察どもの股間はこれでもかというばかりに隆起し、いまにも自らのズボンをはじけさせんばかりです。わたしがそっと右隣の警察の股間に手を置くと、警察は雄たけびを上げて射精しました。おびただしい量の射精は止まらず、しかし、それ以上の精液がすごい速度で作られているようで、警察の睾丸はどんどんふくらんでいきます。睾丸は三十センチを超えたところでバツンという破裂音とともに、精液をまき散らして破裂しました。ともに、警察はこと切れてしまったようです。それを見ていたもう片方の警察は、泡を吹いて倒れてしまいました。動かなくなった二人の警察の制服をまさぐり手錠の鍵を見つけ出し、めでたくも手錠を外すことに成功です。気付かれないよう慎重にパトカーのドアを開け、外に出るや否や猛ダッシュで逃げました。そのためわたしは現在、指名手配されているのです。


 外を見に行こうと服を着替えましたが、自宅はエレベーターなし、ボロアパートの四階なので、外にでるには階段を降りなければなりません。いつもこれが面倒で、ちょっとした買い出しもおっくうになってしまいます。日用品や飯、水に至っても通販で購入する始末。まあ、このご時世インターネットでなんでも購入できるため、このような生活も可能になってきました。しかし先日、いつも通り飲用の水二リットルのペットボトル十二本入りを注文したところ、激怒した配達員が自宅に押しかけてきました。狂ったように玄関のドアをダンダンと叩きまくるので、怖くなり居留守をつかうことにします。しばらくはわめく声が聞こえていましたが、しばらくするとけたたましいノック音は聞こえなくなりました。諦めて帰ったかしらんと耳をそばだてていると、続々と新聞受けに何かが投函されているようです。気になって見てみると、それは玄関ドアに設置された新聞受けに投函できるギリギリのサイズの段ボールでした。投函されたのはざっと二千箱。全ての箱の中にはナメクジがパンパンに詰められていました。非常に嫌な気持ちになりましたので、塩をぶっかけて全てを駆除することに決定。そうと決まれば塩を調達する必要があります。そそくさとインターネットを開き、通販で十キロの塩を千袋注文しました。とにかく多い方がいいでしょう。ナメクジが入った段ボールはひとまず放置し、塩が届くのを待つことにします。ようやく一段落してコーヒーを入れ始めたところ、またしても激怒した配達員がやってきました。外では自宅のドアの音をけたたましく叩く音、それにクレームを入れようとしたのか隣人がドアを開ける音、続けて柔らかいものが鈍器で殴られるような音が聞こえ、続けざまにものが倒れこむ音も聞こえました。隣人が配達員に殴られ、ぶっ倒れてしまったのでしょう。自宅の前で傷害事件なんて、たまったものじゃあありません。堪忍袋の緒が切れたので、叱ってやろうと玄関を開けることにしたところ配達員が自らドアをけ破り、わたしの部屋に登場しました。驚きすぎて脳のCPUがフリーズしたらしく動作が固まってしまったのですが、かまわず配達員は土足でわたしの部屋に上がり込んできます。片手には(隣人の血で)血まみれのバールのようなものを握りしめていました。

 人生が終わったなと覚悟したのもつかの間、彼は泣きながら「重い荷物を四階まで運ばせないでほしい」という旨をこんこんと語りはじめました。たしかに、言われてみれば多量の水やら缶ビールやら、かわいそうなことをしています。自分が嫌なことは人にもしてはいけない、そういう教えが昔からありますから。今回ばかりはわたしが悪かった可能性があるなと思い、わたしは素直に、彼に謝りました。彼はわたしに「わかってくれましたか」と笑顔を向け、ナメクジの入った段ボールを回収し、帰っていきました。翌日、彼とは違う配達員が鬼の形相で塩を運び入れました。そういえば塩の購入をキャンセルしていなかったなあと考えながら、もう必要なくなったため持って帰ってくれと伝えたところ、配達員はベルトに挟んでいたバールのようなものをスっと抜き取り、わたしの頭めがけて振り下ろしました。


