10

 二見憲次は、数日前と同じ様に自宅のソファで目を覚ました。


 身体を起こし、周囲を見渡す。


 以前帰った時と変化はほぼ無い。が、憲次自身には明らかな違いがあった。


 脳裏には、数時間前の事が鮮明に浮かんでいる。



 異形は、憲次に構うことなく互いに向かって直進している。


 先に、骸骨男が動いた。


 走る勢いそのままに、飛び膝蹴りを顔面に向かって放つ。


 蜘蛛男は両腕で防ぎ、そのまま旋回して受け流した動きを利用して背中へ回る。


 がら空きの背に前蹴りを放つも、着地と同時に骸骨男は跳躍して避けた。


 蜘蛛男の頭上を飛び越え、着地と同時に背中へ突撃する。


 が、吹き飛ばされたのは骸骨男であった。


 蜘蛛男は、背中の突起物を伸ばして迎撃していたのだ。


 細長く、しなやかに蠢く四本の突起物は蜘蛛の脚そのものであった。


 吹き飛ばされた骸骨男であったが、咄嗟に腕を構え防御に成功していたらしく、倒れる事無くしっかりと着地した。


 体制を整え、骸骨男は距離を詰めようとするも蜘蛛の脚がそれを阻む。


 一本一本が意志を持っているかの如く動く蜘蛛の脚は、骸骨男の移動を完全に制御している。


 蜘蛛男は自身の好機を逃さず、攻めに出た。


 蜘蛛の脚は骸骨男を捉え、それぞれが四方向からの攻撃を開始した。


 鋭く尖った先端での刺突や、しなる脚全体で叩きつけていく。


 骸骨男はそれらを腕や足を使い防御し、時にはいなしていた。


 わずか数分間の中で行われている凄まじい攻防を、憲次はただ見つめている。


 未だフェンス越しに争う化け物に、現実味が見いだせていなかった。


 骸骨男が不意に、両腕を左右に薙ぐ形で振り下ろす。


 その動きの数秒後、二人の頭上に何かが舞った。


 それと同時に、蜘蛛男が後方へ下がる。


 頭上に舞った物は、蜘蛛の脚であった。


 先端部が二本、蜘蛛男の体を離れ地面へ落ちていく。


「ぐむっ」


 下がる蜘蛛男の口から苦悶の声が上がる。


 ノイズがかったそれは、人の口からは確実に出ない音であった。


 二体の間で落下した蜘蛛の脚先が血の塊に戻り、地面に染みを広げる。


 骸骨男が腕を振り、血を払う。


 肘付近の皮膚が細く伸びて、刃を形成している。


 未だ付着した血液が、切れ味を物語っている。


「大げさだな、すぐ治るだろ」


 今度は骸骨男がはっきりと言葉を口にする。


 獣の唸り声に似た、低く響く声であった。


 その言葉通り、蜘蛛男の背で蠢く脚は再生を開始している。


 先程まで滴っていた血液は塊を作り、切断された部分を修復しようと尖り始めていた。


 骸骨男はゆっくりと距離を詰めていくが、蜘蛛男は見逃さない。


 口の中で糸を作り出し、それを弾丸の様に放つ。


 骸骨男は腕で弾くも、糸は皮膚を削り火花を散らす。


 弾かれた糸が地面に突き刺さり、憲次はそれが事件の凶器である事を確信した。


 馬鹿馬鹿しい程の事実が目の前に突きつけられながら、憲次は気が狂いそうになるのを必死でこらえて二体に視線を戻した。


 糸の弾丸を弾きつつ、骸骨男は徐々に距離を詰めていく。


 蜘蛛男が焦り、糸を吐く間隔を速めてすぐの事であった。


 糸が吐き出されると同時に、骸骨男は地面を勢いよく蹴りつけ一気に距離を詰めた。


 糸は骸骨男の頬を掠め、皮膚を削り肉を裂いた。


 赤い鮮血が吹き出し、後方へ流れていく。


 蜘蛛男の目の前まで接近し、着地と同時に勢いそのままに右の掌底を鳩尾付近に打ち出す。


 蜘蛛男の体はくの字に折れ、後方へ吹き飛ぶ。


 地面へ倒れ込む前に、背の脚を突き立て制動する。


 深く刺さった先端が地面に線を描き、しばらくして止まる。


 自分の足で立ち上がった蜘蛛男だったが、ほどなくして膝をついた。


 骸骨男はその場で、腰を低く構え左手を前に突き出している。


 右手を隠す様に畳み、次の一撃が強烈な物になる事を予感させている。


 蜘蛛男もそれを予期し、背の脚を支えに体勢を整え始めた。


 互いが次の動きへ入ろうとした時であった。二体の間で地面がいくつも弾けた。


 轟音と共に、輸送ヘリコプターがグラウンド上空に現れる。


 ヘリは二体に背を向ける形で、後部ハッチを開いており、そこから発砲していたようだ。


 ハッチの内部で、数名の人影が動き出した。


 地上にワイヤーが垂らされ、次々と人が降下してくる。


 その姿、装備は憲次が知り得る特殊部隊のどれとも違っていた。


 防護スーツにプロテクターを装備し、キャニスター部分が伸びている少々風変わりなヘルメットを装着している。


 さながら犬の顔をした騎士の様であった。


 更に、腰に携帯している小銃も警察機構で使用する物とは大きく異なっている。


 総勢六名の隊員らは降下を終え、すぐさま二体へ発砲を開始した。


 横に並び、統率の取れた動きで距離を取りつつ射撃を続ける。


 直撃した両者の体から火花は散るも、致命傷を与える程の威力は無い。


