第105話 長い夜(前編)☆



 ※



「……サリサ、これは何の冗談なのかな」


 ゼンは、自分の今の状態を詳しく確認する。


 椅子に座らされている。手は椅子の背もたれの向こう側で手首が縛られている。


 身体も、腕ごと椅子の背もたれにグルグル巻きに縛られている。


 脚まで、椅子の足に足首に近い状態で縛られている。


 縛っているのは単なる縄ではない。太く頑丈で、金属質の光沢があり、普通に斬る事も、力で引きちぎる事も難しそうな縄状の何かだ。


 部屋は、小さな携帯魔具の灯かりのみで、全体的に薄暗い。


「冗談なんかじゃないわ。もう分かっているんでしょ?ずっと不自然に人を避けてた癖に。変な風にトボケないでよ。私、怒ってるんだからね」


 ゼンは、自分はいつもサリサを怒らせている様な気がする、と心の中で自嘲している。

 

「まず言っておくけど、従魔を出さないで。ここでの話にも関わらせないで。あれは、反則なんだから」


(何に対して反則なんだろう……)


 目が覚めて、サリサを確認した時から、従魔との感覚共有は遮断している。


 それに、ゾートやガエイを出して、今サリサを取り押さえても何の解決にもならないのは目に見えている。サリサの怒りを余計にこじらせるだけだろう。


「……分かった。……色々悪いとは思ってるよ」


「そんな殊勝の事言う人が、お酒で仲間の女の子を潰したりするんだ!」


「……それも含めて、ごめん」


 ゼンの眼前で腕を組んで仁王立ちしていたサリサは、その謝罪を見て、多少は腹立ちがおさまったのか、勢いよく後ろのゼンのベッドに座り込む。


「じゃあ、ちゃんと話してくれるんでしょうね?この間の事!」


「……その前に、この状態、もう少し何とかならない?余りにも酷いと思うんだけど……」


「全然ひどくない!あんたが私にして来た事に比べたら!それに、あの奇術みたいな剣術使えたら、あんたすぐどこかに逃げ出すとか、しそうなんだから!」


「さすがに、この期に及んで逃げたりはしないよ」


「駄目よ!信じられない!そのまま説明するの!それが今のゼンの最低限の義務よ!」


 今やサリサは不信の塊りで、とてもゼンの言う事を聞いてくれそうになかった。


「……じゃあ、何から話せばいいのかな」


 自分の不始末が招いた現状、とはいえ、ゼンとしても今のこの状態で、真面目な話をするのは余りにも情けなかったが、どうにもサリサがそれを許してくれそうにない。


「“封印”の事、話して。その“封印”が何なのか、どうしてそれをする事になったのかを」


 サリサは最初から、一番の重大案件を持ち出した。


「……サリサ、もしかして、最初からこの部屋にいた?隣りの控え部屋とかに隠れて」


 なのにゼンはそれにすぐ答えず、別の話をする。


「そうよ。シアが無味無臭の弱い睡眠薬を食事に混ぜておいて、私が隣りから遅効性の『眠りスリープ』の魔術を使ったの。速攻性だと、あんた気づいて何かしそうな気がしたから」


 あのゆったりと訪れた深い眠気はそういう事だったのか。


 そうした薬物や状態異常の術に、普段のゼンならすぐに気づき、何か対抗策が打てたかもしれないが、この小城の中の安全性を過信して、油断があったのだろう。実際、疲れてもいた。


 何より、仲間である二人にゼンに対する害意が全くないので、ゼンの危険を感知する感覚にまるでひっかからずにすり抜けてしまったのだろう。


 眠る前に感じた違和感は、自室に人が入り、貴族が近習やメイドを待機させる、控えの部屋の方に忍び込まれていたからなのだろう。あちらには何も置いてない。


 しかし、アリシアが協力しているからなのか、この悪趣味な拘束姿は。


「この、俺を縛っているのは何なのかな?」


「人の質問を無視して、自分ばかり聞くの?」


 サリサは段々とイライラを増している。


「……現状を正しく認識しておかないと、落ち着いて話す気になれない」


 と、普段通りの落ち着いた声で言われても説得力がない。


 慌てふためいて、うろたえ騒いで欲しかった訳ではないが、その泰然とした、ふてぶてしい態度に、サリサの怒りは再燃する。


(あれ?俺、何か変の事言ったかな。サリサが更に不穏な……)


