第9話:伏見京香はヒーローに救われる

 俺は急いで理科実験室の出入り口から飛び出して、廊下を走って、裏庭への通用口から外に出た。


 角を曲がれば、すぐそこは伏見と西園寺がいる場所だ。




「おい、伏見!」

「えっ? 東雲しののめ君? なんでここに?」

東雲しののめ君? 誰だ、お前? ちょっと今、俺達は忙しいんだ。どっか行ってくれ」


『わーっ! 勇介君が来てくれた! なんで!? こんないざという時に現われるなんて、カッコよ過ぎるーっ! いやーん、嬉しいよーん!』


 伏見のホログラムが、泣きべそをかいてる。

 悪かったな、ヒーローの登場が遅くなっちまって。

 まあ実物の伏見は、至って冷静でクールな顔をしてるけどな。


「おい、伏見! お前、掃除当番さぼって何してるんだよ! 早く来いよ!」


 きょとんとしてる西園寺の前で、伏見の手首を握って、引っ張った。


『ぎょえーっ! 勇介君に手を握られたー! ヤバいヤバいヤバいヤバいっ! 手があったかくて気持ちいいー! 嬉しすぎてキュン死するぅーっっっ!』


 ホログラム伏見のヤツ、白目を向いてる。

 ホントに失神しやしないだろうな?


 でもちょっと大げさだろ?

 トップ男性アイドルに手を握られたくらいの反応だぞ、それは。


 まあ俺は嬉しいけどな。


「おい、まてよお前。東雲しののめとか言ったな。俺達は今、大事な話をしてるって言ったろ? 掃除当番なんか、いいじゃないか」

「いや、ダメだ。掃除当番は、学校で最も大事な用件だ」

「お前は、真面目かっ!」

「俺は真面目なんだよっ!」


 あはは、俺ってテキトーだな。

 何が『掃除当番は学校で最も大切』だ?

