~境界~1


ジリリリリリリリリ!

 いつものようにやかましく目覚ましが鳴り響く。時間は五時三十分。

 眠たく目を擦る。 私は起きてから出発まで余裕がほしいため普通に起きる組の三十分前くらいに目覚ましをセットしている。しかし社員寮の壁は薄く、消さずに鳴り続けていると苦情がきてしまうような造りだ。

 ベッドから這い出てコーヒーメーカーのところまでたどり着く。雪の結晶のイラストが描かれたお気に入りのマグカップにコーヒーを注ぎミルクとハーフで入れる。ブラックはあまり得意ではない。

 パンをトースターにセットしベランダに出て朝の一服をする。 幸い部屋は狭いがベランダはついているため私はいつもここで朝の調子を整えている。

 眠たい目を半開きにしながら快晴の空を眺め出勤前の優雅な一時を過ごしていた。


「おはようございまーす♪」


 突然の挨拶に驚き、声のした方に顔を向ける。

 隣のベランダから顔を出していたのは私と同じ時期に住み込みのアルバイトとして寮に入ってきた元気な女の子、斉藤 香 ( さいとう かおり ) さんだ。なぜ男子と女子が同じ寮なのかはさておき、入ってきた順に部屋が割り当てられるため私の部屋の隣に住んでいる。


「お、おはようございます。」


 いきなりの挨拶にたじろぎながら挨拶を返す。この寮のベランダはセキュリティがかなり甘く、ちょっと顔を出せば隣のベランダにこんにちはができるのだ。今斉藤さんがやっているのが良い例である。


「アハハ!びっくりしてるー。隙を見せちゃあいかんですよぉ!」


 眩しいばかりの笑顔で言われたが隙だらけなのは私の部屋だから当然である。どうやら斉藤さんにとってプライバシーとは板一枚で隔ててあるベランダでは関係ないようだ。


「いやぁー不意をつかれましたよ。まさか今日最初の挨拶がベランダとは思っても見なかったので。」


「フフフ、私は神出鬼没なのだよ!」


 少し嫌みっぽく言ったつもりだったが斉藤さんには伝わっていなかったようだ。まぁそこが斉藤さんの良いところでもあるのだけれど。

 斉藤さんは私の二つ年下で二十三歳。我が旅館の期待のルーキー仲居さんである。笑顔を絶やさず愛想が良い斉藤さんはお客様からも同僚からも評判が良い。そんな斉藤さんに敬語なのは私が人見知りで、斉藤さんがフランクなのは人柄からだろう。


「てか光さん!なんでいつまでたっても敬語なの!?これじゃあ永遠に距離が縮まらないよ!」


 来た、最近の斉藤さん絡みが始まった。近頃私と会話すると結局この敬語をやめろという話になる。私は仕事の人間とプライベートの人間を混同させたくないのと、深入りしない為に職場の方には年下であっても敬語で通している。


「ごめんなさい。私は今までこうやってきたので今更変えられないんですよ。まぁ癖みたいなものですかね。」


 なんて定型文をいつも繰り出す。


「んもぉー絶対にその敬語を壊してやるー!じゃあまた後でね!」


 壊す?やめさせるということだろうか?とりあえず朝の騒動は収まり一服もし終わったのでちゃっちゃと朝ご飯を食べて支度を済ませる。

 家を出るのは大体六時三十分。皆さんの出勤時間より少し早く家を出る。私は社員寮の二階に住んでいる為階段を降りて行く。そうすると大概女性二人が階段下で待ってくれている。

 先程の斉藤さんと坂上 翼 ( さかがみ つばさ ) さんである。

 坂上さんは斉藤さんと同い年なのだが私たちより一年先に旅館の仲居さんをしている先輩だ。その為敬語でもさほど嫌がられはしない。 性格は大人しく感情の起伏が少ないので掴みづらいが良く言うと物静かな女の子である。


「もぉー!遅いよ光さーん。メガネっちもプンスカだょー。」


 メガネっちとはメガネをしている坂上さんのことだ。私もコンタクトとメガネを使い分けているが斉藤さんに初めて会った時はコンタクトだったのでメガネっちというあだ名は避けることができた。