「……それは、前にギルドの研究棟で研究素材がいるとかで、小型の魔物を生け捕りにする仕事に使った物よ。それでも魔具で、指定した対象物を正確に縛り上げるの」


「なる、ほど?」


 最後の疑問符は、サリサの怒りがまた大きくなったのを感じたからだ。


「何、落ち着き払ってるの。私は何かする為にあんたを動けなくした訳じゃないけど、今のあんたには、私に何されても抵抗出来ない状態なのよ!少しは慌てなさいよ!」


「いや、だって、サリサがそんな事する訳ないし、俺の方が悪いのも自覚してるから、なにかされたとしても仕方ないかな、と」


「~~~~!どうしてそういう物わかりのいい、ズルい事言うの!まるで私が悪者みたいじゃない!」


 サリサは再び立ち上がり、身振り手振りを交えて自分の苛立ちをあらわにしている。


「俺が悪いから、反省してるって言ってるのに、どうしてそうなるの?落ち着いて、サリサ」


「わ、私は落ち着いてるわよ!じゃあ、その建前っぽい信頼を裏切ってやるんだから、今から、あんたをひっぱたく!覚悟しなさい!」


 サリサは思いっきり振りかぶって、ゼンの頬をはたこうとした。


 寸前で、その手はゼンの左腕で止められていた。


「え?」


「あ?」


 そんな間抜けな声を出す二人の足元には、バラバラに斬られた魔具の縄の断片が落ちていた。


「な、なんで?どうやって?これ、C級の魔物でも引きちぎれないって、魔具屋の店主が保証してたのに!」


「あー……、ごめん。攻撃されると、つい反射で防御してしまって……」


「今言ってるのは、その事じゃないでしょ!いったいどうやって、あんなに厳重に縛ってたのに、それが切れるのよ!」


「いや、そうした用心は常にしてるから、指に暗器を、小さな刃物を隠してあるんだ。後は技術的な問題で、魔術の拘束でも、大体は外せるような訓練もしてるし」


「……何よ、それ……。じゃあ、あんた、初めから余裕しゃくしゃくで、私の事を間抜けだと思って見てたんでしょ!私、まるで馬鹿みたいよね!」


 興奮しているサリサはもう涙目で、いまにも何か危険な術を暴発させかねないぐらいに危うかった。


「そんな事は思ってない!こんな無茶な事させる程思い詰めさせて、本当に悪いと思ってる!でも、あんな風に、強制的に尋問されるみたいに話したくなかったんだ」


 ゼンも立ち上がって、サリサの両肩に手を置き、落ち着かせようとする。脚の拘束もちゃっかり斬り外してある。


「だから気を静めて。ちゃんと話すから」


 サリサは、今一つ納得のいかない顔をしていたが、それでもゼンの手を振り払って、またベッドに座り直す。


 ゼンも、今まで縛り付けられていた椅子に座る。


「じゃあ、話して。最初から、最後まで!」


 何が最初で何が最後かなど、サリサにも分かっていないのだが、それはつまり、『ともかく全部話せ』という事なのだろう。


「……最初、から?結構長くなると思うけど」


「いいから!あんた、確か、睡眠を短く済ませる技術があるとか言ってたでしょ!私は昼間にでも寝るから!」


 そう言われてしまうと、もう話を端折る事も出来ない。


「……分かった、じゃあ最初は、旅団を街中で見かけた時の事」


「?最初は、食堂でゴウセルさんに紹介された時じゃないの?」


「違う。俺の方が一方的に見かけただけだけど、それはゴウセルの仕事の配達途中で、変に道に人だかりがあって、邪魔で通り抜けにくかったから、その原因を見に行ったんだ。


 そこに、多分フェルズに来て間もない、『西風旅団』の4人がいた」


「なんで、人だかりなんか?」


「普通に目立ってたからだと思う。フェルズに来る冒険者にしては、最年少過ぎて、幼い感じのパーティーだったし、何より、サリサとアリシアの綺麗さが際立っていたから」


「……変なお世辞入れなくていいわよ」


 ゼンがお世辞の類いを言わないのは知っていても、そう言ってしまうのは照れ隠しだ。


「これは事実だから。周りの人もそう言ってたし、二人には『白の小女神』と『黒の小女神』とかあだ名がついてたぐらい」


「……全然聞いた事ないわよ」


「最初の内だけ、みたいだから。二人とも、よく笑うし、よく怒るし、まるで普通の女の子で、最初の疲れて超然とした、神々しい様子とは違ってたから、定着しなかったみたいだよ」


