第56話 メモリー・キューブ(1)☆
※
「……全然、帰って来ないじゃない?どうなってるのよ、ゴウセル!」
レフライアは苛立たし気な感じで、自分の愛しき婚約者を睨む。苛正しさ半分愛情半分なので、大して怖くはない。何か可愛く拗ねている様ですらある。
「……だから、例の迷宮(ダンジョン)に……中級のに、旅団の連中と籠ってるんだろ?」
ゴウセルはもう今日何度繰り返したか分からない、同じ台詞(セリフ)を口にする。
場所はゴウセルの屋敷の私室、書斎だ。
「でも!だって!あの子と、このキューブの中身を確認するって、約束してたのに!」
「……何か不都合があったか、あるいはあいつが、迷宮(ダンジョン)探索の方を優先させたのかもしれんな……。約束を破る様な奴じゃないが、そのキューブの情報は、あいつにとってそれ程重要ではないのかもしれん」
「……そんな筈、ないのに……」
レフライアは何か口の中でブツブツ呟きながら、ゴウセルの書斎の中を行ったり来たりと、落ち着きなく歩いて往復している。
「いいわ、私も我慢の限界だし、ゴウセルには見せておく。それで、今回の事がどれぐらい重要な事柄なのか分からせてあげる!」
急に立ち止まったギルマス様は、キっと顔を引き締めて、椅子に座るゴウセルに向き直る。
「見せる?ギルドの機密的な事なら、俺に見せちゃ、マズくないのか?」
ゴウセルは慎重だ。例え婚約していても、いずれ結婚するのだとしても、ギルドの極秘事項を知っていいかどうかは微妙な話だ。
ゴウセルが誰かに洩らしたりするつもりがなくても、それを読み取るスキルなり術なりでゴウセルから情報を引き出そうとしたら、出来る事になってしまう。どちらかと言えば、やはり駄目な事柄だろう。
「いいの、少なくともこれは、元々明かすつもりだったし、貴方に私の喜びを共有して欲しかったから……」
レフライアの言葉は意味深で、まるで予測不能だ。パラケスという伝説の魔術師がゼンを通して伝える情報があるのは聞いていたが、それがどうして喜びに?
疑問に頭を悩ませるゴウセルの目の前で、レフライアは自分の左眼を覆う眼帯をアッサリと外した。それは、彼女が受けた呪いの傷の、鎮痛と呪いの抑制に効果を発揮する為のものなのだから、基本的に常時着用しなければいけない魔具だ。
なので、レフライアがそれを外し、まるで傷のない顔を見せ、笑った時点で、その眼帯がいつもの呪い抑制の物ではなく、傷がある様に見せていただけの幻術系の魔具である事が分かったが、ゴウセルにとってそれは二の次だ。
自分が取り戻してやりたいと、大陸中を周り、結局どうにも出来なかった、レフライアの蒼い瞳のもう一方が、紛れもなく戻っているそれだけで、ゴウセルは衝動的に立ち上がって強くレフライアを抱きしめていた。
「……これは、何の奇跡なんだ?ああ、神よ、もう見る事がないと思っていた、お前の瞳の輝きが戻っている事に感謝を!もういつ死んでもいいぐらいだ!」
「喜んでくれてありがとう。でも大袈裟よ。感謝するのは、神様ではなく貴方の可愛い息子にする事になると思うし、これから結婚する新郎に死なれても困るから……」
それから二人は、思う存分イチャコラした後で、ようやくレフライアの説明を聞く事になる。
「……それで、レフライアはその、ゼンが執務室に連れて来た謎の、メイド姿の少女に呪いを祓ってもらってから、眼の再生治療も受けた、と。ゼンのお陰とか言うから、ゼンが治癒術士の力に目覚めたのかと思ったが違ったんだな」
二人とも向かい合った状態で椅子に座り、その、ゼンが来た当日の出来事を聞かされるゴウセル。聞けば聞く程不思議な話だ。
「“呪詛返し”、言葉だけなら俺も聞いた事はある。かけられた呪いをかけた本人に返す技法らしいんだが、それは同系統の術士にしか出来ない筈だ。つまり、その子は魔族なのか?」