 しかし、突然の襲撃で動揺を誘う事が出来たのか、動きは止まっている。


 動揺から先に抜け出したのは、蜘蛛男であった。


 背の脚を思いきり地面へ叩きつけ、反動で宙を舞う。


 軽々と隊員らを飛び越え、脚を駆使して林の中へ潜り込んでいく。


 三名の隊員が後を追い、その場に残った三名が骸骨男に銃を向けている。


 骸骨男はヘリのライトに照らされたまま、微動だにしない。


 隊員らがすぐさまリロードを終え、再び撃ち始めた時であった。


 骸骨男は素早く近づき、中心に立つ隊員の腕を掴む。


 銃を弾き落とし、背後に回って拘束し下がっていく。


 隊員らが撃てずにいると、骸骨男は掴んでいた隊員を突き放した。


 同時に背を向け、勢いよく林へ向かって走り出す。


 隊員らが追い、人のいなくなったグラウンドに憲次のよく知った人物が降り立つ。


 三雲は着地と同時に、インカム指示を出し始める。


「失礼」


 憲次は背後から声を掛けられ、飛び上がる程驚きながら振り返る。


 ヘリのローター音で足音も消えていてか、全く気配を感じず背後を取られていた。


「ご同行、よろしいですか」


 隊員は二人立っており、先の六人と比べるとプロテクターが少ない軽装備といった印象である。


 が、腰のホルスターに提げられている小銃は同じものであった。

 

「待った。色々と聞きたい事がある」


 両手を挙げ、警察手帳を開く。


「……残念ながら、お答えする事は出来ません。ご同行を」


 動じる事無く淡々と告げる隊員に、次の一手を捻り出そうと憲次は必死に頭を回転させていた。


 その時であった。


「その人は俺が対応する。二人は逃げ遅れた民間人がいないか捜索、目撃者の有無を確認してくれ」


 三雲がフェンス越しに近づき、二人の隊員に直接指示を出している。


「了解」


 二人はすぐさま憲次から離れていく。


「……我々の相手を見た感想は、いかがです」


 動揺の残る視線を向ける憲次に、冷たく言い放った。


「あれは一体、何なんだ」


 憲次は背を向け、問う。


 三雲はフェンス越しに後姿を見つめながら、淡々と話し始めた。


「現状、知っている事であればお答えします。我々も現在究明中で全てを知っている訳では無いので」


「それで構わねぇよ。アレが何なのか教えてくれ」


「現状で言うと、化け物としか。俺達は――」


 三雲は言葉を遮り、インカムに手を当て「失礼」と告げ憲次に背を向ける。


「……分かった。そろそろ警察も合流する、周辺の民間人は彼らに任せて捜索に人員を割いてくれ。森林部の他員と合流出来たら連絡を」


 インカムを上げ、ため息を吐く。


 憲次はフェンスに向き直り、三雲を見ている。


「逃げられたのか」


「ええ。林を抜けて……いや、抜ける間に人の姿に変化したのでしょう。野次馬に紛れ込まれれば捜索は難しいですね」


 遠くから警報に反応した人々のざわめきが聞こえる。


「あの中に紛れ込んで、奴らが暴れる事は無いだろうな?」


 考えただけでも背筋が凍る事を思い浮かべ、不安げに質問した。


「おそらく。奴らもすぐには変身する事が出来ないみたいなので」


 憲次は少し後方を見やり、考え込む。


「勘のいい貴方なら気づいているでしょうが、奴らは人間です。元人間と表現するのが正しいのでしょうが」


 憲次の中にある結論の一つを、見透かしたかの様に三雲が告げる。


「人間がどうやってあんな姿になってる」


「そこが、現在究明中の部分です。大方、貴方が遠藤さんから得た新種の薬物って情報が絡んでくるのは、間違いないかと」


 憲次はさほど動揺もする事無く、話を続ける。


「俺を監視でもしてたか?」


「いえ、マル暴にそれ以上の情報を流さない様通達しているのが我々ですから。他の部署にもそうさせて頂いています。その様子だと、やはり遠藤さんを頼りましたか」


「……お前ら何なんだ? あの化け物共もそうだが、何がどうなってる」


「特殊捜査班……とでも思って下さい。警察機構にも自衛隊にも属さずに行動できる権限を得た、化け物専門の捜査班です」


「……まるでヒーローものの特務機関だな」


 憲次は乾いた笑いを浮かべ言う。何から何まで荒唐無稽すぎて最早笑う意外に無かった。


「それで、お前……いつからなんだ?」


 憲次の言葉の意図を理解し、視線を逸らす。


「貴方が島流しに会ってすぐ、です」


「……そうか」


 憲次は追及をせず、背を向けて歩き出した。


「憲次さん、手を引いて下さい。これは俺達の管轄です」


 三雲は憲次の背に言葉を投げるも、返答は無い。


「憲次さん!」


「三雲ぉ、元上司のお帰りだ。あの黒い犬っころ共にすんなり通す様お前から言っといてくれ」


 振り返ることなく、背を向け手を振る。


 三雲は何かを言いかけるが、止めてフェンスを力強く掴んだ。

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