アーク・サマー
川口健伍
1
初めて訪れる別荘地への山道で、伊庭は電動バイクを停める。休憩がてら眼下の景色を
その時だった。
不意に茂みから、鮮やかな緋の色が飛び出してきた。
アークだった。
伊庭は茫然と彼女に見入った。美しいコントラストだった。濃い緑を背景に、緋色が燃え、白いワンピースが一層その輝きを引き立てていた。
「誰?」
なぜか彼女は鳥籠を抱えていた。木製の、一抱えもある大きなもので、よく見れば中には何も入っていなかった。空っぽの鳥籠だった。
「配達会社の格好……でもそれは、絵よね?」
見定めるように彼女の視線が伊庭を上下する。
「サボり?」
伊庭は応えられなかった。違うと言いたかった。しかしそれはできなかった。無地のキャンバスを開き、筆を動かし始める。いまここを、緋い髪と白いワンピースをどうにか残そうと――。
「ねぇ、ちょっと?」
「そのまま、動かないで」
「え? もう、なによいったい!」
彼女はずんずんと歩み寄り、伊庭の腕をつかむ。
「なんで描いてるのよ」
伊庭は瞠目した。それは根源的な問いだった。手を止め、口を開く。
「それは、なかなかむつかしい問題だね」
「もう! そうじゃなくって!」
これよ、と彼女が指さした先には描きかけの絵があった。勢いだけの、ひどいものだった。急に恥ずかしくなって伊庭はオルタナを閉じた。
「あ」
「ごめん、勝手に描いて。もう消したから」
「うん、でも……」
何も消すことないじゃない、と彼女は小さくつぶやいた。
「え? 何か言った?」
なんでも、と首を振り、緋の色が遅れて流れる。
「ねぇそれが――絵を描くことが、キミの『もうひとつの
そこでようやく、伊庭は彼女がアンドロイドであることに気がつく。『もうひとつの計画』――労働資源に課された、生業とは別の任務だ。労働資源としてだけではなく、研究資源としてのヒューマノイドの活用が、この『もうひとつの計画』だ。生業が製造時から既定されたものである一方、『もうひとつの計画』は起動後の選択式であり、徐々に最適化させていくものだった。
「じゃあ、それが」うなずいて伊庭は鳥籠を指さした。「君の『もうひとつの計画』?」
「そう。今日も探してたの。でも、これにはきっと、何も入れられないわ」
「え?」
「それで、キミ、名前は?」
「型式番号N〇一二八、パーソナルネームは伊庭」
伊庭の表示したIDを一瞥し、彼女は言った。
「配達先、うちなんでしょ。ついでに送ってよ」
すたすたと給電中のバイクに近づいていく。
「でも、二人乗りはできないんけど」
大丈夫、と彼女がバイクを一撫ですると、モーターが勝手にスタートする。
「ハックしたから、ほら今のうちに」
鳥籠を抱え、にっこり彼女は笑う。バイクに設定された安全基準を一時的に騙したのだろうか。伊庭には見当もつかない方法でバイクがハッキングされている。
にこにこ笑うアークに手招きされるまま、いつのまにか伊庭はバイクにまたがり、発進している。
強い風、不穏な振動音と、普段とは全く異なる荷重バランス。
「そういえば、名前は?」
伊庭は背後に向かって叫んだ。
「もう! 今頃訊くんだから!」
「ごめん!」
「柳瀬アクジス! そうね、あなたは――アークって呼んでもいいわよ!」
伊庭にとって、仕事以外で初めて仲良くなったヒューマノイドだった。
そして、それはアークも同じだったようだ。
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