 致命傷ではなかったようで、わたしはまだ、生きています。四階から階段でおりるのが面倒なんてワガママを言っていてもしかたがないので、気を取り直して外に出ることにしました。今は冬、外は寒いのです。やはり自宅の窓から確認した通り、空は灰色の膜で覆われていました。曇っているのか晴れているのか、雨なのかすらわかりません。雨も通さない膜だった場合、草木がダメになってしまうのではと心配になりました。わたしのアパートの向かいには、花屋があります。ここの店主は酒の好きな人で、近所の酒場で偶然一緒になることがあります。彼は花を愛しており花と性交をします。店先に置いてある色とりどりの花、これらの栄養は彼の精液です。一心に人間の愛情を与えられ続けた花たちは自我を持っており、少しであればコミュニケーションをとることができます。あいさつをすれば花を垂れて会釈を返す花、葉をチラと動かす木、自ら根っこを引っこ抜いてこちらに近づこうとする草。表情がないにしても実にかわいらしいではありませんか。夜露に濡れる小さなパンジーなんて劣情を誘うってもんで、一度、わたしはパンジーに夜這いしたことがありました。パンジーはわたしから逃げようともがきましたが、しっかりと根をはっているため叶いませんでした。わたしはわたしのイチモツをパンジーの雌しべに突き立て、激しく腰を振りました。パンジーは花びらを一枚、また一枚と落とし続け、わたしが射精した時には丸坊主になって死んでいました。店主に見つかったらまずい、まずいぞと思い、根から引っこ抜いてゴミに捨て、証拠隠滅といたします。翌朝、店主はパンジーがなくなっているプランターを見ても、特に騒ぎ立てはしませんでした。なんでも、自我をもった花が逃げ出すことは往々にしてあるそうです。寂しいけど、こんな狭いところからは逃げ出したくなるんだろうなあ、と店主は微笑んでおりました。


 アパートから外に出て、しばらく歩いてみましたがやはり人っ子一人見当たりません。大通りに出てみるも、車一つ通っていないようです。知人に電話をかけてみるも繋がらず、メールを送っても返信はありません。といってもわたしには知人なんて片手でことたりるくらいしかいませんから、誰からも連絡がないのはいつものことです。相変わらず空には灰色の膜がかかっており景色は鮮明ではなく、風すら吹いていません。向かいの花屋もシャッターを閉めており、外には花一匹出ておりません。他の店はと辺りを見てみれば、三軒隣の鍼灸整骨院がシャッターを開けています。看板にニコニコ顔のおひさまがかかれておりそんな陽気な店には縁などなかろうなあと一度も寄り付いたことがない店です。先日、ぎっくり腰になり立ち上がれないため飯すら食えず死を感じたときにも、わたしは近場のこのニコニコ太陽の店には目もくれず、客の一人もいないようなさびれた遠方の整骨院を探しておりました。ぎっくり腰になったその日、地べたを這いつくばって部屋から出たものの階段をおりることができず、四階分の階段を転がり落ちたのです。一階部分についた時にはすでにわたしの両手両足の骨は折れており、ダルマのようにゴロンゴロンと激痛にのたうち回ることしかできなくなっておりました。そうしていると見世物と間違えられたようで、辺りには人が集まってくる始末。人々はおそらくツイッターやインスタグラムなんかのSNSにわたしの写真を晒したいのでしょう、手持ちの携帯電話のカメラを向けていらっしゃいました。誰一人わたしに手を差し伸べてくれない世間の冷たさを肌で感じながら絶望しつつ、わたしはこのニコニコ顔のおひさまを、この鍼灸整骨院の看板を、眺めていたのでした。