「いやぁー支度に手まどいまして。待っていていただいてこんなこと言うのもなんですけど、先に行っててもよかったんですよ?」


「なんですかそれぇー!光さんひっどー。一言多いよぉー!ねーメガネっち!」


「なんでもいいわ。揃ったのなら行きましょ。」


「あぁー、待ってよーメガネっち~。」


 こうしていつも通り三人での出勤で私の一日は始まるのであった。

 私たちの社員寮から我が旅館「時雨の宿」までは徒歩十分ほどで着く。行きは上り、帰りは下りと山特有の地形である。そのまま山を上っていくとスキー場があり、山を下ると街がある。スキー場までは割りと近いのだが街まで行こうとすると車で数十分はかかってしまう。ここに来たばかりの私は寮の自転車を借りて街まで買い出しに行っていたがこれがかなり辛く、時期も夏だったので地獄を見ていた。最近は車を持っている職場の先輩についていくか頼んだりする。

 ちなみにこの間行った山道の脇道は社員寮と旅館の丁度中間の地点にある。

( 今日の帰り、またあそこに行こうかな。 )

 胸ポケットに入っている拾ったロケットをおもむろに触りながら考えていた。なんて思っていた矢先。


「ねぇー光さん。今日はせさんが買い物に連れていってくれるらしいけど来るよねー?」


( なに!今日は長谷川さん買い物デーだったのか! )

 長谷川 美穂 ( はせがわ みほ ) さんとは社員で仲居さんのリーダーのような存在であり人望も厚く、下の者を気にかけてくれる心優しいベテラン上司なのだ。冷蔵庫の中身も底を尽きはじめているし、長谷川さんの好意を無視するわけにもいかない。山道はまた今度にする他ないだろう。


「もちろんです!長谷川さんに荷物持ちは任せてくださいと伝えておいてください。」


 唯一私が心を開いていると言っても過言ではないお姉さんのような存在、長谷川さんの為なら二言はないのである。


「やったー!メガネっちも来るよねぇー?」


「もちろんご一緒するわ。それと彼方さん。長谷川さんの荷物は私が持ちますのでご心配なく。」


 始まった。坂上さんは憧れからか意中からかは定かではないが長谷川さんのこととなるとすぐにむきになる。


「は、はぁ。わかりました。」


「メガネっちははせさんのこと大好きだもんねー!」


 空気が読めない斉藤さんは顔が真っ赤な坂上さんにおでこをペチペチ叩かれている。

(斉藤さんがどこまで知っているかわからないけど周りのほとんどの人は気づいてますよ、坂上さん。)

 旅館に着くと掃き掃除をしている長谷川さんに会う。この時間に掃き掃除をするのは長谷川さんの日課らしい。


「あら三人ともおはよう。仲がいいのねー。羨ましいわぁ。」


 頬に手をあてながらの着物姿はまさに可憐な美人だ。この旅館では女性の社員は着物かスーツのどちらかの着用を義務付けられている。アルバイトは基本全員作務衣だ。ちなみに長谷川さんは二十八歳。彼氏がいるかは聞いたことがないがいない方がおかしい。


「あーはせさんおはようですー!」


「あらあらぁ、香ちゃんは今日も元気いっぱいね!」


 抱きついてくる斉藤さんの頭を撫でながらにこやかに言う。

 坂上さんから嫉妬の炎が上がるが斉藤さんは気づいていないご様子だ。


「翼ちゃんも彼方くんもご機嫌いかがかしら?」


 太陽のように輝く笑顔を向けられた。今日も頑張れそうだ。


「はい!もちろん調子は万全です!今日は買い物のお誘いありがとうございます!荷物持ちはお任せください!」


 坂上さんにキっ!っと睨まれた。

( 世の中早い者勝ちなのだよ! )

 そっぽを向いてやり過ごす。


「いえいえ、大勢いたほうが賑やかで楽しいもの。彼方くんいつも荷物持ってくれてありがとうね。とても頼りになるわぁ。」


 このおっとりとした喋り方で賛辞を言われたらさすがにニヤけてしまう。堕ちない男なんているのか?と二回目の突き刺さる視線を無視しながらそんなことを思う。


「翼ちゃんも来れるのかしら?」


「 .... はい。」


 坂上さんは恥ずかしそうに返事をする。

(なんじゃそりゃ!)

