終末世界と少女の旅路と愚かな選択

都下月香

#0 アイビィ

「わたしは誰か?」

 わたしは鏡に――そこに映るわたしに――そう問いかけた。

 鏡はひび割れているが、見れないほどではない。

 鏡を通して、わたしはわたしを観察する。

 肩まで伸びた黒い髪はボサボサ。親譲りだと思われる両の薄花色の瞳の輝きはまだ失われていない。お肌が埃っぽい、早くお風呂に入ろう。体つきは、たぶん、十代っていう、年相応のもの――ちょっと痩せ気味かも。あとは、

「――やっぱり臭うクサイなあ、わたし」

 ここ数日、お風呂に入れなかった。興味本位で前の文明の大きなコロニーの跡を探索しようとしたのだけれど、それが失敗だった。あるのはよく分からないキカイらしき鉄の塊と崩れかけた建造物がほとんどで、ようやく見つけた溜水は緑色をしていて使おうとは思えなかった。

 それでも何かないのかと諦めきれず探索を続けて見つけたのが、この地下室だ。

 此処を見つけたのは偶然だった。


    ★


 旅の途中、わたしは廃墟を見つけた。

 様子を見るに、どうやら前文明の規模の大きなコロニーの跡――何かのための施設というよりは、人の住む家が密集した地域だとアタリを付けた。

 人口の密集していた地域なら食料や水が手に入るかも――あわよくばそれ以外にも有用なものがあるかもしれない――そんなふうに考えたのだ。

 そして探索の末。持ち込んだ食料と水を半分ほど消費したところで、このまま探索を続けるか、此処の探索を諦めて次の場所へ旅立つかの判断を迫られた。

 わたしは思案しながらもようやく見つけた崩壊の危険が少ない建物のひとつを探索していると、不注意にも床の窪みに足先を引っ掛けてつまづいた。そうして転びかけた腹立ちまぎれに床の窪みを睨みつけて、気がついた。それは取っ手だった。

 調べてみると、その取っ手は床に取り付けられた蓋の一部らしいということが分かった。蓋は正方形で、大きさはわたしが両腕を伸ばしたほどのもの。

「重そう。でも、見逃せないかぁ」

 半ば自暴自棄になっていたわたしは取っ手を掴み、力の限り引っ張り上げ、

「いっせい、のーでっ――て、軽っ!」

 予想外の蓋の軽さのために、後ろに転んで尻もちをつきかけた。

「ヘンなトコ捻っちゃったらどうすんのよ!」

 と、相手もいないのに愚痴りながら、蓋で閉じられていた場所を覗く。

「明るい。それに、崩れてないけれど――避難所シェルターの入り口、かな?」

 蓋の下は、さらに下に繋がる縦穴があり、鉄梯子が掛けられていた。穴の壁には照明が埋め込まれているらしく、薄い白光が穴全体を照らしている。

「どうしよう。降りて、みる?」

 わたしは何度か梯子を蹴ったり、穴の下に小石を投げ込んでみた。掛けられた梯子が外れる気配はないし、穴自体もいますぐ崩れる感じはない。

 結局、そこまで収穫のなかったわたしには、降りる以外の選択肢はなかった。


    ★


「はぁぁ~もう死んでも良いかも~」

 なんて、情けない声をつい漏らしてしまったけれど気にしない。

 なんといっても温かいお風呂なのだ。何日、何週間ぶりだろう。ここ数日間の探索で体に付いた垢だけでなく、その他諸々の疲労までも流れていくような心地だ。

「此処に来た価値はあったなあ~」

 その価値はなにもお風呂だけではない。

「少しだけれど、食料と水も補給できたし! それから――」

 と、わたしは鏡の前に乱雑に置いてある灰色の布切れを見る。局部を隠すための簡素な下着と、上半身と下半身に着る服――のようなものは、元からわたしが持っていた服。そしてもうひとつ、それらの上から全身をすっぽりと覆ってしまえるほどの大きな革製の黒い外套コート(男の人が着ることを想定しているのだろう)。外套にはなんたら社とかいう半分掠れたロゴが入っちゃってるけれど、まあいい。

 夜の探索や野宿は危険なのであまりしないとはいえ、絶対に避けるという事は出来ない。季節もまだ寒期ではないが、近頃は日暮れになると冷えてきたので、何処で防寒着を調達しなければと思っていたところだった。

「それにふふっ、こういうオシャレなの、着てみたかったのよねっ!」

 今の縫合技術ではあまり見かける事の出来ない丈夫で、洒落た革製のコートはなんというか、こう、女の子的に、誇らしい戦果なのだ。

「フフーン♪」

 それらを横目に、つい鼻歌なんて歌いつつ、わたしは汚れた体を洗う。ボサボサの髪を潤わし、肌に付いた垢と埃を流して――そうしてキレイになっていく自分を見るたび、わたしの心はきらめいた。


    ★


 お風呂を終えて、わたしは体が乾くのを待ちながら、もう一度鏡を覗いた。

 ひび割れた鏡に映し出されたわたしもまた、ひび割れている。

 ――いや、わたしだけではない。

 鏡に映る世界は、とっくの昔にひび割れてしまっている。

 この世界は終末を迎えて、わたしはその終わった世界を旅しているのだから。

「わたしは誰か?」

 わたしは鏡に――そこに映るわたしに――再び問いかけた。

「――わたしは、アイビィ。旅人」

 わたしのほんとうの名前じゃないけれど、誰かに名乗る時は「アイビィ」と名乗っている。ほんとうの名前は、今のところは、誰にも言うつもりはない。

「わたしの旅の目的は、なに?」

 旅の目的。

 いままで訪れたコロニーのなかには、わたしを定住者として受け入れてくれると言ってくれるところもあった。この避難所のように、旅を止めてしばらく滞在出来るような場所を幾つか見つけた事もある。

 それでも、わたしはそれらを受け入れなかった。旅を止める事無く、いままで歩んでいる。

 それはなぜ?

「それは――それは、結末を見つけるため」

 ほんとうは、温かいお風呂がある此処に根っこを張ってしまいたいけれど、その誘惑に負けるわけにはいかない。だから、思い出さなければいけない。旅の目的を。

「わたしは、わたしの愚かな選択の結末を見つけるために、旅を続けている」

 わたしは、アイビィ。

 この終末世界を旅し、ほんとうの結末を探す旅人だ。

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