 しかし、今はそんなことを言っている場合でもありません。どこもかしこもシャッターが閉まっておりまるで原子力発電所が爆発した後、高度放射能で汚染されてしまった街のようではありませんか!わたしは看板にニコニコ顔のおひさまがかかれている鍼灸整骨院の自動ドアを叩きました。電源を切られてしまっているのでしょうか、自動ドアのくせに、わたしがドアの前に立ってもうんともすんともいいません。どうしようもなく自動ドアのガラス扉をダンダンと叩き続けるほかありませんでした。しかし、誰も出てきません。店内の電気は点いていたため誰かいるだろうと思い叩き続けましたが、誰も出てくる気配すらないのです。なんだよと腹が立ち、近くに置いてあった消火器を引っつかんで投げつけてやったところ、自動ドアはバリンと盛大な音をたて、割れて粉々に砕け散りました。静まり返った街の中に派手な音が響き渡ります。そして、それを見たわたしは、はっと気が付いたのです。

(まてよ、街に誰もいないということは、酒屋を襲撃すれば酒が無料で飲み放題になるのではないだろうか)

 なぜ今まで気が付かなかったのだろうと、自分にがっかりです。そうと決まれば近場の立ち飲み屋(飲食が非常に安価で行える店)に急いで向かうことにしました。自宅アパートから十歩も歩けば到着する距離の安酒屋です。わたしの顔は、あの鍼灸整骨院の看板の太陽のように、ニコニコになっておりました。

 どうせ無料なのだから、安酒屋なんていかなくてもと思った皆さん、安心してください。わたしはどのような飯、酒でもかまわんのです。従来、わたしはかなりの貧民ですので酒を飲める身分ではありません。しかし、上司の死体を過疎地に捨て去るストレス解消法を見つけ出す前は、酒を飲まないとやっていられないなあという日々で、とにかく手当たり次第のアルコールを口に含んでおりました。そんな中で手をかけたのが、燃料や消毒剤として使用されている、メチルアルコールです。あれは非常に安く手に入り、かなりいい。純度百パーセントのそれをグッと喉に流し込むと、目の前に火花が散り一瞬で夜になりました。まあ、一瞬で夜になったと思ったのはわたしが卒倒していたからで、気が付いたときには三日後の深夜三時だったのです。これはすごいものを手に入れたぞと思い、わたしは何度も何度もそれを使用しました。つまらない毎日はメチルアルコールにより光のように過ぎ去っていったのです。もう十回も繰り返したころでしょうか、鼻の奥に激痛を感じたわたしは、アパート前の道路で飛び起きました。知らないうちに外で眠っていたようです。今が何月何日か、そんなことはわかりません。メチルアルコールを始めてから喉が焼け胃が焼け腸が焼けている感覚があり、血便をだし反吐と血を吐き散らかしていましたが、鼻が痛いというのは初めてでした。あまりの激痛に指で強く鼻をつかんだところ、わたしの鼻はポロリと取れてしまいました。血とも膿ともいえぬ赤黄色いドロリとした塊が、わたしの顔面からボタボタと落ち続けております。道のど真ん中で顔面を腐らせているわたしを見かねて、通りすがりの女性がウエットティッシュを渡してくれました。優しい人もいるもんだなあと思い、ありがとうと頭を下げます。お返しにと腐り落ちた鼻を渡そうとしたところ、女性はヒッと声を上げて逃げて行ってしまいました。わたしだってこんな腐り鼻(腐った鼻の意)はいりませんので、そのへんの側溝に捨ててしまいました。そのため、わたしには今、鼻がありません。鼻がないため飯や酒の風味がわかりません。試しに鼻をつまんで飯を食ってみてください。あまり味がしないでしょう。それと同じで、わたしには、高かろうが安かろうが、味なんてないも同然ですから安酒屋でもいいわけです。