 いつも思うが普段あんなに毅然としているのに気になってる人に声を掛けられた瞬間これだ。


「よかったわぁ!最近翼ちゃんとお話しする機会が作れなかったから丁度よかったぁ。じゃあ二人とも終業したら裏の従業員駐車場で待っててね!事務作業を彼方くんとやりおわったらすぐに二人で行くから。」


 坂上さんは顔を赤らめたと思ったら本日三回目の睨み攻撃をしてきた。いやこれは仕事だから仕方ない。そんなに睨まないでおくれ。


「はぁーい!楽しみぃ!!メガネっち早くお仕事終わらせようねー!」


 こんなとき斉藤さんのから元気は助かる。坂上さんの背中を押しながら従業員口へと向かっていく。私も長谷川さんに会釈して先を急いだ。






 本日は客数も少なく予定より早く終わりそうだ。経営上好ましくないことだが今日に至っては喜ばしいことだ。

 設備班とナイトタイム、通称夜の管理人との引き継ぎを終わらせたあと、長谷川さんとの幸せな事務作業を終わらせ駐車場へと急ぐ。


「おい彼方ー!どこいくんだよー。俺が終わるまで待っててくれよー。」


 後ろからまだシーズン準備の残業をしている先輩、五十嵐 誠 ( いがらし まこと ) さんがいつものように猫なで声で甘えてくる。


「ダメよ、私たちこれからデートなんだから。ねぇ彼方くん。」


「え!そそそうですね。よろしくお願いします!」


 急な長谷川さんの冗談に冗談ではないほど動揺してしまう。


「なにー?俺が辛く悲しい残業をしてるのにお前は長谷川さんとデートだとぉ!交代しやがれぇ!」


「ダメでしょ五十嵐くん。彼方くんは大西さんから早く仕事に慣れてって言われて頑張ってるんだからこれ以上負担かけちゃ。彼方くんは次のシーズンからお手伝い頑張ろうねぇ。」


 大西さんとは我らが社長だ。まだここに勤めてから一度もお会いしたことはない。


「はい!そのときはご指導お願いします五十嵐さん。」


 長谷川さんの優しさに涙しそうになったのをぐっと堪えて誠実な姿勢を見せた。


「ちぇっ。わぁーったよ!そんときは覚悟しろよ彼方ぁ!」


「フフフ、五十嵐くんもシーズン準備頑張ってね。いこっ。彼方くん!」


 そう言われて手を引かれた。駐車場までの間心臓の音が自分でも聞こえるほど高鳴っていた。


 車で数十分。車中談笑で盛り上がった私たちは目的のショッピングモールに来ていた。

 片田舎だか駅のあるこの街は結構住人が多く賑やかで近郊の街からも人が来る。ショッピングモールもあり私たちからしてもかなり便利な場所となっている。

 ここにさえ来ればなんでも揃うし映画館やアミューズメントなどの娯楽も充実している。駅も都心に繋がっているというアクセス性もあり、実は私の実家までたった三回の乗り換えで行けてしまうのだ。時間にすると三時間ほどで帰郷できる。


「ねぇ彼方くん。この服似合うかな?どう思う?」


 斉藤さんと坂上さんはどうしても買っておきたいものがあると言って別行動をしている。そのため今は長谷川さんと一緒に行動している。ふと立ち寄った女性用の服屋で時間を潰すことになり私がこうして付き合っているのだ。

( それにしてもなんだこのデートみたいな雰囲気は。リアルに充実してるなぁ。 )


「もー彼方くん聞いているのぉ?さっきから上の空じゃない。やっと二人きりになれたのに ... 。」


「え?なんですか?すみませんちょっと考え事をしていました。」


「フフフ、ボーッとするなんて珍しいわね。何を考えていたのかしら?」


 笑いながら首を傾げて顔を覗き込んでくる長谷川さんにドキッとしながら照れ隠しにそっぽを向いてしまった。


「あ、いや、大したことではないです!本当、大したことでは ... 。」


「フフフ、彼方くんて可愛い。こうしているとデートしてるみたいだね。私男の人とこうやって二人でお買い物とかしたことないから新鮮でなんだか楽しいわぁ。」


 え!?自分の耳を疑った。 長谷川さんはニコニコしながら後ろに手を組み服を見ている。 とんでもないこと聞いてしまった。ここで勇気を出さなければ後悔する。


「は、長谷川さん。よければ今度一緒に ... 」


「おーい!はせさん光さんたっだいまぁ!!やっぱ売ってなかったよぉクマ吉のぬいぐるみ。」


「全く無駄足ね。ただ疲れただけだったわ。」


(おぉーい!!なんてタイミングだ。バットタイミングなんてもんじゃない。俺の一斉一代の勇気が ... てかクマ吉ってなんだ?)


「おかえりなさい二人とも。残念だったわねぇ。代わりといってはなんだけどアイス買ってあげるから元気出して!ねっ?」


「やったー!アイスアイスぅー!早くいこっ!メガネっち!」


「もー押さないでよ。自分で歩けるわ。」


 なんという立直りだ。それよりクマ吉のぬいぐるみとアイスは同格なのか?


「ほら彼方くんもアイス買ってあげるから行こう!それと ... さっきの話しの続きは後で聞かせてねっ。」


 え?

 顔を赤らめてうつむき恥ずかしそうに二人の後を追いかける長谷川さんの後ろ姿にしばらくポーっと見とれてしまった。胸の高鳴りを押さえつつ今はアイスと向き合うのみ。いざっ!三人の後を追う私の足取りはスキップをしそうなほど軽快なものであった。






 長谷川さんのお住まいは社員寮ではなく社員寮と街の間のマンションに暮らしている。買い物に連れていってくれる時はわざわざ社員寮まで車で送ってくれるのだ。


「今日は楽しくお買い物できたわ。彼方くんと翼ちゃん、荷物持ってくれてありがとうねー。」


 結局坂上さんの鋭い目線に勝てず軽いものを持ってもらった。


「荷物持ちなんて私一人でもできたのに。」


( うそこけ!軽い荷物だけでも腕が震えてたじゃないですか。 )

などと口にすると怖いので思うだけにしてみる。


「あらあら、翼ちゃんはいつも頼りになるわねぇ。ありがとう。彼方くん、話しの続きはまた今度。じゃあまたね。」


 私にウィンクを投げかけなんの悪気もなく車で去っていく長谷川さんに頭を下げお見送りをした。

 さぁここからが大変だ。


「彼方さん。話ってなんですか?私たちがいない間に何かあったんですか?ちょっと顔を背けないで答えてください。」


 逃げようとしているのが完全にバレた。


「え、あー今長谷川さんが言ってたやつですか?仕事。そう仕事の話ですよ。」


「めちゃくちゃ怪しい。」


 坂上さんがジト目で見てくるのを巧みな嘘で回避する。


「斉藤さん眠そうですね。早く帰りましょう!」


 車の中でもウトウトしていた斉藤さんを理由に解散を早めた。


「う~ん眠いよー。光さんおんぶして~。」


「ハハハ、嫌です♪ほら行きますよ!」


 坂上さんは幸い一階にお住まいなので斉藤さんの手を引いて二階へと急いだ。最後のスパートが響いたのか斉藤さんの部屋の前まで来たところで斉藤さんは力尽きて寝てしまい力なく崩れ落ちた。

