第108話 もう一つの問題☆



 ※



「……何と言うか、今朝のゼンは、気合がみなぎっている気がしないか?」


 今は午前中の鍛錬中。美味い朝食を食べて、全員が張り切って、小城の中庭で訓練をしている。


「獣王国の狼嬢と、虎姫も元気だが、それ以上だな。ゼンからあんなに闘志を感じるのは、『悪魔の壁 デモンズ・ウォール』の階層ボスや、『壁』の時以来な気がするな」


 リュウとラルクは、リーランを狼嬢、ロナッファを虎姫、と密かにそうあだ名づけて呼んでいた。


「ここに強い魔獣がいる訳でもないのに、どうしたってのかね。……まあ、それはいい。ちょっと“瞬動”の手本を見せてもらおう」


「虎姫でなく、か?」


「ゼンのが丁寧に教えてくれる。姫さんは結構雑だ」


「おいおい、もっと小声で言えよ。巻き添えで特別メニューとかさせられたくないぞ」


「おっとすまん。確かにな。ゼーン!」


 ラルクの大声で、ゼンが地面を滑るように速く駆けて来る。『流歩』だろう。


「なんですか、二人とも」


「“瞬動”の動きの手本を見せてくれないか。俺等はまだうまく止まれんし、細かな動きとかも見てみたいんだ。……あれって、俺等で動いてる最中見れるのか?」


「そうか、目で見れなきゃ、意味ないな」


 “瞬動”を習う上での、おかしな盲点だった。


「いえ。お二人は、昨日からずっと鍛錬してるので、“目”の方も順応し始めてると思いますから、試しに軽く動いてみます」


 ゼンはそう言うと、そのままバックステップで、後ろに“瞬動”して行った。


「うお、あんな事も出来るのか」


「面白い動きだなぁ。……つーか、結構見えるな」


「……確かに。後ろ向きの、軽い動きのせいか?」


 遠ざかって行ったゼンが、今度は左右にジグザグ移動で“瞬動”しながら戻って来たが、それも何とか見れていた。


「目の方、かなり慣れて来たみたいですね」


 自分の動きを追う目の動きで、ゼンはそれを確かめ二人に言う。


「なんとか目でだけなら追えるな。自分で動けるかは微妙だが」


「最初は目だけでもいいんですよ。見えないと、避ける事も受ける事も難しいですよ」


「そうだな。“瞬動”は跳躍なんだから、見えていれば、合わせてカウンター入れるチャンスにもなるんだよな」


「そうなんです。そこが怖い所でもあるので。


 今日まだ組手をしていないし、ロナと模擬戦してみましょうか」


 ゼンは、リーランに軽く指導しているロナッファを見る。


「“瞬動”同士でか?」


「はい。ちょっと目が忙しいですが、どちらかに集中するか、距離をおいて遠くからなら、全体的な動きも見えると思います」


 言うと、ゼンはそのまますぐ“瞬動”でロナッファの所まで行き、すぐに二人で戻って来た。


「受けてもらいました」


「く、組手でなく模擬試合でいいんだな?」


「ただ、今はまだアリシアがいないので防壁張る人がいない。だから、お互い“気”の鎧を厚めで、攻撃は適度に力を込めずに。ポーションぐらいならあるけどね」


「了解だ。早朝ゼンに習ってから、気のせいか、“闘気”の調子が良くてな。誰かと戦って試したかったんだ」


(うへ、姫さん、気のせいじゃなく、強くなってるぜ……)


(A級でも、まだ伸びしろがあるのか。凄いな……)


「二人に“瞬動”見せる為の模擬戦だから、一応動きは出来るだけ“瞬動”で。攻撃はお手柔らかにお願いするよ。


 後、遠当てみたいな遠距離に当たる攻撃はなしで。まだそういう準備ないから、周りの人に被害が出てしまう」


「おお、つまり接近技のみか!その方が燃えるな!」


 張り切っているロナッファに苦笑するゼンだが、珍しくこちらもかなりやる気が見える。


(しかし、ゼンは本来『流歩』が主体だ。“瞬動”主体の、獣牙流の師範代を相手で、大丈夫なのかな)