 しかし、立ち飲み屋は営業しておりました。通常どおり入店することができます。「閉まっている店を襲撃することで、無料で飲酒ができる」という名目でここまで来ているため、興ざめでした。店内には見知った顔が複数人並んで酒を飲んでいます。シャッターの閉まっている他の店を探そうかとも考えましたが、なんだか面倒になってしまったため店に入ることにしました。とにかく深いことは考えず、酒を飲んでいれば元気になれるってもんです。店内に入ると、いつも通り店主からの「いらっしゃい」というあいさつがあります。適当なカウンターにつき、瓶ビールを注文します。わたしの隣で酒を飲んでいる妙齢の男性はすでにひどく酔っ払っているようで、立ち飲みにいながらもカウンターに突っ伏しておりました。話の肴にでもなればよしと思い、空の状況を店主に尋ねてみることにします。「なんだか空に膜が張っているみたいなんだけど」

「ああ、朝のニュースでやってたけど。神様が怒ったらしいね」店主は言いました。

 神が怒った、わたしは一瞬、店主の言葉の意味が理解できずにオウム返しをしてしまいました。なんでも、人間世界にはつまらないことが多すぎるため、終わりにしようと空に膜を張ってしまったそうです。最初のうちはおもしろかったけれども、そろそろ同じようなことの繰り返しばかりを行う人間に飽きてしまったとのこと。人間なんて、根本が「貪欲」と「瞋恚」、それに「愚痴」という三大煩悩でできているものなのですから、全員が仏にでもならない限り文化は進めど根本は変わらないってもんです。神はそのへんがわかってねえからなあとひとしきり文句をたれながら瓶ビールを飲みます。肉豆腐とおでんの大根も注文しました。わたしが二本目の瓶ビールを注文したと同時に、隣で突っ伏していた男性が顔を上げ、酒のおかわりを注文します。店主はまだ飲めるのかよ、帰ったほうがいいんじゃあないかと眉をしかめながらも男性に出す酒を注ぎ始めておりました。男性は店主になに言ってんだ、まだまだいけるよと返し、突然わたしに向かって話かけました。「空に膜が張っているから、これからどうなるかわかるか」

「さあ」わたしは答えました。電気は止められているためテレビのニュースは見ていないし、新聞だって、ネットニュースだってまだ読んでいません。わたしの主な情報入手ツール、SNSは読み込みのできないエラーだらけで使いものになりません。「どうなるんですか」

 男性はろれつの回らない口で話し始めました。「この膜、空気も日の光も、水も通さないんだってな。だから、草とか花は枯れて、動物は死んで、水も食料も不足して、結局人類も絶滅するっていう寸法よ」

 もう酒を飲むしかないやねと男性は話し終え、出された酒に口をつけます。なるほど、空に膜を張るだけで勝手に人間は全滅するのだなあと納得し、一つ疑問が生まれました。「そんなら、みんなどこにいったんです?外には誰もいないようですが、避難ってわけじゃあないんですね」

 わたしの質問にカウンター内でおでんのだしを継ぎ足していた店主が答えます。「それなんだけど、」

「それなんだけど、なんでも神が死にたくない百名を募集してるんだよ。ノアの箱舟システムとか言ってさ、でかいシェルターみたいな施設用意してんだ。人工太陽、人工植物、人工雲、空、なんでもあるそうだ。郊外にあるからさ。みんなそこに集ってるよ。でも、入られるのは地球上で百名のみだぜ、行ったところで無駄だよなあ」

 そういって店主は店内にあるテレビをつけました。テレビの中では神が作ったらしいでかい箱のような建物の前に、おびただしい数の人間が集まっていました。「募集期限は本日より三日です。死にたくない方は、お集まりください」