 はぁーーーーーーー。

 大きめのため息をついて斉藤さんの家の鍵を探す。


「斉藤さん!起きてくださいよ。鍵はどこですか?斉藤さん!」


 斉藤さんはう~と言いながら最後の力を振り絞ったように自分の上着の左ポケットに指を指す。 指定された場所から鍵を取り出しドアを開けた。


「ほら自分で歩いてください。家に着きましたよ。」


 そう言っても全く反応がない斉藤さん。 寝るにしても場所を選べよと思う。

 はぁー。諦めのため息をついて仕方なく斉藤さんを抱えた。斉藤さんは小柄で体重も軽く疲れている身体でも難なく持ち上げられた。

 部屋の中へ入っていくと部屋の中は閑散としていた。女の子らしいものは見当たらずベッドも質素なものだった。一瞬部屋を間違えたのかと焦ったが斉藤さんのポケットから出した鍵なので斉藤さんの部屋に間違いない。性格からして可愛いぬいぐるみなどが満載なのかと思っていたがそうでもなかったギャップに少し焦る。

 とりあえず斉藤さんをベッドに横たわらせて鍵をかけてもらうために起こそうとしたときベッド脇にある写真が目に入った。学生服で清潔な顔立ちの男性の脇に小さい少女が男性のズボンを握って寄り添っている写真だった。察するに女の子は小さい頃の斉藤さんだがこの男性は誰なのだろう?お兄さんかな?


「うぅ、ううぅ。」


 ふと斉藤さんの顔を見るとその目からは涙が流れていた。


「えぇ!?」


 急なことに戸惑いを隠せず動揺してしまう私を裏目に斉藤さんが静かに目を開けた。


「う ... ん。あれ?え?光さん?なんで私の部屋に!?えーー!!」


「うぇ!いや違うんです!これは斉藤さんが寝ちゃったから部屋に連れてきただけで、そ、その違うんです!!」


 斉藤さんは自分を隠すように布団を身体に纏って壁際に避難する。急に泣いたり急に起きて驚かれたり私の心は許容を越えていて説明もうまく出来ていなかった。

 少し間をおいて冷静になった斉藤さんは手をポンっと打ちやっと状況を理解してくれたようだ。


「光さんごめんなさい。私をここまで運んでくれたんだよね?私てっきり夜這いされたのかと思っちゃって。」


「夜這いって ... 。いやまぁ誤解が解けて何よりですよ。それより斉藤さん。大丈夫ですか?なんか泣いていたみたいですけど、どこか痛かったりしますか?」


「え?」


 とっさに顔に手を当てて驚いている。私に言われて自分が泣いていたことに気がついたみたいだ。


「な、なんでもないです!いつものことですから ... 」


 言った後にハッとして口をつぐんだ。意味ありげな発言に眉を潜めながらも写真の人と何か関係があるように感じた。しかしここで深入りしてしまうと斉藤さんの事情を知りそうで後にやりにくさを悟ったのであえて追求することはしなかった。


「ケガとかではないならいいです。ちゃんと鍵をかけてから寝てくださいね。あとそのままだと風邪を引いてしまいますよ。」


「は ... い .. 。ありがとうございます。」


 さっそうと立ち上がり出口に向かった。玄関の扉を開いたところで後から斉藤さんが追いかけてきた。


「あ、あの本当にありがとうございました。今日はすごく楽しかったよ。迷惑かけないようにするからまた一緒に行こうね。」


 心配そうな顔で様子を伺ってくる。こういうところは繊細らしい。


「いいえこのくらい大したことではないですよ。私も楽しかったです。また行きましょうね。」


 私の答えに安心したのか斉藤さんは元気を取り戻し笑顔で手を振りながらお見送りをしてくれた。

 はぁ。

 一連の流れに疲労感を隠しきれず小さくため息をついてしまう。私の部屋に戻ろうと足を動かした時、目線の先に五十嵐さんが廊下の先の階段のところで口を開けてポカーンとしているのが見えた。