「一見人間にしか見えなかったけど、“気”の感じではそうだと思う。それと、彼女がゼン君を“主様”と言っていたのも気になるの。あの子が奴隷を持つとは思えないのだけど」
「そうだな。スラムでの経緯を考えると、ゼンはむしろ何かの拍子で奴隷契約した子がいたとしても、すぐに解除してしまうだろうさ」
「……そうよね。それに、普通に出入りが出来る訳ない、ギルドの5階に急に現れたのも謎だし、ゼン君を連れて来た竜騎士ケインは、間違いなく彼一人しか連れて来ていない。
それは彼の依頼内容からも分かるし、竜騎士を屋上で迎えた見張りの職員も、ゼン君を出迎えた副(サブ)ギルマスのロナルドもゼン君以外、見ていないの。
門のその日の人の出入りの記録を調べたけど、その日から1カ月さかのぼっても、該当者はなし。私の知らない治癒術士がこのフェルズ内にいる筈もない。
あ、ゼン君が、スラムで救出したザラさんは別ね。彼女は前からずっとスラムにいたのだし。私も正直言って、スラムに術士がいて、隠れて生活してる可能性なんて考えもしていなかった。ギルドの『術士保護法』なんて知らずに苦労している人がいるなんて、盲点だったわ。
その内、スラム内は大々的に調査したいと思ってるの。ゼン君が裏組織をある程度“整理”した、と言ってたけど、その内容も気になるし、今スラム内でゼン君はそれなりの“顔”になっている。貴方に雇われていた子供の集団との渡りもつけられるし、彼の協力があれば、常に排他的だったスラムの状況をある程度改善出来るかもしれないわ……」
「レフライア、一辺に色々考え過ぎだ。ギルマス兼名誉領主様さま」
ゴウセルは笑って、優しくレフライアの頭を撫でる。別に子供扱いされている訳ではないので、ゴウセルのその優しさは彼女にとって嬉しいだけだ。
「そうね。とりあえずは、ゼン君が連れて来た治癒術士で呪術師の“リャンカ”と呼んでいた、多分魔族の子について、ね。それは、このキューブに入っている映像記録なのか、情報だけなのか分からないけど、見れば分かる、とゼン君は言っていた」
「なら、それを見ればいい。1週間、というのは、口約束の事じゃなく、そのキューブが時限式でロックされてたんだろう。もう見れるだろうから、お前に貸した私室の方で見て来ればいい。ゼンの立ち合いは絶対必要じゃないだろう。
もしそう言う何かがあるなら、あいつは書置きぐらい残すと思う」
レフライアは、常に持ち歩ていたその紫のキューブを手の平で転がしながら、そうよね、と頷く。
「見せてもいいものだったらすぐに見せに来るから、確認して来るわ」
立ち上がって、ゴウセルにそう告げる。
一応このゴウセルの屋敷に、レフライアが使っていいと言われた部屋はあったのだが、泊るのは普通にゴウセルの寝室で一緒に寝ていたし、まったく使っていなかった。
その部屋へとレフライアは、ゴウセルに手を振って、キューブを握りしめ書斎を出た。
ゴウセルはそれを見送った後、大きく息をつく。
彼も、大事な義息子のゼンを主(あるじ)と仰ぎ、レフライアの瞳を治癒した少女が気にならない訳ではないのだが、あのキューブの情報がどういった物かすらまだ分からない。
ギルドマスターに任せるしかないだろう。
と、思っていたのだが、廊下を結構な足音を立てて戻って来る者がいる様なので、心の準備をして待ち受けると案の定、レフライアが書斎に戻って来た。
「これ、映像記録だったのだけど、貴方にも……ゼンの保護者には、是非見てもらいたい、他には見せられない内容があるって、最初に出てたわ。だから、その部分以外を別の記録媒体に移して、ギルドで検討して欲しいって……」
伝説の『隠者パラケス』が、ゼンの保護者のみに伝えておきたい事……。それはやはり、ゼンの出生の謎や、彼がスキルを持てない事と関係あるのだろうか?