 頭に黄色のヘルメットを被ったリポーターが、なんども同じセリフを叫んでいました。

 瓶ビールを二本飲み終えたわたしは、店を出ました。相変わらず空には膜が張っています。まあ、生きているものは遅かれ早かれ死ぬのだし、一日二日でどうにかできるものでなし。すぐに死ぬわけでもなさそうなので、ひとまず帰って寝ることにしました。自宅に向かって歩き始めたところ、小さな動物が路地に走りこむのが見えました。猫や犬なんてサイズではなく、ネズミほどの小さな影です。わたしは小動物にめっぽう弱いため、今のなに、なになにと思い路地をのぞき込みました。小動物(特にハムスター)は本当にかわいい。わたしはハムスターを同時に八匹飼っていたことがあるほどに小動物を溺愛しており、まあ、この話は主題と関係がないため今はしないでおきましょう。話を戻しますが、そこには、小さなウサギが五匹も集まって会議をしておりました。一匹のウサギが「人間が絶滅するらしいね」と話します。別のウサギが「いいことだ!」といって拳を握り、その隣にいたウサギが「もっともだ!」とバンザイを行いました。また別のウサギが「でも、今まで飯なんかは人間がくれていたのだし。これがなくなると、さすがにまずいぜ」と言い、五匹ともうんうんとうなずきます。「どうすれば人間に頼らなくても生き延びれるかってことを考えなきゃあいけない。人間はかわいいものに弱いから。人間の住む都会で我らウサギが生き延びてこられたのは、人間特有の情や憐れみ、慈しみのおかげであることも否めない」

「しかし」別のウサギが言います。「しかし、人間の傲慢さときたらよ。あいつら、地球のトップが人間だとでも言うようにでかい顔してるんだ。いくつの住処を奪われたと思ってる。あいつらがいなけりゃあ、絶滅しなかった生き物だっているんだろ。一度、絶滅してしまってもいいんじゃあねえの。腹が立つぜ」

 この発言に対しても、五匹はそろってうんうんとうなずきあいました。なんだ、ウサギの分際で偉そうに語ってやがると腹が立ち、一言いってやろうとわたしは彼らに近付きます。彼らは長い耳を持っていますが、人間に飼われていたことで野生がなくなってしまったのか、会議に夢中でわたしには気が付きません。そっと一匹のウサギの背後にせまったところ、むかいのウサギと目が合ってしまいました。ウサギはびっくりしたように目を真ん丸にさせてこちらを見、そんなウサギの様子を見た全ウサギがわたしを振り返り、一目散に逃げ出そうとしたところで一匹の両耳を掴んでやりました。かわいそうにウサギは両耳を支点に、ずだぶくろのようにブランブランと身体をぶらさげ、逃げようともがき、ジタバタと大暴れしています。他の四匹はすでに逃げ切ったかどこかに隠れたのか、わたしからは見えなくなっていました。「さっきの話だけど、」わたしはウサギに語りかけます。

「さっきの話だけれど、人間が絶滅したほうがいいって」途中まで言ったところで、ウサギは大慌てでかぶりを振りました。「違うんですよ、」

「違うんです、あれは、その、ウサギどうしで集まった時の定例の会話っていうか。他種を乏しめることで会話が成り立つことってあるじゃあないですか」ウサギは今にも泣きそうな顔で話し始めました。「人間様にはたいそうお世話になっているんです。ペットとして飼っていただいて。いうて、私らなんて数年しか生きない弱小生物なんですよ。それを、ただただ餌を与えて生き永らえさせてくれる人間様。絶滅したほうがいいなんて、そんな」

 ウサギがそこまで話したところで、わたしはウサギを持っている手をブンと振りました。ウサギの話が非常につまらなかったので、腹が立ってしまったのです。ウサギから出てきた言葉はおべんちゃらというやつでしょう。営業トークです。ウサギからならもっとおもしろい話が聞けるかと期待しましたが、結局、聞けたのはしょうのない命乞いだけだったというわけです。ただの命乞いであれば興味はありませんので、ここらでウサギ鍋にでもしてしまおうと振りたくってやりました。固いミカンだって揉めば柔くなりますし、ウサギだって振ることで内臓が揉まれ、柔こくなるでしょう。しかし、ただ振りたくるだけでは芸がない、何度振れば完全に動かなくなるのか検証してみようと思ったと同時に、ウサギは甲高い声で叫びました。「耳がちぎれる!」