「お、お、おい!彼方!お前今日長谷川さんとデートじゃなかったのかよ!なんで斉藤の部屋から出てきてんだ?」


 はぁーー。どうやら今日はため息日和のようだ。


「あのすみません。今体調悪いのでまた今度お話しするってことでいいですか?それでは。」


 もう色々めんどくさくなり足早に自分の部屋に戻ろうとする。


「おい待てって彼方!」


 部屋に入ろうとするといきなり肩を掴まれ引き戻されそうになったのでとっさにキっ!と睨んでしまった。


「ひっ!」


 怯えて手を放す五十嵐さんに気づいて正気を取り戻す。


「あ!ごめんなさい。今日は体調が悪いのでこれで失礼します。」


 呆然と立ち尽くす五十嵐さんに礼をして玄関の扉を閉めた。

 ふぅ。

 安堵の息をして暗い部屋を進みベッドに倒れこんだ。

 面倒はごめんだ。 深入りは嫌だ。 もう、感情の波に呑み込まれるあの感覚はしたくないんだ。

 自分に言い聞かせドキドキしている心臓を落ち着かせる。 そんな時ふと一人の女性が頭をよぎる。それは予期せぬ別れで私の前からいなくなってしまった人。


「ハァッハァッ、ハッハァッ。」


 頭にフラッシュバックされるトラウマに過呼吸になってしまう。 呼吸を整える前に気を失って眠ってしまった。

 安心してほしい。私は明日は休日なのだから。






 その日はゆっくりと目が覚めた。時計を見ると短針は十一時を指していて、一瞬慌てたが今日休みなのを確認して落ち着いた。

 昨日ベッドに倒れこんだままの姿だったので妙に落ち着かない。二度寝するにも微妙な時間だったのでさっさとシャワーを浴びることにした。着ていたスーツを床に投げ捨てると何かが床に落ちる音がした。山道で拾ったロケットだ。

 私は慌ててそれを拾い上げ壊れていないか確かめる。無事なのを確認し、手に取ったままあの場所を思い出す。今日またあの山道へ行こうと計画を立てた。

 シャワーを浴びて一服を済ませ、何か飲み物を持っていこうと水筒に淹れたてのコーヒーを入れていく。服も楽な普段着に着替えメガネに替えロケットをポケットにしまい、あのすれ違った少女が持ち主ならいいな、なんて期待を胸に玄関の扉を開いた。

 今日は快晴。やはり山道の入口から神妙な感じがして入るだけで期待が高まる。またあの場所に行けると考えると足取りは軽くなった。

 今回は割りとハイペースで目的地までたどり着いた。前回と違う点と言ったら先客がいたことだった。

 遠くてよく見えないが女性がベンチに座っているのがわかる。 気配を感じたのかその女性はこちらを向きまた元に戻る。相手は目をつむっていたのでこの前の少女であることがわかった。気配を悟られた上、私の目的地もそのベンチであるため人見知りの私でもさすがにこのまま引き返すわけにもいかないのでそのままベンチへと足を運んだ。少女の脇には歩行補助のステッキが確認できる。

 近づくにつれ心臓の鼓動が早くなる。


「良い天気ですね。隣に座ってもいいですか?」


「 .......... 。どうぞ。」


 私としては上出来だ。三人掛けほどのベンチの端に少女が座っていたので私はその反対側に座る。そこで気づいたのだがこの人は目をつむっているのに第一声が天気のことはまずかったか?なんて考えはじめてしまう。しばし沈黙が続く。


「あのー ... 私邪魔ですよね。やっぱり帰りますね。」


 その場に居づらくなってしまって私は逃げようとした。


「え?いや ... あの。」


 後ろからその少女の声がして思い出した。ロケットのことを聞かねば。この人が持ち主だったらこのまま去ってしまうのはあまりにもロケットが可哀想だ。


「あ!そうだ!あのーお尋ねしたいことがあるんですけどいいですか?」


 振り返ると少女は少し悲しそうな顔をこちらに向けていたがベンチの方へ近寄ると少し顔が赤くなり私から顔を背けた。


「はぃ。なんでしょう ... か?」


「もし身に覚えがなければ聞き流していただいて構いませんが、最近ここで何か落としませんでしたか?」


 その少女はビックリしたようにこちらに振り返る。


「はい!落としました。もしかして ... 」


「はい。この首から下げるロケットですよね?手を貸してください。」


 そう言いベンチに座りその少女の手を優しく取り、手の平にロケットを置いてあげた。その少女は手を握られたことにそわそわしていたがすかさず渡したロケットの感触を確かめていた。