「じゃあ、ここで一緒に見るか。盗聴防止の魔具持って来てるんだろ?」
「持って来てるけど、私が見てもいいのかしら?」
「あいつの義母(ははおや)になる気がないなら、見なくてもいいが?」
「もう!意地悪な言い方しないでよ。貴方の許可がいると思ったの!」
「はいはい。許可するから、一緒に見よう。俺も、ちょっと見るのが怖いよ。そばにいてくれ……」
「こういうのは一蓮托生よねぇ。長くなるかもしれないから、あの子がお土産に持って来たお茶、入れてくるわ」
「ああ、いいな。それじゃ、応接室の方に行こう。魔具を起動させた結界があるなら、何処でも同じだ」
「分かったわ」
二人は場所を移した。応接室のソファで、長丁場になってもいい様に準備して事にのぞんだ。
応接室のテーブルの真ん中にくだんのキューブが。その少し離れた横に盗聴防止の魔具が置かれた。
まず盗聴防止の方を起動してから、キューブの映像再生を始める。
キューブの立方体の上前面が光り、その上に好々爺とした魔術師のローブに身を包んだ老人が、テントの中らしき場所に座っているのが映し出された。その後方で、何故か酒を飲んでいるラザンも。
もしサリサやアリシアがこの場にいたなら、自分達が疑似無詠唱、とでも言うべき方法を教えてもらった映像と一緒だ、と指摘出来ただろう。
だが今はいないので、ゴウセルもレフライアも不思議顔だったが、多分、この映像の話に彼も参加するのだろう、と予想する。実際、それは合っていた。
<おはようさん。儂がパラケスという、ケチな爺じゃ。儂もゼン坊には旅の間、とても良くしてもらってのう、もう孫同然じゃ。親代わりの保護者がいると聞いて、ちゃんと挨拶したいと思おておった>
<俺の愛弟子を、勝手に孫にするな、っつーの>
<気持ち的に思うぐらい、いいじゃろうが!相変わらず心の狭い剣士じゃ!>
<へいへい>
<それで、この先はその保護者の者にのみ、見て欲しい。冒頭部分んじゃな。そこ以外を他に移してくれ。手順は今言うでのう>
そうして、パラケス翁は簡単な手順説明をする。このキューブ自体にそれを補佐する機能を付与しておいた様だ。
<と、なる。キューブなりクリスタルなりは、それなりの値段がするじゃろうが、その入手に困る様な事はない、と聞いておる。ゼン坊が素材を偉く抱え込んでおるし、よしなに、な>
どうやらここまでが前置きの様で、本題が始まる雰囲気がある。
<儂が、『流水』の剣士の“気”を調べる為に、この旅に同行している、とゼン坊から聞いておるかもしれんが、それは半分だけが本当じゃ。実際、こやつらに同行して、すぐにゼン坊が、儂と同じに、いや、それ以上の『従魔』を連れて―――その身に宿しておる事が分かった。
儂が半生をかけて研究しておった“従魔再生契約技術”。それを、ゼン坊は儂以上に使いこなしておった、のではなく、よく分かりもせず、偶然の重なりでそうなったらしいのじゃが。
なので、調査対象は主にゼン坊の方に移ってしまったんじゃがの。
その前に、きっとお前さんらが色々気をもみ、心配しておる事についての、結論を先の述べておく―――>
そこでパラケスはいったん言葉を切り、こちらの方を真剣な強い眼差しで見つめている。
ゴウセルとレフライアも我知らず緊張して息を飲んでいた。今言われた“従魔再生契約技術”というのは後回しらしい。
<ゼン坊の、記憶の欠落、本来得るべきスキルを一つも……ただの一つもこの厳しい旅の間でさえ得る事はなかった謎。それらを踏まえると、ゼン坊はとても普通の人間とは言えん。
儂は、自分の持てる魔術の技術全てを駆使して、この子の身体を何度も走査した。ラザンめも、“気”で何度か調べたそうなんじゃが、結論は、落胆してくれるなよ。
『この子の身体は、まごうことなき人間のそれでしかない』
それしか分からんかった。儂等の技術では、少なくともゼン坊は、正真正銘ただの人間なのじゃ。
スキルが芽生えない事から、勇者の様な異世界の人間、という線も探ったのじゃが、そうでもないらしい。勇者はそもそも、勇者固有のスキルが芽生えるし、のう……>
パラケス翁は、残念だったのかホっと安堵したのか、どちらにも取れない、不可思議な表情をしていた。納得し難かったのか……。
<記憶は、儂が催眠でこの子の深層の奥まで探ってみたのじゃが、何もなかった。この子の記憶には、魔術や何かで消されたり封印されたりした形跡もない。
なのに、ゼン坊には、フェルズのスラム以前の、生まれてから五歳ぐらいになるまでの記憶は欠片も存在しない。まるで、フェルズのスラムに突然五歳児として生まれた様に、じゃ。
この子の知識にしても同様じゃ。誰から習ったとか、そんな記憶はない。ただ知識としてある、としか言い様がないのじゃ>