 叫んだと同時に、ウサギの耳はすっぽりと抜けてしまいました。わたしの手には握っていたウサギの耳のみが残り、身体は数メートルむこうへすっ飛んでいってしまいました。ありゃ、すっぽ抜けてしまったなといらない耳を捨て、ウサギの身体に近寄ります。ウサギは地面に倒れ込んだままシクシクと泣いていました。かわいそうなことをしたかなと少し反省し、「泣くなよ」と話しかけてみます。ウサギは泣きじゃくりながら話しました。

「ウサギなのに耳がなくなってしまった。アイデンティティの喪失だ。耳のないウサギなんて、ウサギではない。しかし私は人間でもない。もちろん犬でもないし、猫でもない。私はウサギではないなにものかになったのだ。もう生きていても仕方ない、殺してくれ」

 そんなに耳が大事なものかよと思いました。たしかに耳がなくなれば、難聴どころか失聴してしまうこと請け合いです。しかし、このウサギはそういった実用性のあることではなく、ただただ「ウサギとしての誇り」だとか、「アイデンティティ」の話をしています。そんなもののために命を投げうつなど、どうしたことだと思いました。どんな姿になっても、生きていればいいことはきっとあります。そんなことを思い、わたしはウサギを元気付けてやることにしました。

「そんなこと言うなよ、耳がなくなってもかわいいよ。それに、耳の長いウサギばかりのところ、きみのような耳なしウサギは個性的かもしれんぜ」

 それを聞いたウサギは地面に倒れ込んだままわたしのほうに顔を向け、自分のスマートフォンを差し出しました。「じゃ、これ、見てくれよ」

 ウサギの差し出したスマートフォンの画面にはSNSが表示されており、そこにはすでに耳のないウサギ、すなわち彼の画像が出回っていました。そこには「キモい新生物発見した」との心ない文言が添えてあり、同じ画面上に、その画像を見た人たちからの感想も表示されておりました。一例を下記に記載します。<気色悪い>、<なにこれ、ウサギ?>、<ウサギと一緒にしないで!こんなのウサギなわけないよ!>、<こんな生物が実際にいたら怖すぎる>、<ウサギみたいだけど、耳がないとこんなに気持ち悪くなるんだな>、<キモい毛玉>、<目鼻口玉>、<怖すぎ>、<完全にバグ>、<ウサギの化け物>、等…

 ひどい感想の羅列に絶句していたところ、ウサギはトホホといった顔つきで再度、わたしに言いました。

「な、わかっただろ。耳のないウサギに存在価値はないんだ。殺してくれ」

 いろいろ思うことはありましたが、まあ本人の希望であればしかたあるまいということで、と殺することにしました。本日の晩飯はウサギ鍋です。耳のないウサギの首をひっつかみ、ポキンと折りました。ウサギは「キュッ」という小さい悲鳴だか鳴き声だかを上げて動かなくなりました。


 動かなくなったウサギを片手にぶら下げて家路につきます。空には相変わらず灰色の膜が張っており、ふと気が付くと気温が非常に下がっています。季節は冬、寒くて当たり前ですがここまで寒くはなかったはずでした。先ほど安酒屋で男性が話していた内容を思い起こします。「この膜、空気も日の光も、水も通さないんだってな」

 日の光を通さないということは、今後どんどん気温が下がっていくということなのでしょう。iPhoneで現在の気温を調べたところ八度だそうです。今はまだ昨日までの温度が残っておりますが、日の光が通らなくなった後の世界なんて、零下何度になってしまうともわかりません。餓死の前に凍死をすることになりそうだと思いながら、先ほどまで温かかったウサギで暖をとります。ウサギはじょじょに冷たく硬くなっていましたが、まだほんのりと温度が残っていました。

