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今年度秋号の『天保学報』で発見した高等部の生徒。
九月から一年間の留学プログラムで、出発日は八月。
留学生に選ばれたのは二年生、名を
空港で撮られたと思しき写真に、天保の副校長と、現地の先生と思しき人と彼女とが一緒に並んで写されている。
いや、安易に「彼女」と呼ぶべきではないかもしれない。
江森さんには見覚えがあった。
顔ではなく、服装に。
ボタンが右側についた、グレーのブレザー。襟元にはリボンではなくネクタイ。チェック柄のスラックス。おそらく革靴も男物。
紛れもなく男子制服、男子の装いである。
小さな写真に小ぢんまりと写る江森さんは、わたしの目には女性の顔に見える。大きな目が愛らしくも、口許には艶めかしさもある。艶のある黒髪は、短いもののよく手入れされているらしい。桜木先輩が女性に見える男性ならば、江森さんは男性にも見える女性なのかもしれない。
江森さんの心の性まではわからないものの、この写真から外見で判断する限りは、彼女は異性装の生徒である。
男子制服を着た女子生徒――わたしが高等部用の制服を見繕った日、駅ですれ違った覚えがある。一瞬のことなので顔までは記憶していなくても、疑問を抱いたことははっきりと憶えていた。おかげで、留学に出発する生徒の記事を見逃さなかた。
気になって、新制服が紹介されていた号を検める。ページの下部に、先刻見落としていた小さな注釈を見つけた。曰く、選択制を導入すると同時に、「特別な事情」により生徒部への届け出と承認によって、男子が女子の、女子が男子の制服を選択できるよう校則を変更した旨が記載されていた。
重大な変更なのに、ごく小さな扱い。何度目かの嘆息が漏れる。
とはいえ、確かな情報を得た。
江森さんは「特別な事情」により配慮を受けた生徒だろう。
江森由菜という注目すべき生徒を見つけたら、江森さんを知っている人に会いに行くのが最善の策というものだろう。
天保において学校の配慮を受けた異性装の実践者であり、現在留学により不在の高校二年生――間違いなく、桜木先輩の活動の根拠となる「誰か」に肉薄している。ほかにそれらしい生徒もいないのだから、江森さんこそその人なのだろう。
それでも、桜木先輩に「こんな人を見つけた!」では急ぎ過ぎだ。
同じ押しかけるでも、彼の前に会っておきたい人物がいる。
部屋は静かだったが、明かりが点いていたので扉をノックした。
「はい」
室内から応えた声は、ちょうど、目的の人物だった。
扉を開いた町田先輩は、望まない客を迎えた、と表情であからさまに語る。
「いま、先輩ひとりですか? ミーティングは?」
「ひとり。テスト前だから手短に終わらせた。どうせ、人も集まらなかったし」
あまり結束していない今期の生徒会。会議後の生徒会室を会長が独占し、専用の勉強部屋にしていても、誰も何も言わないのだろう。
「で、何? 入れろと?」
「はい」
「はあ、よくもまあ、そんな臆面もなく」
不承不承、彼女はわたしを招き入れた。部外者を入れたくはなくても、テスト勉強をしているからと追い返すこともできないのだ。
生徒会室は思っていたより整然としていた。中央の大きなテーブルには可愛らしい花柄のクロスがかけられ、それだけで過ごしやすい雰囲気に見える。会議の際にはそのテーブルを囲うのだろうが、いまは町田先輩の勉強道具が広げられている。
見回せば興味深いものが多い。行事日程が書かれた黒板は、様々なマグネットで注釈されている。部屋の隅には、古い型のパソコン。筒状に丸めた方眼紙がまとめられた段ボール箱。棚には……なるほど、部屋が綺麗なのは、ここに部屋中の書類を押し込んでいるからか。
座席に戻った先輩が勉強道具を片づける。言葉では促さないが、向かいに座れという意味だろう。生徒会室には電気ケトルがあって、お茶とお菓子をお供に会議をしているイメージを勝手に描いていたけれど、彼女は紅茶の一杯も勧めてこなかった。そもそも、そのための設備がない。
「で、また桜木のことで何か訊かれるの?」
テスト勉強をしたいから早く終わらせろ、と言っている。
「桜木先輩のことと言えばそうですが、別の人の話を聞きたくて」
何も駆け引きをしているつもりなどない。しかし、町田先輩のほうに警戒感があるらしく、その険しい表情は、わたしの瞳の奥まで抉って見ようとしているかのようだ。
「葉山さん、また何か調べてきたの?」
「はい。江森由菜さんのことを訊こうと思って」
睨まれる。
「由菜の何を知っているの?」
「ほとんど知りません。特別な配慮を受けた生徒だろう、ということくらいで」
彼女の視線は、じろじろとわたしを舐めまわす。
期待し想像したよりもそれらしい反応を見せてくれる。
「その程度の認識だと、確かに、桜木のやっていることが正しく見えるだろうね」
彼女の言う通りだ。
江森さんが学校から配慮を受ける生徒だったなら、江森さんは学校に認められて初めて男子制服を着ることができた、ということだ。学校の裁量如何によっては、自分の望む服装をできなかったかもしれない。そもそも説明するのも窮屈だったろう。そんな過程を経ずとも、最初から自由に選べれば問題は起こらないだろう、というのが桜木先輩の主張である。
生徒会長は腕を組んだ。
「なら、私の考えも聞いてもらわないとね。誤解しないでほしいのだけれど、由菜は私にとっても大切な友達。でも、友達として、あの子は行き過ぎていたと思っている。そして、桜木のやり方はどうしたって間違い」
慎重に前置きしたうえで、彼女は語りはじめた。
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