何故ずっとパラケス翁が不可思議な表情をしているのかは分かった。
つまり、結論は、『分からない』という事実が分かってしまったからだ。
ゴウセルもレフライアも、どういう顔をしていいか分からず悩む。人間の最高峰と言える魔術師が、分からない、と断言してしまう。ならもう、彼はただの子供だと納得して安心出来る、かとは言えばそうではない。そういう結論とは程遠い話だ。
ゴウセル自身は、ゼンが何であれ受け入れる覚悟があったのだが、それがすかされた様に気分だった。
<少し、補足しておくのじゃが、ゼン坊は2年半という月日を経て、いきなり凄い強い剣士、冒険者のクラス的にはどうなんじゃ?>
パラケス翁は後ろにいるラザンを振り返って聞く。
<Bは軽く超えてる。Aに届きそうだな、総合的に言って。ゼン自身は余り納得していないが、な。少し技術よりと言うか、本人的には単純に『力』が足りない、と思ってる。腕力的な事だな。そもそもあの歳であの小さな身体に背丈。どれだけ“気”を練って身体強化しても限りがある。
何度か言い聞かせたんだが……>
<そこまででいいわい。つまりA級ぐらいの強さに、いきなりなって帰って来た。過程を見ていないと、これはもうただ天才で、才能でたったの2年半でこの強さに到達した、そう見えるじゃろうが、まるで違う!>
パラケス翁は急に何か怒りだした様に見えた。いかにも腹に据えかねる、といった様子だ。
<さっき言ったと思うが、あの子の身体は普通の人間のそれに過ぎん。それがスキルの補助一つなく、何故、それ程強くなったかと言うと、ラザン、お前、今まであの子に何個、ハイ・ポーションを使ったか、言ってみい!>
ハイ・ポーションとは、そこらで普通に売られている、上級中級下級と分類されているポーションとはまるで桁が違う。それ一つで、瀕死の重傷も治る、かなり高級な回復薬で、金持ちの貴族は必ず常備しておくのがステータスにもなる。一応迷宮でまれに見つかり、作り手は各国でも限られている。
ラザンはいかにも面倒くさそうに、頭をボリボリ掻きながら言った。
<30個は、まあ超えてるだろうな……>
引退したのが早く、商人歴の方が長いゴウセルは、その意味が飲み込めず、よくそれだけの数のハイ・ポーションを持っているものだ、と単純に呆れ返っただけだった。
レフライアは顔を蒼白にして、その“正しい”意味を理解していた。
「……呑気な顔しないで、ゴウセル。これは、あの子が、2年半で30回以上、死にかけた、って事なのよ?」
「え?………!!!」
その通りだった。厳しい修行の旅だった、とは聞いていた。その話をする時の、ゼンの虚ろになる表情からも、過酷なものだろうとは思っていた。だが、実際はそんな生易しいものではなかったのだ。
単純計算して、一カ月に一回以上の割合で死にかけている事になる。そんな生き地獄にも等しい修行の旅が、存在するというのか―――
<お前さんは鬼じゃ!あんな小さな子に、愛弟子とか言っている子供にする仕打ちか!>
パラケス翁は、孫の様に可愛がっていると言っていたゼンの、その姿を直に見ているのだ。怒るのは当然だった。
<つったって、ゼンが爺さんに助けを一度でも求めたか?試練にしろ鍛錬にしろ、全てあいつが望んでした事だろーが>
<しかし、じゃな、だからと言って、その間に従魔のスキルを封印する等と……>
しばし口論する二人は、きっと旅の間も何度かぶつかったのであろう。
はた目には、子供の教育方針で揉める親と舅の様だが、内容はそんな微笑ましいものではない。
<あいつは、いずれ絶対にフェルズに戻る身の上だったんだからな……>
<なんじゃ、いずれ帰るから、どう厳しくしても構わん、壊れても構わんと言うのか?>
<そうじゃねぇーよ!もう帰った後は、俺達には何もしてやれねーっつってんだよ!>
その言葉には、流石のパラケス翁も黙り込む。
<仕方ねぇーだろうが……。あいつが自分で望んでしている事だ。俺のしてやれる事は、あいつがその時その時の限界を超える手助けをして、帰るまでに出来るだけ強くしてやるしかねぇんだよ……>
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オマケ
ゼ「爺さん、変な事言ってないといいんだけど……」
ガ「主殿、前回は己が未熟、腹かっさばい―」
ゼ「しなくていいから。どこで覚える、そんな事。影狼だった頃はそんな事、出来ないだろうに……」
リ「私めがすぐに治しますが?」
ゼ「……治せばいいってもんじゃないだろう……。色々やってる俺が言うのも変だけどさ……」
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