「へー、ほー。喜んでいいんだか、悲しんでいいんだか、複雑ね。でも、私達は女神なんてガラじゃないし、まあ、シア一人ならそれでも……」


 サリサがブツブツ言っているのも照れているからだ。


 しょせんは昔の話。


「で、俺はなんでか、その『黒の小女神』の事が凄く気になっていたんだ。自分でもよく分からないんだけど、強く印象に残っていた。


 だから、時々配達の途中でも、4人が見えると、そこに『黒の小女神』の姿を探していた。


 それで、ゴウセルが俺に冒険者を勧めて、その紹介先がずっと気にしてた『黒の小女神』

がいる4人パーティーだって知った時は、ひどく驚いた」


「……そんな風には見えなかったけど?」


「俺は、その頃、表情が余り外に出なかったから。


 それで、戸惑ってもいたけど、旅団のポーター荷物運びをする事になって…」


 確かにその頃のゼンは無口で無表情で、今のゼンと同一人物とは思えないぐらいだ。


「待って、その前に聞かせて。なんでゼンは、『白』でなく『黒』を気にしていたの?普通なら、シアの方が目立つと思うのだけど」


 サリサはアリシアと親友だが、彼女の方が美しい銀髪に、明るく華やかで、陰と陽の対比になる事はずっと自覚していた。自分が暗いとは思わないが。


 ゼンが、旅団と一緒に行動するようになってからなら、アリシアにリュウという恋人がいて、自分の方に目が行く事もあるだろう、とは思っていた。


 でも実際はそうでなく、最初から自分を見ていた、と言われても、そこには疑いしか生まれない。


「うん、その疑問は最もだと思う。俺も、時々考えてた。自分が白でなく黒に惹かれる理由。


 それで、多分な、こじつけっぽい理由になるんだけど、スラムで暮らしていた俺にとっては、夜だけが、眠っている時だけが真実安らげる時間だったと思うんだ。


 夜とか闇とかって、それに紛れて悪い事をする奴もいるから、いい印象持たない人もいるみたいだけど、俺にとっては、その夜の闇、“黒”に包まれて眠る時、それだけが何も考えずに、身体も心も休められる、唯一の安息状態で。


 空腹も喉の渇きも、明日への不安も忘れて眠る時間だけが幸福?いや、何も感じない時間が、不幸でも幸福でもない、無の時間……いや、昔はそこまでややこしい事考えてなかった。


 少し話がずれたけど、それが“黒”に強く惹かれる、切っ掛けだったんじゃないかと思う」


「ふ、ふ~ん。私が黒ずくめで黒髪なのが、惹かれた理由なんだ。東方に行ったら、あんたそれ大変じゃないの?」


 ふざけて茶化すつもりで言ったようだが、それは成功しなかった。


「修行の旅で、東の帝国にも行ったけど、別に何も大変じゃなかったよ。サリサみたいな美人はいなかったし、黒ずくめの女の人も大勢いたけど、特に何も感じなかった」


 真顔で返されてしまう。


 サリサは部屋が暗い事に感謝した。紅くなった顔を見られずに済むと。ゼンの強化した視界は夜目もきき、全部が見えていたのも知らずに。


「切っ掛けはそれでも、ポーター荷物運びとして仕事して、4人は俺を普通に受け入れてくれたし、サリサにはなるべく気づかれない様に時々見てた。


 それで、一緒に迷宮(ダンジョン)行ったりして、結構サバサバしてて、でも怒りっぽくて、よく笑って、時々魔術暴発させて、アリシアの暴走を止めたりとか、色々あって、そういうのを見ている内に、自分の中で何かが大きくなっているのは分かっていたけど、それは正直怖かった……」


「それって、やっぱりザラさんの事とか?」


「―――ああ、うん……。事情が分かってると話が早くていいね。


 俺は、自分が不幸を呼ぶ存在にしか思えなかったし、ゴウセルの所に来て、そうでもないのかな?普通に暮らせるのかな?と、ずっと半信半疑で生活していたけど、ザラが救えなかった、死なせてしまったのは、厳然たる事実だったから」


「でも、実際には!」


 サリサは強く否定したくて、つい大声を出してしまう。


「うん、実際に、ザラは生きてた。でも、俺がその時助けられなくて、その上、それが理由でザラは脅されてたんだから、俺がその年月、ザラを殺していたような事に変わりはない……。


 ごめん、今は、あの時の事だけに限定しないと、話がゴッチャになる。


 俺はその時、自分の無力さで、ザラを死なせたと思い込んでたから、自分の想いが、また大切な人を俺から奪いそうで怖かった。だから、隠していたし、その時は絶対一生口にすまい、と思ってもいた。


