籠城

 妻は、平日もずっと家族3人がこの家にいるのは物理的にも精神的にも窮屈であるので、娘を連れてしばらく実家で過ごしても良いかと言った。最近、妻の父の体調が思わしくなく心配になっていたようだ。まあ、田舎では都会のように人々が密閉空間に密集することもなく新型コロナウイルスの感染リスクも低いだろうと思い、私もいわゆるコロナ疎開に同意した。

  WFHでは朝食を済ませて寝間着を普段着に変えると即勤務である。9時ごろに上司のオンラインが緑色になっているのを確認してチャットを送る。

「課長、おはようございます。ただいまから業務を開始いたします。よろしくお願い申し上げます。」

 しばらく、間をおいてから、上司が入力していると表示される。

「おはようございます。お互いWFHを頑張りましょう。離れていてもいつも傍にいるつもりで何なりとご連絡ください。」

 とおそらくその気もないことを返信してくる。もっとも、課長が私の自宅で常時傍にいられてはたまったものではない。

「承知いたしました。ありがとうございます。」

 鼻毛を抜きながらチャットを速やかに返す。

 昨夜遅くまで仕事をしていた奴らのメールの処理から仕事は始まる。10時半頃にはすべてをクリーンアップし、コーヒーでも飲んで一休みすることにする。テレビをつけて観る。平日のこの時間にリビングで堂々とテレビを観ることなどあまりない。

 昼ご飯を挟んで、電話会議で後輩社員の業務上の個別相談に乗ったり、プロジェクトの打ち合わせ会議に参加する。書斎を持っていたり、自宅の広さを顕示したい参加者や自宅なのに気合を入れたメイクを仕込んだ美意識高い女性はビデオモニターオンで参加している。私はどれにも該当しないので当然ビデオモニターオフであり、参加者一覧の小さな画面の中で入社時に撮影した若者的自分が写真で笑っている。

 どうせ今日は夕方まで会議もないのでゆっくりすれば良いのだが、自分のPCのオンライン状態があまり長時間退席中となるのはさぼっているようにとられかねないのでまずい。オフィスならそれほどの罪悪感もないし、気にしないのだがWFHでもどこか逃亡中の罪人的感覚となりびくびくとしている。ちょうど学生がずる休みをして昼間家でごろごろしている時の心理に似ている。

 無事に夕方の会議も終えて、就業終了時間の17:45を過ぎた。オフィスでは到底この時間に退席することなどできず、どうでもいいことをネットで検索したり、経費処理や別に急ぎでもない用事をPCでしてデスクワークしているふりをして時間を稼ぐ。WFHでは、ここで油断してはいけない。PCでオンライン状態を維持したまま、風呂を沸かして入り、風呂上りによく冷えた缶ビールをプシュッと良い音を立てて開けて飲み干す。19時頃に上司や同僚のオンラインがオフになり始めるのを確認してPCの電源を落として食事とする。

 安い焼酎をだらだらと飲みながらソファーに寝転がってテレビを観たりネットサーフィンしていたら、目を開けているのもだるくなり、寝室に行ってベッドに潜り込む。

 夜中、戦国時代の武士になり籠城する夢を見た。

翌朝、妙に印象に残っている夢を思い出しながら、

「しかし、これはウイルスと戦う現代版籠城と言えるかも知れんな。もっとも快適的な面もあるのだけど。」

と思った。

 その後新型コロナウイルスの感染拡大は収束の兆しを見せず、結局このような籠城が数か月続くことになった。おまけに事態は深刻で隣県移動禁止令や外出禁止令が相次いで発令されたので妻も娘も実家にとどまることになった。

 

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