「こ、これです!これです。よかったぁ。あの、ありがとうございます。本当にありがとうございます!」


 その少女はペコペコと何度も頭を下げる。


「いえ別に大したことでは。たまたまこのベンチの近くで見つけただけですし。」


 少し涙ぐんでいる顔にドキッとしながらも平然を装って説明する。


「それ、大事な物なんですか?」


 普段なら他人にこんなことは聞かないのだがなぜか自然と質問をしていた。


「はい。姉からもらった大切な物なんです。あ、あの ... なにか、お礼をさせてください。」


「お礼なんていいですよ。私はそのロケットが持ち主のところに戻れただけでよかったです。」


 そう言うと反射的にニッコリと少女に笑いかけた。その少女もニッコリ笑みを返してくれる。


「物を大切にできる人に拾ってもらえてよかったです。本当にありがとうございます。」


「あ、一つお願いというかなんというか ... さっきは立ち去ろうとしておいてなんですが ... もう少し隣で座っててもいいですか?」


 その少女は恥ずかしそうに前を向き直して俯いた。


「は、はい ... 。」


「ありがとうございます。 ... ここへはよく来るんですか?」


 私は何を聞いているんだ。止まれ。関係を持つと結局また自分がなにかしらで傷つくことになる。

 しかし好奇心は止まらなかった。


「 ... はい。」


「あ、初めて会ったのになんかすみません。質問なんかして変ですよね。」


「あの!ち、違うんです。私あまり人と話し慣れていないので ... その ... 緊張してしまって。」


 嫌がられているのかと思いちょっとドキドキした。


「そうなんですか。嫌でなければゆっくり話しましょう。あなたのペースでいいですよ。」


「あ、ありがとうございます。」


「いえいえ。あの、俺は彼方って言います。彼方 光(かなた こう)です。よろしくどうぞ。」


「はい!よろしくお願いします。わ、私は南 由比(みなみ ゆい)です。」


 私は自然と南さんのことが知りたくなり色んなことを聞いた。南さんもゆっくりと話してくれ会話も盛り上がり、いつしか辺りは夕方になっていた。


「この場所は本当に良いところですね。喧騒がなく自然がたくさんあって、心が安らぎます。」


「はい。私も、とても静かで大好きです。なにもしていなくても何時間でもいれます。」


「俺もそう思います!なんかここにいると時間の流れを忘れてしまいますよね!」


「はい!あっ。でも私そろそろ帰らないと。」


「え!?じ、時間、わかるんですか?」


 とっさに失礼なことを聞いてしまった。


「はい。お日様の匂いが薄れてきたのでそろそろ夕方ではないですか?暗くなる前に帰らないと、私おじ様に叱られてしまうんです。」


 人は一つの感覚を失うと別の感覚が鋭くなると言う話は本当だったのか!それに南さんは私の失言をあまり気にしていない様子だ。


「すみません失礼なことを言ってしまいました。それでしたら今日は帰りましょう!俺も山道の出口までご一緒しますよ。」


 そう言って立ち上がる私につられて南さんも立ち上がった。


「あ、あの ... 彼方さん。もし迷惑でなければ ... 迷惑でなければまたここに来ていただけませんか?私雨の日以外は大体ここにいるので。」


 南さんはうつむきモジモジしながら恥ずかしそうに言う。夕日に照らされる南さんは一枚の肖像画のように美しかった。そんな南さんが愛くるしく見えてしまいつられて私も照れた。


「は、はい!!南さんからそう言っていただけて嬉しいです!俺もまたここに来たいと思っていたので。仕事がない日はきっと来ます!そしたらまたたくさんお話しましょう!」


 南さんの顔が満面の笑みになる。


「はい!たくさんお話したいです。彼方さん!これからもよろしくお願いします!」


「うん!よろしく南さん!」


 いつしか私は砕けていた。その時自分ではわからなかったが何か惹き付ける力が南さんにあったのは間違いない。この場所との別れを惜しむように、ゆっくりと二人で出口を目指した。

 今思うと私にとってそれは、入口だったのかも知れない。

 山道の出口まで一緒に歩いた後、道路で別れた。少し不安だったので家まで送ろうかと聞いたら、いつものことですから大丈夫です、と返されそのまま坂を登っていってしまった。