 なのに、あの時ポロっと漏れてしまったけど……」


 歓迎会の日の宴での告白。


「高嶺の花、という言葉があるけど、俺にとっては、夜空に輝く星に例える方が合ってると思う。高嶺の花なら、苦労して登って行けば届くかもしれない。


 でも、俺のは、どんなに手を伸ばしても届かない、手を伸ばしてもいけないんだ……」


 ゼンが今見ているのは、昔の自分の姿なのだろうか。


「年の差と身分差とか?」


 アリシアと話していた事を言ってみる。


「それらも勿論ある。スラム育ちに人権なんかないからね。ましてや、魔物を倒す冒険者なんて、普通の民から見ても一つ上の存在でしょ。


 つまり、普通の民から見た貴族が、スラムの住民から見た冒険者、とすると分かりやすいのかな。


 だから、俺をポーター荷物運びとして、仲間として受け入れてくれた『西風旅団』は、奇跡の場所で、俺は自分がまだ夢の中にいるんじゃないかと、いつも疑っていた。


 これは、あのスラムのねぐらでまどろんで見ている幸福な夢で、すぐに覚めて、泡のように消えてしまうんだろうって」


 胸の中でポカポカ暖かい想いでいっぱいになるあの日々は、本当に夢にしか思えなかったものだ。


「……私は、身分とかって、意味のない考えだと思っている。貴族だって王族だって、元をたどればただの人間で、祖先の偉業によって、それらが生まれただけで、そこで違いを強調しても、その人個人の貴賤に関わるものじゃないと……」


 それは立派な考えで、人の理想論だろう。


 現実は、そうした身分差と折り合って生きて行かなければいけない。


「それと、多分もっと根本的な、存在の格の違いみたいなものも感じる。


 アリシアとサリサは、自分が天才だって言って、実際そうなんだけど、それ以上の何かが二人にはあると思う。本当に別次元の存在みたいな。二人には自覚がないみたいだけど。


 そういう意味では、リュウさんやラルクさんも、普通の人は違う。で、なければ、あんなに早く強くなれたりはしないと思う」


 ゼンは、何かで仲間達と線引きして、自分とは違う存在だと言いたいようだが、サリサは大声で反論したくなる。でも、その気持ちはなるべく抑える。


「それは、ゼンだってそうでしょうが。それこそ別次元の強さよ。『流水』なんて。だから、あんなに行く先々で女の子に言い寄られていて……。


 自覚が一番ないのはゼンだと思うわ」


 そこに一抹の皮肉と嫉妬が込められる。


「サリサもあの本読んだんだ……。俺には自分が、そんな別格な存在になれたとは思えないけどね。


 女の子達の事は、正直よく意味が分からない事が多い。『流水』の強さに魅せられる子もいるみたいだけど……」


 ゼンはそこで大きく息をつく。女の子達の事を考えると、少し頭が痛い。


「……ちょっと話し疲れたから、お茶入れるよ」


「食堂に行くの?」


「いや、それ位の用意はあるから」


 ベッドの近くに小さなテーブルを寄せ、その上にカップを2つ出し、金属製のポットの網目状の箇所に、ポーチから出した茶葉を入れ、自分で水をポットの中に出し、自分でポットを暖め、それをカップに注ぐ。


 サリサはもう何度目かで慣れているが、実際はかなり奇妙な光景だ。


 魔術でもやろうと思えば同じ事は出来るが、こんなに手軽に簡単に出来る訳ではない。


 これを“日常魔術”だと思い込んでいるゼンは、本当に奇妙な男の子だ。


 入れてもらったお茶を美味しく飲みながら、サリサはしみじみ思うのだった。












*******

オマケ


ル「お?るー、おしゃべりしていいのかな?」

ミ「ふぎゃ、出遅れましたですの!」

リ「先輩が主様のお皿を意地汚くペロペロ舐めているから」

ミ「そんな事してないですの!」

リ「あれ、旅の…」

ミ「それはノーカン」

ル「るーは主さまといっしょのお皿でたべるお?」

リ「幼子の特権ですわね」

ミ「羨ましいですの~」

ル「主さま、あーん、してくれるから、るーもあーんしてあげてるんだお」

セ「ルフ、それぐらいにして!まさか張り合って挑発してるんじゃ…」

ゾ「女は怖いねぇ…」

ボ「仲良く食事は良い事」

ガ「一家団欒、修羅場波乱……」

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