 少しだけゼンの心配をするリュウだったが、それは全くの杞憂だった。


 中庭の中央に、ギルドの訓練場でも使っている、木製の剣と爪を装備して、対峙する二人が、フっと消えた、と思った瞬間から二人の戦いが始まった。


 何かをやっていると見て、爆炎隊の4人とリーランも二人のところにやって来る。


「もしかして、師匠とロナ様、模擬試合されてるんですか?」


 リーランが目を輝かせて嬉しそうな顔をしているのは、どちらも憧れで、目指すべき戦士の二人だからだろう。


「二回目の模擬試合か。今度はどうなるかな」


 ダルケンや他の3人も同じ様に目を輝かせている。


 今日はここにいるメンバーのみが観客の特別試合だ。


 問題は、見えるかどうか、だろう。


 中央辺りで、木製武器がぶつかり合う鈍い音がするが、かなり視認するのが難しい。


 リュウとラルクは、二人でそれぞれを分担して見ていたが、武器がぶつかり合い、足が止まる数瞬、両方ともに観察出来る。


「どうも、ゼンの方が優勢だな。ロナッファさんは、“気”の出力が上がっているせいで、それがまだ上手く使えてないようだ」


「昨日、ギリがそんな感じだったな。


 しかし、二人は見えるのだな。俺には、素早い影が動いているようにしか見えん」


「あれは、急に対応とか言われても無理だよ。私も全然見えない……」


「攻撃し合う、一瞬のみ速度が緩みますから、そこを起点にすると、なんとか……」


 目を凝らし、爆炎隊の剣士ザックは呟く。


「ザックは獣人族ならでは、か?」


「俺も、昨日習ったように、かなり目の強化を強めてやっとですよ」


「俺も、要所要所でしか……」


 槍術士のディンは、元々かなり目がいい。そのせいか、目の強化にも早く慣れ始めていた。


「ディンは、見える方だぞ。ギリ、そう情けない顔をするな」


「だって、スカウトなら素早い動きが本領なのにぃ~」


 力ではなく速さで偵察がスカウトだ。それが速過ぎて見えない、では本末転倒だ。


「“瞬動”は、上級が主に使う技術らしいんで、そう悲観的にならんでも大丈夫ですよ。今は遠くから、動きの軌跡を目で追うぐらいの気持ちで、目の強化に慣れましょう」


 リュウとラルクは、なまじ目の感覚がいいから、ゼンに教えられるまで余り目の強化をして来なかった。戦士系、スカウト系が身体系の強化で、動き、攻撃を重視するのは当り前で、爆炎隊もそれは余り変わりがない。


 今は、目や五感の強化を強め、それに慣れていくしかないだろう。


 感覚的なものなので、慣れ始めると覚えも早いのだが。


「ロナ様も凄いけど、師匠はもっと細かく、小刻みに動けて凄い……」


「リーランさんはちゃんと見えるんだな」


「はい。獣人族は、土台の五感が強いのと、やっぱり獣牙流でも、目は基本ですから」


 正式な闘技の流派ともなると、そうなるらしい。


 あちらの国で言われなき差別を受けていたザックは、影で余りいい顔をしていなかった。


 見えない者は徐々にその場から距離を取り、目の強化に努めてようやく二人の動く姿をおぼろげにとらえる事が出来るようになってきたが、見えれば見えた事で、二人の凄まじい攻防に圧倒される。


 確かに、ゼンの方がロナッファよりも細かく早く動き、彼女の方が防戦一方だった。


 それでもロナッファは、自分以上の動きを見せるゼンに目を輝かせ、この戦いを心底楽しんでいるのは、そのゆるんだ表情を見るだけで分かる。


 後半は、ロナッファも自分の強化された“気”に慣れ、動きの速さでゼンに追い付きつつも、どうしても『流水』の防御を崩す事が出来ず、最後は綺麗にまた投げられた。


 ゼンが地面にたたきつけるのではなく、上空に長く滞空するように投げたので、地面に落ちる前に、身体を丸めて回転させ、態勢を立て直し、足からちゃんと着地した。


「……ここまで、だな。未だ及ばず、か」


「強化した“気”に慣れれば、この先どうなるか分かりませんよ」


 流石に“瞬動”でずっと動き続けるのはきついらしく、二人とも息を荒げていた。


 やり遂げた満足感、をロナッファは顔に出しているが、彼女の愚直さが、攻防の読みやすさに繋がっている事を言うべきかどうか、ゼンは迷う。


 その伸び伸びとした力強い動きこそがロナッファの長所でもあるので、彼女は余りゴチャゴチャ戦闘中に考えさせない方がいい気がする。


 それに、他の剣術でもない流派の師範代に、余り偉そうな事を言いたくない、という、ゼン独特の遠慮深さがある。


 今すぐどうこう考える事でもないか、と結局ゼンは、その結論を先送りにする。


 本当の問題はそんな事ではなく、ゼンに想いを寄せる二人に、『両想いの恋人持ち』になったゼンが、どうこの先対応するか、にある。


 二人にはもう、自分に想い人がいる事は打ち明けてある。なのに二人が二人とも、そちらと上手く行ったら、自分を2番目、3番目以降でいいから考えてくれ、と言われている。


 最悪、傍にいさせてもらうだけでもいい、と。


 実際に、獣王国の貴族令嬢である二人に、そんな扱いが出来る訳はない。


 獣王国では、家柄や身分をそれ程重視する傾向にないお国柄だが、それでも貴族には変わりがない。


 なんとか穏便にお帰り願うしかない、と思うのだが、果たしてあの頑固そうな二人が、それに応じてくれるだろうか?


 真面目な話、説得出来る未来がまるで想像出来ない。


 正直、頭の痛い問題だ。


 午前中の、一通り全員の訓練を見て、相手をした。


 爆炎隊の4人は、ゼンとロナッファの模擬戦を目の当たりにして触発されたのか、やたらと訓練に熱が入っていた。


 ザックが特に、一人熱くなる過ぎの感があったが、それは彼の事情、彼等の事情で、ゼン風情の、人生経験の足りない小僧が口出しするべき話ではないだろう、とかゼンはまた遠慮と自己卑下のないまぜになった感覚で判断していた。


 とにかく訓練を終え、昼食を終えて従魔研に行く頃に、ゼンは両想いになって浮かれていたせいで、もっと重大で大事で深刻な問題を失念していた事に気づかざるを得なかった。


「行きましょうか、ゼン」


 午前中もずっと子供達の仕事につき合い、その面倒を見て、合間に、ミンシャやリャンカに料理を習ったりもしていたザラが、従魔研に行くゼンと一緒に行く為に、いそいそと準備を済ませてやって来る。


 もはや日常となっていたその光景で、自分やスラムの子供達に暖かな想いを惜しみなく降り注ぐ、自分の命の恩人の想いに対しても、何らかの決着をつけなければいけなかった事、まるで今更のように思い出す。


 ゼンは、自分とサリサが上手くいく未来図など、まるで思い描いていなかったので、そこから先、自分が何をするべきか、というのを、まったくまるでちっとも全然これっぽっちも考えていなかったのだ。


 先の先まで用心深く考える事を常として来たゼンにとって、こうしたゼロから考えなければいけない事態というのは、中々にない珍しい非常事態だ。


 それでも、考える材料が揃っているのならば、それを考えればいいだけの事だ。


 つまり、サリサという、想い人と両想いになれたゼンは、他の女性を断る大義名分を得たも同然で、例えばハルアなどには、今好きな人と一緒に暮らしているから、とキッパリハッキリ断る事が出来るのだ。


 だから、ザラも―――


 そこでゼンの思考は凍り付き、動かなくなる。


 ザラのゼンへの想い、というのは、自分を重大な危機から救ってくれた恩人への依存のようなもので、早く諦めさせた方が、理屈的にいい。


 ザラはゼンと同じスラム出だが、治癒術士で、今はギルドに直接雇われている専門術士だ。美人だ。きっと、ゼンなどではない、もっと大人の、ザラに似合いの男性が―――


 また思考が止まる。それ以上考えるのを、脳が拒否している。


「……ゼン?なにかフラフラしてるけど、歩いている時に考え事してると危ないわよ」


「う、うん。そうなんだけど、考えなきゃいけない、大切な問題があって……」


 ぎこちなく笑って誤魔化す。


「そう?じゃあ……」


 ザラがゼンの左手を、スっと握り、照れ笑いをする。


「これなら、いくら考え事をしても大丈夫よ」


「あ、ありがとう……」


 そこでゼンは、いつものように気配を消すのを忘れていたので、周囲がこの、いいところ年の離れた姉弟にしか見えない二人を、好奇と微笑ましさの混ざった視線で見ている事に気づいた。


 『流水の弟子』、『超速』が、年上の女性術士と仲良く手を繋いでいる光景に、好奇心を覚えない者は、このフェルズには存在しないだろう。


 ゼンは考え事どころではなくなり、ザラの手を引いて、急ぎ足で冒険者ギルドへと向かった……。



 ※



 ゼンにとって、ザラと過ごした短い間の記憶は、ザラが死んだ、と思い込んだ時点で、余りにも痛ましく悲しい思い出となってしまい、ゼンにとってめったに思い出さない記憶の奥底で眠る、つらい記憶の象徴のような物になってしまった。


 だがそれも、ザラを救えた事で、なんとか冷静に当時を思いだし、昔を懐かしむ余裕のあるものとなった。


 だから、あの時の、一緒に暮らそう、とザラに言ったそれは、決して“求婚”などではなかったが、年上の女性に対する淡い思慕の感情、あれは、時系列的に、サリサと出会う前であった事は確実で、だとすれば、あれがゼンにとっての『初恋』なのだろう。


 ゼンは、当時の果たされなかった約束を思い出しながら、そう自分で自分の感情を、客観的に分析し、冷静に判断する。


 だとしても、あれはもうずっと昔の事で、小さな女の子が「将来お父さんと結婚する」と無邪気に言うのと同系列ぐらいに、何の意味もない、衝動的な約束だった。


 想い、というには余りにもおぼろで淡く、何の形にもなっていない、言葉にすらならない、なる前に消え去った気持ち、感情だ。


 なのにゼンは、自分は今、サリサという恋人が出来て、ザラの想いには答えられない、と告白する自分を、思い描く事が出来ない。行動出来ない。


 もしそうしたら、ザラは悲しむだろうが、それ以上にゼンの恋愛成就を祝って、そして静かに身を引いてしまうだろう。ザラはそういう性格をしている。


 そうしたら、今の、スラムの子供達の世話役的なザラはどうなるのだろうか。


 今のところ、子供達は何の問題も起こしていないが、それはまだ仕事量が少ないから。世話をする人数が少ないから何とかなっているに過ぎない。


 でもそれは、ザラが絶対に必要か、というと、それは微妙な問題だ。スラムの子供達は、皆それなりに逞しく、ザラの世話がなくても、何とか仕事をこなす事が出来るかもしれない。


 なら、ザラはまたギルドの寮に戻り、一緒の生活をする事はない?


 バキッ!


「あ……ちょっと、力を入れ過ぎてしまって、すみません……」


 ゼンは、青い顔をして、握りしめてへし折った教卓の角を、どうしようかと手で持て余し、後で修理しよう、と収納具にしまう。


 今日のゼンの様子が変な事は、誰もが分かっていた。


 常に上の空で、従魔の説明も、ところどころおかしな事を言っている。


 誰もが、日頃の疲れから無理がたたって、それが表に出てしまっているのでは、と心配していた。


 ザラも、時折ゼンが自分を見る事が、今日はいつになく多い事に気づいていたので、一体彼に何が起こっているのだろう、と人一倍心を痛めていた。


 従魔研主任のエルフ、ニルヴァーシュが、見かねてゼンに言った。


「ゼン教官はお疲れのご様子。今日は早退して下さい。後は、我々が資料のまとめや、研究の続きをしますから」


 疲れている訳ではなかったが、正常に仕事をこなしているとはとても言える状態ではなかったので、ゼンはそれに甘えさせてもらう事にした。


 もうゼンは、自分で自分を誤魔化せない、瀬戸際にいる事を自覚した。


 サリサと話さなければいけない。せっかく両想いになれたと思った次の日に、自分はもうそれをぶち壊しにしてしまうかもしれない。


 ゼンには、ザラを振る事が出来ない。


 ザラに悲しい思いをさせたくないからではなく、自分がしたくないのだ。


 ザラがもしも自分から離れ、誰かと付き合い、好き合うようになったら、と考えただけで、暗い怒りが湧いた。まるで、あの闘技会の時にように。


 自分は、『ザラ“も”好き』なのだ。


 なんて身勝手なんだろう。


 サリサに何度も問われていて、そのたびに曖昧に答えていた、それが、サリサと両想いになり、ザラを突き放さなければいけない今になって分かるとは、どういう皮肉なのだろうか。













 *******

オマケ


リ「……明日、じゃなく明後日か。クランの勧誘会」

ラ「ああ、そんなのあったな」

リ「あったな、じゃないだろ?お前も出るんだから」

ラ「はぁ?なんでだよ」

リ「お前、副リーダーだろ!」

ラ「初耳だが」

リ「え?だって、パーティーのメンバー登録にも…あれ?」

ラ「リーダー以外、役職書いてないじゃないか」

リ「あ~。でも、お前なのは暗黙の了解だろ?」

ラ「了解した覚えはない。アリシアでも連れてけよ。その方が覚えがいい、見映えがいい」

リ「いや、アリアは、そういうタイプじゃないだろ?俺は命令とかされたくないぞ!危なくて!」

ラ「……それもそうだな。じゃあゼンで」

リ「……多分、了承しないと思うぞ。最初からのメンバーからで、とか……」

ラ「ああ、ゼンなら言いそうだな。じゃあ、サリサで。戦闘の指揮なんだし、副でいいんじゃないか?」

リ「……お前を盾にして、聞きに行くならいいが?」

ラ「ワカッタヤルヨ」

リ「最初からそうしてくれ」

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