ある兄妹のこと
古新野 ま~ち
第1話 昔日
T兄妹――ありふれた名字だが彼らにも人権があるので伏せることにする。これからの文章は全てその配慮がなされていると考えてほしい。話を戻そう。Tの兄の方、賀条は僕のクラスメイトだった。5年2組に彼がやってきたとき、我々は二つのことで騒ぎになった。制服では隠しきれないほど筋骨逞しいのは柔道の県大会優勝者だからだということと彼の妹についてのことだ。
先に彼の怪力について話しておきたい。
公立の小学生が退屈と悪意を分別できるわけがなかった。彼の背後から複数人の男子たちがタックルをした。僕もそのなかにいた。しかし彼は僅かもバランスを崩さなかった。そして最も近くにいた男子の頬骨を肘で砕いた。殴られた男子は後に、死んだ方がマシだという痛みだったと語っている。多分に誇張を含んでいるが、彼の気性の荒らさは他人を虐めようとする方には向かずただの通り魔的に、単純な理由で発露した。
鼻血を垂らして倒れるかれを僕ひとりで保健室に連れていった。他の子たちは一目散に逃げた。
翌日、どういうわけか彼は僕の後をついてきて行事やその他の些事――学校生活でおこる避けられない集団行動――の相手に僕を指名するようになった。当然、僕の周りにはクラスメイトが寄り付かなくなった。
Tの妹の方は佐環という。3年のクラスメイトたちは男女問わず、彼女の下駄箱に手紙を入れたそうだ。ラブレター7割と彼女を様々な理由で逆怨みした者による手紙が3割だったらしい。本人がそう言っていた。
佐環本人の言葉を載せておく。
「うちのことを好きな人を好きな人はうちのことを嫌いという単純な動機だけれど、それが分かっているなら、うちのことを好きな人よりも意図どおりに動いてくれるねんな」
佐環はその怨みで満たされた手紙を校舎の壁に貼った。夜中に忍び込み、すぐには剥がれないように強力な接着剤を用意していた。単純な言葉の暴力の手紙が窓ガラスや誰かの下駄箱やリノリウムの廊下に散りばめられていた。
教師たちは頭を抱えながら必死に剥がした。生徒たち総出で学期末でもないのに大掃除をするはめになった。
言葉の暴力が無意味に氾濫する様子は、アートのようなものだと今の僕なら批評する。
当時、僕が誰にも言わなかったことを書いておこう。実は、この忌まわしい手紙はかなりの量が水増しされている。佐環のもとにきた手紙をコピーしたものや、彼女と僕でそれらしき文章をそれらしき文字の形を真似して書いたものなどが混ざっている。
彼女は兄の「友人」の家が貧乏であるのを調べあげて、人気のジャンプコミック全巻セットで何でも言うことを聞くだろうと見抜いたのだ。ちなみにそれらは今でも実家に置いている。
夜中に窓ガラスを叩き割って彼女が指示するままにペタペタと手紙を貼っていくのは愉快であった。シンナー臭をかぐと真っ暗な廊下を懐中電灯で照らした晩を思い出す。
中学にすすむと賀条はいくつか暴力ざたをおこしながらも、周りの大人たちの暖かい配慮をうけて全国大会に進出するくらいの選手に成長した。高校は、地方で有力な宗教を母体にした私立に進学したため、何も考えず公立に進学した僕とは会わなくなった。
T兄妹とはそれっきりであった。彼女がどこの高校に行ったのかを僕はしらない。
ある日、賀条が僕の勤め先に客として現れた。最初は驚いた顔をしたが、彼はまるで十年が経ったというようなそぶりをしなかった。そして僕の近々の休日を聞くと手帳を取り出して、二重線を引いた。10時に京橋に来てとだけ言って、彼は立ち去った。
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