第27話:伏見京香は痛がる

 俺が振り向いたら、ちょうど伏見がつまずいて、まさに倒れかけているところだった。

 前のめりに倒れる伏見に俺は両手を伸ばし──伏見が俺の胸に飛び込んできて、そして俺の胸に顔を埋めた。


 伏見の身体を支えるために、彼女の背中に手を回す。

 手のひらに、伏見の背中の体温が白シャツ越しに伝わってきて温かい。


 間一髪、伏見が倒れずに済んで、ホッとした。


 

 それにしても──思いのほか華奢で細い肩と背中だ。

 女の子って、こんなに小さくて、壊れそうな存在なんだ……


 そして目の前の彼女の頭から、ふわりと甘いシャンプーの香りが漂って、頭がくらくらする。


 生まれて初めて女の子とこんなふうに身体を密着した俺には、刺激が強すぎる。


「大丈夫か、伏見?」

「あっ……ご、ごめんなさい」


 顔を上げた伏見は、顔中が耳まで真っ赤だ。

 ホログラム伏見も真っ赤な顔で、あまりに呆然としたのか、口をあわあわさせたまま無言。


 伏見ははっと急に我に返って、両手で俺の胸を押して身体を離した。

 そして強張った顔で、二、三歩後ずさる。


「あ、痛っ!」

「どうした?」

「さっき倒れかけた時に足首が……」


 伏見は突然うずくまって、右足の足首を手で押さえている。

 どうやら倒れかけて踏ん張った時に、足首を捻ってしまったようだ。


「立てるか?」

「うっ……」


 伏見はなんとか立ち上がったが、歩こうとして一歩を踏み出すと、顔を歪めてうめき声をあげた。

 ふらふらとして、立っているのが辛そうだ。


 俺は慌てて伏見の肩をつかんで支える。

 伏見も顔を伏せたまま俺の二の腕をぐっとつかんで、支えにしている。



 俺のせいだ……

 俺がふざけて、伏見をあせらせてやろうなんてしたから、こんなことになってしまった……


「伏見……ごめん。俺が悪かった」

「えっ……?」


 伏見は俺の言葉に、うつむいていた顔をあげて、不思議そうな目で俺を見る。


「なんで? なんで東雲しののめ君が謝るの?」

「いや、俺が早足で歩いたせいで、伏見が怪我をしちゃったから、俺が悪い」

「な……何を言ってるのかしら? たかだかちょっと早歩きしたくらいでついていけないほど、私の運動神経が悪い……そう言いたいのかしら、東雲君は? おほほ、バカね。私の運動神経を見くびらないでくれるかな?」


 痛そうに顔を歪めながら、俺の腕に体重を預けて、伏見はクールを装ってそう言い放った。

 しかし横では、伏見のホログラムが顔をくしゃくしゃにして泣きそうになってる。


『ふえーん、痛いよー痛いよーっ! でもあんまり痛がったら、勇介君が自分のせいだと悪く思っちゃったら申し訳ないから、痛くないふりをしなきゃーっ!』


 ──どこまでツンを貫き通そうとするんだよ。

 それにコイツは、俺のせいで怪我をしたなんて全然思っちゃいないんだ。

 俺が悪いとか、俺に恨みを持つとか、全然考えていないんだ。


 ──バカはお前だよ、伏見京香。


 お前は──なんていいヤツなんだ。

 今のは俺が悪いんだし、怪我をして痛いときくらいデレを出して甘えてこいよ。


「いや、ちゃんと伏見に配慮して、ゆっくり歩かなかった俺が悪い。ごめん」

「あ……そんなことないから……気にしないでいい」

  

 伏見はまだ痛みに顔を少し歪めながらも、クールに答える。


 ──コイツ絶対に無理してるよな。


 そんな伏見の笑顔がいじらしくて、胸の奥がキュンとした。


「痛くなんかないし。早く帰らないと、真っ暗になるわよ。さあ帰るわよ」


 薄暗くなっている空を見上げて伏見は、歩き出そうと一歩踏み出した。


「あっ、痛っ……」


 伏見は踏み出した足を庇うようにしてよろける。


 全然大丈夫じゃないじゃないか。

 慌てて伏見の肩に手を添えて支えた。


「無理すんなって。ちょうどそこに公園があるし。痛みが引くまで、ちょっとベンチで休んでいけ」

「あ、うん」


 思いのほか素直に伏見は同意した

 よっぽど足首が痛いに違いない。


「じゃあそうするわ。さようなら東雲しののめ君」

「さよならって、どういうことだ?」

東雲しののめ君は、さようならも知らないの? good-byeもしくは see youあるいはパアーラムよ」

「いや、俺の母国語は日本語だから……さよならの言葉がわからないわけじゃない。わざわざ英語で言い直さなくていい」

「あら、そうだったのね。意外ね」

「意外でもなんでもないだろっ! ちなみに最後のパアーラムってなんだ?」

「タガログ語でさようなら」


 なんだそれー!?


 こんな冗談が言えるなら、確かに怪我は大丈夫なのかもしれない。


「あの……伏見?」

「なにかしら?」

「だからさよならって言葉の意味を知りたいんじゃなくて、なんでお前はさよならなんて言うのか聞いてるんだよ」

「だって東雲しののめ君は忙しいでしょうし、もうこんなに薄暗くなってきたし、先に帰りたいでしょ」

「なにを言ってるんだ伏見。俺を見損なうな。怪我をした女の子をほっぽって帰るほど、俺は冷たかない」


 俺は伏見に、そんな冷たい男だと思われてたのか……残念だ。

 ──と思いかけたけど。


『ふえーん、勇介君が怖い顔をしてるーっ! 怒らないでーっ! もちろん勇介君がそんな冷たい人だなんて、全然思ってないからねー でも私のせいで勇介君が帰るのが遅くなるのは、申し訳なさ過ぎるから……先に帰ってもらいたい……ぐすん』


 あ、いや、そうだったのか。

 伏見の心遣いに気づかないで悪かった。


 ちょっとぶっきら棒な言い方をしてしまったな。

 伏見をビビらせてしまったみたいだ。


 実物の伏見は強張った顔つきで、俺の顔を見てる。

 ごめんな伏見。


 よし!

 俺も覚悟を決めて、全力で伏見を助けることにしよう。

 ──そう決めた。

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