5-2
特別教室棟の二階。その教室は、校舎から北側に飛びだした区画にある。特別棟は窓が少ないため、北の突き当りとなると、廊下は薄暗い。蛍光灯が灯されていないとなるとなおさらだ。
重い扉を開くと、そこはコンピュータ室。冬休みが明けたばかりの日を、彼らは活動日としていた。
「メールの件、見てくれたか?」
桜木先輩の問いに、眼鏡の男子生徒は「見ましたけど」と不服そうに応じる。
色白で、すらり――というか、ひょろり――と線が細い。同級生だし、また全校生徒の前に立つこともあるような生徒だけれど、その姿をまじまじと見たことはなかった。わたしが多くの人にとってそうであるように、わたしにとって彼もそうなのだ。
生徒会役員にして情報科学部部長、初鹿野くんは、大きく嘆息して桜木先輩を斥けようとする。
「うちのブログに記事を出させてくれってやつですよね?」初鹿野くんは、一学年上の調理部部長に対して生徒会長ほどの悪意は抱いていない様子だが、ニュートラルな立場でもなさそうだった。「そりゃ、ヒマな部活なのでそれくらい簡単にできますよ。でも、こっちに何もメリットがないというか」
彼の主張は正論そのものだ。
一か月前、わたしは桜木先輩に、インターネットを用いて調理部の活動を発信することを提案した。その方法とは、情報科学部に寄り掛かることにほかならない。天才に紛れて奇人変人も数多いる天保学園でさえ悪評高い桜木恵都から寄り掛かられては、鬱陶しいことこの上ない。
わたしの計画では、第一に桜木先輩が偏見から自由にならなければならない。現状、彼は発言の場を持たない。あるいは、発言しても空回りするだけだ。肝心な主張の内容で勝負してもらえず、「誰が言ったか」の問題に絡めとられてしまう。
ゆえに、「異端児、桜木恵都」像を打破するところから着手しなくてはならない。そこで、彼の調理部での活動実績をインターネットで公開してみてはどうか、という提案である。真面目に料理しているイメージが付けば、調理部に強引に入部して気味悪がられたところから大きく前進できる。
とはいえ、その作戦では悠長だ。調理部が公開した情報が閲覧されなければ仕方がないし、何よりウェブ上で公開できる情報にも限りがある。誤解が解消されるころには、江森さんは帰国しているだろうし、桜木先輩が卒業してしまうかもしれない。
そこで利用してしまおうと考えたのが、情報科学部のブログ。
駒場先生が顧問として名を置き、初鹿野くんが一年生にして部長を務める情報科学部は、一年生のみ三名の小さな文化部である。そんな情報科学部が注目に値するのは、天保高校で唯一、生徒が運営するブログを持っているからだ。
しかも、アクセス数もなかなかに多いらしい。天保の部活のウェブサイトがほかにないことや、情報科学部が自作ロボットや同人ゲームなどの話題で時折メディアに露出していることが要因と思われる。
調理部が一からサイトを運営してもいいが、それよりも情報科学部と同居してしまったほうが効率的だ。ページ作成の労力が少なくて済むし、何より情報科学部ブログの閲覧者の一部が調理部の記事を見てくれる。
ただ、問題は情報科学部側のメリットだ。初鹿野くんがさっそく難色を示したように、利用される側は良い気がしない。
「もちろんタダでやってもらうつもりはないよ」
同人ゲームを制作中と思しき画面に興味を引かれつつも、調理部員として――入部はしていないが、傍から見れば同じこと――食い下がる。
初鹿野くんは、わたしと会ったことを忘れているらしく、ちらりとわたしのシューズの色を確認する。わたしが一年生とわかると、腕を組んで椅子の背もたれに仰け反った。
「何か対価が?」
「現金でも現物でもないけれどね」
企画書でも作っておけばよかったろうか。でも、顧問不在の隙を見て生徒同士で先に話をつけようとしているのだから、形にしておくとボロが出たかもしれない。そもそも作り方もよくわからなかった。
「リターンとしては、ブログのアクセス増加と部活の評判かな」
情報科学部部長は渋い表情を崩さないものの、眼鏡の奥の視線がほかの部員に目配せするように動いているのが見えた。
わたしとて、彼らが面倒がることくらい想像できていた。部員数わずか、気ままに活動する文化部に、似たような境遇の文化部員が突然「一緒に何々をしよう」などと提案してきても気味が悪い。やる気になれというほうが無理な話だ。
しかし、本来的に利害は一致できる。
部員数が足りない、という共通の悩みがあるのだから。
天保高校では、毎年六月までに部員が五名に満たないと次年度から同好会に格下げされる。地位の低下に伴う実害としては、学校から活動費の補助を受けられなくなったり、専用の活動場所を失ったりする。調理部や情報科学部は費用も場所も手間のかかる活動だから、一度同好会に陥落するとかなり手痛い。
大会にも出場する情報科学部ならなおさらだ。
ゆえに、情報科学部はブログのアクセス数には敏感なはず。
「調理部だけでなくて、ほかの文化部にも声をかけてブログに記事を出す。ゆくゆくは文化部が結束して、『天保高校文化部ポータルサイト』に拡大できたなら、運動部優位に一石投じることができる。悪い話ではないと思うけど」
わたしの口説き文句に、桜木先輩も加勢する。
「投稿する記事数が増えて、サイト自体が大きくなれば、ページのデザインは腕の見せ所になるな」
挑発的な誘いにも、彼らはそわそわと目を泳がせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます