1-3
「ええと……なんか、すみません。一緒にいただいちゃって」
調理室の奥のテーブルに、わたしは座らされていた。目の前には、甘い香りの正体であるシフォンケーキと、さっき部員の男子生徒が沸かしていた湯で淹れられた紅茶。学校には不似合いながら、ささやかなお茶会が開かれようとしていた。
遠慮するわたしを引き留めたのは、わたしを部屋に入れた顧問の先生だった。優男然とした顔の彼は確か――
「いや、文化祭限りで三年生が引退してから、部員はひとりだけになってしまってね」鮎川先生はニコニコと、細い目をさらに細めている。「たまには誰かお客さんがいたほうが遣り甲斐があるだろうな、と話していたんだ」
「まさかひとりで活動する初日から人が来るとは思いませんでしたが」こちらも珍しい男子の調理部員、否、部員はたったひとりなので、部長だ。部長の彼は苦笑いしてから、わたしに向き直る。感じの良い、透き通った高めの声である。「名乗り遅れたけど、僕は二年の
桜木恵都。さくらぎ、けいと。
わざわざ自己紹介されてしまったからには、わたしも名乗らざるを得ない。ケーキに伸ばしかけていた手を引っ込めて、一年A組の葉山
遠慮せずに食べろと言うが、切り分けて皿に載せられる前のシフォンケーキは、それなりの大きさがあった。直径二〇センチほどはあっただろうか。鮎川先生も含めて三人で分けて食べても、手の平に収まりきらないほどの、かなりのサイズである。これをふたりで食べようとしていたのか?
「初回にしてはよくできたな」と感想を述べる鮎川先生に、「計って混ぜて焼くだけですから」と桜木先輩。ふたりともケーキを豪快に鷲掴みにして、暢気に咀嚼している。わたしの表情を見てほしいものだ。
ちらりと時計を見やると、五時を過ぎている。もらったものは仕方がないから食べるとして、片づけの前に失礼しよう。とりあえず、食べるものは食べないと。
「ん、美味しい」
思いがけず感動してしまう。男子部員のがさつな料理かと思ったが、そんなことはない。甘ったるくてもしつこくない繊細な塩梅で作られている。無駄な焦げ目のひとつもない見た目からも、桜木先輩の見事な腕前を物語っていた。
「気に入ってもらえたようで何より」
「あっハイ。きょうはお腹が空いていたので、なおさら」
初めてひとりで活動する日にお菓子を作ってしまうくらいだから、趣味以上のレベルで料理上手なのかもしれない。細い体躯からするに、体力より手先の器用さで仕事するタイプだと何となく想像できる。「タダで食べられるから」という理由で調理部にやってくる男子とは違うようだ。
調理室の外では見えなかった彼の顔は、男性にしては長めの髪型にも似合うアイドル系の顔立ちだった。垂れがちな目はぱっちりと大きく、細い眉はどこか女性的な印象もあって穏やかだ。鼻はもう少し高くてもいいかも。何より、ニキビの跡すら見つからないほど、肌がつやつやとしてキレイなのだ。
ただ、わずかしか交わしていない言葉からも感じられる、自信のある物言いはいけ好かない。顔が良いからこその恩恵に慣れているのだろう。
大きすぎるかな、と思っていたケーキはすぐになくなった。砂糖をたっぷり使うお菓子とあって確かに食い応えはあったのだけれど、食欲を刺激する香りがわたしを狂わせたのかもしれない。
紅茶もさっと飲んでしまう。
「あの、ごめんなさい。実はそろそろ帰る時間なもので」
片づけはできないんです、という言葉の続きは省略する。
急に立ち上がった一年生の女子に、桜木先輩と鮎川先生が面食らっているうちにリボンを付けて、帰る支度を進める。先輩が「え」と漏らしているあいだにも、わたしはブレザーを羽織ってしまう。食欲に負けて寄り道してしまったが、きょうはできれば急いで帰りたいのだ。
「ごちそうさまです、ありがとうございました」
「ちょっと待って」
先輩がわたしを止めたとき、わたしもちょうど、ボタンをかけようとする手を止めたところだった。
「それ、僕のブレザーだよ」
「あ! すみません、間違えました」
鞄を置いた近くにあったもの――しかも同じグレー――だから、てっきり自分の上着だと思ってしまった。自分のものはその反対側の椅子に掛けてあった。そう、よくよく手元を注意してみれば、ボタンの向きがいつもと逆なのだ。服の合わせが、自分から見て左が上になるようにできている。
慌てて着替え直していると、先輩はにやりと笑って鼻を鳴らした。
「イベントで走りたいから急いでいるのだろうけれど、課金はお勧めしないよ」
「え?」
「ゲームをしたくて帰るのなら、片づけを手伝ってからにしてほしいものだね」
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