(2)「恋愛」のリスクを知っておこう

 鴻上尚史氏によるAERA.comの「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」という連載記事がある。この2020・3・10の記事がネットで炎上した。大学生になったばかりの男の子が男子一貫校で育ったため、女子との接し方に不安があるという相談に、「男性と会話することに怯えている女性」を見つけましょう」という文言を入れたため、ここに疑問を持ったある人がそれは「「痴漢」と呼ばれる性犯罪を行うものがターゲットを選ぶ時の発想」だと批判したのである。これに同意する人が多かったということだ。


 私はだから変えてある。先ず恋愛を成就させたいと踏み出すための第一歩として慣れるべき相手として選ぶのは誰でもいいと。しかし、ここで敢えていう、私は鴻上さんの発想は間違ってないと思う。性犯罪と恋愛なんて紙一重だ。誰でもいい、だって同様に批判されただろう。性犯罪者は極論、女性なら誰だっていい、という発想もあるからだ。極端な言い方をすれば、和姦になるか強姦になるかは、紙一重である。


 重要なのは、恋愛において、このことをしっかり覚えておいてもらいたいということなのである。ストーカーや犯罪者にだってなり得る危険性・リスクは恋愛にはあるということ。恋愛モードに入ると相手のことが好きで好きでたまらなくなり、どんなことをしたって手放したくないと思うことも多い。だが、一方で相手の気持と合わず、その恋心が一方的なものになり、喧嘩したり揉めたり、そして最悪犯罪行為にまで至る場合もある。理性を保つのはなかなか難しい場合もあるのだ。あなたも同じ人間だから、そのリスクをしっかり胸に持って欲しい。そこで、今回はこのリスクについて般若心経をもとに考えてみよう(般若心経なのかは実際どうでもいいですw)。



 ①恋愛における無我の自覚


 恋愛に無我が何の関係があるのか? このさっぱり意味不明感が私は好きである(笑)。無我とは何かというと、あなたはしっかり自我があると認識しなきゃならない、という意味である。普通の意味と反対だと思うかもしれないが、以前の「空」の記事でもそう書いているので参考にして欲しい。


 人は、自分が正しいことをしているとどうしても思い込みたがる習性がある。恋愛においてはこれが非常に顕著になる。例えば、好きな相手にプレゼントを送ったとしよう。プレゼントを送る意図は相手からの好意を得たいからであろう。これに異論のある人はいまい。


 しかし、好意は必ず得られるとは限らない。失敗することすら珍しくない。せっかくデートで上げたプレゼントが、中身も見ずにデートからの帰宅最中にゴミ箱へぽいなんてケースだって普通にある。すると、もしあなたがそのデート相手の帰宅が心配で、密かに後をつけていたりして、その捨てる光景を目撃したら、その相手を殴ってやりたいくらいの気持ちになるか、或いは落胆・失意のどん底に陥って死にたくなるかもしれない。これが不味い。


 ではどうすればいいのか。自我の自覚である。よく、「自分を見失うな」と言うであろう。単純な話、いかなる酷いことが起きようとも、あなたは自分自身を自分自身でコントロールしなければならないということだ。あなたは今平静心があり冷静だから「んなの出来るよ」と思うかもしれないが、「恋は盲目」という諺(諺か?)の通り、恋愛感情がそれをさせなくなる。恋愛感情とは相手を欲するという欲望・煩悩・執着心に起因する現象である。どうかね? 仏教でよく聞く言葉が沢山登場するだろ? 仏教パネェと思わんか?……思わなくてもいいけど。


 まずは、自我のコントロールが非常に難しくなり、リスクをどうしても伴う行為が恋愛だと知っておいてもらいたい。真面目な話だよ。



 ②恋愛で自我をコントロールするには?


