3.5-4

 ポストを抱えて上下に揺さぶるわたしを止める声の主は、ほかでもない、目安箱の管理者たる生徒会の長――町田美雨先輩だ。

「ええと、確か先月桜木と一緒に来た子……?」

「あっハイ。葉山京です」

 生徒会長がわたしのことを朧げにでも記憶してくれていたとは。驚いてうっかりこちらから名乗ってしまった。ポストをひっくり返す不良一年生を、彼女は決して忘れないだろう。

 逃げられる状況ではないので、嘘なく目的を伝えてみる。

「ポストの中身を見たかったんです。桜木先輩の投書があると思ったので」

 生徒会長が内容も見ずに捨ててしまう要望書。生徒会が大喜利のネタにするのも嫌うほど面倒なそれを、嫌がらせの如く何度も投じる奇異な人物。難しい犯人捜しではない、生徒会長との関係を踏まえて考えれば桜木先輩が筆頭候補だ。

 わたしの開き直りを挑発と受け取ったらしく、町田先輩はつかつかとこちらに歩み寄ってくると、わたしから目安箱を奪った。睨みつける視線に一瞬怯んでしまうけれど、ここで引くわけにはいかない。目的の用紙はまだわたしの手にある。

 彼女がポストを設置し直すあいだに、半分に折られた要望書を開いた。


『男女の枠を超えて制服を選択できるようにしてほしい』


 用紙の一番上、記名欄には堂々と「二年D組桜木恵都」とある。

 狙い通り彼の投書が手に入ってしまうとは、予想していたとはいえ驚きだ。息を吐いて気分を落ち着けてから、内容をよく考えながら読み返そうとしたところ、ぴっ、と手から紙を抜きとられてしまう。

「誰に聞いたの?」

 要望書は生徒会長の手に渡り、彼女の背後に隠された。

「誰にも聞いていません。きのう先輩が投書を処分するのを見て、もしかして、と」

「葉山さんも、変なところで頭が切れるのね。油断した、見られていたなんて」

 ふう、と嘆息して、先日と同様にぐしゃぐしゃに丸めてしまった。一度見られたからには隠す気がなくなったようだ。これでいよいよ、曖昧にされていたわたしと彼女との関係が決まってしまったらしい。

「桜木先輩の要望、毎回そうやって捨てているんですか?」

 単刀直入に問うてみると、やはり、彼女も憚るつもりがない。

「そりゃ、こんな無茶な話をあいつのやり方で通されたら困る」

 無茶な話。

 彼の要望は制服のルールに関することだった。

 彼が記した「男女の枠を超えて」とは、まさに彼がそうしているように、制服のアイテムを男女の別なく着用できるようにすべき、という意味だろう。昨年から天保の制服は選択制になったが、男子はリボンやスカートを選べないし、女子もスラックスやネクタイを選択できない。これを改めて、男子もスカートを穿けるし、女子もネクタイをできるように、と望んでいるのだ。

 確かに無茶な要望かもしれない。制服は生徒の正装なのだから男女の区別も弁えてしっかりと着こなすのが常識的であるし、そもそも異性の恰好をしたい生徒がどれだけいるものか。

 それらの主張はもっともだし、わたしもそう思う節はある。でも、彼が「誰か」のためにルール変更を訴えているのに、それを握りつぶすなんて恐ろしい考えだ。

「無茶って、制服は選択制になってルールが緩くなったわけですよね? 一度大きく変えてしまったのなら、さして大きな変更とも思えませんが」

「天保の歴史は一〇〇年を超える。ようやくひとつルールが変わったばかりで、すぐに次の変更があると思う?」

 それに、と彼女はブレザーの胸ポケットから生徒手帳を取りだした。

「これ、読んだことある?」

 見せられたのは、校則を記したページの後半にある条文だった。


『校則の変更は、生徒一〇〇名以上の署名により臨時に開かれる生徒総会の議決を以て、職員会議に提案することができる』


「わかる?」と彼女は皮肉に問うた。

 悔しいけれど、わかってしまう。こんな条文があって、わたしが生徒会長だったのなら、生徒からの真剣な希望に応えることはせず、笑い話のネタにしてしまうだろう。

 ハードルが高すぎる、いや、多すぎる。


「生徒一〇〇人の署名が桜木の要望で集められるとは考えにくい。前例のない臨時の生徒総会も開き方なんて知らないし、その時間が得られるのか不透明。仮に総会が開かれて職員会議に要求を突きつけても、応じるかは先生たち次第。それさえ上手くいっても、職員会議なんて頭の固いOBOGには歯が立たない」


 彼女の声が頭の中の奥底へと這っていく。

 条文を見てわかった。彼の奇怪な服装は、自分の主張を広めるためのパフォーマンスだったのだ。一〇〇人の署名を集めるには、まずは注目されなくてはならないから。しかし、多くの生徒は彼を色眼鏡で見るし、頼みの生徒会長は総会の開き方がわからないからと冷たくあしらう。先生たちも校則を守らせようと指導する。

 わたしが興味を持ったところで、もう遅い。


 すでに手詰まりではないか!


 せめて自分の知りたかったことを知るために、踵を返して去ろうとする生徒会長の背中に問いかける。

「この要望は、桜木先輩が――」

 桜木先輩が異装を望んでいるから書かれたものなのか。

 生徒会長は肩越しに振り返り、わたしの言葉を遮った。


「私に聞かないで。私は桜木の味方ではないし、葉山さんも話をする前提がまだできていないみたいだから」



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