 ウサギ鍋を行うにあたり、自宅には野菜がないことに気が付きました。肉だけの鍋なんて、鍋であって鍋ではありません。いつもなら野菜を調達する金がないためあきらめて道端の草なんかをちぎって投入しますが、しかし、いいですか。道端の草は非常にまずいのです。あなたたちは、道端の草を食ったことがありますか。あれらはよくない。まずいだけでなく、たまに毒気のあるものもあるんです。なんの気なしにしがんでいるだけで舌にピリリとした衝撃を感じ、それから数日間、味覚がなくなってしまったこともありました。まあ、鼻がなくなってからは味覚がないため今は同じようなものですが。食えないほどに苦い草、何時間茹でても筋張っており噛み切れない草、泥臭い草、えぐみのある草、単純に毒のある草。食えないは食えないにしても「食えない」種類はさまざまです。そのため、わたしは普通に食べられる草には敬意を持っています。彼らはえらい草です。なんだって、自らうまくなる必要があるのでしょうか。喜んで食われるだけでしょう。彼らは自分のためではなく、敵とすべき食われる相手を喜ばせるために、うまいのです。道端の草ように不味く、強くたくましく、コンクリートにも負けずに根を張ったほうが殺されることは減るのです。それを考えると、わたしが今手にぶら下げているウサギもえらいのかもしれないな、と思われました。小さくて柔くて弱くて美味い。他に食われるために生まれてきたとしか思えません。食われるために生きていると言っても過言ではないでしょう。そうこう考えながらトボトボと歩いていると、自宅アパート前に到着してしまいました。野菜はまだ調達できていません。勢いあまって道端の草がまずいなんて話をしてしまいましたが、わたしがしたい話はそんなものではありません。本日は野菜など、入手し放題なのです!

 わたしは商店街内にある八百屋に出向きました。この商店街はこじんまりしているものの、魚屋、肉屋、八百屋、メガネ屋、居酒屋、定食屋、パソコン塾やヨガ教室などわりとさまざまな店舗が揃っています。本日はそのどの店舗もシャッターが下りており八百屋も例外ではありませんでしたが、まあ、問題はありません。店先にウサギの死骸を安置し、シャッターにたいあたりを数回かまします。一度目はわたしの身体のかたちに歪んでしまっただけでしたが、二度、三度かましたところうまいことへしゃげたようで、シャッターの下に隙間ができました。そこに手を突っ込み力任せに隙間を広げます。なんとかわたしの身体くらいは通れるようになったため、お邪魔することにしました。真っ暗かと思っていましたが明り取り窓があるらしく、内部の状況はよく見通すことができました。薄暗いながらもそこかしこに野菜があるのがわかります。やったぜと思い、白菜、白ネギをはじめえのきや椎茸、水菜なんかも失敬します。シャッターの隙間から外に転がし、野菜を入れるための袋も失敬したあとに自分も外に出ました。そのあたりに転がした野菜を袋につめ、ついでに先ほど調達したウサギの死骸もつめて、鍋の具材の調達は完了です。あとは酒があれば完璧なのですが、八百屋のシャッターを開けようとたいあたりをかました際に全身を打撲してしまいました。この上、酒屋に向かいまたしてもシャッターにたいあたりをかますなど、まっぴらごめんです。

 酒は諦めて家に帰ることにしました。気温はじょじょに、確実に下がっているようで、わたしの吐く息はしっかりと白くなっていました。一歩進むたびに打撲した箇所に鈍痛が走るため、かなり遅い歩みです。ふと、後ろからわたしに話しかける人がありました。

「足、怪我されてるんですか」

 声のした方向をチラと見ると、そこには知らない男性が酒を持って立っていました。「はあ、先ほど全身を打撲しまして、」わたしは答えました。

「そうですか。全身打撲を。ははあ」彼は気の毒そうな顔をして、「荷物、持ちましょうか」わたしの荷物を持つことを提案してくれました。ありがとうございますとわたしは彼にウサギの死骸と野菜の入った荷物を渡し、彼はそれを受け取って、わたしたちは一緒に歩き始めました。

「寒くなってきましたね」

 最初に話しかけたのはわたしでした。せっかく荷物を持ってくれている方に嫌な思いをさせないようにという気持ちが働いたのです。無言で歩き続けることもできましたが、ここでそれはご法度でしょう。わたしからフレンドリーに話しかけることが礼儀ってもんです。