 自分で言ってて、笑けそうだ。


「はぁっ!?」


 西園寺は鼻息が荒くなってる。

 相当俺に腹を立ててる様子だ。

 ホログラムの方なんか、目をひん剥いて俺を睨んでる。


『なんだこいつ!? ボコボコにしばいてやろうか! ……でも部活のことを考えたら、そんなことはできないし……』


「なあ、東雲しののめ君。頼むよ。ホントにその子と、大事な話をしてるんだ。伏見さんを置いて、どっか行ってくれよ」

「やだね。学校イチのモテ男だかなんだか知らないけど、ウチのクラスの女子に手を出すのはやめてくれ!」

「はあ? お前にそんなことを言われる筋合いはない」

「あるよ。だって伏見は、西園寺さんのことを嫌がってるじゃないか」

「この子が俺を嫌がってるって!?」


 西園寺は、俺をバカにするように鼻からフッと息を吐いた。

 超絶モテ男の自分が嫌われてるなんて、信じられないんだな。


「ああ、そうだよ」

「いや、なんでお前はそんなことがわかるんだよ? お前はエスパーかよ!?」


 うーん……俺はエスパーじゃない。

 エスパーってのは、他人の心の声が聞こえるだけだけど。

 俺のは声が聞こえるだけじゃなくて、なんと心の中の表情も仕草もぜーんぶ見えるからな。


 エスパーごときと一緒にしないでくれ。


「エスパーじゃないけどさ。伏見を見てたらわかるんだよ」

「こ、こんなにクールな表情なのに?」

「ああ、そうだよ。なあ伏見。お前はこの西園寺さんの申し出を、受ける気なんか、全然ないよな?」


 伏見はコクっとうなずいた。


「ホントか伏見さん? コイツの言うことに合わせる必要なんてないぞ?」

「いえ、ごめんなさい、西園寺先輩。東雲君の言うとおりなの」

「な……なんで? 学校イチのモテ男だぞ、俺は。告られて嬉しくないのか?」

「だって……なんか見た目だけで人を判断してそうだし。それになんか、とにかく嫌」


『だって……だって……絶対に勇介君の方がいいもーーーん!』


 伏見の言葉を聞いて、西園寺はでっかいハンマーで頭を殴られたような、ショックまみれの青い顔をしてる。


 ホログラムの方なんかは頭を抱えて、呆然としてる。


『がーーーーんっ!! マジかよっ!? 今までこんなに簡単に振られたことなんかないぜ……マジかよ……マジかよ……』


 あはは、よく言ったぞ伏見。

 よし、この隙に逃げよう。


「おい伏見、行くぞ! 掃除当番の仕事が待ってる!」

「あ……うん」


 伏見の手を握ったまま、走り出した。

 廊下に入ったところで手を離す。


『えーっ!? もう手を離しちゃうのー? やだやだやだよー 残念すぎるっ!』


 このまま人目がある所に出てしまうと、えらいことになる。

 なんてったって、伏見は超絶美少女として有名人だ。


 俺なんかと手を握って校内を駆け抜けたら、そりゃもう学校内がパニックになる可能性もある。


 だから俺は手を離すしかないだろ。


「ところで東雲しののめ君。なんで私が西園寺先輩に言い寄られてて、しかも私がそれを嫌がってるってわかったのかしら?」


『それがすっごい不思議なのよねー! なんで? なんで? なんでなの勇介君!』


「あ、いや……たまたまあの場所を通りがかってさ。それで西園寺と伏見の顔を見たら、なんとなくそんな気がした」

「なんと……なく?」


 伏見は怪訝な顔をしてる。

 そりゃそうだろうな。


 だけど、俺は他人の心の中が見えるから、なんて言えやしない。


「ああ、そうだよ。もしかして、俺の予想は間違ってたか?」

「いえ……間違ってはないわ。でも私、そんな顔をしてたのかしら?」


 伏見の本体は、怪訝な顔をしてる。

 だけど本心……つまりホログラムの方は──


『うっわ、すっごーい! 無表情を装ってたつもりなのに、勇介君は私が嫌がってる気持ちを、ちゃんと読み取ってくれてたんだー! うーん勇介君って、気配りも一流なんだねー! 益々好きになっちゃうよー どうしよう!?』


 あはは。

 気配りじゃないよ。


 せっかく絶賛してくれてるけどな。

 なぜか魂みたいなのが見えるおかげだ。


 期待外れで悪りぃ。


 それにしても『たまたま通りがかった』なんて胡散臭い嘘を、伏見は完全にスルーしてるな。


 あんな人通りの少ない場所に、たまたま通りがかるなんて確率は極めて低いのに。


 ──コイツがアホで良かった。



「いや、そんな顔をしてたって言うか……俺はそう感じたんだよ。なんとなくな」

「ふーん……まあいいわ。助かったのは確かだし、今日のところは東雲しののめ君に感謝しておこうかしら」


 何をクールに言ってやがる。

 心の中では、大絶賛してるくせに。


「ありがと、東雲しののめ君」


 伏見は両手を後ろ手にして、小首を傾げて、急にニッコリと笑いやがった。

 肩までの黒髪がふわっと揺れてる。



 くっそ!

 ──可愛いじゃねぇか!


 やられたよ伏見。


 でも俺だって、たまにはツンツンキャラで返してやる。


「じゃあな、伏見。俺はこのまま帰るわ。もちろん掃除当番なんて嘘だから、お前も適当に帰れ」

「あ……」


 伏見に向かって手を振ると、伏見はちょっと呆然とした感じになった。



 ホログラム伏見は両手をぶんぶん振って、悔しがってる。


『えーっ!? 今のデレは可愛くなかったー? 渾身のデレだったのにー! ショックぅー!』


 いや、そんなことないぞ伏見。

 結構……いや、かなり可愛かったぞ。

 だからそう落ち込むな。


 まあ今日のところは、カッコいいヒーローとして現れたんだから、俺にもたまには、最後までクールでカッコいいヒーローを演じさせてくれ。


 この前なんて、頻尿のフリまでしたんだから、たまにはいいだろ?


「じゃあな伏見。また明日」


 俺は呆然とする伏見京香をその場に残して、颯爽と帰って行ったのであった。

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