君に触れたい
ガチ岡
プロローグ
「君は本当に可哀そうな人だね」
彼女は僕の方を見ずにポツリとつぶやく。
それでも不思議とムキになるわけでもなく、僕はただただ自然とその言葉を受け入れてしまう。もちろんそれに関しては我ながら情けない限りなのだけれど、でもそれはきっと仕方のないことなのだろう。――それくらい僕は彼女の美しさに魅入られてしまったのだから。
『これが惚れた弱み』というものなのかと、僕は何かの小説で読んだ陳腐なセリフをふと思い返す。
「ほらね。やっぱり君は可哀そうで――そして、とても可愛い私の
ようやくこちらに振り向いた彼女は、何が楽しいのか、ニヤニヤといたずらっぽい笑顔を浮かべている。
「……本当に僕を僕にしてくれるんですか?」
僕は不安げに尋ねる。自分では気づいていないだけで、ひょっとしたら少し声も震えていたかもしれない。
「ああ、本当だよ」
まるでそんな僕の不安を煽るように、彼女はいたずらっぽい笑みを崩すことなく答える。
一歩、二歩、三歩、四歩、彼女はゆっくりとした足取りで、しかしいかにも上機嫌といった感じで僕に近づき、そして五歩目を大きく踏み出したところで、彼女は僕の目の前に立った。
「ねぇ、これからどうする?」
と、彼女は僕に対してそんな抽象的なことを尋ねる。
「……どうするとは?」
「相変わらず察しが悪い人だね。君のそういうところ、嫌いだよ」
先ほどまでとは一転していかにも不機嫌そうな感じで彼女は僕に背を向ける。それでも僕から離れていかないところに、彼女の優しさとか、寂しさとか、何だかそういう人として本来持っていなければいけない大切な何かを感じた。
「……皮肉だね」
『私はもう何年も前から人間ではないのに』と、彼女は近くにいる僕にも聞こえるかどうかというくらいの小さな声でそんなことをつぶやいた。
「今さら何ですが、吸血鬼ってどんな存在なんですか?」
「君……本当に何も知らないで吸血鬼になるつもりだったのかい?」
「だから、前にもそう言ったじゃないですか」
彼女は心底意外そうにこちらを見ていたけれど、僕からすれば何を今さらといった感じだった。
そう、僕にはそんなことは何も関係ない。はっきり言って、吸血鬼がどんな存在かなんてことは僕にとってはどうでもいいのだ。
――僕はただ、特別な存在でありたかった。
「それは『その他大勢の誰かになりたくない』と思うことと、一体何が違うんだい?」
彼女はまた僕に顔を近づけながら尋ねる。
僕よりは幾分か身長の低い彼女にこうやって顔を近づけられるのは何というか……こう、精神衛生上よくない。チラチラ見える胸元とか、上目遣いとか、彼女が発しているそういった邪な何かは、思春期真っ盛りで純真無垢な僕の心にはいささか刺激が強すぎる。
「ねぇ? 聞いてる?」
「ああ、すいません」
僕は慌てて誤魔化したけれど、僕の方をじーっと目を細めて見つめる彼女の態度から察するに、僕が彼女のことを少なからずエロい目で見ていたことなど、彼女からすればとうにお見通しなのだろう。……もちろん後悔はしていない。
「それで? 結局そんな風に自己顕示欲の強い
「別に、何か目的があるわけじゃないですよ」
「本当に?」
「ええ、多分あなたの言う通りなんだと思います。僕は、特別な存在になりたいのではなく、その他大勢の一人になりたくないだけなんですよ、きっと」
僕は自嘲気味に話す。なるほど冷静になって考えてみると、彼女の言っていることは確かに的を得ているようで、今の僕の心境を適切にとらえていた。
結局のところ、僕は特別な存在でいたいなどと言っておきながら、特別なりたいものや自分の理想像なんて何一つなく、ただ何となく『人とは違う何か』を求めているだけだった。それはまるで現実を受け入れられず駄々をこねている子供のようで、なんだか我ながらとても情けない話だと思った。
「なるほど。まあ吸血鬼になったからといって、別に特別な存在になれるわけじゃないけれどね」
と、そんな僕の不安を知ってか知らずか、彼女はそんなことを言う。
「そういうものですか?」
「そういうものだよ」
そしてまたいたずらっぽく笑う彼女を見ていると、何だか僕までおかしくなってしまって、不意に笑いがこぼれてしまう。
「……やっぱりあなたは本当に不思議な人ですね」
僕はそれを誤魔化すようにそんな風に悪態をつく。
「ふふ、君は本当に可愛い人だね」
「――? 可哀そうなやつなのでは?」
「そうだけど、でもそれ以上に可愛いんだよ!」
「言っていることがころころ変わるな……」
僕が苦笑していると、
「さて、こんな風に話してばかりいるのもなんだし、そろそろ始めようか」
そう言ってまた彼女は僕に顔を近づけ、
「――これから私と永遠の時間を過ごそうじゃないか」
そう言って彼女は僕の首元に噛みつき――そして、僕は吸血鬼になった。
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