「ええ。まあ、空には膜がはってありますから。これ、水や空気、光すらも通さないんですよ。それでも真っ暗にならないのは、この膜自体がうっすら光っているからなんです。真っ暗になってしまっては、困りますからね」

 ふむ、と思いながら聞いていると、彼は鍋の材料を覗き込み「本日はウサギ鍋ですか」と尋ねてきました。わたしがそうですと答えると、彼は「わたしも飯はまだなんです。どうですか、一緒に食いませんか。ここにうまい酒もあります」と、もともと手にさげていた袋をチラとわたしに見せました。荷物を持ってもらったし、一人で食べられる量でもなし。なにより酒もいただけると言います。一緒に食ってもいいだろうと思い、わたしは自宅に彼を呼び入れることにしました。

 彼を自宅に招き、鍋の準備にとりかかりました。カセットボンベとコンロを用意し、野菜を切ります。その間、彼はわたしの家の地べたで酒を飲んでいました。わたしの自宅は四畳一間で、ソファや椅子なんてものはありません。野菜を切り終えてウサギの解体に取りかかります。本来であれば数日間寝かせておいたほうが肉が柔くなるのですが、そこはご愛敬。小さいウサギですし、振りたくったことにより柔らかくなっているでしょう。数年間、常に足が折りたたまれていた机を久しぶりに設置し、鍋をコンロにかけて煮えるのを待ちます。鍋には捌いたウサギの肉と野菜を投入。彼の向かいに座って自分のグラスに酒を注ぎ乾杯したところ、突然、彼は言いました。「私、実は神なんです」

「そうですか」わたしはおどろき答えました。「では、空に膜を張ったのは、」

「私です」神は答えます。「ちょっと気に入らなくなってしまったので、一回きれいにリセットしようと思ったんです」

「前にも大洪水で人間を絶滅させたことがありますよね」

「絶滅はさせていませんが、まあ、あれもわたしですね」

 鍋が煮えたので神に取り分けてやると、ありがとう、と受け取り食べ始めました。おいしそうに鍋を食う神を見ながら、わたしはなんだか腹立たしくなってきたのです。誰も生きたいなんてお願いしたわけでもないのに、勝手に生まれ落とされて、生まれ落ちたからには死なないように頑張ってんだ。行きたくもない仕事にも行って、金稼いでさ、酒飲んで脳を殺しながら生活してるんだよ。それがなんだ、今度は勝手にリセットだと。好き勝手言いやがって!

 わたしは立ち上がり煮えたぎった鍋を持って、神の頭にぶちまけました。神はおどろいて飛び上がったあと、床に突っ伏してのたうちまわります。「あつい、あつい!」

 水を浴びようとしたのか、神は浴室まで這いずり水道の蛇口をひねりました。しかし、水はでません。「すみません、水道は止められているんです。ここんとこ、もっぱら公園の水を使用していますね」わたしは神に照れ笑いを向けました。

 神は泣きそうな顔をわたしに向けました。顔は真っ赤に膨れ上がっており非常に痛そうです。よろめきながら立ち上がり、そのまま、玄関から出て行きました。外が少し明るくなった気がして空を見上げると、灰色の膜はきれいになくなっていました。そして、バケツをひっくり返したような、土砂降りの雨が降り始めました。四階からアパートの入り口を見下ろすと、手を大きく広げた神が全裸で雨に打たれています。「『ショーシャンクの空に』ごっこですか?」と上から声をかけたところ、神はわたしを見上げて「人間の絶滅は絶対だ!このまま大洪水を起こしてやるからな」と叫びました。

 それを聞きながら、そういえば、と思いました。そういえば、掛布団のシーツを干していたはずだ。慌ててベランダのほうを見ると、しっかりぐしょ濡れになってしまったシーツがありました。せっかく洗濯したシーツを!はらわたが煮えくり返ったわたしは、「クソ神が!」とアパート下に吐き捨てました。アパート下からは、「クソ人間ども!」と返ってくるのが聞こえました。

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とある一日の話 @azuma123

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