クラスメイトと空き教室で寝ることになったんだが
かどの かゆた
第1話 倒れた男と起きない女
帰りのホームルームで、模試の成績が発表された。
クラスメイト達は、先生から手渡された紙を見て、一様に一喜一憂している。
中には成績などどうでもいいと言わんばかりに机に伏せて寝ているやつも居たが、ああいう奴は気にするまい。
ともかく、俺は、点数など見なかった。
見るのは、学内順位のみ。
喜ぶにしろ落胆するにしろ、あまり人に見られたい姿ではない。だから俺は、受け取った成績表を決して直ぐに見ることはしなかった。
誰も居ない場所で、一人静かに見よう。
そう考えて来たのは、管理棟四階の廊下。夕暮れ時の最上階は、オレンジ色の光に照らされているというのに、妙に穏やかな印象だ。
滅多の人の来ないここなら、大丈夫だろう。
俺は鞄から大事に折り畳んだ成績表を取り出した。
「頼む……」
強く、強く目を閉じて、祈りを捧げる。
そして、カッと大きく目を見開く。
『学年順位 二位』
俺の眼前にあったのはあまりに無慈悲な数字だった。
「……駄目、だった。駄目……」
俺はリピート再生のように、同じ言葉を繰り返した。自分でも何を口にしているのかよく分からない。とにかく、疲れた頭が妙な熱を帯びて、頭痛が止まらなかった。
夜も眠らず、ひたすら勉学に専念した結果が、これである。
「……こんなところで何やってんの」
後ろから声がする。何でここに人が居るんだ。放課後ここに用がある人間なんて居ないはずなのに。
振り返ろうとした瞬間、俺の目の前は真っ暗になった。
こんなところで何をしているか、だと?
本当に、俺は何をしているのだろうか。
葉山高校の職員室は、インスタントコーヒーの香りがした。
生徒は熱湯を使えないのに、先生は使い放題。でも、朝から疲れた目でパソコンへ向かう先生の姿を見ると、素直に羨ましいとも言えない。
そんな中、俺は職員室の真ん中で突っ立っていた。
「ちょっと待ってくれ。あと少しで終わる……終わる……終わった!」
冴島先生は、パチンと強くエンターキーを叩いて、それからティーカップに残る冷めたコーヒーを呷る。
「何してたんですか?」
「今日の授業で使うプリント。で、夜船」
冴島先生は改めて俺の名前を呼んで、真面目な話をする雰囲気を作った。しかし、短く伸びた顎髭や、起きてからそのままであろう寝癖のせいで、いまいち締まらない。
「体調、大丈夫か?」
言いながら、冴島先生は俺の顔をじっと見た。顔色を確認しているのだろう。
「大丈夫ですよ」
俺が努めて明るく言うと、先生の目が鋭くなった。
「まぁ、気をつけろよ」
多分、言うほど良くないことには気づかれていたと思う。でも、病院の厄介になって、それから学校に来たわけだから、無理に言って聞かせるほど悪いとも思わなかったのだろう。
「はい」
心にもない返事をしながら、休んでいる間に配られたプリントを受け取る。図書室だよりに保健だより、春の交通安全キャンペーンと、日々の宿題。
「ありがとうございました」
目的のものが手に入ったので、これ以上詮索される前に立ち去ってしまいたい。そう思って早々に会釈をすると
「あ」
と、冴島先生が何かを思い出した。
「どうかしましたか?」
「いや、そういや、ぶっ倒れたお前を見つけた奴、言ってないよな?」
ぶっ倒れたお前を見つけた奴。改めて聞くと、笑っちまうくらいシュールな言葉の並びだ。
でも、実際、俺はぶっ倒れたのだ。それも、管理棟四階、人通りの少ない廊下で。
その後、救急車に運ばれ、命に別状はなかったのだが、昨日まで学校を休む羽目になった。とはいえあんな放課後に殆ど人が通らない場所で俺を発見してくれた人には、感謝しなければと思っていたのだ。
「聞いてないです。俺も何か菓子折りの一つや二つ持っていかなきゃと思ってたんですよ」
俺は真剣にそう言ったのだが、冴島先生はそれを聞いて、ぷっと吹き出した。
「菓子折りって……お前って真面目だよなぁ」
「一応、買ってきたんですよ。近所にある饅頭屋」
「あぁ、あそこ美味いよなぁ」
学校の裏の方、住宅街の隅にある『まんじゅうの真田』は、知る人ぞ知る名店らしい。うちの学校の生徒は、割と頻繁に差し入れで利用しているそうだが、俺は今回初めて買った。そうか、美味しいのか。
それなら今度は隣の部屋に住む大家さんへ渡すのも良いかと考えていると、冴島先生が軽く咳払いをして、それから、腕を組んだ。
「お前を見つけたのはな、周防だ。クラスメイトだから、まぁ話すのも饅頭を渡すのも楽だろ……多分」
周防。
考えうる限り最も意外な名前が出て、俺の思考は停止した。
俺にクラスメイトで『周防』の名字を持つ人間は、一人しか居ない。周防 咲。そこそこ美人で、入学したばかりの時、ちょっと話題になってたっけ。まぁ、今は別の事で話題になりまくりなんだが。
「圭くん、久しぶり」
教室に行くと、教卓の上で譲葉がプリントを列ごとに仕分けていた。今日も例の
ごとく日直の仕事を手伝っているのだろう。
「おぉ、譲葉。……数日を久しぶりって言うか?」
「なんか思ったより元気そうだね。救急車で運ばれたって聞いたから結構心配してたんだよ」
譲葉がちょっと困り笑いをしつつ、ズレた眼鏡をくいと指で押し上げた。まぁ、そうだよなぁ。救急車に知り合いが運ばれるって、考えてみれば大事だ。もし立場が逆だったら、俺は相当心配してただろう。
「まぁ、この通り今は何とも無いから、安心してくれ」
また倒れない保証はないが、と心の中で付け足しておく。
「冴島先生も心配してたんだからね」
どうやら譲葉は、幾ら俺が大丈夫と言っても、まだ心配らしかった。
「まぁ、気をつけるよ」
そう言って、俺は教室の様子を見る。
数人と目が合い「久しぶりー」とか「大丈夫だったのか?」とかいう風に声を掛けられた。さっき譲葉と話したように自分の元気さをアピールしつつ、俺は一人の存在を視認した。
教室の隅、窓際の一番後ろで、うつ伏せになっている女子。
「周防」
俺は自分の席に座ることもせず、荷物すら置かず、真っ先に周防の席へ向かった。
「周防?」
うつ伏せになっている周防に、話しかける。
救急車で運ばれた奴が戻ってきたということで、俺はある程度教室で注目を受けていた。その上周防に話しかけるなんて事をしたから、ここにいる殆どが俺を見ている。
「周防さーん」
ちょっと大きな声で呼びかけてみる。
大人数の視線の前で無視されるのは、純粋に恥ずかしかった。
「周防 咲さん返事をして下さーい」
遂にフルネームで、それも耳元で呼びかける。余程の寝坊助でも「うるせぇよ!」と起きるところだが、それでも周防はうつ伏せのままだ。
「周防さん、何か話しかけられてるよ」
周防の隣に座っていた女子が、肩を叩いてくれた。必死に呼びかける俺の姿を見て、居た堪れなくなったのだろう。何にせよありがたいことだ。周防は一応女子なので、あんまり体に触れて揺らすみたいな実力行使は出来なかったからな。
「んー……」
しかしそれでも周防は短いうめき声を上げるのみだった。
難攻不落。
とにかく起きねぇなこいつ。
「これ、使って」
見かねた譲葉が、何かを取り出した。
「ん?」
差し出されたのは大きめのメモ帳。教科書などに長めの注釈を入れる時便利な代物だ。
「昼には動き出すと思うから、机に貼っておいたら?」
「あんまりな言い草だな……動物かよ」
「でも、仕方ないじゃない。宿題とかの連絡、私いつもこれでしてるし。一応伝わってるみたいだよ?」
「……すまん、貰うわ」
背に腹は代えられぬ。
メモ帳に『救急車ありがとう。これはお礼です 夜船 圭』とだけ書いて、鞄から取り出した饅頭の箱に貼り付ける。
まぁ、多分これで要件も意図も伝わってくれるだろう。
「え? 何で饅頭?」
譲葉やクラスメイトたちは意味が分からず混乱しているようだったが、気にすることもない。
自分の席に座って、改めて後方の周防を見る。
周防は入学してから、ずっとこんな調子だ。休み時間は常に寝ている。もっと言えば授業中も寝ているし、昼にご飯を食べる時と行き帰り以外、殆どの時間を周防は寝て過ごしているのだ。
だからこそ、分からない。
何故周防は、管理棟の四階で倒れていた俺を見つけることが出来たのだろうか。
そもそも一般の生徒は放課後あそこへ用事がないはずなのだ。
四階には空き教室があるのみ。自習室も部室も別の場所に有り余っているので、あそこに行く人間など、間違いなく居ないはず。
「うーむ」
考え込んでいると、いつの間にか朝の会が終わっていた。もうすぐ、授業が始まる時刻。
横目で見ても、周防は起きる気配すらない。
「まぁ、良いか」
確かに謎だが、たまたま生徒会に何かしら用事があった可能性もある。常に眠っていることを抜きにしても俺と周防は気軽に話す仲じゃないし、気にしないでおこうか。
そんなことより授業である。
病院に行っていたので、ブランクはあるものの、予習は完璧だ。
さぁ。
努力を始めようか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます