第141話 決戦・執行官編☆



 ※



 その女性は、足取り軽く、フェルズの歓楽街の奥へと足を進める。


 鼻歌等を口ずさみ、午前中の朝方とは言え、身の危険を感じないのだろうか、と周囲が心配になるぐらいに気軽な感じで、もしかして頭が?と失礼な事を考える者もいた。


 だが、その女性が、上級冒険者専用の高級娼館『ゲヘナ』に近づくと、そうした物好きな視線もなくなる。


 その店は、歓楽街では、触れてはならない、アンタッチャブルな領域の店だ。


 命が惜しいのなら、全てを見て見ぬふりをするしかないのだ。


 当然、午前中、まだ朝の中途半端な時間だ。店は営業しておらず、正面入り口は閉まっている。


 女性は店の前で小首をかしげると、横にまわって裏手の職員用の出入り口へと移動する。


 そして、当然鍵の閉まっているそのドアを、勢いよく開けると、堂々と中に踏み込んだのだった。



 ※




 女淫魔(サキュバス)のリグレットは、多少背が高く、体格がいいので、娼婦よりもこちらのが合っているだろうと、としばし交代制で、娼館の用心棒役をする事がある。


 それなりに立派な金属鎧(プレート・メール)に、使った事もない見映えの良い剣。


 用心棒役、と言っても大してする事はない。


 店の受付横で、偉そうにふんぞり返って立っているだけの簡単で単調、かつ退屈な役目だ。


 本当に客が揉めた時は、仲間が魅了や幻術で客を適当になだめ、誤魔化す。


 女の、見目の良い用心棒役、と言うのは、この娼館には男娼以外の女がいない、客の為のみの施設ですよ、とアピールする為のものだ。実際は、男娼もいないのだが……。


 人間界の危険な任務、と言う事で、男淫魔(インキュバス)はしり込みをし、こちらに来る人材がいなかったのだ。


 余り外見の良くない連中ばかりだったし、それはそれでいいのだが、勇気の欠片もない臆病者の集まりに呆れかえる。危険な任務、と言っても、もう何十年も問題は起きていないのに……。


 店の奥にある、事務所の休憩用兼来客用のソファで、つらつらとそんな事を考えていたリグレットは、突然、外に通じている通用口が、バンっと大きな音を立てて開き、そこから無遠慮に、一人の女性が中に入って来た事に驚愕した。


(鍵は閉まっていた筈、どうやって?いや、それ以前に何者だ?)


 リグレットは、使う必要がないと思っていた剣を、鞘付きのまま構えて、女性を詰問した。


「なんだ、お前は!ここは娼館だぞ、何の権利があって、鍵を開け、ここに入って来た?事と次第によっては、警備隊を呼ばねばならぬぞ!」


 懸命に、厳めしく偉そうに、恫喝になる様に話したつもりだが、その女性は、にこやかにリグレットと向き合う。


 何故か白衣を纏った、年齢のよく分からない、妙齢の美人だ。おっとりした感じのタレ目で、とても人が良さそうに感じられる。


 しかし、その白衣の下の制服が何か、遅まきながら気が付き、リグレットは戦慄を覚える。


 冒険者ギルドの制服だ。黒に近い紺に、赤のラインやポイント、間違いない。


 その女性は、手持ちのバッグから黒いカードを出して、リグレットにそれを見せる。


「私は~、ギルド専属の治癒術士マルセナです。この娼館で、奇妙な幻覚を見せる違法薬物を、冒険者に使った可能性があると、不良冒険者の取り調べで、発覚しました。


 この娼館の責任者と、娼婦やその手伝い等、ここで働く者全員を集めて下さい」


 見せられたカードは、確かにギルドの、ある程度の肩書のある職員が持たされる、冒険者のギルドカードと同等に身分証明となる、個人情報のつまったカードだ。


 専属の術士はランク分けをしないのか、ランクは書かれていなかったが、名前とギル専の治癒術士である事は、明確に証明された。


「わ、私は、警備のリグレットと言います。……その、不良冒険者というのは、どこの方でしょうか?私どもは、違法薬物等、一切使用しない、まっとうな娼館なのですが……」


 薬物など、不要なくらいにいい夢を見せる事が出来ると言うのに、わざわざそんな物に頼る必要などが、どこにあると言うのか。……まっとう、とはとても言えない店だが。


「『偉大なる進軍グランド・マーチ』のバロステロ、他、パーティーメンバー複数からの証言です。彼等は、チームメイトの女性への暴行未遂で拘束され、取り調べを受けた際に、ここの情報も漏らした様ですね」


 マルセナは、よどみなく、スラスラと聞かれた事に答えた。


「私は、関係者全員からの聞き込み調査の為に参りました。もし、拒むと言うのであれば、後日、警備隊と一緒に、内部を大々的かつ徹底的に調査する事になるでしょうね~」


 別に脅しではなく、ただ事実を述べているだけ、な感じにマルセナは言う。


「あ、いえ!拒否するつもりなど、毛頭ありません!ただ、私も役目柄、大体の事を責任者に報告せねばなりませんから。


 ……それと、この娼館の持ち主は、ここにはおりませんので、現場の責任者のみ、となりますが、それでよろしいでしょうか?」


「ええ、構いません。罪が確定したりしたら、そちらもお呼びして、罰金等、何らかの罰を受ける事もあるかもしれませんが、今はまだ、何も決まった訳ではありませんから」


「……はい、分かりました。後、その……娼婦達は、いわば夜勤時間で働いていて、今が眠っている時間なのです。体力を使う仕事ですし、起きれない者も、中にはいると思うのですが」


「事情は分かりますが、これは公的な捜査です。特に、『偉大なる進軍グランド・マーチ』のメンバーを相手にした娼婦には、お話を聞ければ、と思っています。


 これでも、営業時間にかかる時間帯に来ないだけ、こちらは気を遣っているつもりですよ」


 冒険者ギルドを『公的』と言ってしまえるのは、凄い自信とギルドへの信頼があってこその話だな、とリグレットは心の中だけで密かに考える。


 そして、マルセナの言い分も確かに正しい。営業時間に来られて、ギルドの捜査が入った、等と冒険者の噂になるのはマズイ。商売どうの、の話よりも、本来の計画に支障をきたすかもしれない。


「では、責任者と話して、何とか娼婦を起こして参りますので、ここでお待ち下さい」


「はい、ゆっくりと待たせて頂きます」


 マルセナは、ニッコリと人好きのする笑みを浮かべ、リグレットが座っていたソファの向かいの席に腰かける。


 まるで、捜査、と言うよりも世間話でもしに来た様な様子だ。


 恐らく、薬物に詳しい、として治療術士を派遣したのかもしれないが、何とも、そういった役割には相応しくない、優し気で柔らかな印象の女性だ。


 聞き取り調査等しても、何も出ないのは決まっているので、少々気の毒になってしまう。


(それにしても、下らない事をしでかして、ギルドに捕まった奴等は一体なんなのか。どうせ、厳しい取り調べに耐えられず、適当に余計な事を、ベラベラと喋ったのだろうが、こちらに飛び火させるとは、どういう了見だ)


 今から起こしに行く、自分達の上司であり、長でもある淫魔女王(サキュバス・クィーン)の怒りを思うと、こちらの方が泣きたくなる。


 どこかで、零れ落ちる水の音がする。




「―――リグレット。我は昨夜、面倒な客の相手をしたので、時間まで起こすな、と厳命した筈ではなかったかな?」


「重々承知しております、我らが女王(クィーン)。ですが、冒険者ギルドの治療術士が、違法薬物の捜査、と言って、店に来ているのです」


 リグレットは、癇癪を起こしてまた灰皿が飛んで来ないか、とビクビクしながら、自分達の長たる、淫魔女王(サキュバス・クィーン)ルーシャンの顔色を伺う。


「……冒険者ギルドの調査?誰か、何ぞマズい事をしでかしておったかのう?」


 ベッドの上でおっくうそうに上体を起こしたルーシャンは、艶やかな肢体を伸ばし、アクビをする。その姿も艶やかで、同性でもドキリとする。


「いえ、どうも、他の罪で捕まった冒険者が、適当にこちらの事を口にしたのではないか、と思えるのです」


「……厄介な。どこの馬鹿であるか?」


「『偉大なる進軍グランド・マーチ』のバロステロとパティーメンバー。チームメイトの女性への暴行未遂で捕まった、とか」


「『偉大なる進軍グランド・マーチ』、バロステロ……。ああ、いかにもそういう事をしでかしそうな奴ばらだ」


「ルーシャン様はご存じでしたか。私が相手をした客ではない様で、覚えていないのです」


「んむ。我の客の一人だ。仲間内に、特殊スキルの保持者がおって、ギルドの真偽官でも騙せる、と自慢しておった」


「それは、凄いですね」


「……まるで凄くない。相手に疑念を滑り込ませるだけのしょっぼい力よ。自慢されても、同意する笑顔がひきつったわい。その内バレて、偉い事になるだろうと思っておったが、存外早かったのう」


「な、なるほど」


「しかし、そいつ等が、違法薬物をどうの、と言い出して、全員から事情聴取したい?結構な無茶を言いよるな。計画が発覚して、の囮捜査とかではないのか?」


「いや、たった一人の、とても人の好さそうな女性ですよ。身分証も見せてもらいましたが、ギル専の治癒術士なのは間違いないようです。とても争いごとに向いた感じじゃありませんから、それはないんじゃないかと……」


 リグリットが懸命に説明する様子は、相手への好意が透けて見えた。


「何だ、そ奴を気に入ったのか?ギルドの術士では、うかつに手を出す訳にはいかんぞ?」


「そ、そんな事はありません!ただ、いい人っぽいな、と……」


 眷族をからかって、少し溜飲の下がったルーシャン。


「治癒術士……。神術でないなら、水系統の術者か。確かに、戦闘向きではないのだが……」


(何かが引っかかる。気のせいならば良いのだが……)


「とにかく会おう。お前は、起こせる者は起こしてくれ。しかし、小間使いがいないのは、どう誤魔化すべきかのう。まさか、使い魔にやってもらっていると正直には言えんし」


「ああ、その問題もありますね。幼く見える者を、そう偽るしかないのでは?」


「……それをすると、機嫌を損ねる者がいると思うのだが、仕方ないか……」


 どこかで、零れ落ちる水の音がする。



 ※



「私が、現場の責任者をしています、ルーシャンです」


 身内とは別の、よそ行きの言葉遣いで応対する。


 職員用の部屋で待っていたのは、確かにまるで争い事とは無縁に思える、優し気な風貌の、年齢のよく分からない女性だった。


 20代の少女の様にも、30代の妙齢の女性にも見える、柔らかな雰囲気の女性。


「ギルド専属の治癒術士、マルセナです。お忙しい所を、すみません」


 人好きのする笑顔。リグリットの印象が好意的なのも分かる。


 と思ったルーシャンなのだが、何故か肌に鳥肌が立つ。


(?何か、よく分からない嫌な感じが?見た目通りではない?)


「それで、娼婦達には、個別で事情聴取を?」


「いえ、その前に、全員一緒に会わせてもらえないでしょうか?」


「全員一緒に、ですか?」


「口裏を合わせられると、困りますので」


 にこやかだが押しが強い。


「それは、分かりますが、結構人数が多いですし、ここには、会議室のような広い場所はなくて……」


 全員集めて、会議したり、朝礼をしたりする職場ではないのだ。


「無理、でしょうか?なら、やはり後日に警備隊と合同で……」


「あ、いえ、それはちょっと……」


「ルーシャン様、あそこなら、一応広くはありますよ」


 一通り、娼婦に声をかけ終わったリグリットが来て、二人の話を聞き、提案したのは、店の入り口近くの、客の待合室だった。




 その、客の待合室で、娼婦達が、不満もタラタラに、ブツブツ文句を言いながら立ち並んでいる。ルーシャン(女王)がいるのに、それだけ不満が大きい、と言う事か。


「これで、全員ですか?」


「それが、やはり起きてこれなかったのが3人程おります。ですが、『偉大なる進軍グランド・マーチ』と関わった娼婦ではありませんので……」


 リグリットは、自分の事の様にすまなそうな顔をする。


「三名ですか。仕方ありませんね」


 マルセナは、溜息一つついて、上の方を見る。上の居住区画にいる3人を確認する様に。



 ※



「それでは、皆さんに、ギルドマスターから言い渡された、判決を述べます。


 全員“死刑”です」


 その場が、一瞬で静まり返る。


 それは、その言葉の意味よりも、人の好さそうな笑顔を浮かべたマルセナが、そのまま、まるで何でもない事にように言った、その異様さからであった。


「マ、マルセナさん、それは、何の冗談ですか?例えその、違法薬物の話が本当だったとしても、全員、死刑だなんて……」


 リグリットは、白昼夢を見た様な気になって、マルセナに抗議する。


「リグリット、もういい。こやつは、見た目とは違う。こっち側の人間だ」


「こ、こっちって、何なんですか?」


「人を殺す側だ。笑顔で、なんのためらいもなく、な」


 ルーシャンは、ずっと感じていた違和感に、やっと合点がいく。つまり、“敵”だ。


「初対面の方に、随分失礼な事を言われてしまったわ。私、ショックで寝込んでしまいそう」


 そう言っているマルセナは、楽しそうに笑顔のままだ。


「ごめんなさい、リグリットさん。調査の件は嘘なの。刑の執行をするのに、集まってもらった方が、楽に済むでしょ?それに、貴方方も、どうせなら、お仲間と一緒の方が、寂しくないと思って」


 マルセナは笑顔をそのまま、酷薄な笑みへと変わる。


「な、ななな何を……」


「随分と大きく出たな。たかが治療術士に、そんな事が出来るとでも言うのか」


「ごめんなさい。私は、治療術士だけど、もう一つの肩書があるの」


 マルセナが、最初に出した身分証明の黒いカードを出すと、それを裏返して見せた。


 何も書いていなかった筈のそこには執行官(エクスキュースナー)と、赤い血文字にも見える文字で書かれていた。マルセナの力に反応して出る隠し文字だ。


「聞いた事ないかしら?ギルドの執行官は、スカウトと治療術士の二人組が基本で、片方が拷問、片方が治療を担当するの。でも、私の相棒は、違う任務で商会長補佐なんて牧歌的な仕事をしてるから、もう復帰は無理かしら?


 それはそれとして、私は、どうせ両方出来るから、ソロでこの仕事を続けていたの」


 淫魔女王(サキュバス・クィーン)たる、ルーシャンは、最早すでに戦闘態勢だ。他の、気の強い者も、それに倣っている。


「そ、その前に、何故我々を、殺すなんて言うんですか?」


 リグリットだけが、現状を把握し切れていない。


「言わなければ分からないの?貴方方が、この街の秩序を、著しく乱した魔族だからよ。凄くよく出来た擬態ね。私には分からないけど、それは関係ないの。この店の関係者が、全員魔族、女淫魔(サキュバス)である事は、分かっているから」


「……なんでかは知らぬが、組織の秘密が全てもうバレているようだな」


 ルーシャンは苦虫を噛み潰した様な顔をして、舌打ちをする。


「そうよ。今頃は、他の2つの店も襲撃を受けている事でしょう。でも、戦力が足りなくて、冒険者の執行官である私まで駆り出されるんだから、迷惑この上ないわ」


 どこかで、零れ落ちる水の音がする。


「それ程、お前が強いと言うのか?確かにサキュバスは、魅了が効かなければ、有効な戦力とは言えん。逆に、男と戦えば、色々と惑わす事が出来るのだがな」


「だから私が来ました。貴方達を、やって来た事に相応しい、苦しみと、痛みを与える為に」


「御託はもういい。実力(ちから)を示せ!」


 ルーシャンが、長く伸ばした爪で襲い掛かろうとした時、


「ここにいない方から始めましょうか」


 マルセナは上階の、眠っていると言う3人の生命力を探り、場所を把握すると、周囲にある、水気のある物から介入して―――


「ムゥッ?」


 サキュバス・クィーンであるルーシャンには、上の階で眠っていた筈の、眷族である部下の生命力が、ゴッソリと減ったのを感じた。


「貴様、私の部下に、何をした?!」


「刑の執行です。安心して下さい。貴方方の罪の重さを考えても、簡単には死なせてさしあげられないので、しばらくは息があります。


 痛みにのたうち、苦しんでもらうぐらいの間は……」


 笑顔で残酷な事を言う。


「この悪魔、人でなしめ!」


「冒険者に暗示をかけたり、暗殺する組織の一員の言葉とは思えませんね」


 ルーシャンの爪を、マルセナはにこやかな笑顔のまま、余裕で躱す。


 ルーシャンの部下である娼婦達、リグリットも、マルセナに攻撃を開始しようとしたが―――


 突然リグリットが、胸から血のトゲを、内側から無数に生やし、その場に崩れ落ちた。


「ガハッ!ぐふ……なに、こ、これは……」


「心臓の血を操って、血のトゲで内部から攻撃させてもらいました。もう、貴方の心臓はズタズタです。1時間も保たないでしょうね」


「バカな、いくら水を操れる治療術士でも、身体の内部のものを、本人の意思に逆らって自由に出来るなど、あり得ん!」


 マルセナが手をかざす度、頭を押さえる者、腹を押さえる者、胸を押さえる者が倒れ伏す。全員が、血のトゲで内部から食い破られていた。


「呑気な人達ですね。自分達の足元をよく見たらどうですか?」


「なに?!な、なんだ、この水は!」


 うっすらと床に溜まった水。


「娼館、というのは、身体を洗う必要から水道施設が完備していて、戦いやすいですね。いくらでも水を持ってこれます」


 いつの間にか娼館内の床は、低く薄く、大雨や洪水の時の様に浸水して、水が溜まっているのであった。まるで、何処からか、終始水が漏れて流れ出ている様に。


「確かに、触れでもしない限り、人体の内部の水分を操る事は出来ません。でも、私は人よりも水の操作を極めていますので、媒介となる水が相手に触れていれば、そこからの操作が可能なんですよ」


 マルセナは、ご丁寧に説明をしてくれる。


「くう、だから、なんだと言うのだ。種が割れれば、触れなければいいだけの事!それだけだ!全員、飛べ!」


 生き残った娼婦達は、女王(クィーン)の命令通りに、人間の擬態を止め、背中から翼を出して、宙に浮かぶが。


「この状態では、もう手遅れなんですけどね」


 床にたまった水が、一筋の槍となって、宙に浮かんだサキュバスの肩を射抜く。


「つっ……ぐはっ!」


 その淫魔は、すぐに胸から血のトゲを生やし、失速して床に落ちてしまう。


「もう、私が使える武器は、この場にいくらでもあります。貴方方はそれに触れたら、その身の水分は、私の支配下に落ちると言っていい。逃げられる道はありませんよ」


(くぅ……。だが、何を思って我を残したのかは知らぬが、それが命取りよ。自分が女だと思って、魅了されぬと思った、貴様の間抜けさを知れ!)


「や、やめてくれ!これ以上、部下達に酷い事をするのは……」


 ルーシャンは、弱ったフリをして、マルセナにふらふら宙を浮いて近づく。


「これは刑の執行ですから、やめる訳には……」


 マルセナが、ルーシャンを見上げたその時だ!


「『完全魅了!』」


 ルーシャンの赤い眼が、魔力の高まりとともに、真紅の不吉な光を解き放つ。


 それまでずっと平静で、余裕を持って行動していたマルセナの動きが止まった。


「クックック……。サキュバス・クイーンのみが持つ、『完全魅了』のスキルはどうだ?これは、男女を問わず、全ての者を我が元にひれ伏せさせる、究極スキル。魔力をかなり消費するのが難なのだが、致し方あるまいて。


 マルセナ、大急ぎで我が部下の治療をするのだ!」


 動きの止まったマルセナに、ルーシャンが命令を発したその時、マルセナであった物は崩れ、床の水と一緒に水しぶきをあげた。


「……?水、だと?なんだ、これは?」


「“水影”。水に映像を映していただけの、単なる分体です。分体1の停止を確認。2で行動を再開します。直前までの記憶を参照。なるほど、サキュバス・クィーンには、その様に危険なスキルがあったのですね。貴方を傷つけず残しておいた甲斐がありました」


 ルーシャンの後ろの床の水が盛り上がり、マルセナの形を取ると、またニコリと微笑み、ルーシャンへと迫る。


「ちなみに、本体とは繋がっていない分身なので、当然魅了も出来ません。正常な動作をしなくなれば、止まるだけです」


 つまり、これは本人ではなく、単なる使い魔の様な物なのだ。


 だから余裕があるし、痛みも何も感じないから、いくらでも残酷な事が出来る。


 ルーシャンは、ギルドの執行官というものを、甘く見過ぎていた。


「ところで、今のは眼で魅了を使う、と見てよろしいのでしょうか?」


 周囲の眷属が、次々と水の槍に貫かれ、水の蔦に絡まれて、身体から自分の血で出来たトゲで内部から壊されて行くのを、成すすべなく見続けるしかなかった。


「そ、そうだ、眼から脳髄に、魅了の力を浸透させる。眼が肝心なのだ」


 最早、ルーシャンの心はへし折れ、抵抗する気力もなかった。


「なら、貴方の死体は、念の為に、眼を潰しておきますね」


 にこやかに、マルセナは言う。


「や、やめ、ゆ、許して……」


 涙が出る。女王の誇り(プライド)等、かなぐり捨てる。余りの怖さに、失禁してしまっている。それ程、目の前の存在は、ルーシャンの理解を超えた人外だった。


「駄目です♪」







*******

オマケ


マ「あら、ライナー。久しぶりね」

ラ「ゲ、マルセナ……。ああ、そうですね、久しぶり。じゃあ用があるんで」

マ「相方に、久しぶりで会えたのに、速攻で逃げるって、どういう事かしら?」

(ニコニコ)

ラ「貴方のその、中味の伴なってない笑顔が怖いんですよ……」

マ「今日はザラいないから、治癒室に来なさい。マズイお茶、入れてあげるから」

ラ「なんで、マズイの飲みに寄る必要が……」(ズルズル引きずられる)

マ「まったく。貴方がいないせいで、私は一人で執行官稼業。大変だったのよ?」

ラ「……何処が?一緒にいた頃から、結構一人で全部こなしてたじゃないですか」

マ「女の細腕一人に、随分冷たいのね。流石はエルフ様。ヨヨヨヨ……」(泣き真似)

ラ「……エルフは関係ないでしょう」(本当にマズイな…)

マ「一応、他の支部から応援も来てるけど、人が足りないのは本当よ」

ラ「弟子を取ったのは、後継者にする為では?」

マ「何言ってるの!あんな本当に優しい娘、表稼業しか出来ないわよ。知ってるでしょ?」

ラ「ああ、そう言えば、ゼン君の婚約者の一人でしたね」

マ「そうよ!もう性格なんて、清廉潔白、清浄一途に献身。教会にでも通ってたら、聖女候補にでもされそうなぐらいに徳の高い娘なの。毎日癒されるわぁ……」

ラ「貴方の場合、浄化される、の間違いでは?」

マ「……脳の血の巡りが悪いみたいね……」

ラ「いや、冗談です。頭に触ろうとしないで下さい!」

マ「……ま、ともかく、人手不足で困ってるのは本当」

レ「……それ、一つ案があるのよね」

ラ「ブフォッ!ギルマス?いつからここに?」

マ「最初からいたわよ。時々隠れて、ここでサボってるから」

ラ「ぎるどますたー……?」

レ「まあ、それはそれとして。ゼン君に、執行官の肩書をあげようかな、と」

ラ「はあ?!あの子はギル専にはならないでしょう!受けませんよ」

マ「あら、素敵。弟子の恋人が秘密の同業者に。これは、いけない予感★」

レ「変な方向に期待しない。専属でなく、肩書だけ貸す形かしら」

ラ「なんでそんな、中途半端な形に」

レ「だってあの子、何も言われなくても、悪党見つけると勝手にしばいてるし。従魔達にも、おかしなのがいないか街を監視させて、場合によっては退治もさせてるのよ」

ラ「……それ、すでに執行官じゃないですか。冒険者に限らず」

マ「……やるわね。さすがはザラの見込んだ伴侶だわ」

レ「あの子の場合、正義どーの、の前に、悪党が嫌いなのね」

ラ「ああ。生い立ちが生い立ちですから…」

ナ「趣味嗜好も合うなんて、増々素敵…」

レ「……だから、何もなくても悪党退治してるなら、肩書あった方が正当性を主張出来るでしょ」

ラ・マ「「なるほど」」

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