きらきらしてる

由野 瑠璃絵

第1話

 絵を見て「きらきらしてる」と思ったのは初めての経験だった。


 詠地は友人からの気の乗らない誘いで、画廊に足を運んでいた。

 周りは金持ちそうな老夫婦とか、いかにも東京のエリート風なスーツの男とか、それとは真逆の風体な線の細い芸術家に見える男でまばらだ。


「どうだ詠地。他の画廊とは違うだろ?」

 詠地は絵のことなど全く詳しくはないし、ましてやここの画廊が他とはどう違うかなんて興味すらない。

 あんばいで、「そうだな。思ったよりいろんなタイプの絵が揃ってる」と、詠地が言うと、同業の男は「そうなんだよ!」と嬉しそうに語り始めた。

 この男は嫌いじゃない。だけど相手の話を聞かないのが最大の欠点であり、それだけで詠地はこの男が得意ではない。

「そうだ。最近入った絵があるんだってさ。見てみよう、あっちにあるって」

 詠地は半ば強引に連れられて、その絵の前まで来た。


 画廊の隅っこ、分厚い図鑑を二冊並べたくらいの、そんなに大きくないキャンバス。そのキャンバスには、海の絵が描かれていた。

 まっ青な青ではない。なぜか地平線には黄色い線が一本入っている。この画廊の高い技術が詰まった絵の中で、一方この絵には技術の高さは全く無かった。基礎なんてない、絵の体裁もなされてないような……。


 しかし不思議だ。画廊の隅に追いやられるように、まるで邪魔なんだが、と言われているような場所にある子供のような絵が、その純真無垢さが、なぜか詠地の心に刺さったのだ。


「なんだこれ。期待してたのに、これかよ。技術とか以前にさぁ、基礎がなってないよ、この絵。何がいいんだか」

「じゃあ逆に、何が悪い?」

 詠地の口は、勝手にそう動いていた。その声が少し冷たかったのを感じた同僚は、「え、いや…」と口籠った後、しかしここは絵に詳しい自分を崩すわけにはいかないと、言葉を並べる。


「まず…なんで地平線に真っ黄色があるんだ?普通、雲の白っぽさと青が接して、それで終わり。地平線にわざと線を引くなんて、ご法度にも程がある。それに、色遣いが地味で、これじゃあ海の青の良さが出てないな。もっと、真っ青な海を描くべきだ」

「そうか。じゃあ、俺はこの絵を買うよ」

 その言葉に、同僚はあんぐりと口を開けた。

「か、買うって。詠地、こんな子供騙しな絵、やめとけ。金の無駄だって」

「金の無駄?別に、俺の金だから問題ない」

「いや。ここは連れてきた俺の責任だ。この絵はお前に相応しくない」

「支配人は居るか?ああ、そこの人だ。ちょっと、この絵の購入、考えてるんですが。ええ。お話がしたくって」

「詠地、」

「いいだろ。支配人に話を聞いてから決めたいんだ」

 その言葉は、「お前の知識披露には興味がない」という詠地の意図を完全に表していた。

「わかった……いいよ。お前の好きにしろよ。俺は他の絵を見てるから」

「ありがとう」

 正直詠地としては、もう同僚には帰ってもらってもよかった。むしろ、帰ってもらった方が支配人との話に集中できるので、都合が良いのだが。


 細身の紺色のスーツを身につけた、品の良い老人がこの画廊のオーナーだった。

「ええ、ご検討ありがとうございます。こちらの絵に関して、ですね?」

「はい。この絵は誰が?作者のネームプレートとかが無いので…」

「えぇそうですね。こちらの画廊では、作者の名前や年齢、どのような経歴があるかも全く公表せずに売るのです」

「なぜです?有名な方の絵を飾ったほうが売れると思うんですが」

「ここでは新人も、有名な芸術家も関係ありません。ただ、その絵が好きか、嫌いかだけで購入のご判断をしていただきたいのです。中には腕試しのために、この画廊に持ち込みする有名な方もいらっしゃいます」

「そうなんですね。で、こちらの絵なんですが…これは誰が?」

「こちらはまだ若い、17歳の高校生が描いた絵です。本人ではなく、知人の方が東京に来た際にぜひここに置いて、沢山の人に見てほしいと。この絵を持ってきた方も、作者と同い年ぐらいに見えましたよ。17、18くらいですかね」

「そんなに若い子が…」

「不思議でしょう?私も最初はね、この絵、飾れるのかなぁと不安だったんですよ。とりあえず預かっておいて、無理だったら後日お返しすると約束したくらいなんです。でもね……何日かこの絵を家のストックの中に置いておいたらですね、不思議とこの絵だけ、他の絵の中から光ってるように見えたんですよ」

「あ、それは俺も思いました。この絵だけなんか…発光してる?って言ったら、おかしいんでしょうね。だけどそう思ったんです。きらきらしてる、って言うか」

「私も同じように思いましたよ。不思議なんですよね。時々あるんですよ。絵の技術はさほど高くない……むしろ低い時さえあるんですが、なぜか目を引く作品が」

 詠地は膝に手を当てて、この海の絵と目線を合わせた。

「背が高いようですから見辛いでしょう。よかったら、一度壁から外して見てみますか?」

「いいんですか?値段もわからないので、少し怖いんですけど」

「いえ。そんなに高い値段はつけていませんよ。売れるかすら不安でしたから。では、ちょっと、失礼……」


 オーナーがスーツの内ポケットから、白い手袋を取り出して着けた。丁寧に絵を壁掛けから外し、詠地の前にその海が来た。


「いやぁ…いいでしょう。近くで見ると特に面白いタッチの絵です」


 詠地は目を凝らしてそれを見た。不思議とその絵は、目との距離が近くなれば近くなるほど、笑ってしまうくらい美しさがわかってくる絵だった。

 気づくと顔が絵の驚くほど近くにあって、詠地は顔を赤らめ、「すみません」とオーナーに謝った。

「どうです?実はここだけの話……他にもこの絵にご興味をもってらっしゃる方が居ます。そろそろ決めないと、他の方の手に渡る可能性が高いです。私も手に入れたいくらいの絵ですから…本音を言うとね」


 オーナーは優しく、白髭を蓄えた口元で笑った。

「この絵、ください。買います」

「ありがとうございます」


 二人の近くをさまよっていた同僚は、詠地が奥の部屋へ連れて行かれるのを見て、目を丸くした。

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