4-7

「……お久しぶりです」


 期末試験後、年内最後の活動日に調理室を訪ねる。

 恐る恐る扉を開くと、彼は何食わぬ顔で、購買で売られている総菜パンを頬張っていた。

 すでにブレザーを脱いでいて、エプロンを着ている。普段なら嫌というほど目を引くリボンも外されていた。部活に挑むための装いだ。

「やあ、葉山。久しぶりだね。きょうはパエリアを作る予定だ」

 これまた難しそうなものを作る。彼が調理部に入部したのは校則に抗議するパフォーマンスだから、彼の本心では料理など二の次。しかし、身勝手な理由で入部する調理部に失礼のないよう、「やるからには」という意気込みが彼にはある。部員減少により予算も余っているから、なおさらだ。

 私が難しい顔をしていることに気づき、彼はペラペラと自慢を始める。

「材料を切って炊くだけだから、火加減や水加減は難しくても、手持無沙汰なほうだね」

「きょうも、一緒にやっていいですか?」

 鮎川先生は不在らしい。テスト後なので無理もない。代わりに、部長に許可を請う。

「いいんじゃないかな。いま先生はいないけれど、止められたこともないし」

 お昼を抜いているので、ダメと言われたら困るところだった。むしろ、これから米を炊くのに、昼食としてパンを食す彼の胃袋に驚かされる。

 まもなく最後の一切れを口の中に押しこむと、彼は立ち上がった。

「さて、早いこと始めてしまおう」



 わたしがエビの背ワタを取るのに腐心しているあいだに、彼はすっかり具材を刻んでしまい、鍋の支度まで始めてしまった。手先と矜持の差は、埋まりそうにない。

 そのうえ、

「で、何を聞かせてくれるんだ?」

 と、訊いてくるのだからいやらしい。

 彼を嫌われ者と評した町田先輩の気持ちには、共感しないでもない。

 彼の態度には腹が立った。誰のおかげで、と。でも、彼を責めたい気持ちやいまにも溢れそうな不満を、ぐっと我慢する。彼の性分にいちいち振り回されていては、生徒会長にまで敵と認知されたことが無駄になる。

 ここ一か月のことを彼に伝えた。どこで、誰に会い、どう調べ、何を知ったのか。それは、言うなれば、彼からの宿題を彼とともに答え合わせする作業である。難しく、詳しく語らずとも、端折りつつで構わない。より多くを知っている彼は、わたしの認識をゆっくりと頷いて受け止める。

 語るべきことを語り終えたのは、背中の開いたエビを野菜とともに炒め、いよいよ米を炊こうというころだ。

 ようやく話し終えることができたと思うと、身体からすっと力が抜けた。


「先輩の言っていた通りだと、思い知りました」


 理解するには時間がかかる。

 桜木先輩も町田先輩も、それどころか、榊先輩や槇原先生まで、江森由菜さんに関することは言葉を濁し、わたしにすんなりとは事情を教えてくれなかった。

 理由はひとつではないだろう。

 わたしが知りえた限りでさえ、状況は複雑で、デリケートな問題であった。誰かひとりの口から語ることが憚られるのも確かだし、理解力が及ばないと思われたのかもしれない。自分以外の誰かが語ってくれる、そんな甘えも否定できないはずだ。

 簡単に語ってはならない――不用意な言葉で誰かを傷つけたり、誤解を広めたりしないよう、意識して警戒する。しかし、そのような認識は、ともすれば当事者を腫れ物扱いしていることになってしまう。

 そんな語り手の認識を聞き手の側に読み替えてみる。

 語り手に比べれば、さほどのジレンマではなかろう。

「町田先輩の話ぶりに、ぞっとしました。わたしがもし、町田先輩の話だけを聞いていたら、どう感じていたか。その町田先輩と認識を違えている桜木先輩にばかり頼っていたら、どう考えていたか」

 生徒会長の為人は、残念ながらあまり信用できたものではない。桜木先輩のことを口汚く罵る人だ。とはいえ、桜木先輩を敵視するまなざしは、外見ばかりを気にする大多数の生徒に比べれば、感情的な見解も多いといえども、納得できる部分もある。

 むしろ、その敵意や感情的なしこりがあってこそ、桜木先輩の真意を聞く支度ができたといえる。問題の争点は、生徒会長でも調理部部長でもなく、異装によりトラブルを起こしたひとりの女子生徒に存するのだから。

「それで、町田の後に僕の見解を問うわけだね」

 先輩は火加減を調節しながら平静を装うが、隠しきれていない。うずうずしている。

 他人に問うことは、自分が問われたいこと――彼がそんな哲学で以て、いやらしく意見を求めるより先に、わたしから口を開く。

「とりあえず、町田先輩は決めつけが過ぎる、そう思いました」

 何も、直感的な印象による疑いではない。

 彼女の話を聞いた限りでは、桜木先輩との対話があったとは思えない。それにも拘わらず、彼の企てを無謀と断じ、成功するはずがないと信じている。果てに、彼の投書とわかった時点で、ろくに中身も読まずに捨てるようになった。

 そんな彼女が由菜さんの味方を名乗ると、どうなるか。


「由菜さんの心を男性と決めつける――そもそもこれが間違いなのでは?」



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