 そう、冷静になれなくなると、自我をコントロールするのは難しくなる。私は、ここでとりあえず、瞑想をおすすめしよう。一人静に、或いは音楽を聞きながらでもいい、リラックスし、心をできるだけ落ち着け、肩の力を抜いてゆっくり呼吸し、背筋をピンと伸ばして、椅子でもいいから楽に座ろう。もちろん目を閉じ給え。今は恋人や好きな人はいなくていい。いてもいいがそれはまた別の話なので、困った時の話として後々にする。


 瞑想の目的は、一つのことを、出来る限り雑念を取り払って、冷静に客観的に多面的に考えることに意義がある。あなたは、今は好きな人がいたとしても、まだ恋愛モードには突入していないとしよう。しかし、どうにかして恋愛がしたい。キスしたり、ハグしたり、一緒をつないでデートしたり、楽しく時間を過ごしたり、セックスもしたいだろう、相手の笑顔が見たいだろう、(1)まずはそうしたいいイメージを、胸躍るくらいに心の中で描いてみよう。何分でも何時間でもいいけど、ニヤつくな(笑)。ここで重要なのは、その時の自分の感情を、自分自身で客観的に見ることである。


 心が実際踊ったと思う人もいるだろうし、むしろ虚しくなったと思う人もいるかも知れないが、あなたの頭・ココロの中はあなたが自由にしていい唯一の空間なのだから、その躍る気持ちや虚しい思いをコントロールできないのであれば、恋愛はやめるべきである。それは自分が制御できていないことを意味するからだ。すでに述べたとおり、恋愛は非常にリスクを伴う行為である。


 余談だが、これを教えない恋愛講座があまりにも多すぎる。恋愛は、恋愛シュミレーションゲームとはわけが違う。恋愛は生身の人間を相手にする行為なのだ。故に、希望や夢を持つのはいいが、それに支配されて幻想に溺れることは許されない。


 で、実際に瞑想した人は、コントロールできましたかね? 出来なかった人は「恋愛やめるべき」と言いましたが、しかし、出来ないということを自覚できたのであれば、何度もチャレンジして出来るようになればいいと思う。とにかく、この瞑想で大事なことは、ガチでしっかり恋愛のいいところと思うようなイメージを精一杯頭に描くことなので、一生懸命やってください。男の人は勃起したって構いません。ただ、オナりたきゃすればいいですけど、それは流石に後にして(笑)


 さて、瞑想はまだ終わらないよ。休憩したり、日を改めたりしてもいいでけど、(2)今度はそれとまるきり正反対に、恋愛の悪いイメージを一生懸命ココロの中に描いてみよう。当然、心を落ち着け、冷静に、リラックスして、目を閉じて座る、というのは変わらない。こちらの方はかなり難しいので、恋愛ドラマとか小説など、事前に見たり読んだりしておくほうがいいかもしれない。出来る限り悲劇的であり、場合によっては恋愛物語ですらなく、ストーカーを扱うような話でもいい。いずれにせよ、自分自身を悲劇的に、或いは悪人になるようなイメージはなかなか難しい。仮想上の恋愛相手を好きで好きでたまらず、それがどうしてもゲットできない辛さ・憎しみ・焦り・苛立ちのような悪感情を自覚出来始めたら成功。いずれにしてもいいイメージ描くよりは非常に難しいとは思う。どう? 出来た? 苦しくて涙や怒りすら出たら大成功。


 この悪感情を自覚できない人は、これも恋愛をやめたほうがいい。実際の恋愛では非常によくある話であり、うまく行かないことのほうが遥かに多いのが現実だからね。ある意味そうした、うまく行かないことなんかあり得て欲しくないという思いは捨てないと、実際にそうなったとき、かなり苦しみます。夢や希望を持つのはいい、でもここではそのリスクを知っておいてもらいたいので、瞑想講座をしているわけなんだからね。


 以上、初歩的恋愛準備瞑想法の基礎でした。


 ③自我コントロール実践編


 実践と言っても、まだあなたには正式に付き合っている人はいない状態の話。前回説明したような、まだ異性に慣れる段階で、マッチングアプリやら出会い系サイト、あるいは街コンなど、とりあえず、女性に慣れるための相手がいる状態だと思って欲しい。


 そういう相手が、スマホの向こう側や或いは目の前にいたりする。すると、なにかドキドキしないだろうか? そう、緊張である。もし仮に、②の瞑想を一生懸命実践して「よし行ける!自我をコントロールできる!」と思えたとしても、いざ生身の相手を前にすると、実はそれがなかなかうまく行かないことが多い。生身の相手と、妄想上の相手はぜんぜん異なるというわけだ。


 これは、先ず、当たり前だと思って欲しい。そんなにうまく最初から自我をコントロールできるなんて、なかなかそんな出来た人いないと思う。瞑想コントロールはただ、自分の知識として恋愛に対しどういう感情が生ずるかを事前に得ておいた方が良いという、単なる私からのアドバイスに過ぎない。知らないよりは知っておいた方がいいという常識的な考え方に基づくアドバイスだ。


 さて、生身の相手に対面して、大切なのは、もちろん、前回記事で話したとおり、異性(或いは同性)に慣れることである。こればっかりは、経験を踏むしかない。自然と慣れは自分自身に身につくであろうが、と、同時に大切なことは、ここでも自我のコントロールである。相手に何を言おうが、或いは何を言われようが構わないが、その時、自分がどのような感情に陥っているか、あるいは会話などを終えて一人になったとき、復習のつもりでその時の感情を、会話の内容とともに思い出してみよう。出来たら、会話を終わった後でなく、会話と同時並行的に自分の感情を把握してもらいたい。リアルタイムのほうが良い。


 実践編では、自我をそんなにコントロールできなくても良い。生身の人間との会話は、相手の気持を理解することでもあるし、自分の気持ちを伝えることでもある。話ししていて楽しくなることもあるだろうし、その反対にがっかりすることもあるだろう。何を話して良いのかわからずまごまごすることもあるだろうし、言ってはいけないことを言ったと思って「失敗した」と思うこともあるであろう。それが普通なので、あまり気にする必要はない。肝心なことは、その時感情がどう揺れ動いたかを、自分自身で把握できているか、或いはどれくらい把握できていたかを知ることにある。恥は掻き捨て、との言葉もある。そりゃ失礼な振る舞いはしてはならないが、そうならない範囲で、相手との自由な会話を楽しみ、自身の心の動きを把握しよう。


 そうした、自分の心の動きを把握できないと、恋愛行為におけるリスクが高まるからだ。これまで述べてきたことは、恋愛の悲惨な失敗の多くは、自我をコントロールできず、いわゆる自分自身を見失うから生じるのである。コントロールできなくなると、自身の心の異常な動きを自己正当化しようとしてしまう。コントロールできないので、正当化する以外に道がなくなってしまうからだ。こうなると、自己批判や反省は非常に困難になり、自分が何をしたいのかさえ見失う。そして、ストーカーになったり犯罪者になったりする危険性すら生じるのである。


 そこまでに至らなくとも、恋愛は実際、良いことより苦しいことのほうが多い、と思ったほうが良い。恋愛はめんどくさい。思い通りに行かない。喧嘩もする。あるいは、うまく行っていたはずなのに、唐突に別れを告げられたりもする危険なゲームでもある。そうした思いがけない状況で自分をコントロールできないとあっという間に、危険領域に落ちてしまうのだ。




 しかし、ここでちょっと敢えて言っておきたい。ここまで読んで、「うわぁー恋愛ってめんどくさいし怖い」と思ったあなた。ほら、そこの君や、あんたやがな。恋愛の成功事例は世界に無限に存在します。その人達もあなたと同じ人間です。みんな同じ人間なのよ。そしてそれを見て、ヨダレ垂らしながら、未経験者のあなたはそれを羨ましいと思っている。そう思うのであれば、自分もその羨ましがられる存在になりましょう。誰でもなれます。人を信じなされ。あなたを逆に好きになってくれる人はこの世界に必ず存在すると信じなさい。


 ではまた。




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