 少しそっけなさを感じたがしつこく言うのも変なのでさようなら。と南さんの背中に向かって言った。返事は返ってこなかった。

 そのまま寮に戻ると階段のところに誰かが座っている。


「あ!彼方くんおかえりなさい。」


 そこで待っていたのは長谷川さんだった。


「お疲れ様です。どうしたんですか?」


 間の抜けた顔で長谷川さんに問いかけた。 すると長谷川さんは少しムスッとした表情をした。


「もう。昨日の続きを聞きに来たのよ。それよりどこかにお出掛けしていたの?」


「はい。ちょっと山道を散歩してたんですよ。森林浴って言うんですかね。」


 すると長谷川さんの顔がちょっとひきつる。


「え?ひょっとして幽霊山に入ったの ... ?大丈夫だった?」


 幽霊山?私は最近ここに来たばかりなので何も知らなかった。


「幽霊山ってここの山のことですか?何も起きなかったですけど。」


「そうそう。ここの山の中に少女の霊が現れるらしいのよー。地元の人たちには有名よ。」


 少女の霊?なぜか南さんのことが頭をよぎった。別に南さんのこととあの場所のことを言う必要がないと感じた私は、へぇーなどと適当に相づちを打った。


「ご飯、食べた?」


「へ?食べてないですけど。」


 突然の問いかけに当たり前のことしか返せない。


「もしよければ ... 、これから食べに行かない?」


「え?はい!行きます!」


 まさかの長谷川さんからのご飯のお誘いに多少動揺した私。

 そこに聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「あー!はせさーん!光さーん!こんばんはー!!」


 向こうから斉藤さんと五十嵐さんが歩いてくる。

 昨日のやり取りに多少の気まずさを感じていたが五十嵐さんは案外ケロっとしていた。


「長谷川さんお疲れ様です!彼方もちーっす!こんなとこでなにしてんの?」


「二人ともお疲れ様。偶然通りかかったら彼方くんと会って、お話ししていたのよ。」


「ふーん。おい!彼方!飯行こうぜ飯!長谷川さんも一緒にどうっすか?」


 なんというタイミング!ご飯は長谷川さんと行く気だったのに。


「え、え~と。じゃあご一緒しようかな。」


 長谷川さんが間の悪い五十嵐さんにちょっとひきつった顔で返答していた。 私はどうやら長谷川さんと二人になることはできないようだ。


「えー!私も私も~!」


「お!斉藤もか!この際みんなで行きますか!よーし車とってくる!彼方。付き合え!」


 はぁ~。心でため息をついた。 しかたなく五十嵐さんの後を追う。


「...彼方。昨日はすまん。」


 車のところまで来ると五十嵐さんは立ち止まり私に向き直った。


「昨日具合悪いって言ってたのに変なこと聞いて。」


 いつにもなく沈んだ顔もちの五十嵐さんだった。どうやら昨日の夜のことを気にしていたようだ。


「いえ、別に。私のほうこそあんな態度をしてすみませんでした。」


 そう言われるとめんどくさいと思って嘘までついた私のほうが罪悪感を感じてしまう。


「いやいいんだ。誰にだってああいうときはある。俺のほうこそデリカシーがなかったよ。飯行けるか?無理するなよ。」


「プっ!ハハハハハ。」


 私は急におかしくなってしまった。普段あんなずぼらな五十嵐さんにこんな完璧に謝罪された上に体調まで気にしてもらって。


「な!なんだよ。笑うことないだろ!」


「いえ。いきなりすみません。五十嵐さんって良い人だったんですね。」


 笑って出た少量の涙を拭いながら私が言うと五十嵐さんは口をつーんとした。


「なんでぇ!俺だって申し訳ない気持ちぐらいあるわ!ったく心配して損したぜ。平気だったら行くぞ!彼方!!」


「はい!お腹空きました!」


 友達とは違うけど、すごく親近感が沸いた。なんだか私が自ら引いた境界がなくなっていくようだった。

 


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