アーク・サマー

川口健伍

1

 伊庭128がアークと初めて会った日も、彼女は白いワンピースだった。

 初めて訪れる別荘地への山道で、伊庭は電動バイクを停める。休憩がてら眼下の景色を多重現実オルタナのキャンバスに写し取ろうと、絵筆を走らせていた。

 その時だった。

 不意に茂みから、鮮やかな緋の色が飛び出してきた。

 アークだった。

 伊庭は茫然と彼女に見入った。美しいコントラストだった。濃い緑を背景に、緋色が燃え、白いワンピースが一層その輝きを引き立てていた。

「誰?」

 なぜか彼女は鳥籠を抱えていた。木製の、一抱えもある大きなもので、よく見れば中には何も入っていなかった。空っぽの鳥籠だった。

「配達会社の格好……でもそれは、絵よね?」

 見定めるように彼女の視線が伊庭を上下する。

「サボり?」

 伊庭は応えられなかった。違うと言いたかった。しかしそれはできなかった。無地のキャンバスを開き、筆を動かし始める。いまここを、緋い髪と白いワンピースをどうにか残そうと――。

「ねぇ、ちょっと?」

「そのまま、動かないで」

「え? もう、なによいったい!」

 彼女はずんずんと歩み寄り、伊庭の腕をつかむ。

「なんで描いてるのよ」

 伊庭は瞠目した。それは根源的な問いだった。手を止め、口を開く。

「それは、なかなかむつかしい問題だね」

「もう! そうじゃなくって!」

 これよ、と彼女が指さした先には描きかけの絵があった。勢いだけの、ひどいものだった。急に恥ずかしくなって伊庭はオルタナを閉じた。

「あ」

「ごめん、勝手に描いて。もう消したから」

「うん、でも……」

 何も消すことないじゃない、と彼女は小さくつぶやいた。

「え? 何か言った?」

 なんでも、と首を振り、緋の色が遅れて流れる。

「ねぇそれが――絵を描くことが、キミの『もうひとつの計画オルタナティブプラン』なの?」

 そこでようやく、伊庭は彼女がアンドロイドであることに気がつく。『もうひとつの計画』――労働資源に課された、生業とは別の任務だ。労働資源としてだけではなく、研究資源としてのヒューマノイドの活用が、この『もうひとつの計画』だ。生業が製造時から既定されたものである一方、『もうひとつの計画』は起動後の選択式であり、徐々に最適化させていくものだった。

「じゃあ、それが」うなずいて伊庭は鳥籠を指さした。「君の『もうひとつの計画』?」

「そう。今日も探してたの。でも、これにはきっと、何も入れられないわ」

「え?」

「それで、キミ、名前は?」

「型式番号N〇一二八、パーソナルネームは伊庭」

 伊庭の表示したIDを一瞥し、彼女は言った。

「配達先、うちなんでしょ。ついでに送ってよ」

 すたすたと給電中のバイクに近づいていく。

「でも、二人乗りはできないんけど」

大丈夫、と彼女がバイクを一撫ですると、モーターが勝手にスタートする。

「ハックしたから、ほら今のうちに」

 鳥籠を抱え、にっこり彼女は笑う。バイクに設定された安全基準を一時的に騙したのだろうか。伊庭には見当もつかない方法でバイクがハッキングされている。

 にこにこ笑うアークに手招きされるまま、いつのまにか伊庭はバイクにまたがり、発進している。

 強い風、不穏な振動音と、普段とは全く異なる荷重バランス。

「そういえば、名前は?」

 伊庭は背後に向かって叫んだ。

「もう! 今頃訊くんだから!」

「ごめん!」

「柳瀬アクジス! そうね、あなたは――アークって呼んでもいいわよ!」

 伊庭にとって、仕事以外で初めて仲良くなったヒューマノイドだった。

 そして、それはアークも同じだったようだ。

 二体ふたりはそれから配達のたびに、会話を交わすようになった。伊庭の滞在可能時間をいっぱいに使って。

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